自分の中の「加害者性」と「被害者性」をどう自覚し、許すのか~安部敏樹×石川善樹×三浦崇宏×若新雄純×鈴江奈々

本記事は、G1-U40 2020「コロナショックを機に変える「社会」 ~コロナと共生して未来を生きる社会の希望とは?~」の内容を書き起こしたものです。(全3回 後編)

鈴江奈々氏(以下、敬称略):ここまで、いろいろなことが変化している現状にあって、何を生きがいとして求めていけばいいかという点で多くのヒントがあったと思います。そこで、各領域で新しい定義を生み出している皆さまには、今コロナで暗くなっている社会がどのように希望を見出せるのかという点についても、今チャレンジしていることを含めて伺ってみたいと思います。三浦さんは新たなベンチャー支援をはじめましたよね。

挑戦する人を増やす仕組みをつくりたい

三浦崇宏氏(以下、敬称略):うちは広告とPRをベースとしている会社ですが、最近はファンドを組んで、それこそ堀(義人氏:グロービス経営大学院学長、グロービス・キャピタル・パートナーズ 代表パートナー)さんにも相談させていただきながらVC事業をはじめました。

鈴江:どういった希望をそこから生み出していきたいとお考えですか?

三浦:それは、この場にいる人たちがずっとやってこられたことだと思います。先ほどの安部さんの話を少し引き取ると、社会につながっているとか、大きなものがたりに自分が組み込まれているとか、自分が積極的にものがたりに参加しているという感覚って、すごく大事じゃないですか。「自分のものがたりの主人公が自分である」と、自覚できることが重要なのだと思っています。では、何をしているときにそれを自覚できるか。ありきたりな言葉にすると挑戦しているときなんですよね。何かにチャレンジしているときって、それがうまくいっていようがいまいが、大きな幸福感というか充足感に包まれているのだと思います。その意味で、今は僕のできる範囲でチャレンジできる人が増えるような環境をつくりたいと思っています。

石川善樹氏(以下、敬称略):それは、たとえば「会社が浸透させようとしているミッションやビジョンは、結局は他人のものがたりである」と?

三浦:それもあると思います。僕らの場合、パートナー企業のブランディング等を数多くやらせていただいていますが、そこで1番大事なことは何か。僕はクリエイターですから、たとえばブランドスローガンとか、そういったものは割と書けちゃう。それが仕事だから当たり前なんですが。ただ、大事なのは、それがいかにクライアントさんのなかから生まれているのか。「あれ、俺が使った言葉じゃん。あの考えって、結局は俺が言ったことを経営がうまく取り入れたんだな。うまくやりやがったな」みたいな、ちょっとした参加感や納得感をいかに生むかが大事だと考えています。

そういう意味で、社会に対して何かしらのトライ&エラーをする人、チャレンジをする人を増やす仕組みをつくるということを、現在のベンチャー支援を含めて僕らはずっとやっています。会社としても、広告マーケティングというよりも、「あらゆる変化や挑戦を支援する」ことをミッションとしているので、そこは必然的にやっている形ですね。コロナがなければアーティスト支援の基金もつくろうと思っていたんです。今はちょっと止まってしまっていますが、産業のなかでチャレンジする人もいれば、表現や価値観という領域でチャレンジする人もいますから。とにかく、あらゆる場所で、チャレンジすることによって再起不能となるリスクがなくなるような、そして周囲がチャレンジを支えやすくなるようなエコシステムをつくることが、コロナ以降、より重要になったと思います。

VC事業については、会社のなかで「止めたほうがいいんじゃないか?」といった声は結構ありました。僕らもトップラインは結構落ちたので、そのタイミングでどうするかという話はあった。ただ、「今こそやるべきだろう」という逆張りの思考で断行しています。

