今年で9回目を迎えた「読者が選ぶビジネス書グランプリ」にて、政治・経済部門の部門賞を受賞した、前明石市長・泉房穂氏の著書『社会の変え方』。泉氏は明石市長を3期12年勤め、充実した子育て支援策などを通して、やさしい明石、胸を張れる明石を目指し、充実した子育て支援策などを実現してきた。そんな泉氏に、グロービス経営大学院教員の嶋田毅がインタビューを行った。
「世の中を優しくしたい」という幼少期の誓い
嶋田:このたびは「読者が選ぶビジネス書グランプリ2024」政治・経済部門賞の受賞、おめでとうございます。世の中の多くの人、特にビジネスパーソンの方に評価されたことについて、今のお気持ちを聞かせてください。
泉:ありがとうございます。幼い頃から「世の中を優しくしたい」という想いで生きてきた私にとって、この本は非常に特別なものです。明石市長という節目を終えるにあたって、“卒業論文”として自分の生き様を伝えたいと思って書きました。諦めを希望に変える本だと思っているので、「政治の本」という枠を超えて、より多くの方に読んでいただきたいですね。
嶋田:この本の中で、泉さんの原点として「冷たい社会への復讐」というキーワードがありましたが、その想いは人生の中でどのように変化していったのでしょうか。
泉:基本的に、その想いはずっと変わっていません。10歳の頃に「冷たい社会を優しくする」と誓った気持ちは今でも同じです。ただ、それを実現する方法は、さまざまな経験を通じて変わっていきました。
大学時代には学生として、いろいろな活動に取り組みました。そして、その後はメディアで発信し、社会の矛盾や困っている人々の声を届けたいと思うように。その後、弁護士として個別救済に尽力し、本当に困っている人々に寄り添いました。そして、国会議員として、政治に関わることで得られる可能性と限界を学びました。それら全ての経験が、結果的に明石市長としての12年間につながったのだと思います。
泉:その時その時は精いっぱい生きているだけで、自分として最善と思える選択をしてきたに過ぎません。私の中では職業に深い意味はなく、目的を達成するための手段として捉えていました。山登りの道に例えると、真っ直ぐ登れなければ横に進む、そんなイメージです。
泉:私が目指したのは、困ったときに助け合う優しい町を作ることでした。障がいのある人が困った時に周りが「手伝いましょうか?」と言える町にしたかったのです。実際、明石市は変わりました。政策も風景も変わりましたが、一番変わったのは人の優しさです。市民からも「本当に変わった」と言われるようになりました。
理不尽な制度や社会に対する強い怒り
嶋田:キーワードの中には「復讐」という表現が出てきますが、かなり強い印象の言葉だと思います。敢えてこの言葉を使われている理由について教えてください。
泉:私の「復讐」は人に対するものではなく、理不尽な制度や社会に対する怒りです。子ども時代から、周りの人はみんな良い人ばかりでした。友人も、先生も、近所の人も、別に悪い人ではありません。それなのに、理不尽なことがたくさん起こるんです。弟が冷たい目で見られたり、一生懸命働く父が報われなかったり。それがなぜなのか、ずっと疑問でした。頑張る人が報われない世の中や、障がいがあるだけで排除される社会に対する強い憤り、それを「何とかしたい」という強い気持ち。そのエネルギーの強さを表す言葉としては、「復讐」という2文字がピッタリだと思います。
嶋田:泉さんのように、社会に対して強い意志を持つためにはどうすれば良いのでしょうか?
