栄光の昭和と平成の30年、何が違ったか?まずは日本の問題を整理してみよう〜経営共創基盤CEO 冨山和彦

本記事は、2020年2月に行われたグロービス経営大学院特別セミナー「両利きの経営に求められる経営リーダーシップ」の内容を書き起こしたものです(前編)

冨山和彦氏(以下、敬称略):今回のテーマは「両利きの経営」ということで、今どきの、あるいはこれからの時代に求められる経営リーダーシップについてお話をさせてください。企業だけでなく国家経営もそうだと思いますが、リーダーというか経営の稼業をやっていくうえで大事になると、特に最近考えていることを共有したいと思います。

少し前の話ですが、ちょうど令和への変わり目、平成最後ということで、山一證券の看板が降ろされるようなシーンがテレビでずいぶん流れたりしていました。平成が始まった頃は、ちょうどジャパンアズナンバーワンと言われていた栄光の昭和の終わりだったんですね。当時の日本企業はどうだったか。1989年は、時価総額世界トップ10社のうち7社を占めていました。それが、なんだか知らないけど今は跡形もなく消えてしまった。それで、「なぜ、こうなってしまったんだろう」という話がたくさんあるわけです。

ある意味、今はいろいろな問題が見えてきてはいます。でも、そうした問題の本質、心臓部分には、たぶん国のレベルでも会社のレベルでも、日本はまだ切り込めていないと感じます。逆に、切り込むためには相当強力なリーダーまたは経営の能力がないといけない。そういう本質を外したまま、たとえばデジタルトランスフォーメーション(以下、DX)をやっても、だいたい“ごっこ”になります。コーポレートベンチャーキャピタルをたくさんつくって投資しているつもりになったり、なんとかラボをつくってやっているつもりになったり。でも、もう“ごっこ”では済まなくて、ガチでやっていかないといけない。

まったく異なるパラダイムでひっくり返されたグローバル化

そこで、まず問題を整理してみたいと思います。平成の約30年間と、それ以前で何が違ったのか。まず、この前後でガチのグローバル化が起きました。当然、それ以前から世界経済は国際化していたし、そのなかで日本は加工貿易立国でした。原材料を輸入し、島国でトンカンチンカン大量生産して、テレビや車をがんがん輸出して儲けていました。ただ、少なくとも1990年まで、中国は実質的に閉ざされた社会主義でした。そして東欧とロシアは社会主義圏。新興国という概念もまだなく、日本が商売している相手は、基本的には北米と西ヨーロッパの先進国でした。当時の日本は戦後復興プロセスのなか、大量の真面目な労働力を持っていて、賃金も安かった。その力を使い、原材料を輸入してテレビ等をつくっていて、まあ、たいした競争相手もいなかったんですね。

そこで、ベルリンの壁が崩壊しました。そして中国は社会主義市場経済と言い出して、市場経済に入ってきました。僕はその頃からビジネスパーソンをやっていて、ちょうど留学していた頃ですが、1989年頃に日本の経営者は何を言っていたか。ジャパンアズナンバーワンと言われた時代ですからね? 「世界最強の企業を持っているのは日本じゃないか。マーケットもさらにでかくなる。中国もロシアも、これからはお客さんだ。もうバンバン売っちゃうぜ」という風に、皆言っていたわけです。

当時、たかだか30年でテンセントのような会社が登場するなんて、ゆめゆめ思っていませんでした。先端的技術で日本企業をはるかに凌駕する会社が中国からぼこぼこ出てくるなんて、これっぽっちも思っていなかった。日本の生産技術がかくもハイスピードで追いつかれ、品質にもほとんど差がない製品が中国本土で大量生産されることも、想像していませんでした。せいぜい日本製品の型落ちをつくれるぐらいだと思っていた。そういう見立てがすべてハズレてしまったわけです。大量生産で儲かるものは、あっという間に海外で生産が始まりました。そして、馬鹿にしているうち、実は向こうのほうが技術も上になってしまった。

