富山県でOTC医薬品(ドラッグストアで販売可能な一般用医薬品)の開発・製造を行うジャパンメディック株式会社。多くのOEMメーカーのように製造工程のみを担うのではなく、製品開発から関わることで、自社ならではの付加価値を実現し多くの知られた製品を世に送り出している。今回は同社の代表取締役社長であり、グロービス経営大学院卒業生でもある前田和也さんに、3代目として父からの事業承継を果たすまでのストーリーや、経営者になる「準備」としてのMBAでの学びなどについて聞いた。(前後編、前編)
親子間の事業承継を成功させた、2つのポイント
田久保:62期目に入ったジャパンメディックですが、前田さんがトップに就いたのは3年ほど前ですね。入社自体はいつごろですか。
前田: 2015年です。それまで働いていた旭化成からの中途社員として入社し、2年間はいわゆる「普通の社員」として仕事をしました。その後、3年目で副社長に就任し、2019年に父である先代から引き継いで、代表取締役社長に就任しました。
田久保:グロービス経営大学院では『ファミリービジネス・マネジメント』ほか、事業承継のあり方を学ぶ講座があります。その中で、親子間での事業承継は困難も多く、色々な議論がなされています。前田さんは以前、ご自身が経験した父から子への事業承継を「うまくいった」とおっしゃっていましたが、どういった点がポイントだったのか振り返って頂けますか。
前田:親子間での事業承継においてよくある困難は、方針の不一致で喧嘩になってしまい、話が進まないというパターンでしょうか。私の場合、それはあまりありませんでした。振り返ると、承継する側と承継させる側にそれぞれポイントがあったと思います。
承継する側の私については、良くも悪くも「会社員として10年仕事をした」経験があったため「父親である前に上司である、という感覚を強く持っていた」という点です。会社員なら、上司とそうそう喧嘩してはいけません。でも、自分の父親の会社でしか働いた経験のない人は、この一線を引く感覚は持ちづらいかもしれません。
一方、継承させる側の父としては、「承継をさせる」という意思を強く持ち、かつそのための準備を着実に進めていたというのがポイントです。弊社の事業承継が「うまくいった」最大の理由はここにあると思います。
私の父は次男で、自身が社長になるまでや相続において紆余曲折があったようです。そのため今回はしっかりと事業承継を完遂させる、という意識が非常に高かったんです。
田久保:初代から2代目への承継は、双方初めての経験なので、手探りで進んでいくことになります。しかし2代目から3代目への承継は、2代目の方が引き継ぐ側の苦労をよく知っているため、「同じ苦労を3代目、4代目にさせないように」と様々な配慮があることが多いと言われています。前田さんのお父様である先代も、そのご配慮をとてもされていたということですね。
前田:当然、長い社歴のなかで借り入れにより積極的に投資をしている時期もありましたが、私が会社に入った時はB/S的にもP/L的に健全な状態でした。特にB/Sは無借金状態で文句のつけようのない状態でした。承継のタイミングを見据え、何年かかけて準備をしていたのだと思います。
田久保:承継した 2019年の時点で先代は65歳くらいだったそうですね。世間的にはまだお若いと言われそうです。
前田:確かに、まだまだ若い、まだできるだろうと周囲からも思われていたのではないでしょうか。ただ、本人はデジタル社会とのズレを強く感じていたようで、「若い人にまかせたほうがうまくいく」と口にしていました。また、40歳ぐらいから25年社長を務めていたので、もう十分苦労したという気持ちも正直あったのかもしれません。
田久保:前田さんに引き継がれてから、先代はどの程度会社へ関与されていらっしゃるのでしょうか。
前田:取締役会長として会社には来ていますが、全く口出しはありません。社長を退いて会社に残る場合、代表取締役会長に就く方が多いと思いますが、先代は「代表取締役は未練がましい感じで格好悪いから嫌だ」と(笑)
なので、代表権は私しか持っていませんし、私の主観としても関与されているという感覚はありません。
MBAで他の経営者と対等に話をする素地が身についた
田久保:承継をさせる側である先代のご準備が重要だったということですが、ここからは承継する側の前田さんも進めていた「準備」について伺っていきます。前田さんはこのジャパンメディック入社と同じころに、グロービス経営大学院で学び始められました。経営者になる準備としてMBAの取得を目指す中で、何を得られましたか。
前田:まず、経営のトップとしての決断にはクリティカル・シンキングが活きています。また、実際に戦略を考えるにも3Cから戦略を導き出すなど、かなり定石通りにやってきました。結果、実際に業績も伸びてきています。
田久保:フレームワークなど、愚直に基礎で学んだことをちゃんとやるということですね。
前田:そして大きかったのは会計・財務に関する話を中心に、他の経営者と対等に話をする素地が身についたことで、先代にとっても、事業を承継させる側としての安心材料になったのではと思います。
他にも、いわゆる大企業に10年勤めて、直近はドイツで6年の海外駐在をさせて頂き、そしてグロービスでMBAも取って、という分かりやすい経歴も安心材料になったかとも思っています。先代自身は社長になってから経営を勉強し始めたので、“親ばか”かもしれませんが、そういったものに対する期待感があったのかもしれません。
田久保:承継させる側からすると、承継する側が頼りなく見えてしまうこともあるかと思いますが、それがスキルセットの面でクリアされたのですね。スキルセット以外ですと、心の準備があると思います。前田さんはいつ頃から自分が継ぐということを考えていたのでしょうか。そもそも、「戻って会社を継いでくれ」とは以前から言われていましたか。
前田:元から言われていた訳ではありません。30歳の頃に初めて「戻ってくるか」と言われましたが、ちょうど自分の人生を考えて、「富山に戻って、父が社長をやっている会社を継ごう」と決心したタイミングだったので、そこは幸運でした。
ただ「継ぐ」という決心に至るまでは、葛藤がありました。前職でドイツに駐在し、あと1年で帰国だとわかったとき、「この先どうしようか」という悩みがのしかかってきました。新卒入社時は「10年ぐらい修行して、30歳くらいで戻ろうか」とは考えていたのですが、いざ10年働いてみると、キャリアの選択肢が色々と見えてきます。「このままこの大企業で働く」、はたまた「グローバル人材としての経験を武器に転職」、などがよぎる一方で「富山で父親がやってくれている会社も待ってくれているはず」といった具合です。かなり悩んで、半年ぐらいコーチングも受けながら考えていきました。
田久保:経営者の方や事業承継者の方のお話を聞いていると、自らコーチングを勉強するだけではなく、コーチについてもらって改めて棚卸しをする方も多くいらっしゃるようです。
前田:重要ですね。人の力も借りつつ、徹底的に自己に向き合って考えていったことで、事業承継は、やらされたのではなく、色々とある選択肢の中から自分自身が選び取ったのだと確信できています。今うまくいっているのは、このお蔭かもしれません。そういった「選択肢の中から意図をもって選ぶ」ということができるように、父も見守ってくれていたことにはとても感謝しています。
田久保:ある著名な経営者の方が「リーダーとはどんな人ですか」という質問に「やりたいことが明確にある人」と答えているインタビューを読んだことがあります。まさに前田さんのように、意図をもってやりたいことがないとリーダーシップは発揮しえないですよね。自分で「やりたい」と言えるようになることは非常に大事なことかもしれません。
(後編へ続く)