本記事は、G1新世代リーダー・サミット2018「G1-U40へのメッセージ」の内容を書き起こしたものです(全2回 前編)
高岡美緒氏(以下、敬称略) :今回のセッションは、打ち合わせの時に、他のG1でも聞けない、「G1U-40ならでは」のセッションにしていきたい、ためになるようなお話をどんどんしていきたいと言っていただいています。
まずはアイスブレイクとして、それぞれ今の皆さんを形成された背景やきっかけ、なぜ今の皆さんがあるのかというのを、少しお話しいただければと思います。まず田中さんからお願いしてよろしいでしょうか。
現在の自分を支えたのは、幼少期に過ごしたアフリカでのトラウマ
田中愼一氏(以下、敬称略):今日は普通のG1サミットと違って、若々しいパワーを受けながら、私自身もちょっと緊張している感じです。今日ここまで来たことを支えてきたのは何かというと、僕が6歳の時に起こった、ある意味トラウマなんです。
6歳の時に、父の仕事でローデシア(現在のジンバブエ)に赴任しました。その当時のローデシアは、人間をホワイトとカラードに分ける。ホワイトは白人。カラードというのはいわゆる黄色人種、黒人、イスラム系など。日本人家族として初めて、僕は子どもとして初めて入っていったわけです。日本人の場合はカラードなのですが、名誉白人という称号をいただきました。何が違うかというと、全て分ける。だから、白人が行けるレストラン、住める場所、学校、トイレなど、ありとあらゆるものが、白人用とそうでない用に分かれています。こちらは一見、見ると黄色いわけです。ところが一応名誉白人だから白人用に行く。そうすると、トイレに入ると追い出されたりします。なぜかというと、プラカードで「私は名誉白人です」と書くわけにもいきませんから。そうすると、レストランに入ると断られるとか、そういう感じでした。これはある意味、アイデンティティクライシス(自己喪失)です。学校でも、最初は英語も話せないので、先生と話をしていたときに窓枠を見ると、白人の子どもたちの顔で全部埋まるわけです。「なんか黄色いやつが来たぞ」といって、みんな見るわけです。その中で非常につらい思いというか、差別されるということへのトラウマ、これが今日に至るまでのひとつのエネルギー源になっています。
ではその時どうだったのか。引っ越して半年ぐらい経ったら、「HONDA」という名前の神様が下りてくるんです。当時、ホンダ(本田技研工業)は二輪のGPレースのあらゆるクラスで、世界チャンピオンになっていった。偶然南ローデシアや南アフリカはGPレースの人気があった。そこで何が起こったかというと、ちょうどその時500ccのチャンピオンが、白人のレッドマンというローデシア人だった。彼は次第にすごいヒーローになっていくわけです。僕はそれまで白人から「おまえ、どこから来たんだ」と言われて「Japanese」と言っても誰も分かってくれなかったのが、「あのレッドマンが乗っている、あのホンダのオートバイを作っている国から来たんだよ」と言い始めたときから、ガラッと周りの自分に対する見方が変わってきました。もっと言うならば、ホンダのチームが来ると、唯一の日本人だからチームに呼んでくれるんです。そうすると、そこにレッドマンがいるんです。それで、握手する。写真を撮る。サインをもらう。それを学校に持って行って「どうだ」と言うわけです。「欲しかったら今度取ってきてやるぜ」と。そういうことを通じてだんだん、「立ち位置」が出来上がってくるんです。
そこで僕が感じたのは、差別という中から自分を生き残らせるためには、何らかの形で周りから認められないと生きていけないんだ、というトラウマ。これが僕にとって強くて、今でも持っています。その時にどうやって立ち位置を作るかというと、立ち位置は自分で作れない。周りが決めることなんです。ではどうやって作るか。その時に思ったのは、基本的には「周りの役に立つ」。それで先ほどのレッドマンのサイン入りの色紙とか写真をあげたりしながら、徐々に立ち位置が出来上がってきた。これが原体験です。それ以降やはり重要なのは、今で言うKPIです。どうやって、立ち位置が保証されているかを測るか。当時は大体クラスの中で、女の子たちのバースデーパーティに呼ばれるか呼ばれないかというのが、一つのモテる男の立ち位置を表明するわけです。かなり努力して、僕は6年間で、毎年必ず3人の女の子に呼ばれていました。ただやはり黄色人種は、1番にはなれない。でも2番になっても駄目。やはりちょうどいい立ち位置というのは、3番手なんです。1番手と2番手は競争しているけれども、こちらは常に3番手。これは僕にとって、当時つらかった部分もあるんですが、成功体験でもあるわけです。ある意味トラウマなんです。
