本日は皆さまとお話しできる機会を与えていただき、大変感謝しております。本当なら勤務を終えて一杯飲もうといった時間なのに、ふたたび授業のようなものを聞くのは大変かと思います。ですから今日は、何かひとつでも皆さんのお役に立てるような話をしていきたいと思っています。『危機の経営グローバル市場を見据えたものづくり』というテーマですが、最近は皆さんも新聞やテレビのニュースで、韓国のサムスン電子やLG電子が大変躍進していて、日本がいかにもだめになっているといった論調をずいぶん目にしていると思います。
たしかに、携帯電話、テレビ、液晶パネルといった分野では本当に敵いませんが、何故そのようになったのかをほとんどのかたが分かってらっしゃらない。私はたまたま縁あって、1987年にサムスン電子の李健煕会長と知り合いました。その後ときどき韓国へサムスンを見に行っていたのですが、当時は本当にひどい会社でした。とにかく会社の体を成していなかった。最初は三星電子と言われても、三ツ星ベルトと間違えて「どうして韓国で長靴をつくっているんだろう」なんて思っていたぐらいでしたから。
ところが危機感を抱いた会長の大号令により93年に三星電子からSamsungへと社名を変更するとともに「女房と子供以外はすべて変えよう」という悲壮な覚悟で革新を行っていったんですね。その年に私も拉致されて(会場笑)サムスンへ行きました。半年前後で戻ってこようと思っていたのですが、気が付いたら2004年まで10年間いることになりました。その間、さまざまな浮き沈みを経験しました。特に98年のIMF危機は今の日本の危機どころではなかった。金融危機で韓国の外貨がなくなってしまったわけですら。でもそれらを乗り越えてきたからこそ今日のサムスンがある。ですからどうやって危機を乗り越えてきたかということを、私の体験からお話ししたいと思っています。
産学官で社会インフラの国際標準を取りに行け
最近、特にグローバル市場や新興国といったキーワードをよく耳にしますよね。新興国にどう対応したら良いのか、BOP(ボトムオブピラミッド)市場をいかに攻めるかとか、あるいはボリュームゾーンをどうするか。色々と新しい単語が出てきますが、それらすべてを含めてひとつの新しい市場が生まれてきたんです。産業構造にルネッサンス以来の大きな変化が起こっているということ。それは2000年に始まったのですが、日本の企業はそこにほとんど気付いていなかった。最近ようやく気付いてきたわけで、韓国に比べると10年を一周とすれば周回遅れになっています。ただ気付いてはきたので、なんとか日本も立ち直れるという気がしています。私も日本に戻ってきてから3〜4年ぐらい経済産業省にしつこく話をしていて、なかなか腰を上げなかった彼らもようやく平成19年に産業構造審議会というのを立ちあげました。そしてさまざまな分科会を経て、今年の6月2日に日本産業構造ビジョンというものが出た。そこでこれから色々と法律を変えなければいけなかったのですが、その矢先に鳩山さんが辞めてしまった。ですから作業がまた半年ほど遅れるとは思います。ただいずれにせよ、ひとつの国家戦略ビジョンは出ています。経済産業省のサイトでも公開されていますから、ぜひ皆さんも見ておいてください。産業構造ビジョンとして5つの戦略が挙げられています。
ひとつ目は、新興国の、いわゆる社会インフラを攻めていこうということ。新興国市場におけるテレビや白物家電といった分野では韓国に勝てないし、いずれ韓国も中国に負けるかも知れないという状況にある。それなら新興国ではまだ未整備な点の多い鉄道、ガス、水道、発電といった社会インフラに力を入れていこうということです。日本は社会インフラの整備に関して高い技術を持っていながら、これまではグローバリゼーションのなかでうまくアピールできていなかった。たとえば昨年12月にUAEのアブダビで原子力発電所建設の受注があったことはご存知ですか?日本勢は圧倒的な技術力で受注できると信じていたのですが、あとから入ってきた韓国に持っていかれてしまった。経産省にはこれがショックでした。「どうしてだ」と。皆さんおわかりですか?韓国は原子炉なんてつくったこともないんですよ?使ってはいます。フランス製を15基。でも日本では、東芝、日立などがきちんと自分で原子炉をつくっている。それでも負けたんです。何故かということですよね。これは後でお話ししますが、日本は技術立国として「技術技術」と言っていますが、技術が競争優位になっていないという大きな証拠なんです。日本人は世界に誇る技術をたくさん持っていると思っていますよね。それ自体は正しい。しかし技術が競争優位に繋がっていないし、利益にも繋がっていないんです。