希望を示すデータを取って「いいかんじ」の国を目指す

石川:これからの希望をどうやって見つけるのか。僕は今、楽天の北川拓也(同社執行役員 )さんらとともに公益財団をやっています。これ、一言で表現すると、「データから希望を見つけることができないか」というものです。実は今年、僕らは世界120ヶ国でウェルビーイング調査をかけます。1ヶ国につき1000人ぐらいを対象として、本当は160ヶ国でやりたかったんですが、120ヶ国で行います。この調査では、「苦しんでいる人たちとはどういう人たちなのか」という話とともに、希望も見出したいと思っているんですね。希望はどうやって見つけるのか。希望は、たとえば「仕事がない」「収入はこれくらい」といった客観的状況は同じでも、主観的には「しあわせだ」と感じている方々が絶対にいる。なぜそう思えるのか、そこの部分で希望を見つけることができないか、と。

世の中の不幸や苦しみを本当に解決しようと思うと、だいたいにおいて、大きな解決策が必要になります。政治を変えなければいけない、とか。ただ、大きな解決策は動かすのに結構時間がかかったりして大変なわけですよね。一方、客観的状況は同じなのに主観次第で違うということは、日々のちょっとした行動とか、周囲のちょっとしたことが少し違うだけなんです。これはスケール化しやすい。そこをデータとして明らかにしようということで、今は北川さんらと一緒にデータを取っています。データを取るのに時間がかかるので、希望を示せるのは来年の9月になりますけれども(会場笑)。ただ、2019年と比べて2020年がどうだったのかという比較調査ができます。

三浦:健康診断というものが共同体の“健康度”を群でチェックするように、幸福度診断って、割と見逃されがちだけれども大事なことですよね。ブータンが国民総幸福といったことを掲げて注目されているけれども、別に誰もそれを本気で真似ようとしてこなかった。でも、あれは、ある種のクリエイティブだと思うんですね。貧困という状況に対して言葉を設定することで、目の前の課題を意識で超えさせる、と。日本も同様に、これ以上の大きな量的成長をしないというタイミングで、それぞれの幸福を定義したうえで、そこを何%満たせるかをチェックするというのは超面白いですよね。

石川:そうなんですよ。その辺について、今までも議論はありましたが、きちんとデータを取った人がいなかった。それで、まさに今はG1メンバーにもいろいろ協力をしてもらっています。駒崎(弘樹氏:NPO法人フローレンス代表理事)さんに相談したことがあります。「ウェルビーイング」というと概念として少し難しいのですが、駒崎さんは社会問題における三浦さんみたいな感じで、「ワンオペ育児」とか「イクメン」といった言葉を考えてきた人じゃないですか。

三浦:社会記号を設計していらっしゃいますよね。

石川:そう。それで、「ウェルビーイングは日本語でなんて言ったらいいですかね」と、相談したんです。そうしたら超いいアイディアを考えてくれました。「ウェルビーイングというのはこういうもので云々」と、1時間ほど説明したら、「石川さんね、ウェルビーイングというのは、要するに“いいかんじ”ってことだね」って(会場笑)。「それいいですね!」って(笑)。日本はこれまで経済大国というものを目指してきましたけれども、ウェルビーイング、「超いい感じ」の国を目指しましょう、と。

「許す」は最高レベルのコミュニケーション

若新雄純氏(以下、敬称略):コミュニケーションを専門としている僕としては、「これがうまくいったら最高の世界になるな」と思うことがあります。今は「なんとかシンキング」とか「なんとか思考」といったものが流行っているけど、「最高レベルのコミュニケーションができる人というのは“許せる人”だ」となったら、超ラクだと僕は思っているんですね。そうするとチャレンジもできるし、多様性も認められるし、復活もできるじゃないですか。

鈴江:それは互いに許し合える関係ということですか?