たとえば今は液晶も大変厳しくなっています。17~18年前、我々は産業再生機構で「液晶、まずいんじゃない?」と考え、液晶の統合再編をやるべきではないかと、当時「◯◯モデル」みたいなものをつくっている会社も含めて話をしに行ったことがあります。でも、その会社の技術者はなんて言っていたか。「あなたは素人だ」と。「うちの人間を何人か引き抜いたからって、韓国に同じ液晶は絶対つくれない。それほどの差があるんだ。20年は差がある」と言っていました。その会社が経営危機に陥ったのは、その5年後です。ある意味、やっている人間だからこそ危ないんです。自分でいろいろ頑張ってやってきちゃったからこそ、まったく異なるパラダイムで、まったく異なる次元で、自分がひっくり返されるという想像がつかない。それがグローバル化なんです。

デジタル革命にも破壊的インパクト。IBMを追い詰めたのは誰か

それから、やはりデジタル革命にも破壊的インパクトがありました。実は、デジタル革命は1980年代から始まっていたと私は思っています。その第1ステージは、コンピュータ産業で起きたダウンサイジングと水平分業という革命的変化です。コンピュータとは本来デジタルなものですが、それまでコンピュータ産業はすごくアナログな産業でした。IBMという圧倒的な会社があり、ここは完全に垂直統合だったんです。すべて自前でつくり、擦り合わせを行って商品をつくっていた。ソフトもハードも同じ会社がつくる。半導体もIBMがつくっていました。すべての要素を緻密に擦り合わせ、お客さまに汎用コンピュータのシステムとしてデリバーするというビジネスモデルでした。

そのモデルのときのIBMは圧倒的で、今のGAFAなんて目じゃないほど強い会社でした。IBMに対抗しようと思ったら、IBMとつながる互換機をつくる「コンパチ路線」以外に商売のしようがなかった。それで、日立も三菱も含め世界中の会社が、ほぼそういうモデルでやっていました。だから、金は持っているし、特許も一番持っているし、トーマス・J・ワトソン研究所なんて、基礎研究から何から何まで世界でダントツの研究所でした。人材、ブランド、マーケットプレゼンスも圧倒的。1989年時点の時価総額の米国のラトップ1はIBM、世界でもトップテンに入っていました。

でも、その1年後にIBMは倒産の危機に追い込まれます。あれよあれよという間に。僕は当時スタンフォードからそれを見ていましたが、驚愕しました。「こんな勢いで、会社というのは潰れそうになるのか」と。それもIBMですから。今で言えばトヨタみたいな会社ですからね? トヨタ以上かな。GAFAですよ。ある環境変化によって、GAFAのどれかが、ものの半年で潰れそうになるということです。

では、IBMを最終的に追い詰めたのは誰か。競争相手の日立?ユニシス? 違いますよね。ダウンサイジングと水平分業の覇者って誰ですか。マイクロソフトとインテルです。パーソナルコンピュータをやった会社ですね。ただ、パーソナルコンピューティングとはどこが提唱した概念かというと、マイクロソフトでもインテルでもなく、会社として提唱し、それを実際に事業化しようとしたのはIBMです。これはかなり古くからあった概念ですね。「1人ひとりが皆コンピュータを持つという時代が、いつかやってくる」という。それを現実化するために、IBMはパーソナルコンピューティング事業部を自分たちでつくり、社内ベンチャーとして立ち上げます。でも、当時70年代のパソコンは、現在からすると電卓に毛が生えた程度ですよ。おもちゃみたいなものだったから、「そんなものは自前の資源を使ってやるようなものではない」と。だからOSもCPUも、その辺にいる下請けベンチャーから買ってきたわけです。その外注先がマイクロソフトとインテルだった。

今はMaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)というものがあるじゃないですか。自動車産業がもっとサービス寄りになっていく、と。そうして自動車産業の中心が、今の概念で言えばタクシー会社やバス会社、あるいはレンタカー会社になっていくということが言われていて、トヨタさんもそういうことをやっています。それで、ゴルフカートにちょっと毛が生えたような微妙な車を走らせているわけです(笑)。当然、これはトヨタでもメインのラインではつくっていません。ある種、オープンイノベーション型でやっているわけです。それで、自動運転機能がたくさんついたゴルフカートみたいな車をつくっているベンチャーに、トヨタ本体が潰されそうになったという話なんです。

