涙を流す経験が一人前になる一歩~塩沼亮潤×御立尚資

本記事は、2018年2月に開催された「G1サミット2018」のセッション「宗教と道徳を語る」の内容を書き起こしたものです。(全2後編)前編はこちら

御立尚資氏(以下、敬称略):今日の先ほどのお話で、悟りっていうのは、すごい修行をしてもすぐにはやってこない。結局、体験をしながら、とらわれをひとつずつ切っていきながら、いい方向に対してはしがみつくっていうことをおっしゃったんですが、日々のなかで難しいのは、もうひとつ、判断の軸っていうのもあります。たとえば遺伝子操作をすると科学はどんどん進むんですが、相当恐ろしいことになるなっていう議論がいっぱいされている。今回のG1の議論のなかでは、「AIが人間を取って食うほどのものには到底なりやしないよ」と専門家はおっしゃるものの、国によっては、AIとビッグデータで国民の行動を全部思った方向に持っていくというところがほぼ実用化している国もあります。科学とか技術とか新しいものをどういうふうに使うかというのは、我々自身が選択しなきゃいけないっていう立場に追い込まれている。

それに対して何か判断しなきゃいけないんですが、この判断のよすがというのが難しくて、「倫理観がある人が判断すればいいんだ」っていっても「そうかな?」「倫理観って何だ?」と。自分が判断するときに、おそらくは人類全部のためにいいはずだと思えるのって、いったいどういうふうに考えていけば自分のなかにできあがっていくのか。これが結構悩みなんですけれど、それに対してどういうふうにお答えいただけますか。

塩沼亮潤氏(以下、敬称略):私が思うのは、やはり時代とともに考え方も変わってきているんではなかろうかなと思います。やはり生活も変わりますね。だいたい2万5,000年前から2,500年前までは狩猟生活をしていた。運命共同体だったわけですよね。そこから今度、2,500年前、ちょうどお釈迦様が生まれたぐらいから農耕生活になります。2,000年ぐらい続いて、500年前ぐらいに産業革命。そこからどんどんと機械化が進み、数十年前から情報化社会になり、科学技術がどんどんと発展してきて、いまはAIだという、どんどんどんどんと便利になってきています。ただ、狩猟生活をしていた頃、運命共同体があったのが、だんだんと都市化されて、運命共同体よりか目的至上主義になってしまうと思います。

例えばある会社、この会社には会社なりの目標があると思います。A社の目標があったらB社の目標がある。本当に競争になってくると思います。殺伐としてくると思います。都市化が進むと、いろんな心のより所として宗教が現れたといいますね。

御立:もともと社会は成り立ちがどんどん変わって、狩猟収集生活から定住・農耕があり、それから産業革命でエネルギーとモビリティが変わって情報というなかで、実は仏教というものが出てきたというのは、定住して、みんなが一緒に住むようになると、そのなかで何らかのよすががないと、どうもうまくいかないなっていう。何かそんな力が働いて仏教ができてきたと、そういうふうに捉えておられる?

塩沼:そうですね。

御立:だとすると、先ほどの資本主義の原点である産業革命みたいな時代があって、そもそもインベストメントバンクなるものはアメリカで鉄道を引くときにできたわけで、超たくさんのお金を集めなきゃいけなくなると。いろんな機能ができてきたと。そのときに宗教はどう変化したんですか。

塩沼:変化というか、不易流行という言葉がありますけれども、時代が変わってくると同時に、我々が変えちゃいけないものってあると思うんですね、根底に。そこがとても大事になってくると思うんです。その根底を、原点を我々は常に意識しないといけないと思います。

御立:その原点は、先ほど申し上げたような遺伝子だとかAIだとか、いろいろ判断のときに、それはどんどん…アプリみたいなもので変わっていくんだけれども、もっと根本のレイヤーの、OSというか魂というか。そのレイヤーのところで、もともと不易流行でできあがってきた宗教なるものを持っていると、こっちの変化に対しても自分がブレずにいられると、そういうことでよろしいんですか。

塩沼:そうです、「戻ろう戻ろう」と。戻らないといけないっていうのが宗教だと思うんですよね。

御立:「戻る」って、もうちょっと教えていただけます?「戻る」ってどういうことですか。

塩沼:原点に。不易流行の部分の、変えちゃいけない部分のところがあると思うんです。それはシンプルで、「相手のために生きていかないといけない」という、利他の心だと思うんですね。

御立:そこがぜひお話を伺いたいところで、宗教っていうのは、たとえば仏教であっても、原始仏教から、それから宗派仏教になり、大乗から小乗に分かれ、どんどん理屈がきれいな体系になってきますよね。それは必ずしも原点じゃない?

