iPS細胞の未来 ~再生医療の実用化が世界に貢献する日~[1]
山中伸弥氏
山中伸弥氏(以下、敬称略):G1サミットには第1回目から参加させていただいていて、第1回ではオープニングで基調講演を務めさせていただいた。本当に素晴らしい機会をいただき、ありがとうございます。ただ、昨日のディナーで一瞬映っていた当時の写真を見て愕然とした。7年前と昨日で着ているセーターが同じだった(会場笑)。それで今日は服を変えてきたのだけれども。
さて、会場には同世代の方も多いと思うが、僕が高校生か大学生の頃、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・F・ヴォーゲル著、阪急コミュニケーションズ)という本がベストセラーになった。僕も中身は読んではいないが、表紙はすごく有名になったと思う。それで、日本を褒めているのか揶揄しているのかは別として、当時の僕はなんとなしに、「日本はNo.1なんだ」と勇気づけられたことを覚えている。
それから30年が経った今、日本に世界No.1のものはどれほどあるだろう。会場の皆さまにぜひ聞いてみたい。どうだろうか。(会場の「iPS細胞」という声に)いやいや(笑)、iPSでは今アメリカとガチンコで競争している。他にはどうだろう。(会場の「長寿」という声に)あ、ほぼ答えが出てしまった(会場笑)。寿命自体はスイスやイスラエルとも競っていて、都市によっては2~3位だから断トツNo.1というわけでもない。ただ、高齢化のスピードは世界のすべての国と比較して、日本が断トツで1位だ。
これ、僕としては心配で夜も眠れなくなるほどの問題だと思っている。日本の人口ピラミッドを見てみると、1930年は子どもが最も多く、まさにピラミッドの形だった。でも、今から15年後の2030年にはそれが(逆ピラミッドのような)大変不安定な形になってしまう。少し押したら倒れてしまうような状態だ。当然、こんな風になるのは日本だけ。他国はここまで不安定な人口構成にならない。年金やソーシャルセキュリティ等々、さまざまな面で大変なことになると思う。なんとかしないといけない。
では、医療分野では高齢化の何が一番大きな問題になるのか。寿命自体は延びていて、男性は80歳を超えているし、女性は86歳。世界1~2位を争う長寿だ。ただ、それとは別に健康寿命というものがある。私たちのように仙台まで来てお酒をいっぱい飲めるような、制限なく日常生活を楽しめる寿命が健康寿命。で、それと本当の寿命とのあいだに10年の差がある。男性で9年、女性で12年。その差が介護などの問題で周囲を圧迫するし、何よりご本人を一番不幸にする。
男性の健康寿命平均は70歳だから、今年53の僕はあと17年。そう考えると少し寂しいけれど、その差は病気や怪我から生まれる。認知症やパーキンソン病や視覚障害といった日常生活を制限する病気は高齢化に伴って増えていく。それをどうにか減らしたいというのが、私たちの目標になる。よく「寿命を伸ばしたいんですか?」と聞かれるけれども、寿命はそれほど延ばしたくない(会場笑)。それよりも健康寿命を伸ばして、本当の寿命との差を1年でも2年でも縮めたい。
そうしたなか、私たちはiPSと呼ばれる万能細胞に出会った。これはどのようにつくるかというと、まず皆さまの血液や皮膚の細胞を少しだけいただく。で、我々が見つけた「山中因子」、と今は呼んでいただいている小数の遺伝子を細胞に送り込む。「遺伝子を細胞に送り込む」なんて言うと難しく聞こえるけれど、今はキット化されていて中学生や高校生でも簡単に行える。すると、iPS細胞というまったく違う細胞になる。血液や皮膚の細胞はほとんど増えないし、いつまで待っても血液や皮膚のままだ。けれども、iPS細胞になると無限に増やすことができる。そして増やしたあと、そこから神経や心臓や筋肉や軟骨等、あらゆる細胞を大量につくりだすことができる。
