サステナビリティが企業経営にとって避けては通れない課題となっています。しかし、大きなテーマであるがゆえに、日々の仕事と紐づけて捉えることが難しいテーマでもあります。本連載では、サステナビリティ経営を実践する推進者に焦点を当て、個人の志からSX(サステナビリティ・トランスフォーメーション)の要諦を探ります。
第2回は、京セラを取り上げます。京セラにおいてサステナビリティは、新規事業開発とセットで推進する体制がとられています。前編では、社員からの公募による新規事業アイディアスタートアッププログラム(以下、スタートアップ制度)を使って、食物アレルギー対応のミールキットなどを提供するサービス「matoil(マトイル)」を立ち上げた谷美那子氏にお話を伺いました。(聞き手・執筆:竹内 秀太郎)
起業など全く考えたこともなかった
―― 2018年に社員から広く新規事業のアイディアを募るスタートアップ制度が始まり、早速応募されたそうですが、どのような動機だったのでしょう?
私は元々新卒で三洋電機に入り、UXデザイナーとして仕事をしていました。その後、所属していた携帯電話端末事業が京セラに統合されたことで、私も京セラの一員となりました。そんな経緯だったので、担当業務以外のことがわからず、スタートアップ制度への参加を通じて、事業全体のことが理解できるようになることを期待して応募しました。それまで事業の立ち上げなど全く考えたこともなかったんです。
―― 応募当初から今の事業アイディアをお持ちだったのでしょうか?
私自身が食物アレルギーに悩まされてきたので、何かやるんだったらこのテーマだと考えていました。当初の解決策はもう少しIT寄りで、複雑で個別性の高いアレルギー情報を飲食店側と共有するためのアプリの開発を検討しました。 運良くスタートアップ制度の第1号に選ばれ、2020年4月からプロジェクトの立ち上げに専念するようになってからピボットしました。いまは、食物アレルギーがあるお子さんが様々なシーンでご馳走を楽しむことができるサービス「matoil(マトイル)」を事業化しようと頑張っています。matoilという名前は、アレルギーがある人達の「食べたい」と「食べさせてあげたい」という気持ちへ的確に応える、という思いから「的を射る」という言葉にインスピレーションを得て名づけました。解決したい問題は変わっていませんが、手段が変わってきたということです。
―― どうして変わってきたのでしょう?
構想段階では実際にお客さまに会うことがなかったのですが、食事を提供する側の実態を見る中で当初の事業アイディアの難しさを痛感しました。この課題は、飲食店側にサービスを導入してもらわないことには解決しないので、アプリなど介在するものよりも、まず自分たちが新しい食事を届ける側として状況を変えるしかないと思ったのです。
本当に求められているものを徹底的に考える
―― 現在は事業化検証の段階に入っているそうですね。
元々私は、携帯電話のUXデザインをやっている時も、たとえばお年寄り向けの端末ならこういうボタンの配置が使いやすいだろうとか、顧客のニーズを深掘りするのが好きでした。でも既存の事業では日程やコストなどの制約があります。新規事業では、そういった制約なしに、どうしたら理想のリアクションが得られるか、納得のいくまでやれることを追求できている気がします。
matoilで事業化検証というプロセスを踏んでいるのは、そういった背景もあり、お客さまがこのサービスを見つけてくれてお金を払ってくれるのか、本当に求められているのか、その確証を得ることに拘っているからです。
―― 提供しているフルオーダー、カスタムオーダー、パッケージ形式でのミールキットの手応えはいかがですか?
実際に提供しているのはパッケージよりもほとんどがカスタマイズです。matoilを見つけて下さる方々の多くは、ある程度の決まった仕様には収まらないニーズをもった重度のアレルギーにお悩みの方だからです。たとえば修学旅行先での食事用に提供しようとしたら、宿泊先の調理場の条件もそれぞれ異なるので、1件1件調整して対応しています。
―― matoilでは、お客さまとの対話を重視しているそうですが、それはなぜですか?
