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豊洲移転問題に見るファイナンス・リテラシーの壁

投稿日:2017/03/24更新日:2019/04/09

今回取り上げるのは、メディアを賑わせている築地市場の豊洲移転問題です。「誰が決めたのか」「責任は誰にあるのか」「瑕疵担保条項をなぜ放棄したのか」といった議論を連日目にし、ファイナンスを勉強した諸氏の中には違和感を抱く方が結構いるのではないでしょうか?

プロジェクトを比較検討する上での基本動作ができてない?

ファイナンスを学ぶ際、例えばグロービス経営大学院ではケーススタディを通じて「油田発掘プロジェクトAは初期投資が少ないが埋蔵量も少なく、Bはその逆。どちらを採用すべきか」「A社はX社を買収すべきか、それとも設備投資を増やして自力成長を目指すべきか」「A社は自社生産を外部アウトソースに切り替えるべきか」という意思決定の訓練を繰り返し行います。それらの分析の王道(というか唯一の判断基準)は、「それぞれの計画案の総投資額とそのプロジェクトが将来にわたって生み出すキャッシュフローの正味現在価値(Net Present Value, NPV)を計算して、NPVの高い方のプロジェクトを選択する」という方法です。

築地市場に投資して再整備するか、豊洲へ移転するか、という問いは上記のケーススタディの応用事例にすぎません(公共事業なのでどちらのNPVもマイナス、どちらがより小さいか、となるかもしれませんが)。

この基本動作を行なっていたのなら、石原元都知事は当時の比較分析資料を開示して、客観的合理的に移転判断をした、と言えば済む話です。さらに、もし豊洲移転案のNPVが築地に留まる案のNPVを数百億円単位で上回るという結果なら、たとえ土壌汚染費用が当時の前提値より数百億円余計にかかったとしても豊洲移転は正しい判断だと突っぱねることができます。

このように、プロジェクトが生み出す将来キャッシュフローの見通しを立て、全てを数値化して比較検討する、というアプローチは欧米では当たり前です。なぜなら行政であれ経営者であれ、そうすることが「説明責任を果たす」上で最も有効であることをわかっているからです。

戦略や計画を数字にして示し、意思決定プロセスを透明化し、説明責任を果たす」、これがファイナンスという学問の担う役割です。そして、説明する側も説明を受ける側もそのツールを理解し共有していることが、「ファイナンス・リテラシー」といわれる意思決定のための基本インフラなのです。

ファイナンス主導の意思決定への反論

数字一辺倒の意思決定や、ファイナンス理論への当てはめだけで行う意思決定に危うさがあるのは事実です。本件のような公共的事業投資においては、特にそういう批判もあるでしょう。よく聞く3つの反論について、以下検討します。

1. 全てをキャッシュフロー金額に還元して将来見通しを立てるのは不可能

「カネに換算できない価値」がある、それこそが大切なのだ、という意見は多くの賛同を得ます。私自身もそう思います。しかし、それを何とか金額化して比較可能な状態にする努力を、簡単に放棄すべきではないと思います。

「築地ブランドの価値」「震災や大火事が起こった場合の損害額」「風評被害」「利便性の向上」等々、金額化する手法はあります。コンサルティング会社、会計事務所・投資銀行のM&Aアドバイザリー部門や投資ファンドで働いている人達は、そういう仕事ばかりやっていると言っても過言ではありません。海外を含む過去の参考事例からデータを引き出し、土壌汚染や人事労務の専門家と協力し、時には確率統計的手法を駆使し、見えない将来を数値化・金額化するためにベストを尽くすことが、説明責任を果たす上で重要なのです。

2. 将来見通しは結論ありきの後付けで何とでも作れるので当てにできない

これもごもっともな意見です。実際米国でも「ロビイスト」が企業からの豊富な資金を得て自身に有利なデータを集め、我田引水的に政府の意思決定を歪めているとの批判は後を絶ちません。

本件における解決策は、豊洲移転支持派と反対派の双方に将来見通し作成予算を与え、お互いを批判させながら、都庁が落とし所を最終判断する、というやり方でしょう。M&Aの価格交渉は、売り手側は高く売りたいのでバラ色の将来見通しを描き、買い手側は安く買いたいので手堅い収支予想を描くので、大きな差がでるのが当たり前です。両者が「価格算定のプロ」をアドバイザーに使っても、将来見通しについて意見が一致することはまずありません。相対立する両者が議論を尽くして落とし所を見つける、それが「フェアな価格」を形成するメカニズムです。

3. 公共プロジェクトは民間とは性質が違う、食の安心安全は絶対譲れない

前者については「都民、国民の税金の無駄遣いはまかりならん」という世論が優勢なので多くを語る必要はないでしょう。民間企業であれ政府・自治体であれ、資金調達ができなければどんなに立派なプロジェクトでも実現しません。ファイナンスを学ぶことは資金調達を学ぶことでもあります。ファイナンス・リテラシーは、資金の出し手が「その計画ではカネは出せない」と放漫経営に歯止めをかける最後の砦です。

食の安全・安心についての「ゼロリスク」意識は原発事故以来高まっています。命を落とす人が出るようなプロジェクトは絶対に認められない、という意見はもっともらしく響きます。しかし、現実はそうでないことも皆理解しています(でなければクルマや飛行機の存在、火山噴火・地震や津波被害の多発するこの島国に住み続ける理由、の説明がつきません)。

命に値段をつけることは不可能だし不謹慎だという意見はごもっともですが、そこで思考停止してはプロジェクトの意思決定はできません。ちなみに、米国政府がプロジェクトに予算を割り当てる際に行う費用対効果分析においては、1人の命を救う価値として約700万ドル(8億円)を使っているそうです(注)。逆に解釈すれは、人の命が1つ救われるからといって8億円を超える国民の税金を投入することは正当化されない、という冷徹な判断基準です。

リスクとリターンの見える化

過去の調査データが杜撰で再検査したら環境基準オーバーな数値が出て小池知事も頭を痛めていますが、ファイナンスの学びの中でもうひとつ重要なものは、「リスクとリターンの関係、数値化手法を理解する」です。本件ではリターン(収益)ではなくさらなるコスト増の適正バランス問題、となります。

小池知事が明らかにすべきは、「土壌汚染の数値をどこまで下げることによりどれだけリスク(危険性)が下がり、そのためにどれだけのコストがかかるか」「対して築地を継続使用した場合のリスクはどれだけあり、その対策費はどれだけ必要なのか」について、専門家を駆使して比較可能な状態にし、それを元に意思決定するということでしょう。

まとめ

営利目的の民間事業とは異なる公共プロジェクトの意思決定として、「総合的判断」は必要でしょう。しかし財務・ファイナンス的分析・判断はその重要なパーツを構成すべきで、それをすっ飛ばしての「総合的判断」はあってはならないと思います。

猪瀬元知事がTVのワイドショーで「皆土壌汚染の話ばかりしているが、当初の建設費予算600億円が実際には2700億円に膨れ上がった問題を追及すべき」とコメントしていました。これが事実なら、「収支見通しを立てそのNPVで判断する」というファイナンスの王道手法は全く通用しません。新国立競技場問題もしかり、こういう物事の進め方がまかり通る限り、「MBAをとってファイナンスを学んでも実践する場がない」という卒業生のぼやきも理解できます。

豊洲移転問題のドタバタを通じて、ファイナンスを学ぶ意義を再認識し、政治家、行政、メディア、そして納税者たる我々ひとりひとりのファイナンス・リテラシーを上げることの大切さを痛感します。

(注)出典:リチャード・セイラー 「行動経済学の逆襲」(2016年)

 

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