グロービス経営大学院 学長 兼 茨城放送 取締役オーナーの堀 義人が総合プロデューサーを務める新たな大型フェス、Lucky FM Green Festival(LuckyFes)。茨城で20年続いてきたROCK IN JAPAN FESTIVAL(ロッキン)の中止/千葉への移転への衝撃を受けて立ち上げられ、7月23日(土)、24日(日)の開催に向け急ピッチで準備が進められている。
既存事業とは全く異なる「フェス」という事業領域への挑戦を、堀は「今までの事業創造の中でも、最も大変な事業」だと口にする。半年間というフェス業界でも前代未聞のスピードでの立ち上げを目指す中、0から足を踏み入れぶつかった困難はどう乗り越えたのか。推進力となった茨城出身者による郷土への想いや連帯感とは。堀に聞いた。(前後編、前編)(文=小栗理紗子)
ゼロからのスタートの背を押した“郷土への想い”
――Lucky FM Green Festivalは新しいフェスでありながら、豪華なアーティストの方々の参加が発表されています。みなさん何を決め手に出演を決められたのでしょうか。
堀:開催を発表した当初、僕たちにはフェスの開催に関する経験もノウハウもコネクションも全くありませんでした。誰に何を話せばいいのかもわからず、路頭に迷ったような状況でした。
そこから模索するうちにわかったのが「ブッキングは“ヘッドライナー※級の人が誰か”が決まらないと進まない」ということでした。例えばスタートアップ企業はどんな投資家から投資されているのかが会社としての信頼度アップにつながりますが、近い感覚かもしれません。なので、まずヘッドライナー級アーティストに焦点を絞り、声をかけていきました。
※ヘッドライナー:フェス全体の主役のような立ち位置になりうるアーティスト。多くの場合公演の大トリを務める。
僕も数多くのアーティストやマネジメントの方にお会いし、自ら交渉し、熱意を伝えました。幸いなことに3月頭にヘッドライナー級のとあるアーティストに出演を頂けることになったのですが、決め手は“茨城への想いへの共感”だったと思います。そのアーティストに限らず今回は茨城出身のアーティストがたくさん参加してくださいますが、「茨城のフェスの灯を消すな」という僕らの言葉に「やるっきゃねーべよ!」と応えてくれたんでしょう。本当に嬉しかったです。
またアーティスト以外でも、多くの茨城出身者がすぐに手を差し伸べてくださいました。やはり同じ郷土出身の仲間意識がありますし、「茨城、そりゃ大変だよね」「このまま魅力度最下位のままじゃ嫌だよね」と言って、何かしたいと行動してくれる。企画プロデューサーであるDJ DRAGONさんも茨城県出身です。彼が1万人を集客したフェスを主催した際の運営プロデューサーだったのがADN STATEの矢澤 英樹さんで、引っ張ってきてくれた。これで運営の母体が出来ました。茨城の方々がまず賛同してくださったおかげで核となる形が出来ていき、非常に前に進みやすくなりましたね。
わからなければ、とにかく「動く」しかない
――そうしたアーティストブッキングを含め「フェスを立ち上げる」ということにおいては経験もノウハウもコネクションも全くなかったと。「茨城への想い」という皆さんからの後押しがあったとはいえ、なぜ自らが「やる」という決断に至ったのでしょうか。
堀:考えてみると、僕たちには2つしかオプションがありませんでした。「何もせずに、指をくわえながら夏を寂しく過ごす」あるいは「できるか分からないけど立ち上がって、やる」のどちらかです。この2つが目の前に出てきたとき、「とにかくやらねばならない」と思ったのです。それは、起業家の性分ということもありますが(笑) 何もない夏に対する落胆は茨城にとって大きすぎると感じたからです。
グロービスは社会貢献企業として、茨城、水戸で「地方創生の魁(さきがけ)モデル」づくりを目指しており、茨城放送の経営はその一環でもあります。取り組みのなかで、「ひたちなかで夏にロッキンがあること」は茨城にとっての大きな精神的・文化的・経済的支柱であると感じていました。