その当時は「立ち位置」なんていう言葉は知らなかったけれども、その後、現在はリーダーや企業の立ち位置を作る仕事をしています。立ち位置ということによって、人も組織も生かされているんです。その生かされるという感覚、どういう力学があるのか。僕の場合はコミュニケーションという力学を見つけ出した。その中で、立ち位置を作っていくという仕事になったと。それが私を今日まで支えた一つのトラウマです。
高岡:ありがとうございます。星野さんお願いします。
日本の収益の半分を作っているファミリービジネスの経営者であることに、誇りを持っている
星野佳路氏(以下、敬称略):田中さんに比べると非常にシンプルなのですが、私の場合、家業の温泉旅館を継いだという、それだけなのです。生まれた時から温泉旅館で育ちまして、毎日旅館の大浴場に入っていました。小学校に上がる前に、初めて東京のいとこの家に泊まった時に、いとこの家の風呂を見て、「こんな小さなところにどうやって入るんだろう」と驚嘆した。あの時の驚きは、今でもとても覚えています。(会場笑)
私の祖父が、私を人に紹介する時に「うちの4代目です」と必ず紹介するので、全く疑問もなくそのまま育ちました。いつか自分はここを継ぐんだというのを、物心ついた時から思っていて、何の疑問もなく勉強していった感じです。ただ、家業を継ぐということは、親の七光りで非常に重要なポジションにつくわけです。自分の力で立ち上げるのに比べて、親の家業を継いでいくというのは、そこに対する、後ろめたさがあるのです。ただ、最近そこにプライドを持っています。
日本の登録社数の98%がファミリービジネスです。私たちの推計によると、民間の企業しか価値というのは作れないし、収益も民間しか出せない。日本が作っている価値、収益の大体半分がファミリービジネス、つまり上場していない企業なのです。上場している企業が収益を3倍4倍にするのは大変ですが、私たちファミリービジネスは、利益を3倍4倍にするというのはそこまで難しいことではないのです。日本の経済を考えたときに、50%が上場企業、50%がファミリービジネスであり、ファミリービジネスを伸ばす方がより早く成果が出ると考えています。ハーバードやケロッグなど海外のビジネススクールは、ファミリービジネスマネジメントでデパートメント(学部)を作っています。ヨーロッパにもファミリービジネスの成長を支える、かなり内容が違ったことを学ぶ必要があったりする要素もあるので、そこが今後の日本の中で大事なのではないかと。私のライフワークにしていこうかと思っています。
高岡:なるほど。なかなか当事者からファミリービジネスを聞く機会がないので面白いですね、これからの話が楽しみです。次に、森先生お願いします。
人生を切り開いた源泉は、ひどい取り立てを経験した12歳の時のトラウマ
森まさこ氏(以下、敬称略):私も田中さんと同じく、トラウマから出発しています。私のキャリアの変遷はものすごく激しくて、弁護士からニューヨーク大学の研究員になって、国連の代表になって、それから金融庁に入って、それから国会議員になったということで、ころころ変わっていますが、元々の出発は12歳の時に、ひどい取り立てにあったというところからです。
私の父も母も東京出身なのですが、私が今、なぜ福島県にいるかというと、両親とも太平洋戦争の東京大空襲を受けているんです。まだ2人は小学校に入っていませんでした。同じ浅草に住んでいたのですが、雨あられのように降ってくる焼夷弾の中を命の限り逃げて、それで福島県に疎開してきたということで、おそらく浅草出身同士ということで知り合って結婚したんだと思います。ということで、最初に開墾から入ったという2人ですから、開墾をすれば土地がもらえた時代です。それから中学を出たら、集団就職でまた東京に戻って、東京で手に職をつけてまた福島県に戻って就職したということで、2人とも中学しか出ていませんので、細々としたお給料しかいただけない所です。そんな2人ですけれども、私が生まれて、貧しいながらもとても幸せに暮らしていたら、詐欺に遭いまして。そういう弱い人を狙うんですね、詐欺師というのは。私はその後、詐欺専門の被害者弁護士になるんですけれども。
うちの父は母子家庭でした。戦争の時に焼夷弾にやられて父の父、私の祖父は戦争で亡くなっているので、福島県に逃げてきた時には、おばあちゃんと父をはじめとした5人の子どもたちという母子家庭でした。小さな店を営んで、5人の子どもを育てていましたから、うちの父は中学を出て集団就職をして戻ってきてからは、弟と妹を、自分が稼いで全員大学を出したというのが誇りでした。そして結婚してからも、実家に仕送りをしていたので、本当に大変な家庭だったのに、そこを狙ってくるという。そして母子家庭だったので、叔父が父代わりにいろいろと面倒を見てくれた。その叔父がサラ金に大借金をして夜逃げをしてしまって、それをうちの父が連帯保証をしていたと。第三者の連帯保証というのは、当時エンドレスの保証で、家も土地も全部取られるんです。それは私が金融庁に入って全部禁止をしましたけれども。(会場拍手)