そもそも日本のものづくり、これは世界に冠たるものだと皆さん思ってらっしゃいますよね。ところが日本の外ではほとんど通用しない。ものづくりというと、皆さんは生産現場をイメージするでしょ?どちらかというと匠の世界。日本がこれにばかり入り込んでいたため、今日、韓国や中国勢に10年の遅れをとってしまったんです。しかし、今日お話しする「新しいものづくり」の概念を実践していけば、日本も改めて新しい高度成長に入り、日本の復活も現実のものになるだろうと私は考えています。
経済産業省が示した他の戦略についても話しておきましょう。5つの戦略のうち、二つ目は環境・エネルギーです。環境・エネルギー分野に傾注していくということは、先程お話しした社会インフラも含めて「システムとしてやっていこう」ということ。私たちはこれを「スマートコミュニティ」という言葉で表現しています。今まで政府は受注ひとつにしても民間に任せっぱなしでした。それぞれの企業が勝手ばらばらに海外で戦っていたんですね。しかし今後は政府が戦略的にトップセールスをやると言っているわけです。また、日本は技術には強くても国際標準化に弱い。独自の技術でやってしまうんです。それで負けたのが携帯電話ですね。国際標準化争いではものの見事に負けてしまいました。日本の携帯電話はNTTドコモをはじめとても優秀ですよ。でも国際標準化をしなかったから世界に相手にされず、いわゆる「ガラパゴス現象」に陥ってしまっている。だから今後は国を挙げて積極的な国際標準化に取り組んでいくということ。これを私たちはスマートコミュニティと呼んでいます。
三つ目の戦略は文化です。漫画やアニメをはじめとした日本のコンテンツは世界的にみても非常に水準が高い。これを海外へ売っていきます。今さらそんなことを言っているのですが、そもそも麻生太郎・元総理が自民党で掲げていた“アニメの殿堂”(国立メディア芸術総合センター)は民主党が潰してしまったもの。「なんで潰したのか」と思いましたけれども、あれは恐らく麻生さんが音頭をとっていたから潰されたんです、漫画が好きだから(笑)。でも、あれはつくるべきなんですよ。外国の人々が「アニメや漫画を見たい」、「日本のコンテンツを見たい」と言って日本を訪れても今は観る場所がない。せいぜい秋葉原ぐらいですよね。でも殿堂があれば世界中から人々が訪れてくれる。現在は経産省レベルでの戦略ですが、菅内閣がもし参議院で勝てば、そこでオーソライズしていくことになると思います。
四つ目の戦略は医療・介護・健康・子育てビジネス。これは我々も分科会で議論しているのですが、医療・介護・健康・子育てに関わる高度な技術を今から構築していこうという戦略です。もの凄い先端技術が採用されていく分野ですから。介護ロボットをはじめとした高齢者医療・介護に関するノウハウは、世界でも日本にしかありません。なぜなら日本が世界一の高齢化社会だからです。この現状を足がかりにして、ひとつのシステムにまとめていこうという戦略です。5〜10年もすれば韓国・中国・インドなど海外でも高齢化が進んでいきますよね。そのときにノウハウを輸出しようという遠大な計画です。
そして五つ目の戦略は、いわゆる先端技術らしい先端技術。ロボットや宇宙ステーションといった科学技術ですね。同分野における日本のプレゼンスは大したものです。アメリカやロシアが衛星を飛ばしていますが、日本だってこのあいだ「はやぶさ」が小惑星のイトカワに行って帰ってきました。アメリカも持っていないようなもの凄い技術を持っているのだから、その科学技術を輸出していこうということです。ナノテクや炭素繊維も同じです。炭素繊維については日本が圧倒的に強い。これらの技術分野で、日本はこれまで各企業が単独で戦っていました。しかしこれからは、システムとしてさまざまな連合を組んで、これを政府が後押しをしていこうということです。実現すれば大変な成果に繋がるでしょう。経済産業省はそれをやっていこうという方向になりましたから、私としては、実は日本の未来は非常に明るいと考えています。ちょっと前置きが長くなりましたが、冒頭はこのような感じで明るい話でした。これから少々暗い話になっていきます。
石橋は渡らない、金と度胸で勝負する韓国