また、B1のプロバスケットボールチームである茨城ロボッツの経営を通じ、スポーツ・エンタメビジネスの可能性を肌で感じていたこともあります。スポーツ・エンタメは、クオリティを上げることが日本の存在感を高めることに繋がると思います。ですが何より、まず触れた人にとっての希望になるんです。そんな存在のフェスが他県に行ってしまったということは、茨城にとって大きな損失。だから、「茨城放送がやる」ということだけは決めてすぐに関係者に伝えました。
また、「やる」となると僕ら茨城放送が一番適したポジションにいたとも言えます。もともとの主催者でもありますし、準備期間も短い/ノウハウは限られている/リスクも大きい、という条件を踏まえると「僕ら以外誰もやらないだろう」ということも想定できました。
――「やる」と決めた後、1月5日の開催発表からここまでは何を手がかりに準備を進められてきたのでしょうか。
堀:何もわからない領域で0からスタートするにあたり、決めたのは「とにかく活動量を増やして、人に会う」ということでした。そこで、茨城放送やこれまでの経営者としての人脈からメディア・エンタメに関わる方に思いつく限り会って、どうすればいいか探っていきました。
その過程では「ノウハウも時間もコネクションもないのに何を考えてるんだ」「普通フェスというものは1年以上かかるんだ、半年でできると思ってるのか?」など、ありがたくも厳しい言葉を多数頂きました。正直凹みましたがそれでも怯まず進み続けてきました。山場は超えつつあるとは思いますが、まだ現在進行形です。振り返ってみるとグロービスの創業に次いで大変な事業創造に取り組んでいる気がします。
困難でも「できる」と信じられるわけ
――これまでの事業創造と比べ、特に困難だとお感じの点はどこにありますか。
堀:時間に制限がある、という点がこれまでの経験とは異なる困難です。大学院の設立やベンチャーキャピタル立ち上げ、ファンディングは、必要ならば遅らせればよかった。しかし今回は7月の23日(土)、24日(日)という期限があり、遅らせるオプションはありません。
かつ、関係者の多さも大きな違いです。茨城では県、ひたちなか市、会場となる国営ひたち海浜公園、国。それから地元住民の方々、医師会、観光協会、消防署、警察署。また、JR、地元のバス会社、地元のホテル事業会社、地元経済界の方々など。東京側は音楽業界関係者、音楽レーベル、それからステージ制作の方々。更にマーケティングではSNS広告やクリエイティブ関係。短い準備期間でこうした膨大な関係者と徹底的に話し、スピード感をもって意思決定を進めていかねばなりません。
――なぜそうした困難があっても「できる」と信じられているのでしょうか。
堀:「茨城からフェスの灯を消したくない」という強い想い、大義があるので、腹をくくるしかないんですよね。やるにしても来年でいいんじゃないか、とも言われましたが、来年では意味がないんです。1年だけでも茨城の人々が夏を寂しく過ごすことになってしまうことにはしたくない。
また、僕からすると、リスクを全て取ってのレピュテーションを懸けた取り組みです。万が一うまくいかなければ信用を失ってしまう。失う信用には、僕や会社を信じて協力してくださる方々や、賛同者としてリリースでお名前を発表させて頂いた方々が供与してくれた彼らの信用も含まれています。その方々の顔を潰さないためにも、半年間という期限の中で自分の持っている知恵とネットワークを使ってできること、やるべきことを最大限やる。不安は考えても仕方がないので割り切って、あと起業家としてやるべきことは「可能性を信じる」だけです。後悔したくないから、そう決めているんです。
≪参考≫
ロック・イン・ジャパン移転後のLuckyFM独自フェスに続々と各界の大物が応援へ!たった2週間で大義に共感して輪が広がる
(後編に続く)
LuckyFMでは、7月23-24日にLuckyFM Green Festivalを国営ひたち海浜公園(茨城県ひたちなか市)で開催します。チケット絶賛発売中です。