パラレルキャリアの充実は、弱いつながりを大事に繋ぐことから

人生100年時代。70代まで働くことを想定した場合、40代、50代はどうキャリアを築いていけばよいのでしょうか。活躍するビジネスパーソンの姿から、そのヒントを探っていきます。今回は、物流ビジネスでの事業承継を予定しながら、積極的に社会貢献や母校の部活支援に取り組み、パラレルキャリアを充実させている江原潤さんにお話をお聞きしました。

動ける人が、動く

田久保江原さんは、家業の愛宕倉庫で事業承継を予定されています。なぜグロービスで学ぼうと思ったのでしょう?

江原:大学4年生のとき、祖父から「家業を手伝って欲しい」と言われて愛宕倉庫に入社しました。

入社するまで物流についてよく知らなかったのですが、いざ仕事を始めると自分に合っていて、楽しく働いていました。ところが、31歳の時に、僕が受注した案件で会社始まって以来の大きな損失を出してしまった。前橋にある倉庫の仕事が全部なくなってしまい、とにかく新しい仕事を見つけようと奔走しました。ようやく仕事が決まって、あとは社員が何とかしてくれると思ったら、「江原さんが全部やるんですよね?」って言われて。ショックでした。本来は100人ぐらいでやる仕事なのに、全然社員を巻き込めていなかったんです。

結局、前橋に約2年間単身赴任し、なんとか業務が回るようになってきたので本社へ戻ってきたら、「一族なのに会社に傷を負わせた」「偉そうにやりたい放題やってる」と会社から冷遇されました。要は「干された」んだと思います。

もう誰も仕事を教えてくれない、どうしようと思って。だったら自分で自分の幅を広げるしかないと、様々な場所を探すなかで「経営学を学ぼう」と思い始め、2010年にグロービスのオープンキャンパスに行ったのが始まりです。

田久保とはいえ、ほんとの最初は若干斜に構えていましたよね(笑)?

江原:心のどこかで「家業を継ぐから別に勉強しなくても…」と思っていたし、正直、上昇志向はなかったですね(笑)。

ところが、初めて受講したクラスで、大企業に勤める20代の人が「僕は会社を変えます」「僕は日本をよくしたい」って真面目な顔して僕に言ったんです。これは強烈でした。そのとき「僕はこの人に完全に負けている」と思いました。だから、もう必死に勉強して、大学院に進むことも決意しました。

田久保入学式の直前に東日本大震災があったんですよね。江原さんにとって、社会貢献に対する意識が芽生えたのは、その頃だったのでしょうか。

江原創業者である祖父は「儲からないものはやるな」という精神でした。これは経営をしている以上当然と思っていましたし、僕もその考えを受け継いでいたと思います。

ところが震災直後、クラスメイトから「会社で支援を募るためのチラシを100枚印刷したいと上司に言ったら、会社と関係ないことだからダメって言われた」と聞いたんです。その瞬間「馬鹿じゃないの?」って思ってしまった。同時に「動ける人が動かなかったら何も変わらないんだ」って初めて気付いたんです。震災の時は物流が命綱になることもあるのに、そこで仕事している自分が動かないで誰が動くんだと思い、なりふり構わず行動しました。

そして3月17日。突然知らない番号から電話がかかってきた。「青柳です、物流のことで助けてほしいんです」って。青柳さんは日本財団に勤めていて、彼も初めて受講したクラスのクラスメイトでしたが、そこまで話したことはありませんでした。電話を受けてそのまま日本財団に行ったら、大量の救援物資があり、「移動しないとパンクしてしまう」と言われたんです。

田久保日本財団は被災地支援を中心となって進めていたから、物資が大量に届いていたんですよね。

江原はい。このままだと本当にパンクして届けることもできなくなると思い、その場でグロービスの仲間に移動作業のお手伝いをお願いしました。すぐ10人ぐらい集まってくれて、当社の品川区にある倉庫に移動することができました。再度あらためて、作業のボランティアをグロービスのコミュニティで募ったら、今度は2日間で100人以上来てくれて。その時思ったんです、「グロービスってすごいわ」と。

その後も、日本財団のROAD PROJECTの一環として、食料や布団など様々な物資を被災地へ運びましたが、ある時から大量のブルーシートが倉庫に届くようになりました。何に使うのかと青柳さんに聞いたら「ご遺体を包むものなんだよ」って言われて鳥肌が立った。それ以来、自分の仕事は「命を繋ぐ仕事」なんだと真に思って動くようになりました。結局2011年の10月ぐらいまで、日本財団と一緒に物流の支援を続けました。

縁を大事にして、やり続ける

田久保その後、2012年にAT-GARAGE(以下、ATG)を始めました。1回500円で誰でも使えるフリースペースということもあって、グロービス生もよく勉強会の場として使っています。復興支援をするなかで、自分自身の「もっと世の中に貢献しよう」みたいな意欲が出てきた?

