パナソニック株式会社で主幹として勤務するかたわら、有志団体One Panasonic共同代表、デジタルトランスフォーメーション研究所の主席研究員など、精力的に活動されている山田亮さん。グロービス経営大学院の卒業生でもある山田さんに、30代の今、パラレルキャリアを歩むに至った経歴を伺います。そこには20代のビジネスパーソンが自身のやりたいこと=志を達成し、さらに志を成長させていくヒントが散りばめられていました。(文=鎌原光明)
「パナソニックで働きたい」原体験から生まれた想い
鎌原:山田さんは転職でパナソニックに入社されていますが、改めて、これまでの経歴を教えてください。
山田:新卒でリコー東北株式会社(現:リコージャパン)に入社し、その後、レノボ、マイクロソフトを経て、パナソニックに入社しました。
鎌原:確かパナソニックには特別な想いがあったとか。
山田:私の実家は、地元・青森でパナショップを経営していて、小さなころからパナソニック創業者の松下幸之助の書籍を愛読していました。いたく感動したのを覚えています。そんな原体験もあって、「いつかはパナソニックで働いて恩返しをしたい」と思っていました。
販売店の息子であれば、大学卒業後に松下幸之助商学院で商道を学ぶことが一般的だったのですが、兄と私のどちらが継ぐのか決まっておらず、一旦東北に残るためにリコーに入社しました。
鎌原:では、家業の方向性を見定めるまでと決めて、リコーにご入社されたのですね。リコーからの転職の際に、すぐにパナソニックに行こうとはしなかったのですか?
山田:パナソニックの求める人材と私はマッチしていなかったんです。リコー入社後、上司に正直に「将来、パナソニックで働きたい。けれど今はリコーの仕事を通じて社会人として成長したい」と話しました。結果を出すという約束をしたうえで、わがまま全てを聞き、応援してくれました。当時の上司には本当に感謝しています。
その上司から、「転職サイトに登録して、どれだけ自分の職務経歴書が企業から見られるか、自分の市場価値を見てみるといい」とアドバイスを受けました。実際にやってみたところ企業からのオファーはほとんど無し。現実を知りましたね。
どうしたら見てもらえるのか、試しに自分が目指している資格・技能欄の情報を変えてみたら、閲覧数が上がりました。この閲覧数を「世の中から必要とされる人材になるために必要なスキル」を知る指標として、いろいろ試すことに。ITとグローバル経験の資格にチェックを入れた時、閲覧数が100倍になりました。
鎌原:山田さんは自分の志を達成するために、市場価値も冷静に見て戦略的に考えてらっしゃいますよね。
山田:能力開発をするうえで、闇雲に取り組むのではなく、世の中で求められているスキルとは何かを考えることはとても重要だと思います。それによって、社会に役立つ人間に成長することができ、結果的に自分のキャリアを選べるようになりますから。
リコーに入って3年、営業としてトップセールスのグループにも入ることができるようになりました。2005年に家業を兄が支援することが決まったこともあり、転職活動を始めました。まずは世の中の新しいサービスを次々と生み出していったIT業界で経験を積み、パナソニックで今後必要となるITを軸とした人材になっておこうと決めました。
市場や外部環境を読み、能力開発をする
鎌原:その後、レノボに転職されましたね。なぜレノボだったのですか?
山田:実は転職活動中から「次はIBMかマイクロソフト」と公言していました。当時は、PCのようなハードウェアはIBM、OSやソフトなどのソフトウェアはマイクロソフトが、それぞれ覇者だったので、どちらかに行こう、と。
IBMからオファーを得て、2005年に転職することになりました。ただ、入社のタイミングで、志望していたPC事業部がレノボへ売却されることになり、そのまま私もレノボに入社することになったのです。
不安もありましたが、レノボは、中国・アジアでの圧倒的なシェアを持っています。世の中のトレンドから、更に成長するイメージができ、転職を決意。結果的にレノボは世界一のPCメーカーとなりましたし、「未来を掴む」とは外部環境を読むことだと改めて実感しましたね。
鎌原:転職サイトで求められる資格を変えて市場を読んだように、企業も外部環境を読まれて選択されたんですね。レノボでは具体的にどんなチャレンジがありましたか?