塩沼:たとえば宗教というのも、開祖がいます。残念ながら、我々と一緒のように開祖も生老病死があって、必ず亡くなります。亡くなったときに、その開祖から言葉が生まれてきません。なので、「何百年前、何百何十年前にお釈迦様がこういうことを言った」「イエス・キリストはこういうことを言った」と言うことで、その古典にみんな返ると思うんですね。古典に返ることはなく、やはり原点に返らないといけないと思うんです。

御立:「古典」と「原点」。じゃあ、宗教が体系として哲学として、あるいは教義としてできあがったものは古典だけれども、その根っこにある開祖が感じ、何か伝えてこられたものに戻るっていうことがすごく大事?

塩沼:戻らなきゃいけないと思うんです。開祖が亡くなると、残った経典や言葉しかより所がないので、キリスト教では、仏教では、イスラム教ではという、この「では」が多くなると、どんどんと壁が多くなってくると思うんです。なので、やはり宗教というものは心のより所として、その教えは大事だと思うんですけれども、自分の心のなかで信じ仰ぎ見る、この信仰心がとても大事だと思います。

まだまだ本当に大変な世界だし、不安定な世界だと思うんです。いろんなものでバランスがとれていない部分もあると思います。それを、ではどうしたらいいのか。やはり大事なことは、心のなかでまず祈る。祈りが行動になっていくと思うんですね。

御立:もうちょっとでみなさんにいろいろ質問を伺ってみたいんですけれど、一つ…あと二つかな、宗教というものを考えるときに、すごく単純な、宗教とか絶対的なものって大事だなと思いつつ、この世の中は不条理、不合理、変なことに満ちあふれていますよね。小学生みたいなことを言いますが、「仏様・神様って、それをどう思っているんだろう。なんで正してくれないんだろう」と。そういうふうに思うのは間違いなんですかね。

塩沼:たぶん、自分たちが何かをいいほうに向けていかないといけないんだと思うんですね。神様・仏様がやってくれるんではなく、やはり自分たちがやっていかなければいけないと思うんです。たとえば親があって子どもがいれば、全部親がやってくれると思ったら間違いで。自分がまず努力をしないといけない、我々が努力をしないといけないと思うんですね。

御立:そうすると、我々ひとりひとりがある意味、原点に立ち返ることで、世の中も変わる可能性が高いと。

塩沼:いい方向に、あかるい方向に、常に祈っていくということが大事だと思います。

御立:私はたまたまカトリックなのでときどき教会に行くと、神父さんは十年一日、同じことしか言わないんですね。主の平和って言って、みんなであいさつをするんですけれど、そのときに「隣にいる人、前にいる人、全部のなかに神様がいるということだけを感じてください」と。お説教から何から、それしか言わない。それは、みんな利他をするためには、他の人のなかにも神様・仏様がいて、それがつながっていくと世の中が変わるということを信じられるかどうかっていう、そういうことになるんですかね。

塩沼:私たちも「相手の喜ぶことを言いなさい」「相手が喜ぶことをしなさい」、あと、「すべてのとらわれをなくして、みんなを愛しなさい」というのがお師匠さんから教わってきたことなので、すべてつながると思います。

