2015年夏、東北の廃校をリノベーションした“こどもたちの複合体験施設「モリウミアス ~森と海と明日へ~」”がオープンする。宮城県石巻市雄勝町。リアス式の三陸海岸に面した美しい町は、東日本大震災によって、町の約8割の建物を失う壊滅的な被害を受けた。しかしそこから、地域活性の新たなモデルが生まれようとしている。
1923年に設立された旧桑浜小学校。町を見渡す高台に建ち、東京駅駅舎にも使われた雄勝名産の硯石・雄勝スレートが屋根材にあしらわれる。92年の歴史を持つ校舎は、泊まる・食べる・体験するスペースやレストラン、宿泊設備を備えた複合体験施設に生まれ変わる。子どもたちは、漁師と一緒に漁に出たり、畑を耕したり、林の伐採を体験する。こどもが農林漁業を体験し、漁師町ならではの新鮮な海の幸を味わう。いわばリアルなキッザニアが「モリウミアス」と言えるかもしれない。
震災が変えたキャリア
「雄勝との縁は、たまたまなんです」。モリウミアスを運営する公益社団法人sweat treat311代表理事の立花貴はそう話す。
立花貴氏
仙台に生まれ、東北大学卒業後は伊藤忠商事に入社。商社マンを経て起業家として、飲食や地域活性化にかかわる事業を行なってきた。震災後、母と妹の安否確認で戻って以降、宮城を中心に炊き出しなどの支援を行う中、「学校が再開したが給食がでない、避難所暮らしのこどもたちのために学校給食を届けてほしい、こどもたちにひもじい思いをさせたくない」と当時、雄勝中学校の佐藤淳一校長から相談を受け、学校給食を100食分、片道2時間半かけて運んだ。気付けば住民票を東京から移し、雄勝町の住人となっていた。地元の漁師たちと会社をつくり、日本の新しい漁業を目指し自身も漁師の手伝いとして海にも出るようになった。
「震災地の現状をひとりでも多くの人に知ってほしい」とワンボックスカーのハンドルを握り、4年間で東京・雄勝間を400往復。そのうち220往復は東京から雄勝まで自身の運転で移動した。これまでに霞ヶ関の官僚やビジネスパーソンら1300人を雄勝へ「連れてきた(拉致した)」。連れてきた人達は、廃校の改修や漁師の手伝い、町の手伝いなどをし、夜は合宿所で浜の人たちも交えて酒を酌み交わしながら熱く語る。
炊き出しや物資支援を続ける活動に仲間が増え、2011年5月にsweattreat311という団体名をつけた。キッザニア創業メンバーの一人である油井元太郎も参画し、町のこどもたちへ心のケアを続けた。雄勝中学校生徒向けのアフタースクールを始めたのは、2011年夏のことだった。
3つあった小学校のうち、船越小学校と雄勝小学校は校舎が全壊。こどもを持つ世帯の多くが雄勝を離れる中で、仮設住宅に住むこどもたちに教育支援をすることになった。塾講師や大学生ボランティアを集め夏期講習を行い、今でも週2回、仮設住宅の談話室でアフタースクールを行っている。「雄勝アカデミー」として、こどもたちに農業や漁業を体験してもらう体験プログラムも立ち上げた。企業や行政からの研修受け入れも行い、県外や国外からの視察者が訪れるようになった。
廃校を甦らせ、再びコミュニティの中心へ
活動が拡大するにつれ、仮設住宅の談話室や合宿所だけでは手狭になった。どこか場所がないかと思っていたところ、「旧桑浜小学校」に巡り合った。
2001年に廃校になってから使われるあてもなく、そのままになっていた。校舎には裏山の泥が流れ込み、屋根も柱も大規模な改修が必要だった。「この小学校を甦らせようじゃないか」――所有者から学校を譲り受け、雄勝学校再生プロジェクトを立ち上げた。
しかし潤沢な資金があるわけではない。クラウドファンディング「シューティングスター」で支援を募った。「今月は屋根材を葺き替えます」。毎月、改修したい目標を掲げて、資金を募る。寄付の特典として、学校の改修作業に参加してもらったりもした。毎月120万~150万円ほどの資金が集まった。クラウドファンディングで、12カ月連続で目標額を達成したのは、世界初だという。
改修作業の日には、支援者や卒業生たち、地元の人たちが集まり、古い屋根から外した瓦を1枚ずつ手で洗った。使える瓦と使えなくなった瓦を分別する。その作業に4カ月かかった。
作業への参加を楽しみに、毎月のように雄勝を訪れる支援者も現れた。支援者同士が顔見知りとなり、作業や食事を共にしながら、雄勝を応援する家族のようなコミュニティになっていく。「この学校はお父さんがつくったんだと、息子が大人になったときに伝えられる」。石巻市内から何度も参加している支援者はそう話す。