そして90年代になると、インターネットと携帯電話です。私は1992年にスタンフォードを卒業して日本に帰り、そのあと6年間ほど、今のソフトバンクモバイルと au の前進となったデジタルツーカーグループという会社で仕事をしていました。デジタル方式の携帯電話に新しく参入した事業者です。ハンズオンで、実際にその会社の名刺を持って出向していました。それまでアナログだった携帯電話がデジタルに変わりデータ通信ができるようになる、と。当時からスマートフォンという概念はありました。ですから、そうした機能も乗せていろいろなことをやっていこうという事業計画をつくり、それを実行していた。ですから、「今後どうなっていくのか」というイメージは我々も割と持っていましたし、そのイメージと今の状況はそれほど変わりません。

問題はその先です。携帯電話事業者がどんなお金の使い方をしたかというと、大量の基地局と交換器、そして携帯の端末に使いました。誰に発注していたか。NEC、富士通、松下通信工業(現パナソニックモバイルコミュニケーションズ)です。外資ならモトローラですね。だから、インサイダーになってしまうので株は買えませんが、当時株を買えていたら、そういった会社を買っていましたよ。

でも、実際にどうなったか。パナソニックは今、携帯電話をつくっていません。結局はGAFAです。ただ、92年の時点でアップル以外は存在していないんです。存在しない相手に競争戦略をつくりようがないですよね。アップルだって、92年頃はほとんどの人が潰れると思っていました。マイクロソフトがWindowsを出して、いわゆるWintel(ウィンテル)にどんどん追い詰められていたんです。

92年当時、スティーブ・ジョブズは事実上の失業者です。その前にアップルをクビになって、それで頭に来て、たぶんアップルの株も売ってしまったんじゃないですかね。そのお金を、当時映画が1本もつくれなくて有名だったピクサーという映画会社と、コンピュータがぜんぜん売れなくて有名なNeXTにがんがん投じていた。だから彼は個人的に破産するだろうと、シリコンバレーの多くの人が言っていました。でも、アップルもジョブズも見事に復活するわけです。第2ステージのデジタル革命がなかったら復活していないですよ。とにかく、当時は予想だにしないようなことが起きるという破壊性がありました。同様に、今はAIだIoTだということで、いろいろな産業がDXの波をかぶるでしょう、と。それで「どうしよう」という風に言っているわけです。

0から1の破壊的イノベーションを思いついた人が覇者になるわけではない

では、当時は誰が勝者になったのか。こういう議論をすると、「じゃあ、俺はGAFAにならなきゃいけないのか」という話になってしまうんですが、そう思う人は頑張ってベンチャーをやってください。それもリーダーとして1つの選択肢です。逆に、こういうときは大逆転が起きやすいので。ただ、「GAFAは本当にInventorですか?」という問いがあるんです。たとえば、実は、当時最初にインターネット革命を起こした会社はネットスケープという会社です。ブラウザという、つまり普通の人がインターネット空間に入っていける仕組みをつくったのはネットスケープでした。この会社はどこへ行きましたか? 事実上、なくなりました。

では、ポータルはどうですか。昔でいうネットサーフィンをするときは検索エンジンを使うので、検索エンジンをインターネットの入り口にして、ポータルという皆が通るサイトをつくり、それをビジネスモデルにするというのが次のメジャーなアイデアになったわけです。それを最初に発明したのはどこだと思いますか? Yahoo!です。Googleじゃない。Googleは後発で、どちらかというと検索エンジンを提供していた会社です。テクノロジーベースの会社ですから。もちろん、そのテクノロジーがスタンフォード大学の特許も使ったきちんとしたものだったから普及するわけですが、うしろから検索エンジンを提供するだけでは面白くないということで、自分でポータルをはじめたわけですね。