若新:僕も許されたいし。僕は「自分が許されなきゃいけなかった」から相手のこともだいたい許せるようになったんですが、とにかく許してみたら結構ラクだった。それで、たとえばテレビに出演したあとネットで辛辣なことを書いてくる人にも、片端から謝ると皆仲良くしてくれるし、きちんと話ができるんです。最初の謝罪が結構難しい。でも、僕らが最初になぜ緊張しているかを紐解くと、分かり合えるまでの時間、なかなか許容できないというか、許しが下手な人が結構いる。「どっちが正しいのか」とか、「どっちが強いのか」とか、「どっちが正義なのか」という話にこだわり過ぎると、許しが下手になる。

僕はずっとYOSHIKIが好きだったから、「コミュニケーションや世界や未来の展望は色のないスケルトンがいい」なんて、ずっと言っていました。YOSHIKIはドラムが透明だから。だけど、最近は「甲本ヒロトのほうがすごいな」と。透明よりもねずみ色というか、ドブネズミの色のほうが人間のそのままの姿というか。あれを許容できて初めて美しくなる。だから、ドブネズミであっても、互いにそうなんだからキレイではないことを攻めるのではなくて、そこを許し合うなかで一歩踏み込んで議論をする。これはウェルビーイングという話とも共鳴することだと思っています。

三浦:仏教的だよね。混沌を受け入れるという。

石川:ある意味、許せないで死んでいった人たちをどう許すのかというのをずっとやってきたのが能ですよね。能は許しの美学とも言えるような気がします。

安部敏樹氏(以下、敬称略):自分のなかにある加害者性と被害者性の循環にどう気づくかというのは、これからの100年や200年ですごく大事になると思っています。たとえば僕は、痴漢の道30年で、これまで3万人に痴漢をしてきて、4回捕まっている人にインタビューしたときのことがとても印象的だった。彼は妻子もいましたが、その痴漢の依存症が原因で離婚もしています。普通はその前にやめない?と思うけどやめられないんですよね。今は止めることができたけれども、30年止めることができなかった、と。それで、すごく衝撃的だったことがありました。彼は最後の最後、インタビューが終わった数時間後にメールをくれたんです。そのなかで、「すみません、言い忘れたことがあります。実は私、中学のときバレー部に所属していたのですが、そこの男性顧問に、毎週シャワー室に呼ばれてレイプされていました」と。彼は30年痴漢をしてきた性犯罪の加害者だったのですが、一方では別の性犯罪の被害者でもあった。社会問題の現場をいろいろ見ていると、こういう話が本当に多いんです。

インドで売春をしていた女性の話もあります。だいたい30歳ぐらいで働けなくなるんですが、そこでその人に残された道は、ホームレスになるか、もしくは売春婦のオーナーになるか。それで自分がオーナーになった瞬間、被害者から加害者に入れ替わる。こんな風に、1人の人間のなかに被害者性と加害者性があるという意味では、会社におけるセクハラやパワハラでも同じことが言えます。己のなかには、常に一定の加害者性、あるいは被害者性がある。

石川:そこで許すことが大事になるんだね。

安部:そう。「許す」というのは自分のなかにある加害者性に気づかないとできないんですよね。それは、これからの希望をつくるうえでも同じです。己のなかに常に加害者性と被害者性がある。で、それはあってはいけないことではなくて、被害者性や被害者性がもたらすメリットもデメリットもある、と。

若新:僕は今年の抱負が「迷惑をかけることができる人間になる」なんですよ。皆、「迷惑をかけちゃいけない」と思いながら迷惑をかけてしまっていることに気づかないから、問題が拡大するわけでしょ。でも、僕は所詮迷惑をかけるような人間であることを自覚しよう、と。そうすると、僕みたいな人間でも世の中にきちんと受容してもらえるし、結構ズレたものも共存できる。

三浦:広告をつくっていてもそれは感じます。ネットの炎上も、ほぼすべてが制作者、あるいは広告主つまり企業側が自社の加害者性・被害者性に無自覚なとき起こるんですよね。この社会に生きる限り全ての人が、無自覚に性差別に加担している可能性があるし、どれだけ平等を叫んでいても、ほぼほぼ無自覚に、そうした構造のなかに組み込まれている。そういう前提がないままで広告をつくるとだいたい燃えるというのが、最近のオーソドックスなケースです。だから、安部さんがおっしゃっていた加害者性・被害者性に気づくとか、若新さんの迷惑を掛けられる人間になるというのは、義務教育に組み込んだほうがいいような話だと思いますね。

