本記事は、2018年7月に開催された「あすか会議2018」のセッション「極限の世界で見つけた人生の歩み方」の内容を書き起こしたものです。(全2回 前編)
今日という1日でどれほど成長できるか
塩沼亮潤氏(以下、敬称略):『945日。今日もいつもと変わらぬ朝を迎えて、いつものように歩いて、そして日が暮れようとしている。この9年間で体も一回り小さくなり、骨も細くなりました。歯もボロボロ。足もだいぶ弱くなりました。しかし、難行苦行のなかから、行とは行じさせていただくものである。また、人は生かされているものだという、ありがたさを知りました。人間は苦しいときの心が一番澄んでいるということも知りました。また明日、どんなにつらくとも苦しくとも、心豊かに優しく笑っていたい。いつまでも忘れず、この心のまま歩いていたい。』
9年におよぶ修行の終盤に書いた日誌です。幼い頃、テレビで千日回峰行を知りました。ある日の晩、白装束をつけて編み笠を被り、杖を持って山々を駆け巡る行者さんの姿を母と祖母のうしろで見たとき、私は「この修行をしたい」という夢を持ちました。
中学、高校へあがるにつれ、私はその夢が現実となる道を歩みはじめました。1日何十kmも山道を歩かねばなりません。足を丈夫にしなければと思い、高校のときは4kmの通学路を、雨の日も風の日も雪の日も、毎日走って通いました。そして高校を卒業した19歳のとき、奈良の吉野山にある金峯山寺というお寺の門を叩きました。千日回峰行を行じているお寺は日本に2箇所しかありません。私はご縁がありまして、奈良の金峯山寺に入門しました。
入門する朝のことです。一人修行の道に入るわけですから母と祖母との別れが生じます。「かあちゃんとばあちゃん、どうやってご飯食べていくんだろう」と、さまざまな不安や迷いがありながらも、1度自分で決めた道です。母も祖母も応援してくれました。「命懸けの修行をするのだから、砂を噛むような苦しみをして頑張ってきなさい」。そう言って、私が最後の朝食を食べたあと、母は食器をすべてゴミ箱に捨てました。私の気持ちはどんどん高まっていきました。家はお寺でもなく、仏教のことを何も知らないところから、唯々夢ばかりを追い求めて今があるような気が致します。
現代の若い方々に訊くと、「なかなか夢が持てない」という人が多いようです。夢というものは、なるべく若いうち、小さいうちに出会うことが大切です。また、その夢に近づくうえではさまざまな困難や試練があると思いますが、そこで大切なのは、夢とともに使命感を持つこと。人は、それぞれ与えられた役目があるのだと思います。その「命(めい)」をいただくために、私たちは命(いのち)をいただき、この世におぎゃあと生まれてくるのだと思います。
その夢に向かって進む1歩1歩があるから、旅が続くのだと思います。「もうこれでいい」と、どこかで足を止めてしまったら道は続きません。どんなに苦しくともつらくとも、どれほど過酷な状況であろうと、使命感という情熱があれば夢は具現化すると、私は思っております。
私は19歳で家を出ました。家を出ることを出家と言います。頭を剃って衣を着けて袈裟をいただき、毎日同じことを繰り返す。現代では“ルーティン”と呼ぶようですが、お寺の自行は同じことを同じように、毎日繰り返します。2500年前、釈尊は「情熱を持って毎日同じことを繰り返すと、悟る可能性がある」とおっしゃいました。皆さんの人生も毎日コツコツと、情熱を持って続けていれば、必ず何か一つの気づきがある筈です。ただ生きても1日は1日。心のアンテナを精一杯研ぎ澄ませて過ごしても1日は1日です。どう生きるかは、自分の心次第なのだと思います。