たくさん涙を流して得られた「言葉を紡ぐ力」

御立:(色紙を見せて)「プラスの方向にブルドーザーのごとく突き進むしか道はない」と。正直に告白をさせていただくと、こんな修行をした人だから、近づいたらオーラがあって、偉大な宗教家で、ひれ伏したくなるだろうと想像してたんです。お会いしたらごく普通の方でしたが、付き合っているうちにジワジワジワっと効いてくる怖さというか、すごさがあって、それはなぜかなと思うと、行動とか語り方がすごく平易でシンプルなんですよね。この「ブルドーザーのごとく突き進むしか道はない」って、コピーとしてもよくできていますよね。ストンと私なんかは落ちるんですけれど、こういう言葉を紡ぎ出す力って、いったいどこから来たのかと。特にリーダーは、広い人に「あ、そうだよね」って思う言葉でコミュニケーションができないと、みんなが幸せに生きていくっていう手伝いができないんです。大阿闍梨自身は、いまの語り口も含め、どうシンプルに平易にコミュニケーションができるようになったんですか。

塩沼:涙を流しました。たくさん涙を流して覚えていきました。みんなが「なんでも上手にやれるよね」って言うんですけれども、私は、初めからなんでもいろんなことをこなせる能力はないと思います。体もそんなに丈夫なほうじゃなかったんですけれども、千日回峰行をする前に本山で修行をしているときに、修行が終わってから毎日、4年間欠かさず30分間、山を走っていました。それで足腰を鍛えて千日に挑んで、千日の間でも、すごくたくさんの涙を流し、仙台に帰りました。普通は大阿闍梨という称号をもらうと、普通の親というものはとても喜ぶと思うんですけれども、私が仙台に帰る前に、うちの母はどういうことをしたかっていうと、親戚、友人、知人みんなに「いまから亮潤が帰ってきます。千日回峰行をして大阿闍梨という称号をもらったかもしれないけれども、32歳の単なる世間知らずだ」と。

御立:世間知らず!?

塩沼:「どうぞ、いじめてやってください」って言って、みんなに頭を下げて、お願いしたらしいんですよ。その耕された土壌のなかに私は帰ってきた(会場笑い)。

御立:師匠といい、お母様といい、なかなか厳しいですね(笑い)

塩沼:そうですね。本当に師匠と親に育てられたと思うんですけれども。なので、本当に嫌となるほど涙を流し、それで一切、うちの親も帰ってきたからといって甘やかさずに、そして何の援助もなく、「全部一人でやりなさい」ということで。それで涙を流した時期があり、そして、ある日突然「本を書きなさい」「講演しなさい」ということを曹洞宗の板橋興宗さんから言われました。うちの師匠も話すのが苦手な師匠で、だいたい仏教ではお師匠さんに似るって言われているんですね。なので、私もしゃべるのが本当に苦手だったんです。1分もしゃべれないぐらいの人間でした。

御立:いまはFMの番組をやり、どこへ行っても法話をし、最近はニューヨークとロンドンでもやっていらっしゃるわけですよね。

塩沼:はい。「もうしゃべるな」と言われるぐらいしゃべれるようになったんですけれども(会場笑い)。ここに至るまでは、1時間半の講演というものをいただくと一睡もせずに「どうしよう、どうしよう」と、時間ばかりすぎて、講演の演台の前に立って、汗をかきながら、涙を流しながら、下手でも、でも、やっぱり講演しないといけない。「いただいたお仕事は仏様が与えてくれるものだ」と師匠から教わっていたので。だいたい月のうち7回ぐらい全国どこかで講演をし、半年に1回、本を出すといって、言われるがままに「はい、はい」と言って、血のおしっこを出しながら、「なんとかしないといけない」と思いながら。

御立:つらいけれど、やり続けるしか?

塩沼:はい。10年ぐらい、そういうことが続きました。

御立:それをやるとできるようになる?

塩沼:なります。ただ、涙を流さないと一人前にはならないと思います。

御立:ありがとうございます。じゃあフロアのみなさんから、ぜひご質問をいただきたいんですけれど、いかがでしょうか。

Q1私もいろいろ人にアドバイスをするような立場にはなっているんですけれども、「承認されたい」「褒められたい」という承認欲求というのがすごく強いことがいろんなことを邪魔しているケースっていうのによく出会うんですね。こういう人に何と言ってあげれば、そこから解き放ってあげられるんだろうかということを考えています。もし大阿闍梨から何かそういうのがありましたら、よろしくお願いします。

