『他者と働く』――「相手との架け橋を創る」リーダーシップは、対話から生まれる 

NewsPicksが立ち上げた出版部門NewsPicksパブリッシングの初の刊行物となった『他者と働く』。組織論の書籍でありながら、3万部を売るベストセラーとなり、多くの読者を惹きつけています。それはなぜなのでしょうか。経営学者である著書の宇田川元一氏と、グロービス研究員で、自ら組織経営にも携わった経験を持つ松井孝憲が対談をします。(全2回、前編)

モヤモヤの正体は、「適応課題」

——『他者と働く』は売れているだけでなく、非常に熱心に読まれていると感じます。なぜだと思われますか。

宇田川:ずっとモヤモヤしていたものの正体が、「ああ、そうか、適応課題と言うんだ」と分かった、という感覚を持たれているのではないかと思います。

*「適応課題」…関係性の中で生じる、複雑で、時に痛みを伴う問題のこと。既存の知識・方法で解決できる「技術的問題」と区別される。ハーバード・ケネディ・スクール上級講師のロナルド・ハイフェッツが提唱した考え方。

松井:それは大きいですよね。グロービス生からも本書の感想を聞くと、「なぜ学んだ内容を活かせないのかわかりました」と言われます。宇田川先生もよく話されている通り、適応課題に対して技術的問題として取り組んでしまっていました、というあの感覚ですよね。

——本書を読まれていない方のために、適応課題と技術的問題がわかるような具体的なエピソードを挙げていただけますか。

松井:個人的には書籍の中では、「正義のナラティヴ」(第4章:立場が上の人間を悪者にすること)の話が一番しっくりきます。よく若手のビジネスパーソンから耳にするのが、「組織を変えようと新しいことに一生懸命取り組んでいるものの、上司が変わってくれない」という声です。

新しい取り組み、例えば、オープンイノベーションを目指して、社外との接点を創ること自体は決して悪いことではありませんが、それを取り入れるだけでは、なかなか組織は変わりません。組織が変わるには、新しい「技術(オープンイノベーション)」を取り入れれば解決できる問題(=技術的問題)だけではない問題がある。それは、端的にいえば人と人との関係性を変えることが必要な、やっかいな問題(=適応課題)だということです。

上司が変わらないのは、今の状況にはそれなりに意味があると考えているのかもしれないし、上司の抱えている背景からすれば、変わらないことが決して悪いわけではない、という考えなのかもしれない。

本当に組織を変えようとするならば、「変わらない」ように見える相手の背景を考えて関わってみよう、と。上司は決して「話の分からない堅物」なのではなく、感情を持っている一人の人間だと認める、その感覚が、適応課題に取り組むうえで大事だと感じます。

*「ナラティヴ」…日本語では「語り」と訳されるが、『他者と働く』では、その人の生きている物語、解釈の枠組みのことを主に意味する。

宇田川:そう、その人なりに合理的なんです。相手が暗黙的に目的にしているものと、こっちの目的がズレているから、非合理に見えるだけの話なんですね。でも、そういう場面に直面すると「この人がこんな変な行動を取るのをなんとかしたい」とみんな思うわけです。だけど、背後には実はいろんなことがあって、ある種、必然としてその行動が出てきている。

松井:例えば、これまで「社内での昇進が善」という“物語”の中で一生懸命働いてきた世代の方々がいる。そんな方たちの目から見て、若手が社外へ出て行って、オープンイノベーションだ、といった言葉を強調することに、違和感が生じるのは、自然な帰結かもしれないとも思います。

宇田川:だから、ナラティヴをすり合わせるというのは非常に重要なことで、それが「橋を架ける」ということです。

*「橋を架ける」…4つのステップで相手との溝に橋を架ける。①相手と自分のナラティヴに溝(適応課題)があることに気づく、②相手を観察し、相手のナラティヴを探る、③溝を越えて橋を架けられそうなところを探す、④実際に行動することで、橋(新しい関係性)を築く。

松井:まさに対話、ということですよね。

宇田川:そうです。「向こうが変わらないと何もできない」ではなくて、やりようを探していきましょうということです。向こうは向こうなりに置かれている状況があるので、よくそれを観察して、こちらがやりたいと思っていることがあれば、相手のナラティヴの中で意味があるものとして置いてあげましょう、と。そうすると、こちらも生きるし、あちらも生きますよね。

だけど、4章の「弱い立場ゆえの正義のナラティヴ」に書いたことで言うと「向こうが分からないのがおかしい」という「私とそれ」の関係性で相手を捉えていると、「上司が(部下がetc.)悪い」になっちゃうんです。それはもったいないことをしているなと思います。