1日1 mm、1年365mm。 1日1mmの努力でも、積み重ねていけば、あっという間に36.5cmにもなります。1年でそれほど幹が太くなる木はあるでしょうか。そう思うと、今日という1日にどれほど成長のチャンスがあるか。毎日が人生の宝物なのだと思います。百四十数億年という宇宙の歴史から見れば、約100年という我々の命は、ほんの一瞬のフラッシュにもならないかもしれません。でも、その人生のなかで、つらいこと、苦しいこと、悲しいこと、嫌なことが数多くあります。また、良いことがあればどんどん心が楽しくなっていきます。その狭間で、お坊さんも皆さんも、この世でそれぞれ命(めい)を受けて生きているわけです。
嫌なことこそ自分を成長させてくれる
行に入った当時は若いですからいろいろ悩みました。「人はなぜ生きるのか」とか、「どうして人生ってこんなに不自由なんだ」とか、心の中で自問自答しながら毎日涙を流し、ドロドロになって歩いていたことが懐かしく思われます。自分の本当の心に気づき、毎日清々しい思いで生活できるようになるまでは、やはりかなりの時間がかかります。
1本の木に例えると、心の“軸”のようなものを夢へ向かう過程で太くしていかなければならないのだと思います。その軸が本当に太い人は内面から出てくる力が違うと、皆、見ただけで分かると思います。私も、そういう人間になりたいと自分のなかでイメージしていました。けれども答えなんて簡単には出ません。毎日地獄のような苦しみを体験しながら、自分を成長させていきます。
食べるものは、毎日ほとんどおにぎり。そして精進料理ですから、行に入って1カ月ほどすると爪を触っているだけでぽろぽろと崩れてきます。3カ月目になりますと梅雨明けとともに気温が上がり、著しく体力を奪われ、1週間ほど血尿が続きます。その血尿もやがて治まると、残りの1カ月は、呼吸とリズムだけで自分の体を動かしていきます。
23時に起床し、滝に入り水行をし、着替えをして0時半に提灯1つで山の中に入ります。そして1,719mの大峯山山頂の本堂をお参りして、食事をいただき、また同じ道を辿ってくると夕方に。掃除、洗濯、次の日の用意は、すべて自分でやるルールです。睡眠時間は4時間半ほどしかとれず、次の日に疲れを残したまま、毎日黙々と、同じことを同じように繰り返します。そのなかで、悩み、いろいろな葛藤があった時期の日記を読んでみたいと思います。
『17日目。行者なんて次の1歩が分らないんだ。行くか行かないかじゃない。行くだけなんだ。理屈なんか通りゃしない。もし行かなけりゃ、短刀で腹を切るしかない。そう、次の1歩が分らないんだ。強くなんかない。清くなんかない。唯そうありたいと、願い続けているだけなんだ。今日も1日、無事お山に行って帰ってきた。口で言うのは簡単だけれども、1日48km、言うに言えんもんがある。』
この行に入ると人と喋ってはいけません。手紙のやりとりもありませんし、テレビもラジオも観たり聴いたりできません。仙台に残してきた母や祖母が生きているかどうかさえ分かりません。深い山のなか、大自然のなかで、人が恋しくなるときもあります。たった一人でいると、「家族は生きているかな」とか、悪いほうに悪いほうに考えてしまうこともあります。
けれども、私のお師匠さんはこうおっしゃいました。「『山の行より里の行』と言ってな。山の行というのはたった一人、厳しいことにトライしていけば必ず結果は出る。しかし、修行道場に帰ってきて大勢の人がいると、そこでお互いの感情にズレが生じる。嫌な人間とも会わなければならない。でも、仲良くしなさいという教えがある。その葛藤のなかでの修行の方が、より人間を磨いてくれるんだ。自分で自分の心を磨く山の行も大事だけれど、そちらの業務を忘れてはいかんぞ」と。
一緒に生活をしていると、「どうしてなんだろう」「なぜなんだろう」と、ときには相手に不信を抱く自分もいます。あるいは自分のものさしを相手に当てはめ、苦しみの矛先を相手に向けるような、つたない自分もいます。