これまでは人間のいろいろな細胞、特に心臓や脳の奥にある細胞を研究や医学のためにたくさん使うことができなかった。しかしiPS細胞なら少量の血液や皮膚をいただくだけで、理論的には人間のあらゆる細胞を大量につくることができる。そこで私たちは二つの応用を目指している。一つはメディアでもよく話題になる再生医療。細胞を移植して、患者さんの機能を回復させようというものだ。それともう一つ。再生医療も非常に大切だけれども、それと同じぐらい、もしかしたらそれ以上に大切なのが薬の開発になる。そこで、今日はそれぞれの事例を簡単にお示ししたい。
京都大学ではiPS細胞の臨床応用を進めるため、2010年、「iPS細胞研究所」という京都大学で最も新しい部局を設立した。文科省に建てていただいたその立派な研究棟で、今は300名以上、学生を入れると400名以上が研究をしている。今はぎゅうぎゅう詰めの椅子取りゲーム状態で、私も月曜に帰ったら所長の椅子があるかどうかというぐらいの状況だけれども(会場笑)。文科省にはその研究棟の裏に第2研究棟を建てていただいた。それで4月からは1.5倍ほどの広さになる。
ただ、「iPS細胞研究所」という名前は失敗だった。この構想が出たとき、当時の松本紘総長が、「研究所をつくる。とりあえず名前はiPS細胞研究所にしておくけどいい?」と言うので、「あ、とりあえずそれで」と僕も言っていた。ただ、構想が本格化してきたので、「名前を本格的に考えたいです」と言うと、「何言うてんねん。もう『iPS細胞研究所』で文部科学省に出しちゃったから変えられない」と(会場笑)。まあ、分かりやすいかもしれないが大変ダイレクトな名前になった。そこで、英語の名前は自由に決めていいとのことだったので、直訳の「Center for iPS Cell Research」のあとに「and Application」を付けた。アプリケーションが私たち研究所にとって本当のゴールだからだ。当然、大学の研究機関だから研究をして論文を書くことも大切だ。ただ、それで終わりではなくて、アプリケーション、つまり医学応用を目指している。CiRAという略称4文字のなかでも‘A’が一番大切になる。
設立は5年前。で、当時の開所式には多くの方に来ていただいたのだけれども、私たちはそこで4つの目標達成を約束している。
・基本技術の確立、知財確保
・再生医療用iPS細胞ストック構築
・再生医療の臨床試験を開始(パーキンソン病、糖尿病、血液疾患)
・患者由来iPS細胞による治療薬開発(難病、希少疾患など)
この4つが達成できなければ研究所も終わりということで、「とりあえず10年研究させてください」という約束をした。なので、こちらに沿って現状をご説明したい。
まず、まだ若い技術なので基盤技術を確率し、知的財産を京都大学が取っていく。皆様の多くにとって、特許は技術を独占するための手段だと思う。でも、私たちにとっては逆。技術を独占させないための手段だ。京大が特許を取ることで世界中の誰もが使えるようにしたい。だから、ライセンス料は多少いただくけれども独占はしない。それで懸命に特許を獲得してきた。それで製薬会社の資材部などで活躍していた人材を口説き、京大に移っていただいている。彼ら彼女らのおかげで京大の基本特許は日本とアメリカと欧州含む29カ国…、今はたぶん30カ国になったと思うが、それと香港の1地域で成立した。従って、一つ目の目標は相当達成できたと思う。
で、ふたつ目の目標は再生医療用iPS細胞のストックを構築すること。iPS細胞は皆さま一人ひとりから簡単につくることができるけれども、再生医療用にそれを移植するとなると少し話が違ってくる。実験室でちゃちゃっとつくる場合と異なり、再生医療用iPS細胞は薬と同様、クリーンルームでつくられる。そしてGMP(Good Manufacturing Practice)という大変厳格な規格のもと、徹底的に品質チェックを行う。その結果、最高級ウィスキーと同じぐらいか、もっと高くなってしまうわけだ。で、それをじゃぶじゃぶ使うので一人あたり何千万ものお金がかかってしまう。