私はそれで、一生かかっても返せない大借金を背負ってしまったんです。父は給料を差し押さえられて、破産し、毎日取り立ての人が来るんです。当時貸金業法という法律がなくて、それも私が金融庁に入って作りましたけれども。何にも法律がない中、最高裁判例だけが2つ出て、それに基づいて弁護士が被害者を保護していたんです。うちも近所の弁護士さんに助けられました。その時の取り立てがひどい取り立てで、うちの父が出かけた後、女と子どもだけになった時に取り立てをしてくるんです。ですから私は学校へ行けず、小学校6年生の時から取り立てが始まって、中学校もずっと行っていませんでした。中学校を出たら働いて、家にお金を入れないと、妹2人が食べられませんので、就職も決まっていたんです。恩人の方が現れて、そのおかげで私は何と高校に行くことができました。行けるはずがなかった公立高校、そこに進学できたということが、私の人生を全く変えたわけです。
私はその後、業界を変わっていくわけですが、それを切り開いていく元々の源泉というのが、12歳の時のトラウマです。まだトラウマがあって、話すと思い出してしまうから本当は話したくないんですけれども。真夏に取り立てが来たんです。その時にセミがうるさいくらい鳴いていて、今でもセミの鳴き声を聞くと、ぱっとフラッシュバックしてしまう。それぐらいのトラウマがあったというのが私の出発点です。
判断基準は、「ビジネス理論」と「長期視点」 効果が出るまでやり続ける
高岡:すごいですね。どんな壮絶な逆境も切り開いていく原動力にしていくという。すごく参考になります。ありがとうございます。
皆さん多方面でいろいろな実績を残されていらっしゃる方々ですが、それに至るまでさまざまな困難、難しい判断を迫られていたことがあるかと思います。その際に、何らかの判断軸というものがあったのでしょうか。その判断軸があった場合は、それを形成するにあたって何か影響を受けた人であったり、歴史的な人物であったり、本であったり、もしあればそれも共有いただければと思います。まず星野さんから。
星野:判断軸は、やはり私の場合はビジネス理論です。ビジネス理論は信頼できると思っています。アメリカの大学院のホテルスクールに行ったのですが、そこで、理論というのはしっかりとした、証明されている成功パターンであり、定石なんだということを学びました。そこからいろいろな理論を、初めて真面目に勉強する気になりました。何か課題があると、必ず理論に基づいて、どれに当てはめたらいいんだろうと考えますし、教科書だといつも思っています。その教科書に基づいてちゃんとやってみるということです。よくビジネス書にはいろいろなことが書いてあって、自分の都合のいい所だけピックアップすることが結構あると思いますが、やはり効果を出すには全部やらなくてはいけない。薬と同じです。病気の時に、都合のいい時だけ薬を飲んでも効かないですし、都合のいいものだけ飲んでいても効かない。一回全部やってみるというのはすごく大事なことだと思っています。理論通りにやってみようというのが一つ私の判断軸で、すごく大事なポイントです。
もう一つあります。長期視点に立つということです。常に私の中では、長期的に効果が出る、または企業や私たち組織がサステナビリティを高めるということを、すごく重視しています。なぜかというと、先ほど教科書どおりにやってみようという話をしましたが、理論どおり、教科書どおりにやっても効果が出てこない時というのは必ずあります。よくいろいろな時間軸で目標を設定することがあるかと思います。ここまでにこのくらいの業績にしていこうとか、ここまでにこのくらいに成長させようとか。その時間軸通りにならないと、失敗であるかのように私たちは思いがちです。ただ、これも病気になった時に薬を飲むと同じですが、効果が出るまでの時間というのは、はっきり言って分からないのです。やっていることは正しいのかもしれないし、戦略や発想も正しいのかもしれない。その効果が出るまでの時間が、もしかしたら単に長いだけなのかもしれない、というのを私は常に思っており、時間軸で目標を設定したりすることは、私はあまりありません。代わりにしつこくやることにしています。しつこくやるというのは、私は「あまり失敗したことがない」と言うんですが、失敗したことがない理由は、効果が出るまでやり続けるからなのです。微調整をしながら成功するまでやり続けるので、結局失敗がないということになるのです。考え方としては、長期視点で取り組み、長期的に効果が出る策を取っていくと。そしていつ効果が出るか分からないぐらいの、そういう判断軸をやってきたなと思っています。
高岡:「成功するまでやり続けるので、結局失敗がない」、株の取引とかも同じ気がします。個人投資家が有利なのは、短期的な雑音を気にせず長期視点を持てるからだと言われています。ありがとうございます。森さんはいかがですか?
