今回は、2001年に日本の市場で取引開始されたREIT(不動産投資信託)が不動産市場に及ぼした意味を検討する。
「REIT(不動産投資信託)」が2001年9月に日本の証券市場で取引開始されてから7年が経過した。2009年4月28日現在上場しているREITの本数は約40本、その時価総額も2兆3900億円となるまで成長*1した。
通常の投資信託が株式や債券に投資するのに対して、REITはオフィスビルや商業施設などの不動産物件に投資し、その投資資産を引き当てに証券を発行して幅広い投資家に販売される投資信託であり、投資対象の不動産が生み出す収益やその売買に伴うキャピタルゲインが配当として投資家に分配される。REITのリターンとリスク(リターンのバラつきの大きさ)は他の金融商品と比較され、割安であれば需要が増えて値上がりし、割高であれば売却され値段は下がる。この面では株式や債券と変わるところはない。
国際金融商品となった不動産
戦後長い間、不動産は右肩上がりに値上がりし、米国カリフォルニア州の面積にも満たない日本国土の時価総額は、そのピーク時には米国全体の土地の時価総額に匹敵するほどであった。地価は、その土地を活用して得られる収益からでは全く説明できないレベルの高い値を付け、土地を持っていれば値上がりするという“土地神話”が生まれた。
ファイナンス理論からみた土地の価値は、資産として土地を活用して生み出される収益から算出された本来価値(収益をその収益のリスクの大きさに見合った割引率で割り戻して得られる現在価値=収益還元法に基づいた価値)であるはずなのに、その本来的な価値を大きく上回っていたことになる。1987年4月には日経225(日経平均株価)のPERが89.6倍というファイナンス理論では説明できないほどの高水準になったが、1980年代までは土地もバブルにまみれていた。
遡って明治時代には、農地にかかる税金である地租は、作物の収益(作物の売上高から経費を差し引いた収益)を分子に、金利などを参考にした利回りを分母として割り戻して算出した価格(土地の時価)を基準にして賦課されており、まさにファイナンス理論である収益還元法に基づいて土地の価格が形成されていた。
第二次世界大戦後の高度経済成長期を契機に、需要の拡大によって土地の取引価格は急上昇し、その結果、説明力を失った収益還元法にかわって周辺相場を参考とする取引事例法が主流となっていった。1990年の不動産向け融資の総量規制を機に不動産バブルも終焉し、土地の値段は下落の一途をたどり、現在では土地を利用して生み出される収益に見合った価格で取引される時代が再びやってきた。土地も、「保有によるキャピタルゲイン」狙いではなく、明治時代のようにその「利用価値に見合った価格」体系に戻ったわけである。
現在上場しているREITの利回りは7.32%(2009年4月28日現在、JAPAN-REIT.comによる)と、一時の5%程度に対してかなり高くなっている。これは、金融危機に端を発した不動産不況でREITのリスクが高くなったためである。金融危機が起こる前の利回り水準である5%程度を基準に考えると、年間500万円の収益を生む不動産物件につく価格は1億円(=500万円/5%)であり、不動産市場では1億円で売買されることになる。その物件をどのように活用したら最も収益が上がるかという観点から再開発の青写真が描かれ、その物件を最も有効に活用できる、つまり最も高い入札価格を提示できるプロジェクトに落札される。たとえば六本木の旧防衛庁の跡地に立てられた「東京ミッドタウン」は、その土地を活用して最も収益が上がると考えられた、商業施設、オフィス、ホテルなどの複合施設の形態で再開発が進行したわけである。
このように現在では、土地そのものの利用価値に応じた価格が形成され、投資リスクの大きさと利回りとの比較で物件の割高感や割安感が形成され、市場で売買される。不動産も、株式や債券といった金融商品の仲間入りを果たしたわけである。このリスクとリターンのバランスに応じて資金が移動し、割安な(つまりリスクに比べてリターンの高い)物件は需要が増大して値上がりし、逆に割高な物件は値下がりし、リターンとリスクのバランスが均衡するまで物件間での資金移動は続く。
資金は国内だけでなく国境を越えて移動するわけで、不動産も国際金融商品となった。例えば、銀座の一等地である銀座4丁目の不動産物件のリターンがニューヨークの一等地である5番街の不動産物件に比べて高ければ、資金は米国から日本に流入し、銀座4丁目の土地価格は上昇(リターンは低下)し、日米でリターンが均衡化した時点で国境を越えての資金移動は終了する。これはまさに不動産の金融商品化、グローバル化であり、不動産も資本市場の理論で動くようになったわけである。これが「不動産取引の市場化」が意味するところである。
不動産の自己保有をポートフォリオ理論で考える
不動産も一般の金融商品と同じようにリスクのある商品となったわけであるが、それでも依然として、土地付の一戸建てやマンションを持ちたがる人が後をたたない。これは、ファイナンス理論からみて、どう考えるべきであろうか?
ファイナンス理論の一分野であるポートフォリオ理論では、リスクのある単一資産に全財産を投入すべきではなく、リスクを軽減するために色々な資産に分散投資せよと教えている。しかし、分散投資するだけの資産を持たない個人が全財産を投入し、さらにその何倍ものローンを借りて自宅を購入する(頭金が5%であれば、借入金はなんとその19倍となる)動きは一向に止まらない。昨年の金融危機による不動産不況を受けて不動産価格は下落しており、今や戸建やマンションはお買い得とも言われているが、これは株式やFX(外国為替)の信用取引のようなハイレバレッジの金融取引となんら変わるところはない危険な(しかし魅力的な?)投機的取引である。
しかしながら、不動産の自己保有はいくらファイナンス理論的には無謀でも、株式やFXと異なり「自宅を保有しているという、金銭には換算できない満足感」を与えてくれる。「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉が象徴するように、人間は論理的な合理性だけでは割り切れない複雑な感情をもった存在であるということであろうか。不動産は人間のリスク感覚を麻痺させるだけの魔力をもった魅力的な資産なのかもしれない。
私が教える経営大学院のファイナンスのクラスでこのような話をすると、学生から「それでは先生は持ち家を持っていないのですか?」という質問を必ず受ける。私の答えはいつも決まっており、「はい、その通りです。家は買わずにずっと賃貸住宅に住んでいます。実践の伴わない理論は説得力がないですから」。しかしながら本音をいえば、月曜日から金曜日までは都心の賃貸アパートに住みながらも、できれば週末には好きなフライフィッシングができる清流のほとりに小さな別荘を持ちたいと考えている。20年来の夢であるが、ファイナンス理論を教えている限りは矛盾する行動であり、なかなか実行できずにいる。ファイナンス理論を教えるということは楽しい反面、辛いことでもあり、グロービス経営大学院が鱒の泳ぐ清流の近くにキャンパスを開設する日を心待ちにしている。
*1 ただし、REITの時価総額のピークは2007年5月における約7兆円。その後、金融危機の影響もあり、全世界的に価値が急落、7割近くを消失した。