また、細胞をいただいてから移植までに半年から1年の時間がかかる。急性期の病気や心臓の病気あるいは肝機能障害を患ってしまった患者さんは、1年待っていたら亡くなってしまうかもしれない。だから、ご本人の細胞を使っているとお金と時間の面で大きな問題になる。そこで、他の人からいただいた細胞で再生医療用iPS細胞をつくり、あらかじめストックしておくという計画を進めている。
それで今は京都大学に「iPS細胞外来」というものがある。CiRAには研究を行うと同時に医者として働く人も多く、週1度、彼らが交代で外来診療をしている。「所長はいいです」ということで私は診療をさせてもらえないけれど(笑)。で、そこへいらしたボランティアの方に趣旨をご説明して、「分かりました。協力します」と言っていただけた方から採血している。で、それを研究所のクリーンルームに持ち込んでiPS細胞をつくり、徹底した品質管理のうえ、液体窒素で凍らせて半永久保存している。
今はそれを慶應や阪大といった国内の研究機関にもお配りしていて、今後は企業や海外の方々にも配る計画だ。ただ、「本人の細胞じゃないから拒絶反応が起きるのでは?」と思うかもしれない。輸血と同じだ。何も考えずに行うと拒絶反応で患者さんが亡くなってしまうケースはある。ただ、その人のiPS細胞からつくった心臓や筋肉の細胞を他の誰かに移植しても、拒絶反応をあまり起こさないという、特殊な細胞の型を持つ人が世の中には数百人に一人おられる。我々は現在、そうした方を日本で100名見つけて、100人ぶんのiPS細胞をつくろうとしている。それだけで日本人の90%となる9000万人以上をカバーできる。そんな風にして、とにかくiPS細胞のストックも結構順調に進んでいる。
眼疾患、パーキンソン病など再生医療の臨床研究はここまで進んでいる
ただ、細胞をつくるだけでは役に立たないから、実際に再生医療の臨床研究を開始する、というのが三つ目の目標だ。臨床試験では、まず動物で安全性や効果を確認する。それで大丈夫だと分かれば次はいよいよ患者さんにご協力いただき、人間で安全性と効果をたしかめる臨床試験・臨床研究に入る。私たちとしては今後10年間でいくつかの病気に関して動物実験を終えたのち、そうした臨床研究に入りたい。この部分では文科省を中心に大変な支援をいただいていて、ある意味、ジャパン・アズ・ナンバーワンだ。iPSを使った再生医療についてはアメリカよりもヨーロッパよりも絶対に先を行っている。特に、パーキンソン病、眼疾患、心疾患、脊髄損傷、血液疾患といったいくつかの病気については臨床研究の直前まで来ている。
なかでも神戸の高橋政代先生。こちらではすでに臨床応用が始まっている。加齢黄斑変性という、高齢化に伴って増える網膜の病気がある。目を開けていただいている皆さまはまさに今使っておられるけれども(会場笑)、網膜の一番後ろには真っ黒な色素細胞の層がある。鏡も透明のガラスだけでは鏡にならず、裏に一層の裏打ちがあるから光を受け取るのだけれども、網膜も同じだ。ただ、その色素細胞が加齢とともに分厚くなったり破れたりして、光をきちんと受け取ることができなくなるというのが加齢黄斑変性だ。日本人の失明原因の2~3番目というほどの病気で、会場の皆さま全員を検査したらたぶん10人、あるいはそれ以上の患者さんが見つかるほどだと思う。最初はなかなか自覚症状が出てこない。
高橋先生は、その病気にかかった患者さんから皮膚細胞をいただいてiPS細胞をつくり、そこから真っ黒い色素細胞のシートをつくることに成功した。そして、その健康な色素細胞を去年9月、患者さんご自身の少し破れた色素細胞と入れ替える手術を行った。今はそこから半年が経過した。先日、横浜で高橋先生が本件に関する発表をなさっていたが、順調に経緯しているようで私たちとしてもほっとしている。
一方、CiRAでは脳外科医でもある高橋淳教授がパーキンソン病の再生医療に取り組んでいる。これも高齢化に伴って増えていて、80歳前後になると3人に1人はパーキンソン病の症状が出ると言われている。私もそうだが、皆さん、すべて明日は我が身だ(会場笑)。この病気になるとスムーズな動きが出来なくなる。歩こうと思っても最初の一歩をなかなか出ず、やっと足を出せたと思ったら止まれなり、どんどん速くなってどこかにぶつからない限り止まれなかったりする。パーキンソン病の患者さんからいただいたお手紙を見ると、最初の字がうまく書けていない。で、書けたと思ったらすごく大きい字になって、でも書き進むに従って今度はその字がどんどん小さくなり、最後は虫眼鏡で見ないと分からないほどになったりするという大変な病気だ。