鈴江:では、ここから全体討議に入りたいと思います。まずはネット経由での質問から。「ウェルビーイング調査と幸福度指数の違いはなんでしょうか」。

石川:現在のメジャーな調査は、国連が行っている「The World Happiness Report」というものです。これは、基本的には西洋人の価値観で幸福度が定義されていて、測定されています。もっと言うと旧約聖書の価値観ですね。その結果として何が起きているかというと、過去数十年における幸福度調査の知見というのは、一部の西洋人には有効だけれど、ラテンアメリカや東アジアでは効かないといったことが起きている。これに対して僕らの財団は最初からグローバルなチームを組んで、それぞれの価値観に共通するもので調査項目として組み込んでいます。

鈴江:会場からもご意見等を募りたいと思います。先ほどは能についてのお話もありましたが、いかがでしょうか。

会場質問者A:ほとんどの場合において、能というのは裏で「絶対権力に対して言えないことを死者が言っていることにして許してしまおう」というテーマが隠されています。幽霊とか、そういうものが出てくるというのは、基本的には幽霊だから許される、と。

鈴江:行き着くところは「許し」なんですね。

石川:だと思いますね。狂言もそうですよね。狂言の舞台は、最後に「ごゆるされませ」と言って終わりますから。

若新:そういうのが生まれたお殿様の時代というのは、面と向かっては言えなかったわけじゃないですか。だから、それを死んだ人が言っているとか、1つのエンターテインメントのなかに組み込むとか、そういうことにして許してもらおう、と。ぎりぎり「絶対」からはみ出す余地を残していたのだなと思います。

会場質問者A(続き):死人に口なしというところを、あえて死人に口を持たせることで、なんでも言えるようにするという概念ですね。

三浦:表現というのは、その場におけるルールを逆転する唯一の萌芽になるということは昔からありますよね。

経済が発展した場所では、選択肢があるほうが幸福度が高い

会場質問者B:宗教でも人がやってはいけないことを神様にやらせて正当化し、許しを求めている部分があると考えています。その意味で、今の時代に宗教で幸福度やウェルビーイングを高めるといった議論は何かあるのでしょうか。

石川:一言でいうと、宗教性がない人よりも宗教性がある人のほうが、一般的には幸福度が高い。なぜか?宗教の本質として僕らが何を教わるかというと、「希望を低く抑えて、『世の中の苦しみは必然である』と受け止めさせること」。これが宗教が果たしてきた重要な役割なのだと。

三浦:苦しみに理由を与えますよね。

石川:そう。それを乗り越えて、受け止めることができたら、来世で幸せになれるという発想ですね。希望を低く抑え苦しみを受け入れるという意味で、宗教はすごく機能します。ただ、経済が発展すると宗教性はだいたいなくなっていきます。宗教のように絶対的なものを信じるよりは、選択肢がある状況のほうが幸福度に寄与するということで。

若新:ただ、日本に根付いている宗教は選択の余地が残っていますよね。神様も1人ではないし。

石川:ああ、そうですね。「八百万の」ということで。

若新:だから解釈の幅を持たせつつ、考えても考えても正解が出ないことについて、「正解を出さなくても大丈夫だ」という許しは根付いてきた筈だと思っています。ただ、僕らの世代はそれを教育で習っていないから、そこは注目すべき点だと思いますね。

安部:許しに関して言えば、司法には修復的司法という考え方があるんですよね。罰ということでなく、ある種、強制的な執行権を持って、その人に許しというか、癒しを与えるための機会として司法や逮捕、あるいは有罪があるといった考え方です。今後は法律の体系もそうした方向にしていかないと。今のままでは再犯率も高いままですし、「捕まえて、監獄に入れて、出てからまた犯罪をして、また捕まえて」というローテーションの繰り返しで社会的コストも高いままになってしまっている気がします。ですから、許し、宗教、文化といったものを、社会のなかへ、たとえば法律や経済のところに呼び込んで来なければいけないと思っています。

会場質問者C:加害者性と被害者性、あるいは当事者性と非当事者性といったものはたしかに表裏一体だと感じますが、どうすればその点に気づけるとお考えですか?

