本記事は、あすか会議2019「リーダーに必要な哲学と大胆さ」の内容を書き起こしたものです(前編)
村尾佳子氏(以下、敬称略):本セッションでは「リーダーに必要な哲学と大胆さ」というテーマで2人にお話を伺いたいと思います。まず、御二方は今までいろいろなチャレンジをしてこられてきたと思います。そのなかで、もしかしたらご自身では大胆だったと思っていらっしゃらないかもしれませんが、一般的に大胆だと思われているようなチャレンジについて、具体的なエピソード等を少し教えていただきたいと思っています。
「死」に向き合ったことで、大胆に思われる「意思決定」もできるようになった
小泉文明氏(以下、敬称略):私は今年39歳になりますが、今日は比較的世代が近しい皆さんの前で、そうした哲学や自分自身の考えをお伝えできればと思います。これまで大胆な意思決定をしてきたという感覚が自分自身にはあまりないんですが、まずは私がなぜ大企業のサラリーマンを3年半務めたのち、そこを辞めてミクシィやメルカリという会社をスタートさせたかというお話をさせてください。私は社会人1年目に大きな経験をしています。当時、自殺をしようとしたことがあるんですね。
当時は本当に一生懸命仕事をしていて、自分に向き合いつつも、ある意味では仕事しかしていないような状態でした。ただ、あるとき大きなポカミスをしてしまった。当時は証券会社でIPOのアドバイザリーをしていたんですが、そのミスで、ある会社のIPOが止まりかけるということがありました。IPOのファイナンスでは最後の段階で関東財務局というところに特定のファイルを提出する必要があるんですが、その受付は1日しか行われません。で、そのファイルに決定的なミスがあった。それが、あまりにも悔しくて。「こんなに一生懸命仕事をしていたのに自分はぜんぜんダメだった」という自己否定に陥りました。それで財務局を出た瞬間、泣きながら六本木通りを走って交差点に飛び込もう、と。そのぐらい自分を追い込んでしまいました。幸いにしてそのときは赤信号で、なにかこう、冷静になれて、「これ、死んだところで誰も幸せになんないな」となったのですが。
ただ、それ以降感じているのは、一度死に向き合ったときの感情に比べれば、意思決定を含めていろいろなことは些細な話というか。むしろ生かされている身として、自分が棺桶に入るときに後悔しない人生を歩もうと考えるようになりました。その企業にいた最後の頃は民営化という結構大きなプロジェクトをやらせていただいたりもしたし、大企業のなかで、ある意味では出世コース的なものに乗せてもらっていたと思います。でも、そんな風にして大企業で10年かけて出世するといったって、たとえばその民営化だっておそらく私でなくても誰でもできるわけですよね。それよりも、ベンチャー企業で社会を変えようとしているミクシィというところに入ろう、と。そうして27歳でミクシィの取締役にさせていただいて、そこから4年間取締役を務めました。でも、30歳を迎えるとき、「こういう取締役のような仕事で安住していたらダメだ」と。それで1年間準備をして、31歳のときにそちらも辞めました。そのあとメルカリのスタートがあるわけですけれども、いずれにしても、基本的には自分のなかで1度死に向き合ったことで、一般的には大胆とされるようなものでも、自分としてはすんなりといろいろな意思決定ができるようになったという原体験があります。
村尾:取締役のようなお仕事でも、やっぱりそれは安住ですか。