まず「ものづくりとは何か」ということを考えていきましょう。私が2004年に帰国した当時、日本は「ものづくりの技術は韓国や中国にキャッチアップされているんじゃないか」という自信喪失に覆われていました。当時はパナソニックやシャープといった電機メーカー、特に携帯電話をつくっているところが韓国勢に滅茶苦茶にやられていましたから。「何故なんですか?」ということで、あちこち企業に呼ばれて話をしていました。で、とにかく皆、自信をなくしていた。いつも下向きで、もう自信をなくしたというより、やる気を失ってしまっているという印象さえ受けました。しかし技術そのものはキャッチアップされていなかったんです。製品はキャッチアップされていましたが、日本の技術はそれ程やわなものじゃありません。ただ、技術がキャッチアップされたわけでもないのに製品がキャッチアップされたというのも不思議な話ですよね。自信を喪失する必要はまったくないのですが、日本人というのは自信をなくすととことんうなだれる習性がある。
それから、「日本のものづくりがグローバリゼーションの環境変化に立ち遅れているのではないか」という話がありました。グローバリゼーションという言葉自体は皆さんも口にしたことはあるでしょうし、聞かされたこともあるでしょう。実際、あちこちで言われていた。たしかにこの「グローバリゼーション」が非常に大きなキーワードだったんです。
日本企業の経営者もグローバリゼーションとは言いますが、本当の意味はまったく分かっていない。私はあちこちで質問しました。「つい5〜6年前は国際化と言っていたじゃないか。国際化とグローバリゼーションはどう違うんですか?」と。皆さんも考えてみてください。「英語と日本語の違いだ」なんて言う人もいました。そんなことはないですよね。国際化はinternationalizationですから。いちばん多かったのは「最近の流行語」という答えです。日本の経営者の考えはこの程度なんですよ。これでは日本が危ない。その程度のままなら本当に世界から相手にされません。日本はグローバリゼーションと国際化が大きく違い、現在の産業構造が大きく変わっていることも理解しなければいけない。昔の産業革命とは言わなくとも、それに匹敵するぐらいの大きな変化が起こっているんです。そのキーワードがグローバリゼーションなんですね。日本はそれに立ち遅れていました。
日本のものづくりはグローバリゼーションに適用していけるのでしょうか。たしかに現在の日本はガラパゴス現象に入っています。ガラパゴスというのはご存知ですよね。アフリカの南にあり、ダーウィンに種の起源という進化論の着想を与えた島です。ガラパゴスにいるゾウガメやイグアナはよその島に行くと死んでしまう。環境が変わると適応できなくなってしまうんです。日本製品もそのようなガラパゴス現象に陥っている。日本で皆さんが使っているテレビや冷蔵庫は、日本から一歩出るとほとんど使えないんですよ。アメリカなど、日本と同じレベルの豊かさを実現している一部の人々は使いますが、新興国やアジアに出て行ったらほとんどだめ。もうタダでも嫌だと言われます。グローバリゼーションに際しては、ものづくりの経営戦略と開発プロセスも当然変わってくるのですが、日本がこの変化にも気付いていませんでした。
さらに冒頭でもお話ししましたが、技術的イノベーションが競争優位の源泉に繋がっていなかった。これについては経済産業省も当初、「そんなことはない」と言っていました。「テレビや携帯といった一部の分野で負けてはいるが、他はそうじゃないんじゃないか」とね。でもアブダビで原子炉をつくったこともない国に受注を持っていかれたことが大ショックだったんだと思います。
色々と悲観的な話を続けます。日本の一人当たり名目GDPは、2000年は主要国のなかで3位でした。しかし2007年は19位、2008年は23位まで落ちてきた。もう経済大国でもなんでもないんですよ。OECDでも下から3番目。標準的に使われているIMD国際競争力でも同様の結果が出ています。93年からずっと1位だった日本は、2000年以降にどんどん順位を下げて2007年には24位、今年2010年は28位まで落ちた。アジア勢でベストテンに入ったのは台湾のみで、8位です。中国は18位、韓国は23位、そして日本が28位。これほど日本は失われていて、世界で相手にされていないんです。だから鳩山さんがアメリカに行ってあれだけ馬鹿にされたのは、鳩山さんのせいだけではないんですね。日本全体がそうなってしまったんです。バングラデシュやベトナムに行って一般の人々にジャパンだなんだと言ってみたところで、どこにあるか誰も知りません。サムスンやLGは知られているし「韓国はここだ」と分かるんです。