仏教にはこんな教えがあります。おぎゃあと生まれて年老いて、病になってこの身が朽ち果てることは、この世の生命体すべてが持って生まれた運命。いくら努力しても避けられないことだ。けれども、そのほかに4つ、私たちには不自由なものがある。欲しいものがなかなか手に入らない“求不得苦(ぐふとくく)”。また、出会いがあれば必ず別れがあります。“愛別離苦(あいべつりく)”。愛する者と別れる苦しみですね。そして、嫌な人と会わなければならない“怨憎会苦(おんぞうえく)”。そして4つ目が“五蘊盛苦(ごうんじょうく)”です。人生すべてままならないものである、と。
私たちは生まれた瞬間から、快と不快という2つの現実を受け入れなければなりません。けれども、どうしても私たちの心と思考は「嫌なものはないほうがいい」となってしまう。誰でもそう思います。でも、良いことばかりであれば、私たちはどうなるか。どんどん我儘気儘、自己中心になっていくのではないでしょうか。
嫌なことこそ自分を成長させてくれます。つらいことや苦しいことを、どのように良いほうへ転じさせるかという人生のアイデア。それが宗教の果たすべき役割なのです。その教えは、どの宗派の文献にもすでに答えがあると思います。しかし、大事なのは、今ここに生きる私たちが先人たちの残した文字や言葉を具現化すること。「あの人とまた会いたいな」「もっとあの人とお話をしたいな」と、そんな風に思われる魅力的な人間になれるかどうか。それは、夢を追い続ける過程で、自分の人生、一つひとつのお仕事、そして出会った人々と、いかに真摯に向き合うかによって変わります。
死の瀬戸際が限界を“持ちあげた”
行の話に戻ります。この行では、最低3回は生きるか死ぬかの瀬戸際を通らなければならないと言われています。私にもそんなことがありました。1度目は、大きな落石が目の前をかすめていったとき。気づくと杖が真っ二つになり、大きな岩と自分の杖が斜面を転がり落ちていました。もう30㎝体が前に出ていたら今の私はないと思います。
2回目は、地響きのような大きな音が後ろから迫ってきたときです。振り向くと、牙をむき出しにした大きなクマが20mほど後ろにいました。大きな冷蔵庫が迫ってくるような勢いです。「森のくまさん」のイメージではなく、「くまったな」と(会場笑)。ただ、そのときはスローモーションのように時間が流れ、頭の中で瞬時にイメージが浮かびました。「後ろを振り向いて、クマを威嚇して杖を投げつけるしかない。そうするとクマは上に向かって逃げていく」。ですから間髪入れず、迷いなくその通りにしたら、クマは上の方に逃げていってくれました。
もう1つは、10日間で11キロほど痩せてしまう体調不良です。市販の薬を買い置きして行に入るのですが、どんな薬を飲んでも高熱と下痢が治まりません。そして494日目、いよいよ生きるか死ぬかの瀬戸際でふらふらと歩いていました。今までにない苦しみです。下痢は20回以上。熱は38 度。節々が痛く首も回らない。食べたものは2時間で下痢になって出てくる。小便も出ません。出ても真っ茶、いや、焦げ茶色です。
道端に倒れ、泣きながら、ただ必死に、ぼろぼろになってその日も帰ってきました。そうしてお師匠さんに「今日も1日、無事帰って参りました」とご挨拶をすると、げっそりした私に師匠はこう声をかけました。「どや、調子は」と。「はい、ぼちぼちです」「そうか、しっかりやりや」。いったん行に入ると何があっても途中で止めることはできません。師匠であっても、「この行者は死ぬかもしれない」と思っても、「もういいんじゃないか?」というストップはかけられません。
部屋に戻ると、全身が痙攣したように涙が流れていました。「つらい」「苦しい」という涙でなく、自分で自分の体に謝っているんです。「ごめんね。俺がこんな修行を志すから、お前にこれほどの負担をかけてしまって」と。自分で自分の体に謝っていました。そこにうずくまっていられるなら何時間でもそうしていたかった。でも、掃除、洗濯、次の日の用意をしなければ休むことはできません。