泉:私の原体験は確かに強烈で、それがエネルギーの源になっていることは確かです。しかし同時に原体験にこだわるがゆえの限界という面もあります。それに縛られたり、距離をもって見るべきものが、あまりに近すぎて見えなくなったりすることもあります。そうした原体験を持つことの弱みを自分自身でも自覚しているからこそ、私は市長を12年で辞めました。
もっと柔軟に幅広く対応できる人間であれば、もう少し長く市長を続ける道もあったのかもしれません。しかし、私のキャラクターは「0から1を創る」か「1を壊す」ことしかできません。「1を1で続ける」ことができないのです。そういう意味では、自分の使命や役割には限界があるのだと思います。
泉:私が市長を務めていた3期12年の間に、明石市は大きな方針転換をしました。予算配分を一気に変え、結果として子ども予算を倍増させました。これは特別なことではなく、他の国の基準、つまりグローバルスタンダードに合わせただけです。それをやり遂げたので、自分の役割を果たし終えたと思い、市長を退きました。その後は全く口出ししていません。自分の使命を終えたなら、次の人に任せるべきですし、新しい人に任せた以上、自分が口出しすべきではないと考えています。
100の「全国初」を生みだした町づくり
嶋田:泉さんの想いを起点に、多くの人を巻き込むことができたのはなぜでしょうか。どうして周囲の人々を巻き込むことができたのだと思いますか。
泉:キーワードは、「市民とともにやる」ということです。選挙のときも市民の力だけで勝ち、当選後も市民の声を聴きながら、市民と一緒に町を作ることを徹底しました。
当選前から四面楚歌なんて覚悟の上でしたが、実際に市役所の職員は私のやり方に反対でしたし、議会のほとんども相手候補を支持していました。マスコミも常にネガティブな報道を続け、国や県も私に対して厳しかった。まさに四面すべて囲まれている状況。しかしそんな中でも、市民は私を応援してくれていたので、その声を力に変えていくことができました。
泉:選挙のときも「皆さんよろしく」ではなく、「私たちの町を私たちで変えよう」と呼びかけました。市民が困っているときには、私が身体を張って守る、そんな存在でありたい。だからこそ、私は市民の横に立ち、市民を守り、一緒に町を作るという姿勢を貫きました。
嶋田:ビジネスで言うと「顧客のために行動する」ということですね。
泉:その通りですね。例えば、私がモノを作って売るサービスをしているのであれば、その製品を買った人が喜ぶ、笑顔になる、それが何よりも重要です。そうした顧客満足の意識が周囲に浸透していくことによって、当初反対していた人々も、徐々に「良いんじゃないか」と変わっていくと思います。
政治の「結果責任」とは何かとよく言われますが、私は当選することではなく、市民の笑顔が政治の結果だと思っています。市民の安心と笑顔を届けることが、政治の仕事ですから。これを意識していけば、市民もちゃんと反応してくれます。
そして市民からの「ありがとう」が増えると、職員もやりがいを感じ、誇りを持つようになります。市民に褒められることで、職員が市民に寄り添って仕事をするようになるわけです。明石市の職員の仕事ぶりも、明らかに変わりましたね。
変革を阻む「3つの思い込み」
泉:明石市では100以上の「全国初」となる取り組みを実現しました。最初の頃はたしかに市長発案が多かったのですが、途中からは職員も積極的にアイディアを出すようになりました。以前は全国初の取り組みを始める際、職員の中には「お上意識」「横並び意識」「前例意識」という3つの思い込みがあり、それにより抵抗を受けることが多かったです。
1つ目の「お上意識」は、国の命令に従うという意識。2つ目の「横並び意識」は、他の町と同じことをするという意識。そして3つ目の「前例意識」は、過去のやり方に従うという意識。全国初の取り組みは、まさにこの3つに反するというわけです。
最初、職員たちは内容を聞く前から「全国初は駄目です」と言って止めようとしました。「市長、それは無理です」と。しかし、その言葉を聞かずに進めているうちに、市民からポジティブな反応が返ってくるようになりました。すると、職員も「市長、こういうことをしたいんですが」と積極的にアイディアを出すようになり、段々と意識が変わっていったんです。
泉:そして市民が動き始めると、議会も変わりました。例えば、私にとって特に思い入れのある優生保護法に関する条例があります。明石市は全国で初めてこの条例を作りましたが、私が最初に提出したときは否決されました。2回目は審議すらされませんでした。
そのとき市民が私のところに来て、「市長が動くと議会が反発するので、私たちが説得します」と言ってくれました。市民が中心になって議会を説得し、その結果3度目で議会が賛成に回り、全国初の条例が成立。この条例はまさに市民が立ち上がり、議会を説得して実現させたものです。市民の力が議会を動かし、賛成に導いたのです。
世界規模で成功事例を探す
嶋田:市民や顧客を見て行動するリーダーが増えていくためには、どんなことが必要だと思いますか。
泉:明石市では多くの全国初の取り組みを行ってきましたが、よく「それって泉さんが考えたんですか?」と聞かれます。基本的には私が考えたわけではなく、大きくは2つの方法を行っていました。ひとつは他で成功した事例を持ち込むこと、もうひとつは市民の声をしっかり聴いて形にすることです。