小泉:たとえばスタートアップを立ち上げていく時期ってすごくヒリヒリするんですよね。でも、正社員が300人400人と増えていく過程で、ありがたいことに優秀な社員もどんどん増えていきます。そうなると、「自分が取締役というポジションにいなくたって、代わりはいくらでもいるな」って。それは育成に成功しているという話かもしれませんが、とにかくそう思えたとき、「これはもう自分がやらなくてもいいな」と考えました。誰かに譲って、自分は自分にしかできないことをやろうと考えたという感じですね。
なんというか、生きている感覚を持ちたいというのはあると思います。自分にしかできないアイデアや行動で社会を変えていきたい。そういう想いはかなり強いですね。証券会社で僕が初めて関わったとき、ミクシィは社員3人くらいで立ちあげていた会社でした。それで会員数もまだ数万だったんですが、それが一番多いときはMAUで3000万近くになりました。そんな風にして社会を変えるという原体験を20代で得ることができたのは大きかったと思います。だからメルカリをスタートしたときも「やっぱりそのサイズにならないと意味がないな」と。それで、アプリをローンチして今週でちょうど6周年なんですが、逆に言うと6年でこのサイズになることができたということはあります。ただ、一方で僕が今課題に思っているのはむしろグローバル。今はアメリカだけで社員も数百人人いますが、アメリカで成功することに対するコミットメントを強めている状況です。
村尾:ありがとうございます。では続いて、宗教家としての立場も併せて、現在リーダーとして海外でも多様なチャレンジをなさっている松山さんにも同じ質問をしたいと思います。ご自身の経験で、一般的に大胆と言われているようなものについてお聞かせください。
中学3年で海外一人旅、その経験から「人生、何とかなる」と学んだ
松山大耕氏(以下、敬称略):私もお坊さんになってから自分で大胆だと思ったことは1度もないんですが、人生全体を通して「あれは大胆だったな」と今思えることはあります。中3のとき、たまたまテレビで流れていたアラスカのドキュメンタリー映像を観て「きれいだな」と思って、「行ってみよう」と。飛行機のチケットだけ買って一人で行ったことがあるんですね。
村尾:中3で?
松山:中3で(会場どよめき)。英語もぜんぜん勉強していなかったから10日間、何も分からなかったんですが、それでもモーテルに泊まったりしながら1人でぐるぐる周ってきました。それで、なんとか楽しめたんですよね。アラスカ鉄道に乗ったり、フライフィッシングをしたり、喋れないのに結構いろいろなアクティビティも体験できたうえで無事に帰って参りました。当時はインターネットも携帯電話もなく、コレクトコール1分2000円の世界です。そういう時代に行ったんですが、それが人生の大きな転換になったなと思います。そこで2つ学んだことがあります。1つは「英語ぐらい喋れないと話にならん」ということ。で、もう1つは「人生、何とかなるな」ということ。この2つの学びを得て帰ってきました。その原体験が自分にとってはすごく大きかったというか。それ以降、周囲は大胆だと思っているかもしれないようなことも、自分としてはそれほどたいしたことはしていないんじゃないかというような感覚がついたと思いますね。
自分の中に「哲学」を持つためにはどうすればよいのか?
村尾:御二方とも、ご自身の経験から学んでいるというか、「自分ってこうだよね」といった哲学なりを確立されているように感じます。で、哲学といっても人生から経営までいろいろあると思うんですが、「この人はこういう哲学を持っているな」という人と、なんというか、「あんまりそういうものを持っていないな」と感じるような人との差って何なんでしょうか。たくさんの人に会ってきたなかで何か感じているようなことはありますか?