原因はたった1種類の細胞だ。私たちの体には何百種類もの細胞があるけれど、そのなかのひとつとして、脳の奥にドーパミンという物質をつくる特殊な神経細胞がある。その1種類がきちんとドーパミンをつくれなくなるだけでスムーズな動きができなくなってしまう。ただ、原因はその1種類だから、iPSからその細胞をつくることができたらいい。高橋先生はそれに成功した。今は猿のパーキンソン病モデルで安全性と効果を確かめていて、大変良い結果が出ている。今年中に厚生労働省に臨床研究申請を出す段階まで来た。なお、高橋先生は私の同僚で今は副所長。脳外科医としてもパーキンソン病の研究者としても大変有名だけれど、最近は高橋政代さんのご主人ということでさらに有名になった。「僕はクリントンと一緒だ」と言っていて(会場笑)、「自分で言うな」と僕は話しているけれども(笑)。
さらにもう一人、同僚に江藤浩之先生がいる。4年前に東大から移ってきていただいた方で、彼はiPS細胞から血小板や赤血球といった血液の細胞をつくっている。それを輸血に役立てよう、と。輸血なら日赤がいるだろうと思うかもしれないが、ここにも高齢化の影響がひしひしと及んでいて、献血だけでは血液が足りなくなる。献血する側の若い人が減って、受ける側の高齢者が増えるからだ。10年後には述べ人数で100万人ぶんの献血者が不足するとされている。輸血さえすれば助かる命がそれで死んでしまうわけだから、これも高齢化に伴う大変な問題だ。その一つの解決方法として「iPS細胞から血液をつくろう」と。それで江藤先生が日赤さんとも連携して研究を進めている。具体例の提示はこの辺にするが、本当はこの他にも糖尿病や心臓疾患、あるいは脊髄損傷といったものに対する有望な研究がたくさんある。とにかく、こんな風にして3つ目の目標もかなり達成できているという状態だ。
いよいよiPS細胞を使った薬の開発へ
で、4つ目の目標が薬の開発だ。私は5年前、「これができなければ税金泥棒と呼んでください」なんて啖呵を切っていたが、これは大変だ。薬の開発にはどうしても時間がかかる。うまくいっても10年以上かかることが多く、10年以内というのは本当に大変だと思っていた。ただ、去年あたりから、特に難病・希少疾患に対して相当有望な成果が出てきた。難病・希少疾患と呼ばれるものは何百種類もあるが、それぞれ患者数は日本全国でも1000人や100人、あるいは10人だったりして、非常に少ない。だから製薬会社でもそうした病気の薬をなかなか研究できないわけだ。社会貢献として行うことはできても利益はほとんど望めないので。それで、「難病で苦しいだけじゃなく研究者からも見放されている」といった思いを抱いてしまう患者さんが多い。
しかし、iPS細胞を使うことでそうした病気に対する創薬が実際にできてきた。たとえば軟骨無形成症という難病がある。子どもさんのレントゲンを撮ると腕の骨の端のほうで、軟骨だからレントゲンにきちんと映らず抜けたように見える部分がある。それが成長軟骨と言われる部分だ。そこから骨ができることで背が伸びたりする。僕らぐらいの年齢になるとそれがもうないから骨も伸びなくなる。でも、その病気の患者さんには最初から成長軟骨がほとんどないから、骨、特に手足の骨が十分伸びない。
これは、軟骨の成長に重要なたくさんの遺伝子のうち、たったひとつの遺伝子のなかの、たった1文字が原因だ。私たちの細胞にはそれぞれ30億文字ぶんの設計図がある。そのなかのたった1文字が変わってしまうだけで軟骨ができなくなる。これは突然変異で、いつ誰に起こるか分からない。精子ができる段階、あるいは受精後の細胞分裂段階で変異が起こったりする。従って、いつ誰に起きるか分からない。これも患者さんが非常に少なく、根本的な治療法がない状態だ。