そんな状況に陥っているにも関わらず、研究開発投資額は2007年に19兆円で世界3位。2位はEUだから単独国家としてはアメリカに次いで2位です。同年の研究者数も社会科学を含めると71万人でアメリカとEUに続く3位。研究者の数はすごく多いんですよね。で、同年の特許取得数は…、もうダントツで1位ですね。23.1万件で、アメリカの倍以上です。このデータからも分かるように、日本は何かイノベーションや発明を起こすと特許をとってクローズしてしまうんです。過去はそれでも良かった。でも今はクローズしているとどんどん取り残されてしまう。これがグローバリゼーションにおけるひとつの特徴ではないかと思います。
もう「特許だ特許だ」と言っている時代ではないんです。新しいものを出したら公開して、仲間を増やしていくことが重要なんです。政府があれこれ騒いで争わなくとも、仲間を増やすことで皆が日本のつくった規格を守ってくれればデファクトスタンダードになっていきます。たとえば来年から地デジになりますよね。地デジにも規格がありますから、日本の総務省がグローバル化を目指して頑張っていた。ヨーロッパやアジアは相手にしてくれなかったのですが、南米はほとんど取ったんです。8カ国すべて、日本の規格で地デジを放送することになりました。しかしそんなことをやっているうち、規格はとったけれども地デジが映るテレビはぜんぶサムスンに取られてしまった。サムスンとLGはずっと見ていたんですよ。そして日本の地デジが南米を制覇しそうだとみた瞬間、一気呵成に生産していったんです。だから南米ではサムスンやLGのテレビが標準になる。日本が後から行っても、もう勝てないということで、また実をとられてしまった。総務省、NHK、パナソニック、シャープ、東芝、NEC…、彼らが連合になっていけばすべて取れていたんですよ。それを勝手ばらばらにやって国も知らんと言っているわけですから韓国に負ける。これがグローバリゼーションの大きな流れのひとつなんです。
日本の製造業では、営業利益を研究開発費で割った比率もどんどん下がってきています。お金をつぎ込んでも利益が上がらなくなっているんですね。これは今までのように、「イノベーションがあればいい」とかいう考えかただけでは世界で戦っていけないということの証拠でもあると思います。これは私の仮説ですが、韓国にいたころ日本を見ていて、どうも日本が変に見えました。日本の企業は景気が悪くなると一斉にR&D費や設備投資を抑えますよね。経費節減というやつです。皆さんの会社でも、最近は恐らく「廊下の電気を消せ」とか「新幹線はグリーンはだめだ」とか、ひどい会社になると「『のぞみ』はだめだ。『ひかり』で行け」とか言われているでしょ?これに皆さんは慣れていて、「不景気だから仕方がない」と思っていますが、そんなことはありません。経費削減の効果なんて僅かなものですよ。暗い気持ちになっているのにさらに電気を消して暗い気持ちになっちゃったら(笑)、良くないですよね。これは韓国から見ると非常に大きな指標になってしまうんです。「日本が設備投資を抑制したら、こちらが設備投資の加速をしよう」という指標に。これは目先しか考えていないから。景気が悪くなったということは、後で振りかえってみると1年から1年半前に悪くなっているということなんです。悪くなったと分かったときには上向きになっているんですね。だからそのタイミングで大きな投資を行う。無謀な投資と先見の明は紙一重です。日本の経営者はどうしても慎重になってしまいますが、韓国の経営者は「無謀な投資と分かったときにやめればいい」と考えます。金と度胸でどんと勝負するんですよ。韓国、台湾、中国に負けているのは金と度胸で勝負したものなんです。だから、負けているのはプロセス産業が多い。設備投資が鍵になりますから、半導体メモリなんてまさにそうなります。膨大な設備投資が必要になのに、日本はその判断ができない。液晶パネルや携帯電話も同様にことごとく負けてしまう。日本は金があっても度胸がないんです。グローバリゼーションでは度胸がないと勝てません。国としては「これからは金がなくても度胸がある中小企業は国が支援しよう」と、明確に掲げているわけではありませんが、そんな考えかたでやるようなことになっています。日本には、「石橋を叩いて渡る」という諺がありますよね?でも韓国は「石橋なら渡るな」という発想なんです。何故か分かりますか?石橋なら最初に渡ってもすぐ誰かが追従してくるからです。だから「崩れそうな木の橋を急いで渡れ」ということなる。渡った瞬間に橋が崩れたら2番手以降はついて来ることができませんから。一部の例外を除き、グローバルでやろうとしたら1番しか目につかないからです。
