シリコンバレーで異彩を放つ日本人がいる。西城洋志――。2014年にシリコンバレーに乗り込み、2015年にヤマハ・モーター・ベンチャーズ・アンド・ラボラトリー・シリコンバレーを創設した。なぜ、ヤマハ発動機がシリコンバレーなのか、何をしようとしているのか。ロングインタビューを前後編でお伝えする。(聞き手は、水野博泰=GLOBIS知見録「読む」編集長)
「オープンイノベーション病」にかかっていないか?
知見録: ご活躍は日本のメディアでも紹介されている。西城さん流の「会社の変え方」を聞きたい。
西城洋志氏(以下、西城): 僕とオープンイノベーションを結びつけた記事があると聞いて「ああ、いかんなあ」と思った。病気だと思う。「オープンイノベーション病」というか「新規事業開発病」というか。オープンイノベーションって単なる手段に過ぎない。それで何を目指すのかという目的は語られない。順番がひっくり返っている。
ご質問の「会社の変え方」だが、僕は「会社を変える」ということを現時点では考えていない。会社とは事業目的や理念に共感して共に働いている人の集合体だ。会社を作るのは人、事業を作るのも人、そして会社を変えるのも人だ。変え方にはいろいろあり、会社によっては変わらない方が良いかもしれない。ヤマハ発動機は変わらなくて良いと僕は思っている。実際、何かを否定する必要もない。
これも主客逆転の例だ。危機感を煽って「会社を変える!」と声高に叫ばないと新規事業開発もイノベーションも実現できないという考え方が、まずもって変だ。普通に考えるならば、まずは「こういうことがやりたい」があって、もしやりたいことが今の組織と合っていなければ「やれる組織」をどうしたら作れるかを考えればいい。最初に「会社を変える!」が来ることに違和感がある。
知見録: いきなりガツンと来た(笑)。すると、多くの人は「日本の会社は良くない、古臭い、世界の流れに追いつけていない」というステレオタイプがあって、「会社は変えなければならない」というドグマからスタートしていると?
西城: 「会社を変えなければ!」とか「今の会社はダメだ!」が染み付いていると、仮にやりたいことがあったとしても「今の組織では無理だ」と前に進めなくなってしまう。非常にもったいないと思う。やりたいことがあるなら、やれるようにするクリエイティブな発想が大切だ。「失敗」については徹底的に掘り下げて責任を追求するのに、挑戦することもなく見逃してしまった「機会損失」について検証されることは少ない。とても不思議だ。
知見録: 西城さんは2014年5月にシリコンバレーに渡った。なぜ?
西城: 実は、「ヤマハ発動機は今のままではダメだ。モーターサイクルとマリンプロダクトの二本柱でやってきたが、10年後にはどうなるか分からない。変えなければ!」だった(笑)。そんな僕がシリコンバレーに来て最初に思ったのは、「ものすごいオポチュニティー(機会)がある!」だった。現状の延長線上だけが未来ではない。もっと視野を広げるべきだ。考え方がガラッと変わった。
日本から当社を訪ねて来る方が多いが、「自分の会社はこの事業領域で生きていかなければならない。他のことはできない」と思い込んでいることが多い。せっかくシリコンバレーに来ても、その思い込みを捨てなければ得られるものは非常に少ない。現状を維持するためのヒントを求めても、シリコンバレーに答えはないからだ。今あるものを成長させるとか、今無いものを作り出すとかならオポチュニティーはたくさんある。シリコンバレーを活かせるかどうかは目的次第なのだ。
宇宙ほど遠かったシリコンバレー
知見録: そもそも、なぜシリコンバレー?