森:私は自分の少女時代のトラウマからずっと来ているので、そこから離れられないんです。その時「なんて世の中は不条理なんだ」と思いました。子どもは何も判断できないし、決裁できないし、決定権限がないのに、大人の世界で騙したとか騙されたとかお金がなくなったとかいうことで。全員高校に行くのに、私は高校に行って学ぶこともできないんだと、すごく不条理だと思ったのです。だからこの世の中の不条理と感じることは全部直してやろうと。「不条理と戦う」というのが自分の判断基準です。
皆さんもそれぞれあると思います。能力のない上司が何か適当なことを言ってくるとか。そんな小さい不条理から大きい不条理まで、全部私は戦っていくということで、弁護士時代も裁判も一回も負けたことがないんですが、これは、実は星野さんが言った、「勝つまでやる」からなんです。通常みんな弁護士は途中で、和解でごまかしてしまいます。そうしたほうが、早く終わって次の事件をやったほうが、弁護士費用が回るでしょう。けれども最後まで、勝つまでやるので、そこまでやる人がいないから勝つだけです。
ということで、変わっていないモチベーションというのも、20代30代からずっと不条理は許せない。それが目の前にあったら闘おうと。不条理な目に遭っている弱い人がいたら救おうと、それだけでずっとやっています。
高岡:ありがとうございます。「不条理と戦う」「勝つまでやり切る」という意思。とても参考になります。次、田中さん、お願いします。
田中:先ほどトラウマの話からしましたけれども、「立ち位置を作る」というところですね。立ち位置を自分では作れない、周りが決めることだ。ではどうやって自分の立ち位置を確保するのかというのを、ずっと今日に至るまで、ある意味6歳からずっと考えてきました。自分の一つの基準として、3つの基準があると思います
1つ目は、走ってから考えるという癖があります。考えてから走る、あるいは走りながら考えるのと違って、まず一旦走りなさいと。走った後、考えるという発想です。立ち位置の話で重要なのは、うちのスタッフにも本はあまり読むなと言うんです。本は他人の知識の受け売りなので。自分の中にしっかりとした経験がないと、逆に本に読まれてしまう。本はあくまで自分が既に蓄積したものを確認する手段としていい。より整理してくれるから、ということを言うんです。これはどういうことかというと、走らないと、経験しないと本質は見えない。基本的には「経験」という本をどれだけ真剣に読めるかというのがすごく重要です。そうすると、目の前で起こっていることが、自分にとってどういう意味があるのかというところを徹底的に追求していくことになるわけです。重要なのは、自分自身の感覚というか、目の前で起こっているものをどう認識するかということです。自分の目の前で起こっていることをどう捉えるかによって、どうそれを感じるかによって、その後の自分の動きが全部決まってしまいます。人間は所詮3つのことしかしていません。「感じる」、「思う」、「行動する」。したたかな行動は、したたかに思うこと。したたかに思うのは、したたかに感じて初めてなるわけです。ですから全ては、自分の周りで起こっているものをどう認識するかによって決まってくる。これはもう一つの、僕のトラウマと言ったらあれですが、思い込みです。
2つ目は、そういう中で我々に見える社会はありますが、実は全てのものは見えない世界で大体決まっています。目の前にいる、見えるものの背後にどういう風景を描くかで、その目の前にある事実を良く捉えるか悪く捉えるかが決まってしまうんです。「見えないものを見る」ということです。われわれの世界は見えないところでいろいろなものが起きている。そういう意味でいうと、一番見えないのは「人の心と人の意識」です。これをどう捉えるかというのはすごく重要です。先ほど森先生が、不条理との戦いということをおっしゃったのですが、僕の場合はどちらかというと、人の意識や心との戦いというんでしょうか。どうやってそういうところと向き合っていくかというのが2つ目です。
