明治維新は日本が世界有数の大国へ成長を遂げる契機となったが、中でも薩摩藩は多くの志士を輩出し、他藩を圧倒するほどの存在感を発揮した。
その源の1つは人づくり、つまり「人材教育」「教育制度」にあるだろう。薩摩藩は藩校、寺子屋以外に、独自の青少年教育制度である「郷中教育」がある。郷中とは、方限(ほうぎり)と呼ばれる区割りを単位とする自治組織のことで、今でいえば町内会単位の自治会組織にあたる。藩士の子どもたちを、6、7歳~15歳前後の稚児(ちご)と15歳前後~25歳前後の二才(にせ)に分けて、先輩が後輩を集団で指導する。稚児のリーダーは稚児頭といい、二才のリーダー、つまり郷中のリーダーは二才頭という。武士の子どもたちは、1日のほとんどを同じ年頃や少し年上の人たちと一緒に過ごしながら、心身を鍛え、躾・武芸を身につけ、儒教経典・軍事書・歴史などの勉学に勤しむ。
この郷中教育にこそ、VUCA時代においてビジネスパーソンが力強く生き抜くためのヒントが隠されているのではないか。そう考え、明治維新や郷中教育にゆかりのある人物に、郷中教育が志士の輩出に与えた影響についてインタビューを行った。
書物で視野を広げ、リーダーとは一心同体で進む
まずは、薩摩藩で郷中教育を受けた最後の士族世代の子孫、梶屋まゆみさんに、郷中教育がどのような影響を与えているか、生活の中で見えた風景から話を伺った。
郷中教育には教師がいない。文武両道を目指し、仲間で教えあう形式の教育である。薩摩の郷中教育は、会津の什教育と比較されることが多い。人間の精神性・志、文武両道を極めるところは似ているが、薩摩藩は文に関して物凄い数の書物を読み、特に日本の歴史を教えていることが特徴的である。従って、小さいころから郷中教育を受けている薩摩藩士は、自らの地域のみではなく、日本全体を思う・考える心が非常に強くなったのではないかと、梶屋さんは言う。
また、郷中教育は教師を立てないこともあり、各郷においてリーダーの存在が非常に大事である。リーダーには責任感が求められる。さらに人格的、身体的にも秀でており、仲間を引っ張っていくだけではなく、弱い者を守るという気概が強く、正義感が非常に強い。よって、集団の連帯性が強く、結果リーダーがどこかに向かうとみんなもそこに向けて、一心同体となって進むこととなる。
弱いものいじめをしない
さらに、西郷隆盛の妻・いとの親族である若松宏さんに、郷中教育は西郷隆盛にどのような影響を与えたかを伺った。西郷隆盛は、鹿児島県加治屋町に生まれ、加治屋町の郷中で教育を受けている。この方限(ほうぎり)では、大久保利通、大山巌、東郷平八郎、山本権兵衛、村田新八など、明治維新や明治政府で大活躍した志士が集っていて、そのリーダーは西郷隆盛であった。
郷中教育では「負けるな」「嘘をいうな」「弱い者いじめをするな」の3つの教えを非常に大事にしており、西郷隆盛は「弱い者いじめをするな」については特に大事にしてきた。それは、例えば両棒餅(ぢゃんぼもち)が5個出てきたら、自分が1個取って、弟と妹に2個ずつやるだけのことである。「西郷さんの目配り気配り、利他の心は、郷中教育に入ってから、5歳のときから積み上げてきているんです」。
梶屋さんも、「鹿児島の人は、小さいころから、弱いものをいじめてはいけない、守らないといけないと教育を受け、今でも浸透している」と言う。
こうした人づくりを徹底してきた薩摩藩、そしてその中で最も若い藩士の育成を担った郷中教育の考え方は、現代の教育・企業研修においても、活かせるだろう。
例えば、郷中教育のように、教師が「正解」を教え込むのではなく、学ぶことを仲間で徹底的に議論しあい、何が正しそうなのかを導いていく方法。特に不確実性が増しているVUCA時代において、「正解」は得にくくなっている。ゆえに、正解を覚えるというよりは、「何をやるべきか」をチーム・組織で議論して答えを出していくことが大事である。そうすることで、学ぶべきことに対する理解だけではなく、仲間の相互理解も深まることができる。そして、その中で最もメンバーに信頼される人がビジネスリーダーとして選出されるとき、結束力が高いチーム・組織が生まれるではないだろうか。