江原はい。ATGをやっているビルは祖母名義なんですが、ビル管理という名目で、会社の業務とは完全に切り離して管理人をしています(笑)。

始めたきっかけは、被災地支援を通じて出会ったNPOの方々が「集まる場所がない」と困っていたからでした。NPOの本部と言っても机と椅子が1セットしかしかなく、ボランティアへの説明会をしようにも場所がないと聞いたんです。だったらこのビルを使って作ってみようと。また、僕自身も、アサインメントやグループワークにじっくり取り組める場所が欲しかったというのもありました。

田久保:もう丸7年ですね。江原さんが面白いなと思うのが、やめないんですよね。母校の慶應義塾高校のバスケットボール部の監督も、長く続いていますよね。

江原2014年からやっています。高校の恩師と飲んだときに、「スポーツには日本を変える力があるんです」みたいなことを偉そうに酔っぱらって言っちゃったんですよ。そしたら「だったら監督やってみろ。」って言われて。恩師に言われたらもう断れないです(笑)。でも「選んでいただいた」という嬉しさがありました。

実は高校時代、僕は試合にあまり出られなかったんですよ。だから、「教えるのがうまい人なら他にもたくさんいるのに、なんで自分なんですか?」と質問してみたんです。すると、「人生『あがった』人よりも、精力的に動いて力を出している人が教えた方が、高校生にとっては幸せなんだ」って恩師が言ってくれたんです。

田久保そういう人との縁を大事にする姿勢が、江原さん自身の人生をすごく豊かにしていると思います。どうすれば、こういう縁に出会えると思いますか?

江原「これは僕がやんなきゃダメだ」って思うことでしょうか。だけど、今思うと実は自分で「やりたい」って思って始めたことはほとんどないです。「選んでいただいている」っていう感覚なんです。それで、「選ばれた以上は絶対やる」。その繰り返しなのかもしれないです。

あと、僕はずっと新規の営業をやっているんですが、祖父がこの仕事は「千三つ屋」、つまり1000社に営業して仕事になるのは3社ぐらいの仕事だぞってよく話していました。だから、星の数ほどいる物流会社の中で自分の会社を選んでいただいたのなら、ありがたい気持ちと同時に、「何としてでも絶対やる」っていう感覚があります。

田久保ビジネスパーソンをやっている間は、経営者でない限り定期異動や何かのプロジェクトにアサインされる可能性のほうがすごく多い。その仕事を「志」にできる能力があったら、一番幸せかもしれないですね。

ウィーク・タイズを大切にする

江原:実は今、グロービスの卒業生が勤めている数社と、ビジネスパートナーになっています。当然ですが、僕は一度も仕事の営業をしたことはありません。それを言うと仲間じゃなくなっちゃいますから。ビジネスのフィールドで、パートナーとして仲間と一緒に活動できることは、緊張感もありますが本当に嬉しいです。

田久保まさに縁を繋いで結果を出しているのですね。たとえば、中高大の部活仲間との関係性ってかなり強いですよね。いわゆる「強いつながり」の中で、深く頼ってくれる人もいる。だけど、グロービスで得られた「ウィーク・タイズ(弱いつながり)」な方が、実はより広がりやすいのかもしれませんね。気軽に頼めるし、多様な人がいるから情報の幅も広いし。だから大人になってからも「どういう人たちとどういう時間を過ごしたか」が大切なんですよね。

江原:そうですね。学生時代の仲間との飲み会だと、だいたい10分後には「あのときはさぁ」って20年前の話に遡ります。当時の思い出がつながりの中心にあるので。だけど、グロービスの仲間と話すと「最近どう?」「これからどうする?」って、現在進行形や未来の話が多い。このおかげで、自分を常に高めることができていると思っています。

田久保:ところで、「会社で干された」って冒頭おっしゃっていましたが、グロービスを卒業した後、社員の皆さんとの関係性はどうですか?