例えば、明石市で取り組んだ「給食の無償化」は全国の政令市や中核市で初めての試みですが、これは韓国のソウル市を見て取り入れました。また、「養育費の立替」もヨーロッパで1990年代から行われていましたし、韓国でも6、7年前に始まりました。これを参考にして、日本でもできると判断したわけです。つまり、狭い視野ではなく、世界規模で成功事例を探して持ち込むことが重要です。どこかで成功している事例にはヒントがたくさんあります。それを参考にしながら、自分の地域やテーマに合った形にアレンジするのがポイントだと思います。
泉:もうひとつ大事なのは、市民の声を聴くことです。例えば、明石市が大学生に対して学費支援を50万円上限で行ったとき、すぐに「足りない」という声が上がりました。なので、すぐに60万円に引き上げましたが、理系の学生にはそれでも足りなかったため、さらに100万円に変更したんです。また、最初は大学生だけを対象としていましたが、専門学校や大学院生にも拡大しました。このように施策が実態とズレてしまったら、こちらに従ってもらうのではなく、ニーズに合わせていく。つまり、市民の声をちゃんと聴いて、政策を柔軟に変えていくことが大切です。
嶋田:ビジネスでも、現場の声をしっかりと聴いている人が成功します。現場を見ていない人が何を言っても響きませんからね。現場の声を聴いて行動するリーダーが増えれば、日本はもっと変わると思います。
泉:そうですね。一番現場に近い人が、その声を踏まえて形にしていけば上手くいく確率は高いです。現場の声に気付いた人が行動しなければ、何も変わりません。なので、現場を見て、気付いたことを実行に移すのが何よりも大切だと思います。
抽象的な願望を、具体に落としていく
嶋田:これからの日本を支えていく20代30代の方は、諦め感や閉塞感の漂う時代の中で育ってきたのではないかと思います。そうした方々に対してメッセージはありますか。
泉:人はそれぞれ、自分の人生を生きる主人公です。その中でどう生きるかは、その本人の問題だと思います。目標を持たなければいけないとは思いません。持ちたい人は持てば良いし、持ちたくないなら持たなくて良い。ただ、他人や今の時代を言い訳にするのはもったいないと個人的には思います。
私は今の時代を「夜明け前」とよく言っています。夜明け前というのは、最も暗くて寒いとき。だからこそ、あとは夜明けを迎えるだけ、とも考えられる。そうやって発想を転換すると、可能性がもっと広がると思います。諦めるという生き方もひとつの選択かもしれませんが、私自身は可能性をとことん追求する生き方をしてきました。
泉:「やればできる」という言葉がありますが、そのためにはどうすればできるかを考える必要があります。つまり、物事を達成するには願望だけではなく、決断や決意、そして具体的な計画と逆算が重要です。必要なものを理解し、それを実行していく力があれば、多くの目標は達成できる。言い換えると、多くの目標が達成できない理由のひとつは、抽象的な「こうなったらいいな」という願望のまま、いつまでも具体的な行動に落とされないことにあると思います。
例えば、明石市長としての私は「皆が笑顔で優しい町」という抽象的な目標を具体化しました。子どもを応援することで、町全体が元気になる。そう考え、子ども予算を2.4倍に増やし、子どもに寄り添う職員数を4倍に増やしました。つまり、「子どもを応援することは皆のため」というコンセプトを具体的な行動に移したのです。これにより地域経済が活性化し、地域の人々が幸せになり、結果として税収も増えました。ふわっとした「子どもは大事だよね」という話ではないんです。
目標にリアリティを持たせ、しっかりと逆算し準備を怠らない。どんな目標であれ、現実的な計画を立て、その計画に基づいて行動することが成功の鍵だと思います。
誰もが社会を変えていける
嶋田:今後の人生をかけてやりたいと考えられていることを教えてください。
泉:私も60歳を迎え、これまで歩んできた人生を振り返ると充実感や達成感があります。特に明石市長としての12年間には満足しています。ただ、市長の立場を離れたので、改めてこれまでやってきたことをしっかりと伝えていきたいと思っています。具体的には大きく3つの展開を考えています。横展開、縦展開、そして未来展開です。
1つ目の横展開は、明石で実現した政策を他の町でもできるようにすることです。明石でそうだったように、他の町でも、無所属の新人がお金をかけずに選挙で勝つことはできる。政策面でも選挙面でも、明石でできたことは他の町でもできることを証明していきたいと思います。
2つ目は縦展開です。明石市でできたことは、国ならもっと簡単にできると思っています。総理大臣のほうが資金も方法も豊富なので、国も国民のほうを向いた政治に転換して欲しいというメッセージを発信したいです。
3つ目は未来展開。自分が10歳のときに「冷たい社会を変える」と誓ったように、今の10代の子どもたちにも「これからの社会をよろしくね」だけでなく、「社会は変えられるんだ」というメッセージをしっかり届けたいと思います。
泉:このような意味で今回の本も、「社会は変えられる」というメッセージを伝えています。読んでいただければ「こうして明石は変わったのか」「我が町でもできる」と感じてもらえると思います。若い世代にも何かヒントを得てもらえたら嬉しいです。さらに、この本は政治というジャンルにとどまらず、ビジネスの世界で頑張っている方々にも元気を与えるような生き方の本です。その観点でもぜひ読んでいただきたいです。
嶋田:私も読ませていただいて、老若男女問わず多くの人に読んでいただけると良いなと思いました。本日はありがとうございました。