3つ目は、そうこうしているうちに、やはり相手を知る、あるいは目の前で起こっていることを知るというのを一番邪魔するのは、自分です。つまり自分の思い込み、好き嫌い、偏見、トラウマもあるかもしれないけれども。そこのところの思い込みをどうマネージするかといったときに、自分との対話をどれだけできるかが、実は勝負を決めてくる。先ほど星野さんとお話をした時、「前のセッションで、『妬みのマネジメントをどうしているんですか』と質問された方がいらっしゃった」と。星野さんはそれに対して、「自分はもうずっと妬まれているよ」、「軽井沢から始まって、とにかく地元から妬まれた」というお話をされていた。今は、もう一切気にしていないと。そして着々とビジネスを作られた。でもそれは何で作られたのかという話をしているときに、やはり自分で気にしなくなったという。これは自分との対話で、人間というのは外で起こっていることの呪縛にあいやすいんです。人から妬まれる、気になる。そういうのに自分自身が呪縛される。その呪縛を解くことがすごく重要です。ですから先ほどの、妬みのマネジメントというのは何かというと、自分との対話をすれば、外で何が起ころうと、自分の意識をマネージできるということなんです。
だから自分との対話というのはこれから非常に重要になってくる。まずは走ってから考え、「経験」という本を読む。それから見えないものを見るという発想。最後は見えないものを見るためには、自分との対話ということで、目の前に起こっているものをどう認識するのか、自分にとって意味づけるのかというのが勝負を決める、こんな感じです。
危機対応でトップに求められるのは、いかに早く「被害者意識」から「当事者意識」へギアチェンジ出来るか
高岡:「立ち位置を作る」、つまり自分のポジショニングを設定する、そのためには「自分をよりよく知る、そのためには自分と対話をし続ける」、ありがとうございます。今度は企業に対しての攻撃というのも出てくると思われます。そうすると、経営者としては、自分だけであれば自分との対話で何とかなると思うのですが、組織の危機管理のところにも関係してくるかと思います。星野さんは企業に対して攻撃されてきた時にはどうしていますか。
星野:企業への実害のある攻撃というのは、あまりなかったです。さっきのお話を聞くと、ポリティクスというくらいだから、政治は大変なんだなと思いました。私がすごく気になっていたのは、妬まれたり、噂話が多いことです。暇になると、みんなありもしない噂をし出して、大変なことになります。一番嫌だったのは、それを気にしている自分がいること。自分が経営判断しないといけない時に、経営判断に影響するのです。
ですから、どこかから実害があったり、実際に何かができないということではなく、自分自身の判断が狂ってくること。妬みを気にしている自分とか、またはありもしない噂話を気にして、それを何とかうまくやろうなんていうことをやっていると、自分の本来やるべき正しい判断にブレが出てくるということ。それが、一番の実害だと思います。「自分自身の対話」と田中さんもおっしゃっていましたが、まさに自分の心のコントロールが、妬みのマネジメントそのものではないかと思っています。
高岡:判断をぶれないように自分の感情をコントロールするというところですね。ありがとうございます。いろいろな方とお話をしている中で、私自身も経営という立場で考えると、ソーシャルメディア等の影響によって1人の声がすごく大きくなってきたりするということが気にするところではあります。クライシスマネジメントのプロの田中さんにお伺いしたいのですが、いわゆるソーシャルメディア上で企業に対して攻撃することができるわけじゃないですか。そういった危機対応の考え方をお話しいただけますでしょうか。
田中:単にSNSだけではなくて、従来のマスメディアも含めて、一つ世論という怪物を今作っていると。これはさっきの妬みのマネジメントではないですが、目立つリーダーとか、いろいろと発信をしている企業が攻撃対象になります。ですから、これからある意味、発信することが、リーダーにとっても組織にとってもすごく危険な時代になります。そこをどうマネージしていくかが、すごく重要なポイントです。
最近やっている仕事の中身を見ていくと、どちらかというと危機対応の関係の仕事が多いです。危機に直面した時に最も問われるのは、企業の立ち位置なんですよ。あるいはそれをリードしているトップ、リーダーの立ち位置です。最近は皆さんも映像などで見られていると思いますけれども、あまりにもみんな往生際が悪いです。ある意味、往生際の哲学をみんな持っていない。だからボロボロにされ始めるわけです。