リーダーシップは共創的だからこそ、効果的になる

宇田川:あともう1つ、これは本の中には書いてないかもしれませんが、相手と向き合う対話を積み重ねていくと、若い方もいつか昇進して部下ができた時には、良い上司になれると思います。

松井:そうですね。グロービスで学ばれる方もリーダーの役割を担う方が多いのですが、学んだからこそ、「分かった自分」と「分かっていない他者」を分け隔てるという感覚を持ちかねないという懸念があります。これは本書の書評にも書かせていただいたポイントなのですが、どうしたら他者の持っている背景に思考が向けられるのか、がとても重要な気がしています。

宇田川:今の話のポイントは2つあって、1つはリーダーシップは共創的なものだという点、もう1つはエフェクティブ(効果的)でなければダメだということが抜けているという点すよね。

僕の好きなTEDスピーチで、ラビ・ジョナサン・サックスというユダヤ教のラビのTEDトークがあるのですが、「“Future of You”じゃなくて“Future of Us”に変わっていこう」という話をしています。「私とそれ」の関係は“I and It”で、「私とあなた」という関係は“Us”、“Us of relationship”なんです。

*「私とそれ」…哲学者のマルティン・ブーバーは、人間同士の関係性を「私とそれ」と「私とあなた」の2つに分類した。前者は、相手を自分の目的に対する道具のように扱う関係を意味する。たとえば、飲食店の店員に対して性別や年齢、人間性などに関係なく、「道具的な応答」を期待するなどがある。このように効率を重視した関係を築くことでスムーズな社会の運営や仕事の連携が可能になるという面もある。

関係性を”It”から“Us”に変えていくと、いろいろとやりようがあるんです。このことに、どう気づいていくのかが非常に重要なところだと思います。そこに気がつくと、ビジネススクールで学んだことを生かせる道が見えてくると思うのです。

僕は、技術的問題の解決に役立つような知識や技術を否定しているわけではありません。ただ、それを生かす目的が「自分」になっていると、他者と働かなければいけない社会において、そういうズルさはバレるんです。そうすると、全然効果を生みません。

アメリカの伝統的な哲学であるプラグマティズムは「目的に対して効果を生むものが正しいものだ」という考え方です。要するに、役に立つものは正しいものであると。同時に、その目的が妥当かを考えることも大切です。目的の妥当性と効果の2つを考える。その観点からすれば、リーダーの在り方は、“Co-creative”、つまり、自分の中に他者を迎え入れることによってこそ、エフェクティブになるのではないかと。

ただ、大事なのは、ときにはギリギリのせめぎあいのようなものも対話だということです。

——対話というのは、相手の事情を慮ってあげるというものではない、と。

宇田川:いえ、僕はそれを言いたいわけじゃないんです。「物事を進めるためには相手とのナラティヴの溝があることを認めた方が実践的でしょ」という話です。僕、徹頭徹尾プラグマティストなんですよ“肉を切らせて骨を断つ”みたいな、そういうギリギリの対話も時にはあるっていうことです。

対話は必ずしも仲良くするためにあるわけではなくて、互いにとって効果的であるためのものだと思います。もし相手が明らかにおかしなこと、例えば、ハラスメントのようなことがあるならば、それを止めてもらう必要があります。そういった場合、然るべき筋から注意させるとか、そういうことも当然必要です。ではそうするにはどうすると良いか、どの筋からアプローチしたら良いかを考える、これも対話であると私は思います。

相手のナラティヴを認めるきっかけは経営者の父

——宇田川先生が、そのように対話を意識するようになったきっかけは何でしょうか。

宇田川:一番大きい体験は経営者だった父親の死後の話ですね。とても悩んでいた時期に、たまたまテレビでNHKドラマの「ハゲタカ」を見たんです。その中で非常に印象的なシーンがありました。それは、(銀行員役の)大森南朋が、かつて貸し剥がしをして自殺してしまった経営者の葬式にボロボロになって行く場面で、線香を投げつけられて「申し訳ありません」と土下座しながら謝る……あのシーンは僕からすると冷静に見ていられないシーンの1つでした。

父はガンで亡くなりましたが、周りに自死された経営者たちがいっぱいいました。父の生きている間も亡くなった後も家族はとても苦しみました。ですので、僕はある時期まで銀行の人たちや父親を恨んで生きてきたわけです。しかし、「ハゲタカ」を観た時に、相手も苦しかったのかな、と思ったのです。