そこに切り込んだのが4年前に阪大からCiRAに来てくれた妻木範行教授になる。彼も整形外科医で、そうした軟骨無形成症の患者さんも数多く診療してきた。実は僕と世耕先生の高校の後輩だ。二つ下の柔道部の後輩で、昔から大変優秀だった。僕は二つ下の学年に関していろいろ思い出があって…、(フロアを見て)世耕だけ笑っているが(笑)、まあ、何を言いたいかというと何も言いたくないのだけれども(会場笑)。とにかく最近、妻木先生もこの素晴らしい仕事でメディアに取材を受けたりしていて、「山中先生にそっくりですね」と言われているようだ。髪の毛は僕のほうがもう少し濃いと思うので少し不満だけれども(会場笑)。
妻木先生は軟骨無形成症の患者さんと健康な方の細胞からiPS細胞をつくった。iPSの段階では、その二つにまったく差がない。そこで彼はiPS細胞から軟骨細胞をつくる方法も開発した。すると、健康な方のiPS細胞からはきれいな軟骨細胞がつくられた一方、この病気の患者さんからつくったiPS細胞からはほとんどできなかった。つまり、患者さんのなかで起きている「軟骨ができない」という病気を、実験室で再現したわけだ。これはiPS細胞の真骨頂でもある。一人の患者さんには新しい薬が1種類しか試せない。しかも、軟骨無形成症のような成長に関わる症状なら、薬の効果を見るために最低でも1年ほど同じ薬を投与し続けなければいけない。だから、特に難病・希少疾患ではなかなか新しい薬で調べることができなかった。
しかし、iPS細胞でその病気が再現できた。細胞の培養は小さなプラスチックのお皿で行うのだけれども、iPS細胞を使えば一人の患者さん由来のものを何百枚ぶんのお皿へと簡単にコピーできる。そして、その一つひとつに異なる薬の候補を試すことができる。しかも、軟骨自体は数週間でできるから、数週間でどのような効果があるかを見ることもできる。
彼が賢かったのは、そこで新しい薬を探すのでなく、ほかの病気で使われていた既存薬をまず試したことだ。すると驚くことにコレステロールを下げる薬で効果が見られた。iPS細胞ができたときもびっくりしたが、これにも相当驚いた。本会場でも飲んでいる方がいらっしゃるんじゃないかなというほど一般的な薬だから安全性も証明されている。東京農工大学名誉教授の遠藤章先生が開発されたスタチン系の薬だ。それをかけると、患者さんのiPS細胞から、ものの見事に軟骨ができあがった。
これは大きい。普通なら薬の候補が新たに見つかっても、そこから動物実験をしたり安全性を確かめたりするから、開発に10年ほどかかってしまう。でも、既存薬ならそれらのステップがほぼ済んでいる。皆さんも使用していて安全なことが分かっているので、大変早い段階で臨床に持っていけるのではないかと期待している。子どもさんが使っていた薬ではないから、子どもさんに対する投与の量やその際の安全性は検証しなければいけない。ただ、それでも1年ほどで実際の患者さんに投与できるのではないか。そのように、すでに用途の決まっている薬を別のところで使おうとすることを、「ドラッグ・リポジショニング」と言う。コストも時間も非常に小さくできるため、数ある他の難病研究でもどんどん行っていきたい。
薬に関してあと一つ。個別化医療というものもiPS細胞で進めたい。これもCiRAで井上治久教授らが中心になって進めている研究だ。たとえば認知症に関し、これまでは、「同じ薬でも効く人と効かない人がいる」「人によって副作用が出る」「数年飲まないと分からない」といった問題があった。そこで井上先生は認知症の原因となるアルツハイマー病の患者さんからiPS細胞をつくり、そこから神経細胞をつくった。すると、やはりその神経細胞は正常な細胞と比べて少し元気がないことが分かった。病気が部分的に再現できたわけだ。で、そこに薬を投与すると効く細胞と効かない細胞がある。そしてその薬は、効いた細胞の提供元となっていた患者さんご自身にも効いた。患者さんによって異なる効果を細胞で簡単に予測できることが分かってきたわけだ。従って、iPS細胞を使うことによって、どの患者さんにどのタイプの薬を使えば良いかが予想できる。そうした個別化医療も実現させたいと思う。
