実感伴うキャッシュの理解とは
「キャッシュ・イズ・キング」という言葉がある。経営において、この言葉が重要であることをご存知の方も多いだろう。しかし、実感を伴ってこの言葉を理解している人がどれくらいいるだろうか。
経理財務部門にて資金繰りを担当していた私の経験では、損益計算書や貸借対照表が読めても、キャッシュに対する理解が弱いリーダーが意外に多いと感じている。経営トップに近い人材でもそうである。これほど重要だが真の意味で理解されていない言葉は、なかなかないのかもしれない。
そのようなことを思っていたが、強烈な実感を伴って「キャッシュ・イズ・キング」と語る経営者に遭遇した。日本電産会長の永守重信氏である。
世界最大手のモーターメーカーである日本電産。連結売上高は1兆円、営業利益は1000億円を上回り、時価総額6兆円規模の優良企業である。M&Aを積極的に活用して成長を続け、その経営手法は注目を集めている。今でこそ超大企業であり、資金繰りに困ることはなさそうな日本電産だが、永守氏が28歳のときに資本金2000万円、社員4名で創業した会社である。永守氏の経営者人生は、いわゆるスタートアップ企業のトップから始まっている。
永守氏は資金繰りに苦労し、試行錯誤しながら事業を成長させてきた。自身の体験を踏まえ、徹底的に考え抜き、体得した財務に関する原則をまとめたのが本書である。事業の成長に対して強いこだわりを持つ永守氏だが、財務戦略という根っこがなければ成長戦略という花を咲かせることはできない、と語っており、財務に関しても一家言を持っている。論理的かつ具体的な原則が書かれており、財務を学ぶ際に有益な一冊である。
経験則に基づき、考え抜いて導き出された原則
例えば、様々な経営指標の中で何を重視するか。永守会長は創業期に重視したのは1株当たり利益だと述べている。キャッシュがきちんと得られる利益を継続して出すこと。そのためには売上が必要になる。売値は市場で決まる。だが原価は自分たちの努力によって下げられる。自分たちだけで決められる原価をいかに安くするか。これが利益を出し、キャッシュを確保するためのカギになる。その順番で考えることが重要だと指摘している。
また、自己資本比率にこだわるなとも言っている。自己資本比率は重要な指標であるが、創業期に最も優先することは成長である。そのためには自己資本比率が悪化しても、借入による資金調達が必要ならば実施すべきだと考えている。
他にも様々な金言が出てくる。例えば以下のようなものだ。どれも永守氏の実体験を通じて導き出されたものであり、実感を伴った内容である。
- マーケティングには資金の回収まで含まれている
- たな卸資産は製品と材料を分けて貸借対照表に載せるべき
- 購買にこそ優秀な人材をおいた
- 金融機関は規模よりも「人」で選ぶ
- すぐに消えてしまうコストと将来生きてくるコストがあり、それがどんな割合で使われているかをP/Lから分析する
- 売上高や利益と異なりキャッシュは操作できないから、キャッシュ・コンバージョン・サイクルという指標は不正防止の観点からも役立つ
- キャッシュを生み出し続ける方法を常に追求し、理想のバランスシートの姿を模索するのがCFOの役割
永守氏の原則に対して賛成できるものもあれば、そうでないものもあるだろう。ここで指摘したいのは、永守氏の挙げた原則の優劣や賛否ではない。永守氏が一つひとつ自分自身で考え抜き、自分なりの原理原則を打ち立てていることである。世間に流布する説を鵜吞みにせず、自分自身で吟味するその姿勢にこそ学ぶべき点がある。
日本電産には「1円稟議」「Kプロ(経費削減)」「Mプロ(購買費削減)」などの経営管理の手法があるが、これらはすべて、いかにキャッシュを生み出し続けるかという観点から、永守氏が試行錯誤しながら生み出した手法である。永守氏は買収した企業の経理伝票を1枚1枚すべてチェックしていたという。経費伝票というのは雄弁であり、会社の状況がすべて見えてくるということを、経験を通じて知っているからである。
ここまで考え抜いて導き出した原理に基づいて行動している永守氏に対し、衝撃を与える指摘をした人物がいる。京セラの創業者で名誉会長の稲盛和夫氏だ。そのエピソードも本書に描かれているが、売上高1兆円を超す企業の創業者がここまでやるのか、という強烈な内容である。ぜひ本書で確認いただきたい。
経営とお金に関して、リアリティのある学びを得ることができる一冊である。
著者:永守 重信 発売日:2022年1月 価格:1,760円 発行元:日経BP