西城: 少し遡って、本社の常務と話していたときのこと。常務曰く、「うちは新事業開発をもう20年も前からやっとるよね? その目的は何だったっけ? モーターサイクル、マリンプロダクトに続く第3の柱を作りたいということだよね?」と。でも、実際には8割の売り上げをその2つのコア事業で生んでいる。3つ目の柱はできていない。ほぼシーズベースで、持っているものをベースにして、オーガニック(既存資源を利用して)にやってきた。じゃあ、これとは違う方法に挑戦するべきなのかな、と。ウォンツ・ニーズベース、ノンオーガニックに。
それで、シリコンバレーでやってみようということになったが、ヤマハ発動機からするとシリコンバレーなんてもう宇宙ぐらいの距離感がある。「全然関係ないじゃん、あそこ!」という認識だったし、よく分からな過ぎたので、いきなり組織を作るというのは無い。「じゃあ、お前1人でまずは行ってこい」ということになった。
2014年5月、1人で渡米し、コワーキングスペースに入り込んだ。あるスタートアップのCEOに話を聞きたいと思って連絡したが、会ってくれない。
「君は誰?」
「日本のヤマハモーターの者だ。新事業開発のために来た」
「君は駐在員?」
「そうだ」
「じゃあ時間の無駄だからノーサンキュー」
という具合。同じパターンで何連敗もした。会ってくれるのはとても優しいスタートアップか僕のような「藁」にもすがりたいスタートアップだ。周りに聞いてみると、「日本人×駐在員×成熟企業」の3つのカードが揃ったら会っても無駄というのが定評になっていた。渡米1カ月でそこに気づき、愕然とした。シリコンバレー歴の長い方々は「コミュニティーに入れ」「人脈を作れ」「アクションしろ」とおっしゃるが、そもそもコミュニティーの入り口が閉ざされていたのだ。とにかく作れる人脈だけでも作ろうと思い、ありとあらゆるミートアップに参加して細々と名刺交換を重ねていた。しかし、10人会っても共通の興味がある人は2人ぐらいなので効率が悪い。
そこで、「こちらから発信しよう!」と考えて、ミートアップで話す側に回った。ヤマハ発動機の既存事業の話ではなく、「俺は、こんなテーマが面白いと思っている」「今、こんなことを考えている」「俺にはアイデアもパッションもある!」とアピールした(笑)。すると、そういうことに興味がある人が向こうから連絡して会いに来てくれるようになった。「クレイジーな日本人がいる」という話が広がって、急にドアが開いた。それまで会ってくれないような人が向こうから声をかけてくれるようになった。そのターニングポイントまでで3カ月。
そこからは、加速度的にいろいろなオポチュニティーが見えてきた。シリコンバレーでの事業開発の仮説を立て、提案書にまとめて本社経営陣に提案したのが2014年12月。オーケーが出たので2015年7月に会社を設立した。
知見録: それにしても、その仮説を立てるためだけに西城さんをシリコンバレーで半年間自由に泳がせた常務さんが凄い。
西城: おっしゃる通り。うちの常務が凄い(笑)。さすがに最初の反応は「怪しい」「分からん」だった。しかし、僕はこう言った。
「ボス、あのね、僕がシリコンバレーに行くのは、分からんことを分かるようにするため、あるいは、分からんことをやってみてそこから何かを得るためでしょう。分からんから、やるんですよ」
「分からんから、やってみる」というロジックが響いたのか、僕を泳がせておくことに意義を見出してもらった。
知見録: その半年間の集大成である提案書は、本社経営陣に響いた?
西城: 「何を言っとるんだ、こいつは?」って感じだった(笑)。面白いけど、よく分からない。いつも経営会議で議論していることとは全く違う。だから、否定も肯定もできないという混乱状態。
知見録: でも“否定”は無かった。
西城: 否定は無かった。そこはヤマハ発動機の良いところ。好奇心が旺盛。「やめておこう」よりは「やってみよう」の精神だ。
あと、僕自身が変わり者だということは皆さんご存知なので、「やれるとしたら、こいつしかいないかな」とは思ってくれていたと思う。最後のひと押しは、僕をシリコンバレーに送り込んでくれた方とは別の常務さん。元上司。
「社長、西城が言っていることを聞いても、磐田(本社所在地)にいる誰にも分かりません。西城にベットする(賭ける)かどうかです。西城を信じるかどうかです。西城が言ってることはよう分からんけど、西城という人間がどういう人間かを僕らは知ってますよね?じゃあ、彼にどれだけの投資をすべきかということなら、分かりますよね?」
これで決まった。
知見録: めちゃくちゃかっこいい。
西城: 名言だった。現地に会社を作ることが決まったので、一度社長が来てくれた。2日間ぐらい案内して回った。普通はFacebookとかGoogleとかAppleに連れていくが、僕は絶対に行かない。代わりに投資決定の現場を見せた。エンジェル・インベスターがベンチャーのピッチを聞いて、質問して、投資するかどうかの意思決定をしていく現場だ。
