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​【古事記】日本的「話し合い」の底力​​

投稿日:2015/02/19更新日:2019/04/09

日本の組織はコンセンサス文化で、「話し合い」や「調整」によって関係者の感情への配慮やコミュニティの調和を重んじると言われています。このようないわゆる日本的なコミュニケーションは、ビジネスがグローバル化するに伴い、多様な価値観を持つ人々と仕事をしなければならない、意思決定のスピードも求められるようになった現代では、「合意までに時間がかかる」「関係者や相手の顔色をうかがって、革新的な意思決定には至らない」といったマイナスの面が強調されるようになりました。

コンセンサス文化は関係者の意識合わせやその場を丸くおさめるには向いているが、ものごとを素早く推進し、実現していく力に欠ける。特に新たな価値の創造や厳しい組織変革などを実現させなければならない場面には適さないとされ、日本のビジネスを停滞させている要因の1つとまで言われることもあります。

しかし私は『古事記』の「オオクニヌシの国譲り」という物語を読むとき、「話し合い」などに代表される日本のコミュニケーションとは本来、関係者の感情への配慮やコミュニティの調和を重んじながらも、ものごとを推進、実現させていく力があり、日本人にはその両方を実践する素地が太古より備わっているのではないかと考えています。

それでは、さっそくこの物語を読んでいきましょう。

太古の「話し合い」に宿る、ビジョンを実現していくパワー

「因幡の白うさぎ」の物語などでも有名なオオクニヌシの尽力によって、実り豊かな国、葦原中国(あしはらのなかつくに)が出雲の地に完成したころ、神々のおわす高天原(たかあまのはら)を治めるアマテラスは、この国は我が子が治めるべきだと言い出しました。

アマテラス側は、その意向を葦原中国(あしはらのなかつくに)に伝えるために、三柱の神々をオオクニヌシの元に送り込みますが、その際にこだわったのが、「言趣く(ことむく)」「言向く(ことむく)」といわれる話し合いによる説得と合意でした。

「日本は言霊(ことだま)の国」といった表現があるように、言葉には何かしらの力があると現代でも信じられています。『古事記』の中では「言(こと)」とは一貫して、葦原中国(あしはらのなかつくに)はアマテラス側が治めよという神々の意向と霊威を宿したものとされ、もっとも尊重され、必ず実現されなければならない事項です。「言趣く(ことむく)」「言向く(ことむく)」とは、それを相手に向けることによって、相手を説き伏せ、相手から合意の言葉を引き出す行為と考えられています。

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「言趣く(ことむく)」「言向く(ことむく)」による説得には、11年以上の歳月を要しました。最終的にはオオクニヌシが、自分のために荘厳な殿社を造営することと、高天原(たかあまのはら)の神々の子孫と同等の待遇で自分を祀り、出雲の地の信仰の対象となることを条件に、葦原中国(あしはらのなかつくに)を譲ることに合意しました。

この物語は、天皇の皇祖神にあたるアマテラス側と出雲の地に勢力を張った部族との間におきた領土をめぐる争いが、「話し合い」によって決着したことを語っていると解釈されます。

たしかに「言趣く(ことむく)」「言向く(ことむく)」は、話し合いによる説得という点では相手との調和や関係を重視する行為です。しかし一方で、もっとも尊重され、必ず実現なければならない神々の意向と霊威という力によって、その実現に向けて当事者たちを動かす行為だと私は考えています。

オオクニヌシにしてみれば、国を治めるのはアマテラス側だという突然の不当にも思える主張に、怒りや抵抗を感じなかったといえばうそになるでしょう。「言趣く(ことむく)」「言向く(ことむく)」が、日常生活においてちょっとしたことを周囲と調整するような行為であれば、その怒りや抵抗を抑える力はなく、かえってアマテラス側は主張を実現することは困難になったでしょう。もっとも尊重され、必ず実現なければならない神々の意向と霊威という力を宿していた「言(こと)」であったからこそ、実現することができたのです。

その途中には双方の武力を象徴する神々による小競り合いもありましたが、アマテラス側が最後の最後まで「言趣く(ことむく)」「言向く(ことむく)」という話し合いによる説得と実現にこだわったからこそ、オオクニヌシには条件を提示しようとする心の余地が生まれ、新たに目指すべきビジョン「神々の子孫と同等の待遇で祀られることで、出雲の地の信仰の対象となること」を見出すことができた。その実現によって両者が納得するところに落ち着き、平和的、調和的ともいえる決着をつけることができたのです。

「話し合い」に宿る二つのエネルギーを駆使するスキルが求められる

「オオクニヌシの国譲り」をこのような視点から読んでみると、「話し合い」つまり日本的コミュニケーションとは本来、当事者同士の調和や関係を重視した行為であると同時に、新たな創造やビジョンを実現していく力を備えた行為だと考えられます。現代の日本人のコミュニケーションに欠けていると言われるものごとを推進し実現していく力は、私たちの心の古層に眠っていると言えるのではないでしょうか。

とはいえ、これまでの関係者の感情への配慮やコミュニティの調和を重視するコミュニケーションを捨てて、やみくもに自らの主張をもとにものごとを推し進めるコミュニケーションをすればいいというわけではありません。

複雑な要素や多様な価値観による利害が絡み合ったこれからのビジネスにこそ、この物語にみられた硬軟のエネルギーを兼ね備えたコミュニケーションを、状況や目的に合わせて実践していくことが、ビジネスパーソンやリーダーに求められるのではないかと考えます。

硬軟のエネルギーを兼ね備えたコミュニケーションとは、現代のビジネスの言葉でいえば、あるべき姿やビジョンを示し、その実現が必要であることを標準化された客観的な情報を使って議論し(=硬)、利害が対立する相手や関係者の状況や感情にも配慮しながら説得し(=軟)、合意を得ることです。

その過程には軋轢(あつれき)が生じる瞬間もありますが、アマテラス側の主張を受けてオオクニヌシが自分たちの新たなビジョンを見出し、アマテラス側がそれに応えたように、あるべき姿やビジョン実現に向けて、お互いが貢献できることできないこと、譲れること譲れないことを粘り強く取り決めていく。

このような硬軟のバランスのとれたコミュニケーションを心の古層から掘り起こし実践していくことが、これからの日本のビジネスには必要なのではないでしょうか。

世界のビジネスが必要とする日本的コミュニケーション

一方、欧米のビジネスは今、これまでの一国の一企業が一人勝ちすればいい搾取型の「競争」ビジネスを脱して、「共創」という様々な国や地域の人々と共に社会問題を解決していくビジネスにシフトしていこうとしています。

そのためのコミュニケーションも、これまでの欧米流の強い自己主張やそれに基づくリーダーシップ、自分の力を誇示するプレゼンだけではなく、相手の発言を聞いたり引き出したりする対話を通して、利害が対立する関係者たちと調整、協力しながらものごとを成し遂げていくことが必要だと認識され始めています。

『古事記』における神々のコミュニケーションに、これから世界のビジネスが目指そうとしているコミュニケーションの原始的な姿を見出すとき、日本のビジネスは世界のどこよりも早くそれを実践していくことができるのではないでしょうか。

皆さんはどう考えますか?ぜひご意見をお聞かせください。

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