松山:言っていることとやっていることが違うというのは一番ダメだと思いますね。いくら良いことを言っていても、その人がきちんと自分で体現していないと周囲の人たちも付いていかないんじゃないかな、と。幸い、私が学んできた師匠や先生方はおっしゃることと自分自身でなさっていることが本当にマッチしていたというか、きちんと体現していらしたので。それが重要かと思いますね。
小泉:大耕さんのお話に近いんですが、自分のなかで軸になるような考え方を持つことが大事なんだと思っています。僕に関して言えば、「自分は人生をかけてこれやろう」ということが、つい最近見つかりました。ある意味、今までの人生を辿ってきたら自然とそうなるんですけれども、結局、僕がやりたいのは個人のエンパワーメントなんですね。これはインターネットとイコールという部分もあります。改めてそれがすごく好きで、一生かけてやっていきたい。僕は学生時代、勉強を含めて皆と同じことをやらされている自分がすごく嫌いだったんですね。でも、インターネットに出会って、そのなかで自分のアイディアや表現ができるようになって、どんどん自分らしく生きることができるようになった。だから、これからもテクノロジーが進化すればさらに自分らしく生きていけるようになると思うので、それを自分もやっていきたいし、そうした自分らしさを一人ひとりが持てる社会を築きたい、と。個人だけでなく会社としても、そうしたミッションや軸を持つことが大事だと思います。それがなければ人も会社も魅力的にならないというか。全員に気に入られる必要はないと思いますけれども。
村尾:そうした「自分らしさ」を、まだ見つけることができていない人は多いと思っています。小泉さんからは「最近分かった」というお話がありましたけれども、そういうことを発見するまでに、小泉さん自身は日常的に自分とどのように向き合っていたんでしょうか。
「自分にしかできないこと」に徹底的にこだわりたい
小泉:僕は社会人になるとき、「20代は自分のために働こう」と考えたんですね。で、30代は会社のために働き、会社に貢献したうえで、40代では経済全体に対して、そして50代では社会に対して影響を与えよう、と。大企業に入ったこともあって、なんとなくそんな感じで人生を歩むことができたらいいなと、ざっくり思っていました。で、最近はありがたいことに現在のような立場になって、そのすべてについて自分のなかで対話できるようになってきたと感じます。そのうえで、特に自分との向き合い方という意味では、先ほど言ったように自分にしかできないことに徹底的にこだわりたいと思うようになりました。ですから仕事をするときも、常に「これ、本当に俺がやんなきゃいけないのかな」と考えたりして。僕は今年も育休を2ヶ月取ったんですが、この機会がすごく良かった。その前は妊娠期間が8~10ヶ月ありますよね。そのあいだに、他者にできる仕事をすべて整理して渡していったんです。これ、自分にしかできないものと向き合う時間をつくるための準備期間だったと思いますが、とにかく、そんな風にして自分と対話していきました。
村尾:自分の内面に向き合ったりする時間を持つのは結構好きなほうですか?
小泉:それほど意識はしていないですけれども、自分にしかできないことかどうかというのは常日頃から考えています。
村尾:そのあたり、松山さんはいかがでしょうか。
松山:私の場合、今こうやってお坊さんをやらせていただいている一番の原動力になったのは、「お坊さんになるのは絶対に嫌だ」と思っていたことでした。とにかく嫌だった。いろいろ理由はありますが、一番の理由は、中学や高校で周囲にこう言われていたわけですよ。「お前なんで勉強してんねん。勉強せんと坊さんやって寺継いだらええやん。勉強したって意味ないやん」って。自分がどれだけ努力しても自分の将来は勝手に決まっているというのがすごく嫌だった。だから、具体的にお坊さん以外で何か考えていたわけではなかったんですが、なにかこう、そこに安住するのが嫌で、「とりあえずお坊さん以外で」って。それしか考えていませんでした。
でも、大学院のとき、たまたま長野県の農家に住み込んで半年間研究する機会があったんですね。で、そのとき、近くに妙心寺派のお寺はないかなと思って訪れたところが、将来の心の師匠になるような和尚さんがいらっしゃるお寺でした。そちらは檀家さんが1軒もなく、観光もやっておらず、托鉢だけで生活してらっしゃるお寺だったんですね。今まで見てきたお坊さんとぜんぜん違っていて、「あ、すごいな」と、純粋に感動しました。それで「こういう方がいらっしゃる世界なら間違いないんじゃないか」と、そこからだんだん興味を持つようになって、やがてお坊さんになろうと考えるようになりました。