塩沼:そういう方に私もたくさんお会いするんですけれども、ただ、その人はまだまだ成長段階なので、私はいつもニコッて笑って「あまり考えないすぎないほうがいいよ」って言いながら、ずっと、「もっと肩の力を抜いてね」って、親心で見てあげるのがいちばんだと思います。そういう方に理論で説明しても、またいろんな理論で返ってくるので、堂々巡りになってしまうので。「いまにわかるときが来るから」というような感じで、大きな大きな心で見てあげるしかないのかなと思います。

Q2超基本的なことなんですけれど、利他の心をもつことと、自分の信念をもってブルドーザーのように進むということと、すごく対立することがあるんじゃないかなと。たとえば利他といったときに、いろんな人たちの利害が対立するような話があって、一人のために利他の心をもってしまうと、逆の人に対して悲しませてしまうような結果になることが政治の場だと結構直面することがあります。じゃあ自分の真理はどこかというと、そこに突き進んでしまうと、逆に利他の心としては不完全になってしまうような矛盾があるという、そういうシチュエーションのときって、どういうふうに考えたらいいのかというのを教えていただければと。

塩沼:ブルドーザーのごとく突き進むというのは心の問題で、いろんなプロジェクトとかを進めるにあたっては、ブルドーザーでもきれいに造成していかないといけないと思います。自分の心を成長させるという意味で、「いい方向に、自分は本当に大きな人となって、大きな器となって成長するんだ」という、そういう気持ちを、グワッと1回しがみついたらという意味の、心を成長させるときのブルドーザーです。

Q3大阿闍梨は今、ニューヨークとかロンドンで活躍されていますけれども、そちらで向こうの人が求めてくるもので、日本人と同じだなと思う部分と、まったく違う部分ですね、「ニューヨークとロンドンで、阿闍梨や宗教に対して求めてくるものはここが違う」というふうなことを感じているところがあったら教えてください。

塩沼:おそらく海外に行ってみなさん体験することだと思うんですけれども、「あなたは宗教を持っていますか」っていうことをよく聞かれると思います。何てお答えになりますか?

質問者:「持っていないです」と。

宗教を持っていない人も軸みたいなものがある

塩沼:「持っていない」と答えるか、あるいは、日本人なので「神道」という人もいれば「仏教」という人もいます。「仏教」って答えると、次にどういう言葉が返ってくるかというと、次は「あなたは仏教徒であるならば、仏教っていうのはいったいどういう宗教ですか」ということを聞かれると思います。ただ、わからないので、そこでギブアップすると思います。海外の人というのは、宗教を持つ・持たないにかかわらず、どういうふうに生きていくのかという、そういう「軸」がとても大きいと思います。キリスト教でも、仏教でも、イスラム教でも、他を否定しないので、みんな「ああ、そうかそうか」っていって、みんなわかり合えることができるんですけれども、宗教を持っていない人も軸みたいなものがあります。

1回、シカゴに行っているときに偶然知り合ったシカゴ大学の教授の女性の方が、おばあちゃんだったんですけれども、その方と対話していて、「面白いから、うちに遊びに来なさい」と招待してもらいました。そのおばあちゃんと「そうだよね。キリスト教も仏教も通じるところがあるよね。真理はひとつ。たとえば富士山があるならば、頂上に真理があるとする。その頂上に真理があるとするならば、北から登るルートもあれば西から登るルートもある。アプローチの仕方はたくさんある。これが宗教だとすると、行き着くところは一緒だよね」と言って握手していたら、ご主人さんが「話はよくわかるけれども、俺は宗教を持っていない。けれども、私はデイヴィッド・ヒュームが大好きだ。おまえに真理があるならば、この真理というものはいったい何か」って問われたときに、30秒ほど考えて、「おそらく頂上にあるものは、愛と祈りだと思います」って言ったら、「うん、いい答えだ」って握手をしてもらったんですけれども、どういうふうに自分が生きていくかという軸が海外の人はしっかりしているなと思います。