だから韓国は何でも一番を目指します。スポーツでもなんでも一番じゃないとだめなんです。日本は豊かになったからということもありますが、オリンピックで銅メダルでも凄く喜ぶ。その意味では、韓国や中国のほうが勢いがありますね。日本が通り抜けた明治時代の『坂の上の雲』を、彼らはちょうど目指して登っているんです。目標がありますから。日本はもう目標をクリアしてしまったから坂の下の沼か何かを目指して「うわーっ」と落ちている(会場笑)。転げ落ちてはいるけれど、完全に落ちる前に辛うじて経産省がとどまろうとしているわけです。これから新しい雲を見つけようと。それが先程お話しした5つの成長戦略なんですね。
「もの=設計思想」と「つくり=職人仕事」を分けて考える
ここでがらりと変わり、日本人のものづくりに関する私の仮説をお話しさせてください。
実は『ウェッジ』という雑誌で中西進さんという、万葉の権威で奈良の万葉文化館の館長をやっておられる方が、「日本文化はどう展開したか」という連載をやっています。その第1回目をたまたま読んだのですが、そこに「“もの”というのは約一万年前の縄文時代、メラネシアからマナ信仰として渡ってきた」ということが書いてありました。そこでマナは、aがoに変わるという日本語の通則によって“もの”になったというんです。メラネシアは今のポリネシアですかね。たしかにあの辺にある「たらいも」という言葉は「とろろいも」になっているし、他にも同様の例はたくさんあります。
つまり、ものというのは形あるものではなく考えかただということ。たとえば「もの思いに耽る」と表現するときの「もの」はひらがなですよね。漢字の「物」というのは、後になって出てきた表現です。「ものがたり」も同じ。ここで言う「もの」は考え方なんですよ。それを語るということ。ちなみに哲学者のアリストテレスは約2000年も前に、物質すなわち「もの」は、形状と質からなるものと定義しています。質というのはスペックですね。我々は「設計思想」と呼んでいますが。
そういうことを日本は随分と前から分かっていたのだけれど、どうやら江戸時代のとんてんかんとんてんかん…、匠の世界に入ってから「ものつくり」と言うようになったんです。実は「ものづくり」というのは最近つくられた言葉で、公式には存在しない言葉だから辞書にも載っていません。匠の世界では「もの“つ”くり」なんですよね。皆さんが見ている生産技術や生産現場は「ものつくり」。濁りません。辞書には農工作の器具をつくるという意味で載っています。ですから「もの」と「つくり」を分けないといけない。中西さんは「ものづくりとは古代から持っていた超信仰的な力であり、それを形として表現したものである」と言っています。私はそこで「もの」を設計思想という言葉に訳したらどうかと考えています。その設計思想を有形物につくり込んでいくというプロセス、人工物につくり込んでいくというプロセスが、製造業のものづくりプロセスと言って良いのではないでしょうか。
で、韓国の話に戻りますが、私はサムスンにいた当初、日本のものづくりを教えていました。でも、彼らにはものづくりの思想がまったく合わなかった。何故だろうということで韓国の歴史や文化を調べて、ついにはハングルで本を出すまでに至りました。韓国人に「韓国の文化はこうだ」と伝え、あちらにいる間はずいぶん講演も行ったし、KBSテレビや新聞にもとりあげられました。韓国は1392年に李王朝の時代となってから、仏教を排除して儒教を取り入れるようになった。これは朱子学ですね。朱子学が入ってきてから、北朝鮮も含めた現在の韓国文化が構築されていったんです。朱子学は朱子という儒学者が唱えた学問ですが、彼はちょっと変わった儒教を唱える人物でした。儒教というのは、孝を施すことを教えるもので、いかにして孝を施すかということを様々な儒学者が各々説いているのですが、朱子は、ちょっと変わった儒教を唱えたんですね。簡単に言ってしまうと儒教で目標を達成するためには孝を施すには貧乏人ではだめだと説いたんです。朱子学を読むとそう書いてある。富が必要だと説いているんです。で、富は得るには権力がないとだめ。この辺までは日本の政治家とも合っていますよね。ただ権力をどうやって持つか決めようというとき、韓国は試験で決めようということになった。中国では科挙という制度ですが、韓国は李氏朝鮮の時代に「兩班(やんばん)」という制度をつくりました。それがずっと、今日に至るまで続いているんです。だから大学を出た人間は手足を動かしてはいけないということになっている。