だらだらっと歩んできただけだったら、お坊さんになっていなかったか、なっていたとしても普通の一般的なお坊さんになっていたと思うんですね。一応、自分でも自分は一般的ではないと認識していますけれども(会場笑)。とにかく、「お坊さんになるのは嫌だ」というところから入ったということで、その振り幅が大きかったというのはあります。それで、「やるからにはどういうところを目指すのか」と。当時の師匠だった和尚さんの生き方というのは、お葬式や法事をやって過ごしているという感じではなかったわけですよ。自分自身の実践によって、その村に安心を与えるという生き方をしていた。そういう本当に良いお手本を見て、「嫌だ」と思っていたようなところから憧れるようになったという原点があるので、修行をはじめてからは「辞めたい」とか「ほかの仕事に就きたい」とか思ったことは1回もないですね。
小泉:大耕さんの実績のなかですごく大胆だと感じていたことがあって、ぜひそれについて聞いてみたいと思っていました。以前、他宗教の方々と駅伝(「宗教者駅伝」)をしたことがありますよね。宗教には、ときに対立の構図があって、それが世界で起きているさまざまな紛争のベースになっていたりすることもあると思います。でも、宗教家として大耕さんはそこを超えて、他の宗教と交わろうとしていった。どういった思いから、ああいう行動をなさっていたのかなということにすごく興味がありました。
松山:私は寺の長男なんですけれども、中学高校はカトリックの学校に通っていたんですね(会場笑)。親が大胆で。ですから、なんというか、他の宗教にすごく興味があるんです。もちろん、それぞれ宗教があるということはそれぞれやり方があるということなので、対立というか、合わないところもあるんだと思います。ただ、「それだけ長く続いている教えとか組織って、何なんだろう」って。しかも、今はどの宗教でも「宗教離れ」というのがありますよね。「じゃあ、そういう状況のなかで、どういった努力をして世間の皆さまに信仰していただいているのか」とか、そういうことにすごく興味があって。ですから、「面白そうだからやった」という(笑)、その一言に尽きるんですけれども。
村尾:日本では宗教について語ることに対して少し壁があるようにも感じますが、やっぱり人間だから「死んだらどこに行っちゃうんだろう」といったことは皆考えると思うし、そういうことを考えることで「生きるって何だろう」といった大事な問いにつながるのかなと感じます。そういう意味で、小泉さんも「自分はこういう生き方がしたい」といったことは普段からかなり考えていらっしゃるんですよね。
「自分とどう向き合うか」「自分の考えをどう伝えるか」がとても大事
小泉:そうですね。会社でリーダーシップをとって皆と対話していくなかでは、どんな風に自分をさらけ出すかということがすごく大事になると思っています。事業内容を通して伝わることもありますけれども、たとえば会社では社員を集めてメッセージを伝えるような機会がありますから。で、そういうときに自分のなかで軸がないといけないし、ときにはそこで弱みを見せることによって社員が一丸になるようなケースもあります。ですから、リーダーシップについては強い部分も弱い部分もいろいろと使い分けますけれども、いずれにしても常に自分の考えを伝えることがリーダーとして一番大事だと思っています。そのために、自分とどう向き合うかとういうのがすごく大事になると思っています。
村尾:経営について「絶対にこうだ」というような考え方もあると思いますが、同時に、小泉さん自身には進化や変化というものも常に起きているように思います。その辺のバランスについてはどのように考えていらっしゃいますか?
小泉:20代の頃は、とにかく「理解して欲しい」ということでたくさん話していた感じですね。でも、言葉にして話せば話すほど受け取る側の頭のなかは狭くなっていくというか、伝え過ぎることによる弊害って結構あるな、と。30代になって、そういうことを感じるようになりまして。だから最近は、なるべく概念で話すというか、抽象度を高めて、それぞれ僕の言葉を受け取った人たちが自分で考える余白を与えながらメッセージを伝えるということができないかな、と。そういうことを意識するようにしています。なので、たしか2年前の全体会でも話したと思うんですが「言葉はなるべく取り除きたい」と。落合陽一君と安宅和人さんと3人で、最後は「言葉はいらないよね」みたいな話になったというハチャメチャなセッションだったんですけれども(笑)。とにかく、僕としては脳みそのなかにある抽象度の高い概念を、どうすればそのまま伝えることができるかということを経営のなかですごく考えています。
松山:まさに禅でいうところの「不立文字」ですよね。物事の本質は言葉ではなく、体験・実践・直感で伝わるという教えがあります。小泉さんのおっしゃる通りで、やっぱり言葉では限界があるし、言葉は出した瞬間に現実から離れていっちゃう。だから禅の修行では、基本的には「分かるまで待つ」という感じです。時間は結構かかりますが、そういう部分が人の成長につながっていくという考え方をしています。(
後編に続く)
執筆:山本 兼司