そういう意味で日本も、我々はどういう国で、どういう宗教のなかで生きてきたのかということを、少しでもいいから知っておく必要があると思います。たとえば我々の、この日本という国は神道という教えがありました。そこに欽明天皇の時代に仏の教えということで、いまは仏教といいますけれども、仏法が入ってきました。そこで「入れるか、入れないか」ということで、蘇我氏と物部氏の戦いがあり、「じゃあ入れよう」ということになって仏教が入ってくるんですけれども、仏教と神道というのは排他性・独善性がきわめて少ないので、とても仲よくなりました。

御立:神仏習合だった時代が長いわけですね。

塩沼:長いと思います。その時代、聖徳太子様が大阪の四天王寺というところに、いまの和宗を開かれて、だいたい600年代になると奈良仏教というものが奈良一帯にできてきた。けれども、当時は庶民の仏教ではなかったんですね。貴族のための仏教で、それではちょっと違うんではなかろうかということで、役行者(えんのぎょうじゃ)といわれるお方が山の中で修行して、それで山から下りてきたら、いまでいうスーパースターになった。ものすごい人気者になった。でも、奈良仏教のお坊さんたちは面白くない。「あいつ、勉強もしていないのに、なんで人気があるんだ」ということになって、結構そこで迫害をされたこともあります。けれども、役行者が修験道の開祖であり、神仏習合の祖師みたいなものでもあります。それで修験道がワーッと人気で全国に広がりました。北は羽黒とか湯殿山という修験、あとは富士山もそうです、四国は石鎚、山陰は大山、英彦山と。

それからしばらくすると、最澄さん、空海さんが海を渡り、密教を持ってこられました。その密教が庶民の仏教になったんですね。高野山と比叡山で、比叡山を開かれた最澄のほうからは臨済宗も出るし曹洞宗も出るし、浄土宗、浄土真宗も出て、真言宗は真言宗のひとつの宗派としていまも、派は分かれていますけれど、ありますけれども、そこでいちばん日本の仏教が元気だったのが、鎌倉時代でした。この鎌倉時代に花が開いたんですけれども、そこから今度は仏教があまりにも力を持ちすぎて、政治に口出しするようになりました。そこで今度、織田信長は「ちょっとだめだよ」ということで比叡山、その次に今度は豊臣秀吉になって、高野山にも「武器を捨てなさい」と言って、比叡山の前例があるので怖くなる。

そのあと家康がどういうことをしたかということなんですけれども、檀家制度をつくりました。檀家というのは、このエリアに住む人たちは、このお寺の檀家にならないといけない。そうすると、お寺が非常に裕福になります。勉強をしなくても、修行しなくても、人が集まるようになります。それまでは、人気のあるお坊さんしか繁盛しなかった。

御立:競争があったわけですね、それまで(笑い)

塩沼:布教の自由競争があったんですけれども、安定してくる。だんだん仏教に元気がなくなってきたと思うんですね。そこで今度は明治時代になり、世界の植民地化が進むので、それに対抗するものがないといけないという、ちょっと間違った国家神道というものになっていって、長続きはしませんでした。

そして国家神道が出て、戦争になって、日本はまたものすごく貧乏になったんですけれども、そこでいい方向に行くかと思ったら、残念ながら新興宗教というものが出てしまいました。それで信仰はお金だなんだということで、結構ご利益信仰が増えたので、「宗教は嫌いだ」という人が出たと思うんですね。なので、「私は宗教はもっていません」とか「宗教は嫌いです」という日本人が増えたと思うんですけれども、われわれには、朝、ご飯を食べるときも「いただきます」とか、あるいは神社にお宮参りとか、いろいろ信仰心が非常に深く根付いていると思うので、自信をもって日本人も「われわれの国には、われわれのすべての命をいただくという尊い気持ちとか、思いやりの気持ちとかがたくさんあります」というような、「そういう信仰があります」と自信をもって言ったらいいと思いますね。

御立:ありがとうございます。いまのお話を伺って、「ある程度の知識とか勉強はあってもいい」ということを言っていただいた気もしていて。でもそれだけじゃだめで、体験と経験をしなきゃいけないっていうお話かなと思います。

Q4どうも、お話ありがとうございます。私自身はキリスト教徒なんですけれども、いまのお話でお伺いしたいと思ったのは、祈るときに、どなたにというか、祈りの対象というのはどのようにお考えになっているのかということをお伺いしたいと思います。