3つほど理由があります。
まず第1に、アレルギー対応をする提供者側の理解度がどれくらいあるのか確認したい、という気持ちに応えるためです。レストランなどの外食では、原材料提示の義務がなく、アレルギー対応の方針が確立していないところもあります。最後は自分の判断で食べるかどうかを決める必要があり、判断するにあたって提供者から直接話を聞きたいというニーズがあるのです。
第2に、シェフがお子さんに「何を食べたい?」と直接聞くことに価値があると思っています。アレルギーのあるお子さんは普段「これを食べてはいけないよ」と病院の先生や親御さんから言われています。ましてやお店の人に、食べたいものを聞かれることは滅多にありません。「次はこれを食べたい」という、食に対して前向きな気持ちになってもらえることを目指しています。
第3に、対話を通じてお客さまの顔が浮かぶことが提供する側の私たちのモチベーションになるからです。たとえばこれは先日開催した流しそうめんの会の時の写真です。この場に来て、子どもたちの笑顔を見てもらえれば、ここでやっていることの意味を説明する必要はなくなります。matoilに協力してくださる方々とも、ここで目指していることを肌で感じられるので、目的や目標を共有することができます。
―― 食べるという行為には様々な体験価値がありそうですね。
初めて来てくれた女の子がその日の夜に書いてくれた作文を読むと、アレルギーの子が普段どんな状況にいるかがよくわかります。それまで外食に行ったことがなかったとか、肉まんを食べたことがなかったとか、屋台では食べられるものがないとか、普通の人には想像できないほど体験機会を失っているんです。流しそうめんも、ただそれが楽しいというだけではなく、日常で失っている体験をmatoilで取り戻すことができるのです。
たとえば提供メニューが中華の時は、小さなお子さまでもできるデザート春巻きを作る体験を入れています。自分で作ったものっておいしいんですよ。出来上がったものを食べるだけではなく、自分で作ることでこれなら安心して食べられるとも思えるんです。
課題にまっすぐ向き合う京セラのフィロソフィー
―― 食物アレルギーに悩まされているお子さんとその親御さんに、とことん寄り添おうとされていることに感銘を受けます。ここまでやれるのは、インキュベーションの母体が京セラだからと思うことはありますか?
なんでこのような事業を、一般的には電子部品・電気機器メーカーとして認知されている企業でやらせてもらえるのかをよく質問されるのですが、京セラだからやらせてもらえているのだと思います。京セラを見渡してみると、いわゆる本流と想像されるような事業とは一見関係なさそうな事業部が結構あります。ひとつの会社の中に色々な事業体があって共存している土壌があるので、受け入れてもらい易いのかもしません。
―― 解決したい社会課題があるなら、そこから考えようというのが京セラという会社なのでしょうか?
私自身は食物アレルギーの問題を心の底から何とかしたいと思っているのでやっているのですが、本当にそれでいいのか心配になって社長の谷本(京セラ株式会社代表取締役社長 谷本 秀夫氏)に相談したことがあります。すると「儲けようと思ってやったら上手くいかない。喜んでくださるお客さまが実際にいて、その先に事業が成り立つ。まずは課題に向き合えばよい」と言っていただきました。
―― matoilの今後についてどんなビジョンをお持ちでしょうか?
現在はまだ事業化検証段階なので積極的な広告を打つことはしておらず、SNSに1,000人ほどのフォロワーがいる程度です。アレルギーに関わる商品の購買行動は慎重であって当然の中、matoilを見つけてくれて、サービスを体験し、対価を支払ってくれるだけでもありがたい。まずはそんな1,000人の方々全員がmatoilを体験し、リピートしてくれて、「matoilは世の中にあるべきだ」と言ってもらえるぐらいに商品サービスを究めていきたい。アレルギーの悩みを抱える側、食事を提供する側、双方の実態と課題を知り尽くし、まだ定義化されていないアレルギー対応自体を変えていきたい。matoilが生まれたことで周りも変わっていくという世界観が作れたらと思っています。
京セラのスタートアップ制度の目的には、新規事業をつくるという側面と経営者を育てるという側面がある中、期待をかけて頂いたからには、しっかり事業化したい。matoilは世の中に必要な事業だと思っているので、きちんと生み出して大きくしていくことが今まで応援してくれたお客さまに対する自分の責任だと考えています。
(次回に続く)