卒業生たちは今も学校を懐かしむ。親子三代の卒業生も珍しくない。大事な学校を、自分たちの手で再生したい。思いが集まってくるところに、たまたまモリウミアスがいる。
「学校はもともと、地域コミュニティの中心だったんです」と立花は言う。旧桑浜小学校は3つの浜の真ん中にある。かつて地元の寄合といえば、学校で行われていた。地域のコミュニティの中心に、あたりまえに学校があった。
旧桑浜小学校はいま、再びコミュニティのシンボルとして甦ろうとしている。地元の住民はもちろん、ボランティアやクラウドファンディングを通じて雄勝にかかわるようになった人たち。立花が「拉致」して連れてきた人たち。国内外から訪れる人たち。雄勝を核とした新しいコミュニティが生まれつつある。その真ん中で旧桑浜小学校が、モリウミアスと形を変えて、受け継がれていく。
“グローバルな過疎地”に
雄勝を取り巻く輪が広がるにつれて、企業も支援に参画するようになった。ロート製薬の山田邦雄会長兼CEOは、あるイベントで立花に出会い、(株)雄勝そだての住人や(公)sweattreat311などの活動を支援するために社員2名の出向を決めた。モリウミアスのシステムはSalesforceやFreee、決済はリクルートのAirレジなど、有名企業がサポートしている。
sweattreat311の運営体制は、立花と油井、専任スタッフ2名、企業からの出向者が3名、運営スタッフ8名、それにインターンという小所帯である。しかし事務局を支援するプロボノは、全国に100人をくだらない。マッキンゼーやGoogle、官僚や会計士、広告やPR会社、コピーライターやクリエイター、写真家など――多様な組織からモリウミアスに人が集まる。
組織の規模を拡大していこうとは、立花は思わない。それよりも雄勝を起点にして、新しい働き方、新しい価値を生み出していきたいと思う。企業に勤務しながら、自分事としてモリウミアスを応援してくれる人たちがたくさんいるように、2枚目の名刺を持ち、複線的なキャリアを選ぶ人たちが増えている。それは、特に地域にとって意味のあることだと立花は思う。
これまで地方の優秀な人材は、中央(東京)の官公庁や大企業に吸収されてきた。震災を機に、少しずつではあるけれども、中央官庁から地方自治体、企業から地方のNPOやベンチャーに出向する事例が生まれ始めている。
プロボノや出向といった多様な形態で、多くの人たちが関わってくれる。人的なネットワークを紡ぎ、家族のようなコミュニティを育みながら、価値を創出していく。その関係性の真ん中にモリウミアスがいればいいと思う。ゆるやかなネットワークが事業を動かし、企業や個人との関係性が資本となって、地域の持続可能性をつくりあげていく。
海外から雄勝を訪れる人も増えた。米国スタンフォード大学やギリシャ国立大学で建築を学ぶ学生らが旧桑浜小学校のデザインワークショップに加わる。モリウミアスに入社したパートのルリちゃんは、英語の勉強を始めた。海外からの訪問者があまりにも多いからだ。英語ができれば自己紹介できるし、雄勝の魅力も伝えられると勉強を始めた。
「雄勝をグローバルな過疎地にしていきたいんです」と立花は言う。「モリウミアスを海外とのゲートウェイにしたい」。これまで地方が海外とつながろうと思ったら、東京を介在しなければいけなかった。今は違う。海外からモリウミアスを訪れ、東北で海外を目指すときにはモリウミアスへ向かう。目指すのはそんな場所だ。
何よりもつくりたいのは「雄勝でできた」という成功事例だ。わずか数名の団体であっても、社会にインパクトのある事業ができる。思いがあれば、全国どこからでも、いや海外からでも支持者が現れ、志とネットワークで社会を変えていく。その事例を、雄勝からつくりたいと思う。ひとつ事例ができれば、ほかの地域でも展開することができる。「雄勝でやることに意味があるんです」。
石巻駅から車で1時間、雄勝半島の先端にある雄勝町は、復興も道半ばだ。久しぶりに訪れた人が、震災直後と変わらない風景に今も驚く。震災前から過疎化が進んでいた町。町の8割が津波で流された町。4300人いた人口は、わずか1000人足らず。その雄勝で、震災前に戻すのではなく、新たな地域をつくっていく。「雄勝でできるならば、全国どの地域でもできるはず」。その前例を地道につくっていきたい。「20年後の日本のモデル。最先端に我々はいる」。立花はそう言って前を向く。