研究者の安定雇用、プロフェッショナル人材の調達…これからの課題
このように、iPS細胞の研究は前臨床研究から臨床研究に差し掛かったが、これからが本番だ。臨床研究を経て治験から承認となると、まだまだ道のりは長いしコストもかかる。また、数多くの人材も必要だ。研究者も大切だけれど、それ以外にも知財や規制や契約に関するプロフェッショナル、非常に高い技術を持った技術員、そしてサイエンスコミュニケーターや広報等々、とにかくいろいろな人材が必要になる。
ただ、国立大学には研究者・教員と事務職員以外では各エキスパートのポストがない。この点は研究所の所長として非常に苦しんでいるところだ。今は200人以上の教職員がいるけれども、その9割にあたる191人が有期雇用。任期は数年で、しかも有期雇用だから昇給もほとんどなく、昇任・昇格もない。CiRAには民間企業を辞めて来てくれている20~30代の方が多い。で、そういう方々も最初は気持ちで頑張ってくれるものの、結婚して子どもさんができたら、やっぱり昇給・承認するシステムがないと無理だ。だから優秀な人材から再び民間へ帰ってしまう。
現在、国から年間およそ40億の支援をいただいている私たちが文句を言えば、他の研究者の方に石を投げられるのは分かったうえで、あえて現在のファクトをご紹介したい。私たちがいただいている資金の大部分は競争的資金と言われるもの。研究者同士が数年ごとに競い合った結果、上位2~3割の人がもらえるお金だ。これ、健全な競争を刺激する意味では大切だけれども、やはり人の安定的雇用はできない。数年単位のプロジェクトが終われば雇用もおしまいで、昇任も基本的にはあり得ない。組織をつくるためのお金でなくプロジェクトを進めるためのお金だからだ。
一方、組織をつくるために国からいただくお金は運営交付金と言われている。こちらは安定的にいただける。ただ、その比率が国立大学の研究所では…、私たちだけではないと思うが、圧倒的に少ない。他の公的研究機関である理研や産総研では運営交付金の割合が大きいため、非常に安定している。だから、その交付金に関しては我々としても国に一生懸命お願いをしているが、国のシステムを変えるのはなかなか難しいこともよく分かる。
この点、アメリカはどうかというと、NIH(National Institutes of Health)もお金には大変困っていて、我々と同様、競争的資金が圧倒的に多い。ただ、アメリカでは研究者がきちんと30~40年雇用されている。なぜならファンドレイジングなどで国以外からお金を集めて雇用するからだ。だから私もアメリカの良いところは学ぼうということでファンドレイジングを一生懸命やっている。マラソンに挑戦してクラウドファンディングを行って、皆さまにも大変お世話になった。ただ、300~400人の研究者を安定的に雇用しようと思うと、最低限、年5億円ぐらいは欲しい。マラソンを1回走って1000万だから50回走らないといけない(会場笑)。最近は懸命に走っていたらだんだん速くなって、先般はとうとうサブ4を達成したが(会場拍手)。ありがとうございます(笑)。
そうしたお金で長期雇用を実現する一方、研究環境の改善や若手研究者の教育を行っていきたい。研究者の教育は本当に重要だ。ただ、それが競争的資金ではできない。それで、研究所でも「所長に毎週走らすのは可哀相」とのことで、たとえば研究基金に関する資料請求先フリーダイヤルまでつくってくれた(会場笑)。0120-80-8748。「ハシレヤマナカシンヤ」と(会場笑)。ぜひメモして帰っていただけたらと思う(笑)。少し長くなってしまったが、iPSに関しては‘ジャパン・アズ・アンバーワン’を今後も維持したいと思う。課題も多いが、今後ともよろしくお願い致します(会場拍手)。
→iPS細胞の未来 ~再生医療の実用化が世界に貢献する日~[2]
※開催日:2015年3月20日~22日
執筆:山本 兼司