専門性が増し、「餅は餅屋」が進む昨今
「餅は餅屋」という言葉があるように、物事はそれを一番よく知る専門家にまかせるのが良いと言われる。様々な分野で情報量が増え、研究・探索が進み、専門性が細分化・深化している現代。例えば文部科学省による学問分野分類では、1993年から2014年の20年間に細目数が232から321へと1.4倍に増えている。専門性が増すことで、専門家の力を借りずに物事を進めることはますます難しくなっていく。「餅屋」の重要性はさらに高まっていくだろう。
餅は餅屋に任せるのが良いことは論をまたないが、専門家にまかせればうまくいくのだろうか?専門性は増せば増すほど細分化する。ところが、解決したい課題が大きければ大きいほど複数の専門領域にまたがり、一人の専門家では解決しえない。そこで、必要な専門性を理解し、組み合わせるゼネラリストが必要になる。専門家から得た一般論を自社の状況に応じて個別具体的な解決策に落とし込むことで、専門的な知見は活きるのである。専門家に任せっぱなしではうまくいかないのだ。
会計やファイナンスは専門家に任せっきりで良いのか?
経営の分野においても、SGDsやESG、人的資本経営、グローバルサプライチェーン、DX、生成AIなど次々に新しいテーマや言葉が生まれている。それぞれについて専門家が存在し、高い専門性の見地から情報や意見を提供してくれる。しかし、それらを統合し、自社の状況に沿った解決策を選び、実行していく人が必要となる。それが経営者である。特定領域への深い専門性を持つこと以上に、経営全般に対する総合的な知見が経営者には求められる。
会計やファイナンスと呼ばれる領域も高度な専門性を有する。専門家の高度な知見を信頼し、その意見や提案を受けて、自社の課題解決に採用することはよくあるだろう。しかし、この領域への苦手意識も相俟って、ややもすると専門家に遠慮して任せっきりになってはいないだろうか。私自身も経理財務の責任者を務めていた頃に、専門家の意見を聞きながらまとめた提案が経営会議で拍子抜けするくらいあっさりと承認され、逆に心配になってしまった経験がある。責任を持って経営にあたるためには、専門家の意見や提案を鵜呑みにせず、対話できるくらいの知識を持つことが必要だろう。
押さえておきたい会計・ファイナンスのテーマを厳選
では何から手を付けたら良いのだろうか?たくさんあるテーマの中から必要なものを選ぶのも易しいものではない。そんなときに一助になるのが本書である。
本書は、社外役員として取締役会に参加する公認会計士が、上場会社のマネジメント層に押さえておいて欲しい会計やファイナンスの実践的な知識をまとめた一冊である。自身の管掌する事業にのみ興味・関心を示し、自社の財務諸表に重大な影響を及ぼす案件に対して十分に審議を行わない会計ガバナンス不在の取締役会。そのような取締役会に逢着し、感じた危機感が著者に本書を書かせたのであろう。
本書では「ROEと資本コスト」「会計上の見積り」「新株予約権」「連結会計」「組織再編」「IFRS」という6つのテーマを取り上げて詳説している。いずれも事業のポートフォリオ・マネジメントやグローバル展開、インセンティブ制度や資金調達など経営上の課題解決に付随して発生する会計・ファイナンスのテーマである。専門家の意見を交えながらも経営会議で議論できるよう押さえておきたい内容であり、確かにこれらに関する知見は経営者には必要だろう。
基礎を学び、深めたい人にも有益な一冊
ここまで本書について、経営者の観点で有益な要素について説明してきた。職務上の立場によっては、自分とは距離のある書籍だと感じている方もいるかもしれない。しかし、本書は会計・ファイナンスの基礎を学んだことがある、さらに深めたい人にとっても有益な一冊である。
専門家ではない人に会計スキルが必要となる理由として著者は、不正会計の防止、経済事象の会計的インパクトの把握、企業価値向上の3つを挙げている。これらの視点を持って会社、あるいは周辺のビジネス環境を見ることで、一段高い視座から仕事に取り組めるようになるだろう。
本書に書かれた内容の理解を目標として、基礎を復習し、必要な知識を上積みしていくことで重要な経営課題について自分なりに考えられるようになる。本書はその道標となるだろう。
『取締役会での議論に使える会計・ファイナンス――取締役・監査役のための実践的な基礎知識』
著:尾中 直也 発行日:2022/8/13 価格:2,750円 発行元:税務経理協会