安部:現在もかなり行われていますが、たとえば匿名の状態で、当事者同時が告白をしていくというところからスタートしたりします。「自分は、実はセックス依存症で、こういうことをしていました」と、名前を隠し完全に安全性を担保したうえで、自分の当事者性を話していく。そのなかで、「あ、自分の加害者性はここにあったな」「こっち側は被害者性だったな」といった部分に気づいていく、と。そうしたプロセスは形式的にも割と確立されてきています。

ですから、そういう手法が他の場面でもっと共有されていくといいと思いますね。たとえば家族間のDV等で。DVも難しいですよね。たとえば旦那さんが奥さんにかけていた言葉が、実はそういう風に受け止められていたと言われたりして。そう考えてみると結構な範囲でDVはあり得るわけです。でも、それは言った側からしたら「なぜ?」となるし、そこで対立が起きた状態からスタートしても絶対に回復しない。ですから、そこに第3者が介入して、ある程度の安全性を担保したうえで、「あのとき、実はこう思っていたんだ」といった告白を共有していく。そのうえで、自分が発言してしまった、その手前の構造やプロセスを他者と共有することが、自分のなかにある当事者性と被害者性に気づく作法であると言える気がします。

若新:日本人は自信のない人が多いと言うけど、「自信がない」と言う割には、自分が不完全であることに気づいている人は少ないですよね。だから、僕の理想は、不完全であることを知りながら、きちんとできる部分については自信を持つこと。今は「自信を持てるのは完璧になったときだ」みたいな幻想があるから。そういう考え方がすごく大事だと思います。

日本で社会の断絶は起きるか?

鈴江:もう1つリモートで質問が来ています。「アメリカにおける社会の断絶は解決が見通せないほど大きな問題になっています。日本に問題の芽があるなら、現時点でどんな行動をするべきだと思いますか?」。では、これに対して最後に1人ずつお話をいただきたいと思います。

石川:社会的断絶が起こるかどうかの先行指標がウェルビーイングだと言われています。ウェルビーイングが下がって、そのあとに社会的断絶・政治的混乱が起こる。過去40年のデータを見ると、毎回そうなっています。これは経済的指標だけを見ていると気づきにくい。イギリスでも経済指標は過去10年ずっと上がっていましたが、実はウェルビーイングは下がり続けていました。それで、あるときにブレグジットという話が出てきた。では日本はどうかというと、過去10年、ウェルビーイング度が下がり続けています。戦後60年間ぐらいはそれほど変わらなかったのが、この10年で下がりはじめています。ですから、このままいくとイギリスやアメリカのように日本でも大きな分断や政治的混乱が起こり得る可能性はあります。

鈴江:そうした分断の芽みたいなものは、安部さんは何か感じていますか?

安部:芽はたくさん感じていますが、そもそも分断等が起きて、そこから非常に大きな騒動が生まれるケースでは、「ビッグイシューに対するやるせなさ」があります。ビッグイシューというのは、まさにアメリカの場合はヒューマンレイスの話ですね。あれは、結構文書主義的に、構造的に決まってしまっているので。たとえば皆さんもアメリカに行くときは「どの人種ですか?」というのにマルを付けたりしますよね。そんな話も含めて、社会構造に根ざしているゆえに、やるせなさが大変生まれやすい。しかも、アメリカ人で人種問題以上のビッグイシューがあると思っている人はほとんどいませんから。

一方で日本はどうかというと、かなり質的に違っています。「日本におけるビッゲストイシューは何でしょうか」と言っても、必ずしも皆から同じものが出てきません。誰かは「経済成長だ」、誰かは「少子化だ」、誰かは「高齢化だ」と言うし、いろいろな側面がある。自分たちの社会が均質だと思っているので。均質な社会においては、ビッゲストイシューの認知ができない、と。

石川:調査をしてみると、一番多いイシューは肩こりと腰痛です(会場笑)。

鈴江:(笑)。では、時間になりました。現在はコロナがビッグイシューだと思いますが、そこからいろいろな形で皆さんの生き方、あるいは社会の見方みたいなものが提案できたのではないかと思います。本日はありがとうございました(会場拍手)。

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