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アレクサンダー大王、併合政策に失敗も価値観を残す

投稿日:2015/09/22更新日:2019/04/09

今回はマケドニアのアレクサンダー大王(アレクサンドロス3世)を取り上げます。アレクサンダー大王の名前はほとんどの方がご存じだとは思いますが、彼がどのように戦い、どのように征服地を治めたかは意外とご存じない方が多いのではないでしょうか。今回はそれをご紹介するとともに、そこから何が学べそうか考えます。

アレクサンダー大王は、紀元前356年に当時のギリシャ地方に生まれました。ギリシャの中でも名門中の名門の出自でした。幼少期にはアリストテレスを家庭教師として学び、まずか20歳にしてマケドニアの王となります。そして紀元前334年、東征に乗り出し、アケメネス朝ペルシアの軍を撃破しました。翌年にはエジプトに攻め入り、「解放者」として迎え入れられ、ファラオの称号を得ます。紀元前331年にはペルシア王国を滅亡させ、その数年後にはインドまで攻め入ります。こうして大帝国を築くのですが、紀元前323年、弱冠33歳でこの世を去ります。しばらくしてマケドニア帝国は分裂状態に陥り、その後、分裂した各国はローマに併合されることになります。

まず、マケドニア軍はなぜこんなに強かったのでしょうか? 1つの理由として、その戦術の独自性があります。マケドニア軍は、アレクサンダー大王の父親、フィリッポス2世が人質時代に学んだ戦法を発展させ、騎兵隊を作り、さらに「斜線陣」という戦法を生み出しました。詳細は割愛しますが、一騎討ちの多かった時代に非常に効果的な集団戦法をイノベーションとして生み出したと考えてください。もともとの発案者は父フィリッポス2世でしたが、アレクサンダー大王はこれにどんどんカイゼンを加え、当時の西側世界では無敵の戦法へと練り上げていったのです。また、アレクサンダー大王は毎回同じやり方をとるのではなく、相手の体制や地形などに応じて、柔軟に戦法を変えていきます。この部分は、彼の指揮官としての天賦の才に負うところが多いと言えます。また、一戦士としても非常に優秀で、「相手の矢がすべて避けていった」といった伝説も残しています。こうした指揮官、戦士としての優秀さは、王という地位とともに彼のパワーの源泉となりました。

彼の征服地の支配方法はやや特殊でした。古代から現代に至るまで、支配地に対しては圧政を強いる為政者が多い中、彼は基本的には融和政策をとります。ユニークなのは、自分の部下たちに現地化を促したことです。たとえばペルシアを征服した後には、部下にはペルシアの風習を取り入れることを強制しました。自分自身もペルシアの服を着たと言います。逆らう部下は処分さえしました。また、現地を治める代官には、現地の有力者を充てました。企業に例えれば、買収側の企業が自分たちのやり方を移転するのではなく、買収先の企業にかなりの自治を与えるとともに、自社の社員もその企業のやり方に強引に合わせさせるということです。

これは当時の慣習からすれば極めて異例であり、少なからぬ部下たちが不満を抱くことになります。アレクサンダー大王がある時期から版図を広げられなかった理由として、戦士の戦争疲れとともに、この方針が戦士に受けなかったからと言われています。略奪や支配者となることが多くの国で戦士のモチベーションだった時代ですから、当然と言えば当然と言えるでしょう。大王のことを軍の指揮官としては尊敬しても、為政者としては必ずしも評価しなかった人間は少なくなかったと思われます。

さらに彼はこの融和を推し進め、紀元前324年、有名なスーサの合同結婚式を行います。これは、マケドニアの貴族と、ペルシアの高位の女性の合同結婚です。自身も、ペルシア王国最後の王であったダイオレス3世の娘と結婚します。風習だけではなく、一気に混血も図る、文字通りのMerger促進のための大胆な施策でした。しかし、この翌年、大王は亡くなり(諸説ありますが、正確な原因は不明)、合同結婚式でペルシア人の女性と結婚したマケドニアの貴族の多くは離婚したと言われます。やはり部下たちは、この急激な融合を歓迎してはいなかったのです。

そして大王没後、帝国は分割され、群雄割拠が起こり、アレクサンダーの帝国はほぼ霧消したのです。

この事例から我々は何を学べるでしょうか。企業の合従連衡が盛んになる昨今、以下のポイントは重要でしょう。

自社の社員のモチベーションをいたずらに削ぐような迎合は好ましくはない。もちろん、押し付けや締め上げがいいというわけではなくバランスが重要

●組織を効果的に運営する上で拙速は禁物。マージャーの方法論と同時にスピードにも注意を

さて、アレクサンダー大王の帝国がなにも残さなかったかというとそんなことはありません。国家として残った遺産はわずかでしたが、彼が残した最大の遺産はヘレニズム文化という、いわば価値観です。つまり、組織は残らなかったものの、彼の治世は新しい価値観を世の中にもたらしたのです。ヘレニズム文化はその後、西側社会のみならずアジアにも大きな影響を与え、世界史そのものを変えてしまったと言っても過言ではありません。その意味では、アレクサンダー大王の遺産は極めて大きなものがあったと言うこともできます。仮にそれこそが彼の狙いだったとしたら、その意味では帝国は崩壊しても、彼の意志は実現されたことになります。ビジネスでもそうですが、何をもって成功と見なすかの定義は非常に難しいのです。

ところで、大王はなぜ先のようなやや甘い融和策をとったのでしょうか。正確な理由は分かりませんが、想像される1つの理由は、家庭教師であったアリストテレスの影響です。「高貴に生きることはアリストテレスから学んだ」という言葉を彼は残しています。そうした幼少期に身についた価値観が彼の統治方法に影響を与えたと言えるでしょう。当時一般的だった圧政は、彼の価値観には合わなかったのかもしれません。

リーダーの哲学は想像以上に大きな影響をもたらす

この点も、組織人としては意識しておきたいものです。皆さんは上司や経営者の価値観、哲学をどのくらい理解しているでしょうか?

  • 嶋田 毅

    グロービス経営大学院 教員/グロービス 出版局長

    東京大学理学部卒、同大学院理学系研究科修士課程修了。戦略系コンサルティングファーム、外資系メーカーを経てグロービスに入社。累計150万部を超えるベストセラー「グロービスMBAシリーズ」の著者、プロデューサーも務める。著書に『グロービスMBAビジネス・ライティング』『グロービスMBAキーワード 図解 基本ビジネス思考法45』『グロービスMBAキーワード 図解 基本フレームワーク50』『ビジネス仮説力の磨き方』(以上ダイヤモンド社)、『MBA 100の基本』(東洋経済新報社)、『[実況]ロジカルシンキング教室』『[実況』アカウンティング教室』『競争優位としての経営理念』(以上PHP研究所)、『ロジカルシンキングの落とし穴』『バイアス』『KSFとは』(以上グロービス電子出版)、共著書に『グロービスMBAマネジメント・ブック』『グロービスMBAマネジメント・ブックⅡ』『MBA定量分析と意思決定』『グロービスMBAビジネスプラン』『ストーリーで学ぶマーケティング戦略の基本』(以上ダイヤモンド社)など。その他にも多数の単著、共著書、共訳書がある。
    グロービス経営大学院や企業研修において経営戦略、マーケティング、事業革新、管理会計、自社課題(アクションラーニング)などの講師を務める。グロービスのナレッジライブラリ「GLOBIS知見録」に定期的にコラムを連載するとともに、さまざまなテーマで講演なども行っている。

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