あるいは、いわゆるプラットフォーマー。皆さんが最もよく使うポータルのようなものをベースに、いろいろなビジネスを重ねて乗せていくというものですね。今であればGoogle、YouTube、Facebook、あるいは各種決済もそうです。そうした、いろいろなものを重ねて価値を乗せるモデルを、世界で初めてつくったところはどこか。ネット革命の初期、これはバリューアグリゲーターと呼ばれていました。どこか想像つきますか? AOLです。 今、AOLはどこへ行っちゃったんでしょうね。

とにかく、GAFA自身は必ずしもInventorではないんです。自分たちで0から1をつくったのではなく、かなりの部分、マネジメントの力で覇権を握った。単純に0から1の破壊的イノベーションを思いついた人が覇者になるわけではないということですね。そう考えると、やはり‘Management does matter.’なんですよ。

さらに言えば、スマイルカーブ現象というものがあります。デジタル革命の波をかぶると、その産業におけるバリューチェーン上の付加価値が大きく変化するというものですね。川下と川上は儲かって、川中の、たとえば組み立てをやっているようなところは儲からなくなる、と。典型例はテレビ。4Kテレビなんて、もう今はミゼラブルですよね。あんなに高画質で綺麗なテレビが今は10万円を切ってしまっている。あれ、すごいテクノロジーが投入されているんですよ? でも、高く売れない。その一方で、どちらかというと、川下のプラットフォーマーと言われる人たちと、川上でキーコンポーネントをつくっているインテルやクアルコムのようなところが儲かっている。日本勢なら日本電工や信越化学工業のような、すごくレアな材料を提供する会社が儲かるということです。

実は、これはかなり早い段階から観察されていて、それこそコンサルティング会社はこのネタで飯を食っていました。私が携帯電話の仕事を終えてCDIという自分たちでつくったコンサルティング会社に戻った、ちょうど2000年前後か、その少し前ぐらいですね。その頃、たくさんあったのがファブレス化の仕事です。メーカーが組み立てから撤退して、生産はアウトソースするモデルが当時は流行っていました。アップルなんて完全にファブレスモデルでしょ? 組み立てはフォックスコンや鴻海にやらせているわけで。組み立ての部分は付加価値が最も低いから、賃金の安い新興国のEMS、製造請負業に出してしまうという話が当時はたくさんありました。

それで、当時は台湾のEMS企業や、半導体であればTSMCのような会社が日本にたくさん来るわけです。「(生産を)切り出してください。うちでやりますから」と。それで、ファブレス化を進めるというコンサルの仕事が当時は結構ありました。そのなかで私がやったのは半導体DRAMです。当時、日本はDRAMの全盛期。世界のDRAMの、もう6割ぐらいを日本のメーカーがつくっていました。圧倒的に強かった。

半導体は、まず前工程でシリコンウェーハ―という“お皿”に回路を焼き付けます。これは付加価値が結構高い。あと、あまり人がいないクリーンルームで行います。これに対して後工程は、そのお皿をチップに切って、それに配線を行い、パッケージングするという、まあ、あまり付加価値の高くない工程で、ここは人がたくさんいます。典型的な組み立てっぽいプロセスですね。それで、「これは外に出しましょう」という議論をしていきました。

そこで、多くの議論は総論賛成です。やはり皆さんグローバルに仕事をしている人たちばかりだし、世の中の流れは当然知っています。あるいは、分からないことがあれば、B 社やM社に頼めば教えてくれますから。「こういうことが起きています」と、僕らもお話しします。それで、「そうですね。これはやはりファブレスでアウトソーシングかな」となるわけです。

問題はその先です。現実にファブレスへ移行する場合、まず半導体後工程の部門を分社化して、切り出した子会社を台湾の会社に売るわけです。今でこそTSMCというのは超一流のハイテク企業です。でも、当時はまだ、ぽっと出の企業というか、なんだか知らないけど安い労賃を武器にして、「とにかく安く加工します」という感じの新興企業でした。怪しげでしょ?(笑)(中編に続く)

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