手足を動かしてはいけない、頭で考えろ。すなわち大学というのはアカデミーなんですね。だからヨーロッパではユニバーシティとは言わないでしょう?仏ソルボンヌ大学だけが工学部をつくったけれど、基本的にヨーロッパには工学部はありません。米国にわたり、ユニバーシティができ、フォードが量産技術を確立した。それが長い100年の歴史を経て日本に入ってきた。だから日本にはユニバーシティがあり、工学部があるのです。
ということは、ものづくりの「もの」にあたる部分を考えるのが大学で、「つくり」が職人さんになる。韓国ではそのふたつが分かれているんです。皆さんに考えていただきたいのは、たとえば「これは何ですか?」と言ってコップをひとつだけ見せると「コップ」と答えますよね。でも、紙コップ、ガラスのコップ、陶器のコップ、クリスタルのコップなど、材質が違う複数のコップを一度に見せたうえで同じ質問をしたら、「ガラスのコップ」とか「紙コップ」と答えると思います。紙、陶器、ガラス、クリスタルというのは媒体であり、材料の名前です。共通するのはコップという「もの」の名前。それが設計情報。だから今まで皆さんが使っている製品の名前というのは、ものの名前なんです。だからこそ「もの」と「つくり」を分けないといけない。
「もの」を売るのか、「媒体」を売るのか
するとビジネスは二通りに分かます。ひとつは媒体でなく「もの」の価値観を売るビジネス。媒体はどうでもいい。ヨーロッパのシャネルやルイ・ヴィトンといったブランドはまさにそれです。たまたま3週間前、イタリアのブランドメーカーの役員たちが視察という名目で日本に滞在していたとき、私に講義の依頼がありました。そこで今の話しをしたら非常に感動して、「我々はやっぱり“もの”で売っている」と言うんです。媒体としては2,000円ぐらいのビニールが(笑)、20万円で日本の女性に売られていく。これは「もの」に価値があるからです。材料ではなくてね。
でも日本製品はどちらかというと材料に価格をつけています。だから「もの」で差別化できなくなるとコストダウンを行い、価格競争に巻き込まれる。そして、いずれ負けて撤退する。この最初の例が半導体のDRAMでした。液晶テレビや携帯電話も、設計情報に価値がなくなってくると「つくり」に価値を求めていきます。皆さんの会社でも何かあるたび、製造に携わっているかたはコストダウンしろと言い続けますよね。これが日本を不幸にしてきたのだと思います。少し言い過ぎかもしれませんが、設計情報よりも媒体の値段を下げていこうとしているんです。
私としては大学では「もの」を考え、そうでない人は「つくり」を担う…、「もの」と「つくり」は分けたほうが良いと思っています。「つくり」はどこでつくってもいいんですよ。これを見事にやっているのが現在のアメリカ。アメリカのつくりは1980年代、日本に奪われてしまいました。だからアメリカは「つくり」を止めて「もの」で勝負した。そうして出てきたのがマイクロソフト、インテル、グーグル、ヤフー、アップルなんです。アップルのiPhoneやiPadは「もの」ですが、その「つくり」は台湾や中国に任せているし、それを日本人も買っている。実際、世界中で売れているでしょ?ものに付加価値があるからです。本当は日本がそういう「もの」を生み出さないといけないし、その技術力も持っていました。しかしあまりにも「つくり」に傾注してしまったため、「もの」をちょっと忘れてしまったのではないかというのが私の仮説なんです。
それをもう少し大きく考えると、すべてがものづくりではないかと思えるんですね。有形なものと無形なものを分け、さらに耐久と非耐久に分けたポートフォリオをつくっていくと、すべてが「ものづくり」に入ってくる。ソフトウェアやコンテンツもたまたま無形で見えないけれど、耐久品であり、立派な「もの」です。放送関係や対面接客サービスも同様です。スーパーマーケットで「いらっしゃいませ」とやるのも、非耐久で無形の「ものづくり」なんです。実はこの対面接客セールス…、つまり消費に付加価値を乗せて売るということは、30年〜40年前の日本にはきちんとありました。ところが最近は忘れてしまった。サムスンやLGはかつての日本からそれを学び、現在、新興国で実践しています。