江原:卒業後、グロービスに来るきっかけになった前橋の倉庫に行ったら、「江原さん、笑顔が増えましたね」って言われました。昔は目を釣り上げて、常に戦闘モードだったんだなあと。だけど、学んだことで自分の引き出しが増えて、どの引き出しを使えば社員がこっちを向いてくれるか、考えられるようになったんです。あとは、自分に多少なりとも自信や余白ができたことで、人の話を受け入れて対話できる余裕が生まれたことも大きいと思います。

あと、祖父の言葉で一番印象に残っているのが、「働いてもらっている人に約束された給料を払うのが一番大事な仕事で、残ったお釣りで生きていくのがお前の人生だ」と言う言葉です。この言葉の意味を改めて考えるようになりました。具体的には自分がやりたいことを人に言うのではなく、まず人が「やりたい」と思っていることに対して、自分がどう役に立てるかを考えるようになりました。そのあとで「ちょっとお願いがあるんだけど」って自分のお願いをする。まずは人の意見を聞く、ということが意識できるようになったかなって思います。

会社のポジションに縛られず充実した生活を得るには?

田久保:半沢直樹的に生きていると、昇進が止まった瞬間に人生が終わる、みたいなこともあり得ます。そうならないよう、会社以外の生活を充実させるヒントみたいなものはありますか?

江原:グロービスの事業承継者の集まりである「あとつぎ会議」や、「あすか会議」のリーダーズディスカッションでもお話ししたことがあるんですが、僕は社会的、事業的、文化的な3つの価値を何かしら出せるよう、目標設定をしています。

事業的な価値は、仕事で価値を出す=しっかり稼ぐということ。社会的な価値は、講師だった教育活動家の三谷宏治さんから「学べている君たちは贅沢だと思う。だから、君たちの時間の5%でいいから社会に還元しなさい。そうすればきっと世の中は明るくなる」って言われて、すごく心に刺さったんです。だったら自分に何ができるだろうと考えて、教育関係のNPO団体に関わり、そこで社会的な価値を出そうと思っています。文化的な価値に関しては、スポーツは文化であると考えて、バスケットボールを通じて指導や育成に取り組んでいます。

どれについても言えることですが、学んだことを何かしら社会で活用すると、知らないものに出会えて刺激を受け、調べて学んでまた活用する…そんな繰り返しをしているような気がしています。たとえば以前、難聴者の協会のHP作成のお手伝いをしたとき、初めて難聴者の方の日常や困っていることに直に触れ、自社の障害者雇用についても意識するようになったこともありました。

田久保学んだあとにプロアクティブに物を取りに行くことで、広がりが出てくると。そしてそれは自分が「社会的だ」「文化的だ」と解釈できるものであるならば、なんでもいいわけですよね。

ともしびを照らす場所

田久保:ところで、最近変わった活動をしていますよね。

江原:ATGでパンを売り始めました(笑)。最近、ATGが入っているビルで働いている方から「女性向けのランチを買うお店が近くにありません」って言われて。ちょうど近所にパン屋の経営者がいたので相談したんです。すると、「形が悪かったり売れ残ったパン(ロスパン)が毎日100個出て、廃棄しています」って。ならばと、それを譲ってもらって週1回1個100円で販売することを1年間続けています。

実はこのロスパンに関しては、取り組みたいテーマがあります。以前こども食堂を視察したときに、ロスパンがあることをお話したら「欲しいけれど、購入する予算がありません」と言われたんです。それ以来、「どうすれば無償でかつ持続的に届けることができるのか」考え続けてきました。そして近々実現できそうなんです。このことは、物流の仕事をしている自分がやらないといけない、何よりも「思いを乗せて想いをつなぐ」という自分の「吾人の任務」に当てはまると思えたので、自分事として動いています。

田久保ピュアに小さい社会貢献を積み重ねる。その火が付いた瞬間が東日本大震災で。それ以降はずっと燃え続けている感じですね。最後に、グロービスは江原さんにとってどういう場でしたか?

江原:まさに、「ともしび」を灯す場所ですね。自分の中でともしびがすでに燃えている人もいれば、まだくすぶっている人、消えかかっている人もいました。そんな色々なともしびがある中で、「隣の人に火をくべる」っていうことをし合っていたなあって。「消えそうだなあ。じゃあ俺の火をくべてやるよ」って。自分も、消えかかりそうな時に火をくれた人がいて、すごく助かった。だから自分も火をくべた。そうやってみんなで明るいともしびを集めることができたのではと思っています。

あとは「やってもいいんだ」思わせてくれる場所。学び始めるまでは、愛宕倉庫の江原であることがコンプレックスだったんです。誰も愛宕倉庫を知らないから。だけど、そんな自分を認めてくれる人がいて、自分の名刺でちゃんと戦えることができる場所であるグロービスは、僕にとってかけがえがない場所ですね。

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