そして、とうとう翌日は1時間ほど寝坊をしました。高熱が出て体も動かない。でも、「途中で止めるわけにいかない」と、強い意志を持ち、滝に入って身を清め、そして階段を500段ほど登ったとき、ほとんど自分の意識は飛んでいました。数百m進んでは倒れ、数十m進んではまた倒れ。4km先からはほとんど街灯のない山道に入りますが、杖もあみ傘も、さらには提灯も忘れた私は、真っ暗闇のなか、倒れ込んでしまいました。
それで全身を強く、顔面から地面に打ちつけました。ただ、痛いという感触はありません。そこに横たわって、30cmほどの“感謝の真綿”にくるまれたような感じで、幼い頃からの思い出が目の前に浮かんできました。昭和62年5月6日、19歳の春、たくさんの夢と希望をリュックサックに詰め込んで奈良の吉野へ修行に行く朝のことも。美味しい大根の味噌汁を飲んで、ご飯を食べた私に母が言った言葉を思い出しました。「命がけの修行をするなら、砂を噛むような苦しみをして乗り越えてきなさい」。「そうだ、死ぬ前に砂を噛んでみよう」と。自分の目の前にある砂を舐めてむしゃむしゃ噛むと、「気持ち悪い。こんなことはしていられない」と。
中学2年で両親が離婚して以来、私は多くの人に助けてもらってきました。そして仙台を出るとき、「この修行を絶対に達成する。そうしたら仙台に帰って郊外にお寺を建てるんだ。そして50になったら世界中を飛び回り、いろいろな人とご縁をつくり、皆が仲良くなるために少しでもお役に立とう」と考えました。「その使命をまっとうしなければ」と、一歩、そしてまた一歩と、再び進みはじめました。ものすごい形相だったと思います。鬼のような形相で山頂に向かい、唯々走り続けました。
前の日、ご飯は食べていません。その日はおにぎりも待たず出て来たので、本来なら走れるわけがない。でも、人間は本当に情熱を持ち真剣に祈れば、不可思議な力を天から授かり、不可能を可能にします。限界を超えたのなら“死”を意味しますが、そのときは“限界を少し持ちあげた”といったイメージでしょうか。そこから、薬を飲まなくともだんだんと体調が戻り、その年の4カ月にわたる行も終え、再び歩き続けることができたわけであります。
行を終えて行を捨てよ
そんな行も終盤になると、感謝やリスペクトの気持ちがますます高まっていった一方で、「この行は“人生の大学”にしか過ぎない」とも考えるようになりました。皆さんは将来のために学校へ通って勉強をします。私も、皆さんが行かれたような大学には行きませんでしたが、修行が人生の大学でした。そのうえで、「どこそこの大学を出たから」といって自慢しないのと同じように、「行を終えて行を捨てよ」。どんな肩書きも決して自慢せず、唯々今あることに最善を尽くし、楽しく人生を生きることが大事なのだという教えをいただきました。
そうして999日目、私は「人生生涯小僧の心である」と。明日は「大行満大阿闍梨(だいぎょうまんだいあじゃり)」という称号を用意していただけることになっている。しかしそれは、お師匠さんや仏様には失礼だけれども、人間が人間に与えるもの。この行を終えても人生の行は最後まで続く。私は最後のひと息まで人生を行じたい。19歳で僧になったときの心のまま、毎日を過ごしたいと思いました。
そうして迎えた1,000日目はどんな日だったか。いつもと同じようにお山に行って、いつもと同じように帰ってきた。ただそれだけです。大勢の人が集まって拍手を贈ってくださいましたが、9年かかる1,000日のうち、たった1日だけの特別な日という、ただそれだけのことでした。
31歳でこの行を終えて思ったことは、行じれば行じるほど、「行というものは奥が深いな」ということ。つらいことも苦しいこともあったけれど、涙すればするほど神や仏の有り難さを知ることができました。「お前の成長のためにこれを与えているんだ」という、親心のようなものも知ることができた。そうして最後は自分の心の未熟さに、唯々涙を流すだけでした。(後編に続く/2021年10月13日公開)
執筆:山本 兼司