山田:700人いた日本社員が、1年半で半分入れ替わるくらいのダイナミックな環境で、常に120%のパワーで挑戦しないとすぐ振り落とされてしまう。でも、自身は社会人4年目で全然即戦力になんてなれない。グローバルでカルチャーも違う中で、意思疎通にも苦労しましたし、失敗もあり、必死に学びました。なんとか状況を打破したくて、グロービスに通うことにしたのも、この頃です。
徐々に結果が出始め2012年にマネージャーとなり、マイクロソフトから声がかかりました。
当時から徐々にハードウェアからソフトウェアに顧客への提供価値が移行する流れを感じていたので、マイクロソフトを見ていたんです。2010年の米国マイクロソフトは「クラウド」「モバイル」「セキュリティ」というキーワードを打ち出していたので、レノボ時代にキーワードに沿った活動を意識していたことがお声がけ頂いたポイントだと思います。
鎌原:その時も、やはり目標にしていたパナソニックへの転職は考えなかったのですか?
山田:レノボの経験だけでもパナソニックに貢献できる範囲はあると認識していた一方、まだまだ実績も能力も及んでいないと感じました。
マイクロソフトでチャレンジすれば、ハードウェア・ソフトウェアの両方の経験を持ち、日本・中国・米国の企業文化を経験することになります。これが自分の存在価値になると考えました。マイクロソフトでは、顧客の経営戦略レベルの意思決定を促す業務に携わり、5年間で多くのプロジェクトを経験しました。
鎌原:その後、戦略通りにパナソニックに転職されました。パナソニックでも大変活躍されていると伺っています。
山田:時間はかかりましたが、能力開発を続けてきて、念願のパナソニックに入ることができました。しかも、いくつかのポストでお話を頂くことができて、うれしかったですね。いただいたポストは、自分のケイパビリティがマッチし意思決定権限があるポジション、もう1つは経験が浅い事業領域で裁量が限定的なところ。私はあえて経験が活かしにくい方に飛び込みました。
レノボやマイクロソフトで働く中で、できる限りコンフォートゾーンに自分を置かない、ひいてはそれが自分の能力開発につながると実感していたので、今回もより困難な環境に挑むことにしました。
それから2年経った今、その判断は間違っていなかったと思います。チャレンジなミッションだからこそ、周りに心から感謝を伝え、自身の不足する能力も明確になりました。更には、自分自身や担当プロジェクトを多面的に見てスキルを棚卸ししながらチームの体制構築に動き続けたことで、結果としてチーム一丸となることができ、2019年度のパナソニック商品表彰を獲得することができました。
志を育て、学び続ける
鎌原:一方で、デジタルトランスフォーメーション研究所の主席研究員もされています。
山田:グロービス経営大学院で出会った仲間と活動しています。リコーからレノボ、マイクロソフトとキャリアを歩む中で、残念ながら、町の電気屋さんなどを介さない販売方法など、地域経済に寄与しない形で収益をあげるIT企業も台頭してきたんです。
そんな状況の中で、「父母のように地方で地域に根差し地域の人のために店を営む、そんな景色を残していきたい」と思うようになりました。ITによって地方で失われたものがあるなら、ITで地方にもたらす価値を生み出すことだってできる。「新しい地方創生のカタチを見つけたい」という志を強く抱くようになりました。
その志を実現しようと思った時、デジタルトランスフォーメーション(DX)は欠かせない、そう思っています。現在でもパナショップは全国に16,000店舗あります。そこがいつまでも地域で必要とされるための手段としてのDXは何か――最新理論と実践の現場に身を置いて引き続き考えていきたいと思います。
鎌原:ここまでのお話を伺っていて、山田さんはずっと「ご自身のやりたいこと=志」に必要なキャリアを選び続けていると感じました。そして、その志もどんどん進化されているんですね。
山田:そうですね。幼い頃は漠然と「パナソニックで働きたい」という気持ちでいましたが、そこからキャリアを重ねるうちに、視座も視野も広がり、「パナソニックで〇〇がしたい」という気持ちに変わり、更には「パナソニックを使って、〇〇な世界を実現したい」に深化しました。実現の為に必要な能力も変わり、だからこそ今も学び続けています。
今では段々と「日本全体の地方創生」という文脈でも考える自分もいて、そうやって志は成長していくものと実感しています。
「やりたいこと=志に向かって、自分の能力開発やキャリア開発に対して、努力を続けていく。ただし不義理はしない」――そこに注力し続けることで、新しい視座と視野、出会いを得て、可能性は広がっていきました。
色々言いましたが、「山田さんと飲みに行きたい」という仲間が増えていくことが、私が今までの選択が間違っていなかったと思える指標だったりもします(笑)。これからも、感謝と志を胸に人生の舵をとっていきたいと思います。