彼らを悪だ、と決めつけることは、理屈としては間違っていない。けれども、人間の存在って言語で写し取れないので、いくら論理で考えても語れないものがあります。理屈で正しくても感情的にモヤモヤしていました。そう思った時に、「自分もその立場だったら、そうしてしまっていた」可能性を認めないのは卑怯じゃないかなと思ったのです。

——相手のナラティヴを認める強烈な体験ですね。

宇田川:初期の経験でいえば大学時代にもありました。今思うと、僕は全然大学生活に適応できてなかったんです。本にも書きましたが、折しも大学4年のときに、父親がガンだと分かり、だんだん家も貧しくなっていくのが分かる。そういう中で非常に悩んでいて、本当に苦しかったです。

一方で僕自身は学問に目覚めて、周りの学生からはとても「浮く」わけです。それもすごく辛かった。親しい友達と呼べる人もそんなにいなかったのですが、それでも自分のことを分かって欲しいとすごく思っていました。それで、ある時、友達と電話で話していたときに、まず聞いてから話そうと、ちょっとだけ変えました。

そうしたら、電話を切るときに「今日はいろいろ聞いてくれてありがとう」と言われました。物理的には僕のほうが話している時間は長かったのに。そのときに「人をまず受け入れる」大切さを感じました。

ただ、それは本当に小さな入り口で、僕自身に対して自分がどうたったかというと、自分自身を受け入れてもいなかったということにも気づきました。自分は学問が好きで大学院に行きたいけど、「親がガンで先行きどうなるかわからないのに、本当にいいんだろうか」と罪悪感に悩まされました。しかし、それは作られた親の目線でそう思っていたわけです。「自分はこうしたい」とか、自分の好き嫌いとか、そういうものを自分で受け入れられたときに、少し楽になったなという感覚がありますね。

——それは本書でも書かれている「自分自身に橋が架かる」ということですか?

宇田川:そうですね。

——対話に関しては、ご研究が着想の基盤としてある一方で、個人的な経験がそれに共鳴するところもあったのだと思いますが、対話が組織にも必要だと思われるようになったのは、どういうプロセスでしょうか?

宇田川:中高生ぐらいのときから、父親を通して人を雇う立場である経営者のプレッシャーを知ったことは大きいですね。一方で、大学の教員として、大学という組織に雇われる側に立って、どちらも経験することになりました。反対の立場が想像できるようになったのは、貴重な機会だったと思います。もちろん、組織論の研究でも、欧州やアメリカのごく一部で、対話の重要性について述べているものが出始めたということは、自分の関心を大いに後押しするものであったと思います。

組織の経営に関わる中で「やればやるほど苦しい」状況を変えた一言

——松井さんも経営者と雇われる側を両方ご経験されていますよね。

松井:僕は、コンサル会社勤務の後に独立し、NPO法人の経営に携わることで、給与をもらう立場ではなくなりました。その時に感じたのは、「立場の違いがここまで自分の意識を変えるのか」ということです。独立当初、収入もままならない時には、目の前の人を「この人はお金になるのか?」でしか見られなくなった瞬間が本当にあったんです。

足元の収入の問題を乗り越えてはじめて、「社会のためにどう成果を出すか」とか「自分の想いをどうやって実現するか」ということに目を向けられるようになるんだな、と。独立当初は、「本当に自分は何者でもないんだな」ということを痛感しました。

——組織の経営に関わるのであれば「何者か」になった人に見えますが、実感としては違った、と。

松井:会社員のときには、仕事をやれば組織から評価されますよね。でも、独立して最初の半年ぐらいは、一生懸命仕事をしていても、何も成果が出ない。その時、自分が何かしてもしなくても社会は何の影響も受けていない、ということを目の当りにしてしまったんです。

宇田川:何をやっても人も組織も動かないみたいな、そういう感じですよね。松井さんが会社員でいたときに「他者からの評価を得ることが正しい」という基盤としてのナラティヴがあったのだと思います。そのまま経営する側に移行して、そこの苦しさがあったのではないでしょうか。でも、「なんで自分はこんなに苦しいんだ?」というのがよく分からないんですよね。

松井:そう、いくら頑張っても苦しいんですよ。特に、独立後少し経って、成果が見えるようになってからは、もっと大きな成果や評判を求めてしまって、やればやるほどさらに苦しくなってしまった。

宇田川:そういう時は、きっと逃げ水を追っているような感覚になるのではないかと思います。逆に僕が聞きたいのは、その苦しい状況から出られたのは、誰かの助けとかがあったのですか?