塩沼:私が山をずっと駆け巡っていたときに考えたものは、「神って何?」「仏って何?」って大自然のなかで考えていると、常に天を仰いでしまうんですね。「私たちにも親がい、その親にも親がいて、その親にも…って、ずっと続いていくと、いったい誰にたどり着くんだろう」ということを考えてみたときに、「あれ、神とか仏とかといわれるものは、われわれの親なのかな」と思って、いつも祈るときには天を仰ぎ見て、何かわかりませんけれども、「この天に偉大なる何か存在がおわします」というような感じで、天に向かって祈るように私はしております。もともと、お釈迦さんの時代には観音様も不動明王もなかったので、後々出てきたんですよね、いろんな表現方法で。なので、私は天に向かってお祈りをするようにしています。

やはり人生というのは地獄かもしれない

Q5すてきなお話ありがとうございました。家庭のなかにいろんな教えがあるなって、日々思っておりまして、母親と同居して、娘がいて、世代間で考え方が違うなかで、家庭人として、間に入る身として、非常に家族がうまく運営するようにと日々考えて生活しています。家族だと特に「大好き」ということは共通しているんですけれども、逆に家族のなかでものすごいバトルみたいなのが起こるのも事実で、日々悩んでいるんですけれども、阿闍梨としては、価値観が違う人たちのなかで上手にやっていくときの心得みたいな、そういうのを教えていただけたらと思っています。

塩沼:家族というのは毎日顔を合わせてしまうので、どっちかというと、お互い甘えてしまって、ついつい、イライラの感情をぶつけてしまう。他人ならば割と抑えるんですけれども、家族ならば甘えてしまって。いま、過去を振り返ってみると、私が親に育ててもらっているときも、おそらくそういうことはあったかなと思うんですけれども、その悩みの渦中、まだ自分がそこまで成長していないときには、「なんであんなことを言ったんだろう」「なんであんな感情になったんだろう」って、本当に悩みの渦にいたと思うんです。そのとき、いまの自分自身が、すべてを感謝して受け止めて、まわりをつなげてあげるということは、人間の器がなかったので、できなかったと思うんですけれども、そういう、いろんなしがらみとか悩みがあって。そのご家族もお互いに大変だと思うんですけれども、人間というのは、お互い迷惑をかけ、かけられながら、だんだんと角があった石が、お互いこすれて丸くなってくるように、それもひとつの人生の行かなと思います。

大事なことは、さっきの「心の針」なんですけれども、嫌なことがあると、どんどんどんどんととらわれていって、恨み、憎しみになってしまいます。そこは大人の人は戻して戻して、イライラすることがあっても、子どもたちに、まわりの人に背中でそれを示していかないといけないのかなと思います。どっちにしても、やはり人生というのは地獄だなと思います(会場笑い)。

御立:うわ…そこで終わってしまうと、どうしていいのかがわかりませんが(会場笑い)

ありがとうございました。最後に感想めいたことをいうと、私、すごく好きなイスラムの宗教哲学者の方の言葉があって、「結局、自分の人生って、ペルシャ絨毯の裏側しか見ていない。世界中、何十億の人たちが、最後にできあがったときにはものすごいきれいなペルシャ絨毯が織りあがって表からは見えるんだけれど、自分は裏側を出たり入ったりしているんで、どんな針の動きをしているかっていうのがわからないし、ときには『これは全部地獄だった』とか『自分は何の役に立ったんだろう』と思うけれど、終わってみると人類全体できれいな絵がどんどん織りあがっていくんだ」という言葉がすごく好きで、最後のお話を伺って、そんなことを思い浮かべました。

今日は本当に大阿闍梨と対話させていただく機会をもって私自身も大変幸せでしたし、みなさんが、これが何年かのうちにストンと、あるいは、もう、今日すでに悟っちゃった方もいるかもしれませんけれども(会場笑い)、「地獄のなかで悟る」ということを最後の言葉にして、大阿闍梨に拍手を送りたいと思います。どうもありがとうございました(会場拍手)。

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