プレゼンの中身は、よく分からない部分や怪しそうな部分などが満載(笑)。しかし、それでもエンジェル・インベスターは投資するかどうかをその場で次々に決定してしまう。社長は「なぜ、彼らはあの情報で意思決定できるのか?」と驚いていた。そして「よう、分からん」という言葉を残して帰国されていった。あまり響かなかったのかなと思っていたが、そうではなかった。
帰国後最初の経営会議で、経営陣全員の前で社長はこう話したと、後で聞いた。
「シリコンバレーに行ってきた。西城がいろんなものを見せてくれた。調べて記事も読んでみた。確かにあそこではいろんなことが起きている。しかし、今まで我々は見ていなかった。我々のビジネスには関係ないと思っていた。Uberだとか、Airbnbだとか、Fintechだとか、今、あそこで起きていることに対して、我々はイエスもノーも言えない。よう分からんとしか言えない。我々は世界を知らずに経営判断をしてきたのだ。自分も含め、経営陣としての課題だ」
知見録: すごい社長だ。
西城: そう、うちの社長はすごい(笑)。良い会社だから、「会社を変える」必要がない。
目的は「3つ目のヤマハ」を作ること
知見録: なるほど。それで、新会社「ヤマハ・モーター・ベンチャーズ・アンド・ラボラトリー・シリコンバレー」を設立したのが…。
西城: 2015年7月。シリコンバレーのど真ん中メンローパークに居を構え、社員5人でスタートした。
この会社の目的は、ベンチャー投資をすることでも新事業開発をちょこちょこやることでもなく、「3つ目のヤマハを作る」ことだ。1887(明治20)年に楽器メーカーとして創業、1955(昭和30)年にヤマハ発動機が独立した。ぜんぜん違う2つのヤマハだ。僕のミッションは、その2つとぜんぜん違う3つ目のヤマハを作ることだ。既存事業をオーガニックに成長させていくのではなく、非連続的かつ不確実性の高い領域を狙っていく。
そのために、僕がシリコンバレーでやっていることは「人づくり」であり「土づくり」である。僕は必ずしも新規事業開発の専門家ではないが、ヤマハの理念や文化をよく理解していて、3つ目のヤマハを作るという明確な目標を持っている。そんな人間が、不器用かもしれないけれど動き回って、共鳴してくれる人を集めてチームを作る。それは「第3のヤマハ」の種や苗を植えるための土だ。僕はそう考えている。
既存事業とは非連続で違うことをやりたいので、僕だけがヤマハから来た。ほか全員はローカルで雇っている。中核の3人はシリコンバレーで名前が知られているスーパーパワフルな人材。僕は「カラフルなチーム」と呼んでいる。最初の半年に参加しまくったミートアップやそこで会った人の紹介で知り合った。
当時は、まだ新会社のビジョンは明確になっていなかったが、「ベンチャーをゼロから立ち上げるよりも、コーポレート(大企業)のパワーを有効活用した方がでかいことができる!」という持論を熱心に話した。シリコンバレーでは「こいつ、頭がおかしいぞ」と思われるようなこと(笑)。実際、ほとんどの人にスルーされたが、この3人は「うん、ヒロ、お前が言っていることは正しい」と賛同してくれた。「コーポレートの力を本当にうまく使えれば、ベンチャーなんか足元にも及ばない」と意気投合した。
実際、スタートアップは大変だ。ゼロから始めて、超長時間働いて、投資家からボロクソに言われながら資金を調達して、ちょっとうまく行き始めたら競合が参入してきてバトルになり、10年なんとか生き延びてようやくグローバルリーチできる…。「ちょっと待てよ、ヤマハは既にグローバルリーチできているし、資金も人材もある。新規事業を作り出せない理由がない」。僕はシンプルにそう確信していた。
だから、シリコンバレーのベンチャー・コミュニティーで活躍している人材がコーポレートに入ってくれば面白い化学反応が起こるんじゃないかと考えた。彼らを口説いた時に言ったのは、「俺はダイナソー・ダンシングがしたいんだ」というフレーズ。IBM元CEOのルイス・ガースナー氏は「巨象も踊る」と言ったが、「うちは“恐竜”を踊らせたいんだ!」と。3人は「それだ!」と言って盛り上がり、ちょっと変わったチームが結成された。
彼らと最初に約束したのは「サイコロジカル・セーフティ」。どんな発言をしても、どんな意見を言っても、絶対に否定しないし、否定されない。言いたいことを自由に言える文化を作ろうと思った。というのも、日本企業で新しいことをやろうとした時に一番厄介なのがサイコロジカル・セーフティが無いことだと常々感じていたから。
知見録: そのチーム作りにおけるフィロソフィーは、元々西城さんの中にあったものなのか、ヤマハの文化なのか、それともシリコンバレーで発見したものなのか?