松井:NPO法人「かものはしプロジェクト」代表の村田(早耶香)さんが、ある会合で声をかけてくださいました。その時、僕は自分のことを客観視できなくなっていて、もはや周囲にも喚き散らしてしまうような状態だったんですね。「自分こそが組織を背負って頑張っているのに、誰も分かっていない」、「自分が一番組織にコミットしているんだから、自分の意見が通るのが筋だろうと」と。

たまたま同じ場に村田さんがいらっしゃって「少しお話ししませんか」と。「今の松井さんからは、『自分のことを分かってくれない』という組織や周囲への怒りを感じます」と指摘してくださった。「でも、松井さんのもともと本当にやりたかったことって、周りから認められることだったんですか?松井さんが組織を通して達成したいミッションって何だったんでしょう?」と素朴に問われたんです。あの瞬間が自分にとっては堪えましたね。言葉が出なかったです、あの一瞬は。

宇田川:そんなことがあったんですね。まさに組織のメンバーとの関係が「私とそれ」になっていた。もちろん、それが必要なときもあるわけですよね。

松井:そうですね、効率的に動くのが必要な時ももちろんありました。

宇田川:そう、この本でも技術的問題解決の方法は全く否定していないんです。重要なのは、何の問題なのかが定まってないのに技術的な課題解決をしても物事は動かないということなんです。多分、今の話はそういう話で、つまり、松井さんご自身がどうしたいのか、実はよくわかっていなかったことに非常に困っていたわけですね。

松井:自分でもなんでイライラしているのか、分かってなかったですね。

宇田川:村田さんに言われたときにハッと気づいたことって「あ、俺、困ってるんだ」っていうところだったと思います。

自分が実は困っていて、それに対して何か手っ取り早くそれを解決する方法、満たす方法というのをいろいろやってたりする。それは、ある種の依存症に近いものかもしれません。

依存症研究で有名なカンツィアンたちの研究では、「依存症は自己治療として起きる」と言われています。彼らの研究では、依存の背景にあるのは孤立だと言われています。孤立の中で、いろいろな苦労が煮詰まって、でも、自分ひとりでなんとか解決しようとして、アルコールや薬物という短期的な問題解決方法に手を出していく。ある意味で、切実な苦労をなんとかしようとした自己治療なのだと言うわけです。なので、自分で自分を必死に助けるためにアルコールや薬物を用いているとも言え、「薬を辞めましょう」と言うだけでは全然状況は好転しないのです。

松井:僕の場合も、組織をもっと良くしたかったのに、なかなか思うように上手くいかなかった。メンバーの誰も組織を悪くしようと思って動いていなかったはずだったのに、どうしても前に進めない。そんな状況で、どうしたらいいのか分からなかった。その結果、反応として生じたのは、周りへの怒りとイラつきで、それを手っ取り早く癒すために、メディアに出ることや、アワードを獲ることに躍起になっていた。その瞬間は癒されるんですけど、本当に困っていることの解決にはならない。

まさに、「どうしたらいいか分からない」状況の中で、依存症的に周囲から評判を得ることを求めていたという状態でした。むしろ、「組織の中でどうしていいかわからなくて困り果てていた」ということにも気づけていなかったです。

宇田川:ロナルド・ハイフェッツの言葉で言うならば、適応課題に技術的な解決を用いるのが依存症と言えると思うのですが、そういうところは僕にだって、松井さんにだって、これを読んでいる方にだって、誰しもあるものだと思います。べつに依存症という病名をつけて、あなたは病人だと診断したいのではなくて、自分も含め「みんな苦しんでいますよね」ということを言いたいのです。でも、苦しみがあるということは、それはそこからの回復、つまり、もっと良くする余地があるという話なので、そこに対話という糸口をもって目を向けてみることが良いのではないかと思うのです。

——『他者と働く』も、読者の「自分は困っていたんだ」というところに響いたから熱い感想がきたのかもしれないですよね。

宇田川:そうかもしれませんね。「ああ、それを認めていいんだ」というような、そういう感じがあったのかもしれません。問題に気づくともう回復過程が始まりますからね。そうすると問題が解消するんです。問題解決じゃなくて問題解消。これが重要だと思うんです。(後編に続く)

(聞き手=吉峰史佳)

他者と働く——「わかりあえなさ」から始める組織論
:宇田川元一 発行日:2019/10/4 価格:1980円 発行元:NewsPicksパブリッシング

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