皆さんは今、電子製品をヤマダ電機やヨドバシカメラのような量販店で買うでしょ?30年前の日本には、そんなものはありませんでした。ナショナルとか日立といった街の電器屋さんから買っていたんです。電器屋さんが自転車に乗せて届けにきてくれるし、セットしてくれていた。昔はちょっと電圧が不安定で停電が多かったから必ずヒューズがあって、「ヒューズが飛んだ」って言ったらすぐに来て直してくれていました。そういう対面のサービスを通して、「あの電器屋さんから買おう」ということになっていったんです。でも今は量販店買う。だから今の電機メーカーは量販店がお客さんのようになってしまっている。結果、自分で作った製品なのに、自分で価格を決められないというところまで陥ってしまった。オープンプライスなんて情けない話です。こういう形になるとどうなるか。故障したから電話をしてもなかなか繋がらないし、やっと繋がったら一番押せとか二番押せとか(会場笑)。そんなサービスは新興国にありませんから、自分で売りにいくしかないんです。だから日本製品は売れない。某メーカーの担当者がブラジルやベトナムに行って「売れない」と嘆いている。何故売れないんですかと聞いたら「量販店がないから」と言うんですよ。あるわけないじゃないですか。日本の40年前を思いだしてくださいということなんです。とにかくサービスを含めてぜんぶ「ものづくり」。京都の舞妓さんもスーパーマーケットのおばちゃんも「ものづくり」なんです。
結果的には消費というのが大事になります。日本人はそこを忘れている。皆さんも消費とは何かという点について、よく考えてみてください。消費者と言いますよね。でもお金を出して買っただけでは消費も生まれません。食べ物を買っても冷蔵庫に入れておいたら腐るだけでしょ。でも売ったお店のほうは消費されたと思っている。だから腐っているかどうかもわからない。自動車だって運転してはじめて消費になる。ということは、操作をしないと消費にはならないんですよ。操作をしたところだけが機能として出てきて、ユーザーに振りかかり、顧客満足になる。ワクワクするのかイライラするのか…。イライラしたら「二度と買うか」ということになるし、ワクワクしたらまた買おうと思います。これをさらに考えていくと、ひとくちに操作と言っても、たとえば北海道で操作するのと九州で操作するのでは環境が違います。だから環境によって操作が変わってくる。ですから、操作したぶんだけ機能が出てくるということになれば、操作をする機能だけで売らなきゃいけない。私はケータイでは電話とメール機能しか使いません。だからどんな機能があるか分からないんですよ。3年前に買ったものを今も使っているのですが、娘に聞いたらもの凄くたくさんの機能があった。でも消費していません。電話とメールのみ。そして日本では、使いもしない、消費もしない機能を詰め込んだ3万円とか5万円の携帯電話がつくられているんです。これはもう詐欺みたいなものですよね。サムスンやLGはそこをちゃんと考えているんです。たとえば最近、アフリカのナイジェリアでは携帯電話の普及率が90%前後にまで伸びた。凄いですよね。ナイジェリアの携帯は、ほとんどサムスン製かLG製です。電話機能だけで価格が1,000円ちょっとの製品。このあいだテレビであちらの部族の人たちが裸になって踊っているところを見たのですが、裸で踊っていても首には携帯をぶら下げているんですよ(笑)。それで隣の村と話をしている。電話の消費しかしていないから音楽をダウンロードしようなんて思わないでしょ?それなのに3万円というなら、絶対に売れませんよ。
とにかく消費が重要なんです。有形の人工物には、ある環境のなかで操作して初めて消費が生まれる。これを日本のメーカーは忘れて、使いもしない機能を入れて「どうだ」と言う。で、それをまた日本人が喜んで使うという…、それだけ日本は豊かですから。でも皆さんだって携帯電話の機能をぜんぶ消費しているとは思えないですよね。機能は環境に合わせて小刻みに提供するものなんです。それがグローバリゼーション。208カ国あれば208カ国の環境と操作がある。そしてテレビでも洗濯機でも冷蔵庫でも、208カ国すべてでスペックを変えていく必要がある。そこが日本の負けているところです。今までの開発プロセス、組織のあり方、ITの使い方、管理の仕方…、全部変えないといけませんよね。高度成長時代のまま、高機能・高コスト・高品質の製品をつくっていた時代と同じ組織能力で、いくらグローバリゼーションと言ってみてもだめだと私は思っています。(後編はこちら)