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ある関西人がシリコンバレーで戦うまでの道のり

投稿日:2015/05/11更新日:2019/04/09

地域発ベンチャー大国・日本をつくる[1]

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高野真氏

高野真氏(以下、敬称略):本セッションのテーマは、「地域発ベンチャー大国・日本をつくる ~関西はシリコンバレーになれるか~」となる。ただ、パネリストの皆さまとは、「関西がシリコンバレーになれるか、というのも少し変じゃないか」という話になっていた。「なれるわけないだろう」と(会場笑)。シリコンバレーにあるようなエコシステムではない、関西型のエコシステムがつくれるかといったテーマになると思う。いずれにせよ、壇上の御三方は新規ビジネスやスタートアップといった領域にかなり近く、あるいは実際にそれをしてきた方々だ。しかも、岩田さんと谷井さんは若いし、吉川さんも、そこそこ若い(会場笑)。ということで、まずは自己紹介を兼ね、今回のテーマに関連してこれまでやってきたことや現在の取り組みをご説明いただきたい。

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岩田進氏

岩田進氏(以下、敬称略):私がロックオンを創業したのは学生時代になる。関西学院大学に入学した私は3週間ほどで休学して、「世界を飛び回る格好良い大人になりたいな」と、まずはバックパッカーで海外を回った。で、それはそれですごく楽しかったのだけれど、途中から少しずつ飽きてきた。なにかこう、「仕事で世界を飛び回るようなことがしたい」と思い、日本に帰って会社をつくったという経緯になる。

ただ、最初から海外に行けるわけじゃないから、10年ぐらいはしっかり地盤をつくって、ある程度のタイミングで世界に挑戦しようと思っていた。それで10年ほど経ってみて社員が50名ほどになり、利益は1億ほど出るようになってきたので、いよいよ世界ということになった。我々の事業はアドテク。今どきのインターネットのテクノロジーサービスだ。それで、「この分野ならシリコンバレーへ行かずして世界を語るのはいかんだろう」と、まずシリコンバレーに子会社を設立した。ただ、視察ベースでやっていてもなかなか周りは見えてこない。実際に住んでみるなかで世界もいろいろ見えてくるんじゃないかということで、2年ほどシリコンバレーで生活をした。

そうすると、いろいろ見えてくる。やっぱり日本のやり方とシリコンバレーのやり方はまったく違う。のちほど詳しく説明したいが、シリコンバレーはあまりにも圧倒的だった。だから、オーガニックにやっている限りは絶対に勝てないと思った。ただ、一方ではどうやって勝っていくのかというポイントも、ある程度要約できた。シリコンバレーになく日本にあるものもだいぶ理解できたと思う。だから負けているところを補いつつ、我々にしかできないことを実現し、改めて世界に挑戦しようと考えた。

それでいくつか宿題を持ち帰ったのだけれど、その一つが資金力だ。我々の資金力とシリコンバレーの会社の資金力が違い過ぎる。彼らはシリーズA/B/C/Dを経てIPOといった感じのステップアップをしていく。で、シリーズAでおよそ5億円の資金を調達して、シリーズBでは15億。そしてシリーズCでは30億を調達して、シリーズDまでいけば50億だ。その時点でおよそ100億調達している。で、IPOのタイミングでさらに100~200億といった感じになる。

一方、日本ではベンチャーキャピタル(以下、VC)さんでだいたい3000万円といった感じだから、もう桁が違う。「これはちょっと勝負にならないな」ということで、まずは日本でIPOをしようと考えた。それでもたいした調達はできない。5億や10億といった程度だ。シリコンバレーのシリーズA相当。だから東証マザーズはシリーズAという理解のもと(会場笑)、昨月9月17日に東証マザーズへ上場させていただいた。これから世界に向けて頑張っていきたい(会場拍手)。

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谷井等氏

谷井等氏(以下、敬称略):先日上場されたロックオンさんと、もうすぐ上場廃止する当社ということで(会場笑)。10月1日にヤフーの子会社になり、私としては2社目のイグジットになる。1社目は2000年、楽天さんに買っていただいた。で、今回はヤフーさん。伝統と格式の世界とは真逆の、金融資本主義に生きる経営者のように最近はいじられっぱなしだ(会場笑)。でも、結構まじめな考えで仕事をしている。(08:05)

私の実家は洋服屋で、当初は紆余曲折あって実家の洋服屋で働き始めた。けれども洋服なんてそんなに売れない。粗利率も低く、小売専業だから売れない。店頭でどうやって売ればいいのかを一生懸命に考えて、当時は接客のロールプレイングをしたり、ポップの書き換えをしたり、ディスプレイの商品を毎日変えたり、いろいろなことをしていた。それでも、なかなか売上が上がらない。

それで考えに考えた挙句、最後にすがるような気持ちで見つけたのが顧客データだ。顧客名簿がお店にあって、それにメールアドレスをもらうようにした。で、お客さまのアドレスにいろいろとメールを送る。なにしろお店が暇だったから。すると返事が来たりする。紙のDMは1通100円ほどコストがかかるけれど、返事なんて一切ない。皆さんのご自宅にもDMはたくさん届くと思うけれど、それを手に持って「ハガキありがとう」と、店に行った経験ある人はいないと思う。でも、メールは返事が来る。