今、時代は大きく流れていて、「ブランドカラーレピュテーション」という言葉でも言えますが、ブランドというのはどちらかというと、1つの色で相手を塗る作業。相手というのはお客さまです。ところが今は逆に、いろいろな人たちからいろいろな色でこちらが塗られる世界です。これはレピュテーションの世界なんです。ブランドというのがどんどん大きくなると、逆に今度はレピュテーションリスクが高くなってきます。何かがあると、高いブランドほど一挙にレピュテーションリスクが表に出てきて、火だるまになります。言い方を換えると、昔のようにチャンスをチャンスにするという時代から、これからはピンチしか来ないんですよ。もちろんチャンスをピンチにするやつもいますが。ピンチをどうチャンスに変えるかという発想が、リーダーにとっても組織にとっても、ものすごく重要になります。これはもう、立ち位置の問題です。立ち位置というのは自分では作れません。ブランドは自己主張で作れます。でも立ち位置は、自己主張をした瞬間に、逆に炎上します。そうするとどうするかというと、自己主張じゃないんです。周りから認められるというところをどう作り込んでいくかというのが、すごく重要です。
ですからこれから、ブランドビルディングよりもレピュテーションマネジメントがものすごく重要になってくる。特に有事の場合にどうするか。これからどんどん有事が起こります。そうした時にトップの往生際の良さというか、そこをどうできるか。実際クライシスに入りますよね。そうすると、クライシスが起きた時に一番被害者意識を持つのはトップです。「何で俺が・・・」とくるわけです。そうすると、敵を探し始めるんです。その起こした部署の社員が敵に見えてくるんです。しばらくすると、新聞やマスコミが敵に見えてくる。だんだん、今度は当局が敵に見えてくる。全員が敵に見えてくるんです。そのままの意識で記者会見に出た瞬間、炎上します。往生際が悪いから。「俺、被害者です」なんて言ってしまう人もいる。
何をしなければいけないかというと、「周りが敵だ」という見え方から、どうやってそのトップが「周りはみんな仏様だ」と見えるようにするか。これはすごく重要です。たとえ、問題を起こした加害者に対しても、その人が仏様だと思える意識付けをできるかどうかというのは、実はすごく重要です。それをやることによって、被害者意識が当事者意識に移っていくんです。いずれにしても往生際のいいトップというのは、いかに早く被害者意識から当事者意識にギアチェンジできるかというので決まってくる。そういう意味では、皆さんのように非常に発信力のある方々、しかもリーダーとして新しい自分なりのドメインを作られていく方々というのは、これからレピュテーションという、僕の言葉で言うなら立ち位置をどうマネージしてやっていくかというのが、すごく重要なポイントになってくると思います。
高岡:ありがとうございます。ピンチしか来ない状況においていかにチャンスに持っていくマインドセットを持てるかですね、すごく参考になります。いかに早く被害者意識から当事者意識にギアチェンジできるかというのがすごく大事だということで、日本の企業、あるいは海外でもいいんですけれども、それの模範となるような企業経営者はどこかありますか?
田中:模範になるところというのは、あまり表沙汰にならないので、皆さん分からないんです。実績を出してすごいと思う人は、みんな往生際が良い。表に炎上しない。ほとんど表で皆さんが知っているような事例というのは、炎上しているわけです。唯一、もし指摘するとするならば、2018年のフェイスブックの記者会見で、ザッカーバーグは非常に往生際がよかった。もっと言うならば、2009年のトヨタのリコールの時の豊田章男さん。これも初めの6カ月は駄目だったけれども、その後から一挙に巻き返して、公聴会でのスピーチで謝罪、懺悔、覚悟という3つのメッセージを出したことで、その後トヨタはリカバリーした。あれは成功例でしょうね。あれは半年後に覚悟を決めたわけです。その2つぐらいは皆さんご存じの事象として紹介していますが、ほとんどは外に出ていません。(後編に続く)