西城: 以前の職場でエンジニアをやっていた時、僕はチーム・メンバーから「鬼軍曹」と呼ばれていた。元々は厳しくミッション達成にこだわるタイプの人間で、「俺の言うことを聞け!」という感じ。事業部のミッションを達成するためにはそういうマネジメントが必要だと思っていたからだが、新しい事業を生み出すためにはやり方を変える必要がある。ただ、どうすれば良いのかは分かっていなかった。それに気づいたのはシリコンバレー的発想をする3人と議論を重ねる中でだった。
ミッションが明確に決まっていればそれを確実に遂行するために「鬼軍曹」は必要だ。しかし、ミッションそのものを探すフェーズでは「鬼軍曹」の出番はない。CEOだからといって偉いわけでもない。組織階層も必要ない。そういうことは、シリコンバレー現地でチーム・メンバーから教わった。
「エキサイティング・オポチュニティー」で逸材をゲット
知見録: しかし、そんな逸材だと報酬もばかにならないのでは?
西城: 当社の報酬基準では、あるメンバーの希望額の半分にも満たなかった。もちろんそれはシリコンバレーでは相場だったのだが…。そこで彼と膝詰めで話した。
「俺は君の希望額とのギャップを埋めるソリューションを見つけた」
「おお、それは何だ、ヒロ?」
「お前の希望額は○○だ。俺が出せるのは✕✕までだ」
(彼の顔が曇る)
「この差を埋めるのは何か分かるか?」
「分からない」
「それは、エキサイティング・オポチュニティーだ。お前、ダイナソー・ダンシングという唯一無二のプロジェクトに参加できるんだぞ!」
一瞬の沈黙の後、彼は大笑いした。「この俺にそんなことを言ったやつはいない。ストック・オプションの話かと思ったよ」と。
知見録: 僕も全然意味が分からない(笑)。
西城: その後、こう続けた。
「俺がビジョンを話した時、面白いと言った。お前はやりたいんだろう?」
「やりたい」
「お前、やらずに死ねるのか?」
「うーん、やりたいよね」
「じゃあ、俺以外にこれをやりそうなやつは将来に現れそうか?」
「いないだろうな」
「ほら見ろ、エキサイティング・オポチュニティーじゃないか。ユニークオポチュニティーじゃないか。ユニークってことはめちゃくちゃ価値が高いんだよ」
そうしたら、また大笑いしていた。数日後に会社の提示額で受けると返事があった。
知見録: 良い意味で“人たらし”がうまい。夢を買わせたわけだ。
西城: 自分でも才能があると思う(笑)。真面目な話、彼らは3人とも「日本企業にはポテンシャルがあるのに、やり方が下手で力を活かしきれていない」と分析していて、そこに歯がゆささえ感じている連中だった。つい先日、前述の報酬漫談(笑)をやった彼がこんなふうに話してくれた。
「実は、日本企業ではもう働かないと決めていた。何を言っても動かない、変わらない、何も実現しようとしない。日本企業には絶望していた。しかし、お前は実行した。他の日本人とは違う。だから決めたんだ」
「俺の、あの“エキサイティング・オポチュニティー”が効いたんだろ?」と聞いたら、「あんなの効いてない」と言い張っていたが(笑)。
知見録: 諦めていたところに一筋の光明が差し込んだ時に、人の心は大きく揺れるのかもしれない。
西城: 心が揺れたんだと思う。彼らはシリコンバレーで仕事やポストはいくらでも見つかる。しかもそれなりの報酬で。だからこそ、お金ではなく、全く新しい価値を実現したいという達成欲求を満たすことが選択肢になってくる。「ヤマハを変える」と言ったらノーサンキューだっただろう。「3つ目のヤマハを俺と一緒に作ろう」と言ったから乗ってきた。
※このインタビューは、グロービス・コーポレート・エデュケーションのディレクター、板倉義彦が、入社10年で権利付与された「サバティカル休暇」で米シリコンバレーを訪れた際、西城洋志氏と出会って意気投合。西城氏の東京出張時にグロービス東京校にお招きし、GLOBIS知見録が実施したものである。(実施日: 2017年2月25日)