それで、「これは大変な価値があるな」ということで、1998~99年ぐらいにインターネットを使った販売促進をしていた。それで大阪の場末にある洋品店の売上が2割ほどあがった。小売で売上2割アップは結構インパクトが大きい。それで、それなら日本全国の会社でできるだろうと考えた。現在はCRMというマーケティングにおける一つのキーワードにはなっているけれど、顧客データとインターネット技術を使った販売促進を、我々は現在の会社で2000年から始めていた。

で、我々が今目指しているのはビッグデータの領域だ。顧客データを活用して販売促進をすると、その第1弾として一気に上がることは上がる。ただ、そこから先がしんどい。そこをブレークスルーしようとすると、いわゆるビッグデータ的視点で顧客情報を用いた行動予測の領域に進まないといけない。で、その技術開発・研究をずっとやってきたのだけれど、我々が消費者の行動を予測するときは二つのファクターがある。一つは予測をするアルゴリズム精度を高めていくこと。これは分析ロジックの話だ。で、もう一つは分析対象となるデータを莫大に増やすこと。この二つだ。

で、我々これまで、企業さんの顧客データをクラウド型のシステムで管理させていただいてきた。今はおよそ4300社の顧客データをお預かりしている。今はそのマーケティングデータだけを横断的に統計・解析して、アルゴリズムをつくっていくということをしている。ただ、それでもデータ量に限界がある。それで今回ヤフーさんと手を組んで、検索データやクッキーデータ、あるいはヤフーショッピングの購買データといったものまで使って消費者行動予測をやっていこう、と。そのためにヤフーさんのグループに入り、さらに事業を伸ばしていこうと考えている(会場拍手)。

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吉川正晃氏

吉川正晃氏(以下、敬称略):私が大阪市役所に公募で入ったのは1年半前になる。なぜ公募に手を挙げたかというと、私自身がこれまで、いつも社内アントレプレナーということで新規事業をやっていたからというのが一つある。それと、自分の事業でコンソーシアムを多用していた経験があったためだ。そうした二つの強みを生かす場所として、今の職場がすごくいいんじゃないかと思って手を挙げた。(12:19)

私は1977年、クボタという会社に入った。当時のクボタは「海外に出て行くんだ」ということで、海外にいろいろと拠点をつくっていった。そのなかで私も29歳でロサンゼルスに駐在させてもらって、その分野でクボタの代表をするような形になっていった。で、そうこうしているとクボタが…、農業機械や鉄管というのは市場が成熟していて、「これは将来がないな」ということで、「これからはコンピュータやITや」と言い出した。そこで最初にシリコンバレーのアーデントコンピュータ(旧デーナコンピュータ)という会社にいきなり投資をした。それで極東での製造権と販売権ももらった。

で、そのときはスーパーコンピュータのミニ版のような、科学技術計算用のコンピュータをつくろうという話になり、当時出てきたばかりのRISCでつくり始めた。そうしたらMIPSが潰れかけたので、こちらも助けないといかん、と。クボタはMIPSの株もアーデントの株も買いながら、とにかく素人ながらやっていった。私はそのなかで国内マーケティングをやったりしていた。そこでシリコンバレーも見させていただいて、「すごいところやな」と、ITの世界でいろいろな経験をさせていただいた。

一方で、クボタとしてはコンピュータをやるにしてもハードは難しいということで、次はソフトウェア事業に移っていった。私自身は適応能力が高かったと思うが、その都度、「お前は必要やから次の事業に」なんておだてられながら、行っていた。それでソフトウェアをつくり、ソリューションをつくり、売上は10億ぐらいがピークだったと思う。ソフトだから、まあ、いいビジネスだった。ただ、いろいろな事業があったけれども、最終的にはクボタとしてそういう事業を止めるということになった。それで、どこかにその事業を売らなければいけなかった。100名近い人間がいたところで役員をしていたから責任を感じていたし、必死になって売却先を探して売ったという感じだ。

で、2年ぐらいトランジションを見て、「まあ、これでええやろ」と。それで、どこか次がないかなと考えていたとき、現在の仕事を見つけた。冒頭で申し上げた通り、私がやってきたことのほとんどは新規事業やコンソーシアムの立ち上げだ。だから大阪における新規事業立ち上げの、ある種、街ぐるみでコンソーシアムといったイメージで現在の仕事を捉えていた。で、「それならできるかな」ということで応募したら、めでたく合格させていただいたという流れになる。

私がなぜ起業を支援する立場になったかというと、そういう背景がある。あと、私としては雇用を守って頑張っている人間を見ると応援したくなる。雇用を守るためには大変なエネルギーがいるので。結局、会場の皆さまも雇用をつくっていらっしゃるような方々だし、そういう意味では営業だと思う。でも、世の中には経営者のことを資本主義の権化のように捉えてしまって、「あぶく銭とってるんちゃうか」「搾取してるんちゃうか」と思ってしまうような風潮もある。「それはちゃうやろ。経営者というのは営業なんや」ということを言えないかなと思っていた。で、それができるのは大阪市ぐらいだろうと思ったというのもある。

ただ、「いきなり教育なんか無理です」と。「教育だなんて大上段に構えたら、もういろいろなところからどつかれます」と言われた。それで、できるところからやろうということで、今は皆さんとご一緒させていただいている。具体的にどんなことをやっているかは、のちほど話しましょうか。そういうことになる(会場拍手)。

→地域発ベンチャー大国・日本をつくる[2]は5/12公開予定

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