3.11から10年―寄付元年、ソーシャルアントレプレナー、東北が変えた日本

東日本大震災から10年。震災は、その後の価値観の転換や社会的投資にどのような影響を与えたのか。当時、日本財団の東日本大震災復興支援チームの責任者として、企業や行政と連携し数多くの支援事業に携わった経験を持つ、一般財団法人社会変革推進財団(SIIF)の専務理事、青柳光昌氏(グロービス経営大学院2013年卒)に当時から現在までを振り返ってもらった。前編では、震災を機に登場したサービスや人などについて聞いた。インタビュアーは、グロービス仙台校の開校に尽力した田久保善彦(グロービス経営大学院 経営研究科 研究科長)。(全2回、前編)

「寄付元年」多額の寄付をどう扱うか

田久保:青柳さんは、俯瞰する立場で東北と関わってこられた。まず、2011年3月の震災直後、日本財団内に立ち上げられた東日本大震災復興支援チームの責任者として、企業や行政と連携し、数多くの支援事業に携わられました。

青柳:震災の3日後から、支援活動をする事務局全体の指揮を執りました。

私が日本船舶振興会(現・日本財団)に就職して4年目の1995年に阪神・淡路大震災が発生し、翌96年から神戸の復興まちづくりに関わりました。それ以降、被災地の支援活動に幾度も取り組んできました。

東日本大震災のときは、震災の翌日から、この緊急事態に財団としてどんな活動をすべきか、アイデアを出し合いました。

2011年はのちに「寄付元年」と呼ばれましたが、日本財団にもそれこそ震災当日から多額の寄付が集まったのです。一般の方々からの寄付を本格的に扱わせていただくのは財団では初めて。従来のボートレースの収益金とは異なり、寄付者とのコミュニケーションがより大切になってきます。でも、ここをどうするという話がないままに、初動対応のための事業はどうやるとか、2~3カ月後にはこうしたニーズが出てくるはずだから今から準備しておこうとか話が進んでいたのです。

「司令塔を立て、チームで動かないと回らない」と思い、「まず体制をつくるべきだ」と役員に進言しました。日本財団の災害支援には一定の評価をいただいています。期待に応えられるよう、戦略とチームをもって動かなければ。ただ、正直なところ、進言しようかしまいか、1時間ほど悩みました。高い確率で「言い出したお前がやれ」と言われると思ったからです。

田久保:そうしたら青柳さんに白羽の矢が立ったと。

青柳:結果として震災3日目、3月14日から私が陣頭指揮に当たることになりました。

俯瞰して、戦略を練る司令塔が必要

田久保:当時、青柳さんは「俯瞰して見るために、しばらくの間は東北に行かない」と話していました。

青柳:会長の笹川(陽平氏)からも「そんなにすぐ行くなよ」と言われていました。今振り返っても、すぐに現地に行かないで良かった。俯瞰して見ることはとても重要です。

緊急で混乱しているときに現場に行くと、目の前のことに対応したくなるのは人間の性です。そうせざるを得ない場合もあります。それはそれで大事なのですが、それをやれる人は大勢いる。片や、俯瞰して次の手を考える人や組織はさほど多くないので、その部分を担ったほうがいいなと考えました。

一方で、現場部隊もつくりました。最も被害の大きかった地域のひとつ、宮城県石巻市に拠点を設け、被災地支援の経験者に1週間交代で行ってもらいました。

田久保:誰かが覚悟を決めて「やる」と言い出すこと。そして、すぐに現場に行って汗をかくのではなく、その重要性を十分踏まえた上で、俯瞰して戦略を練るコントローラーのような役割が必要だということですね。

震災を機に生まれた「可視化文化」と「自分ごと文化」

田久保:東日本大震災をきっかけに誕生して、今なお影響を与えているものにはどんなものがあるでしょうか。例えば、クラウドファンディングは、その1つです。

青柳:クラウドファンディングは、2011年3月29日にREADYFORの米良はるかさんが日本で初めてスタートさせ、そこからグッと伸びました。

支援を必要としている人たちが直接情報を発信でき、「応援したい」と思う人がすぐにお金を投じられる。リポートなどで、具体的にお金がどんなふうに使われ、どう役立ったのかが分かるので、「自分のお金がこういうところに役に立っているのか、良かった」という体験がそこかしこで生まれています。

そこが従来の寄付とは異なります。共感が高まり、自分ごととして捉えることが一気に進んだと思います。

田久保:素晴らしい考察です。起きていることがリポートで見られる「可視化文化」と、可視化によって自分ごとにしやすくなった「自分ごと文化」が生まれた、と。

ソーシャルアントレプレナーが起こした「価値観のシフト」

青柳:2011年は、誰もができるその場の緊急支援をボランティアでやっていました。半年から1年ぐらい経ったときに、「これはいずれ片付く。必要なのは事業を起こすことだ」と、ビジネスパーソンが気づきだした。そのとき、ソーシャルベンチャーを始める人のハブになったのは、2012年4月に開校したグロービス経営大学院仙台校(*)だと思っています。

(*)仙台校には、青柳氏が立ち上げに尽力した「ダイムラー・日本財団イノベーティブリーダー基金」が設置された。基金がもとになった奨学金プログラムにより、2012年からの3年間でのべ約90名の奨学生が仙台校に通った。

グロービスに通う20代、30代のビジネス経験のある人たちが、例えば東京での仕事を辞め、東北に行くという事象が何十と起きました。自分の人生を変えてまで東北に行った。それは、まさに社会課題の解決をビジネスとしても成り立たせる、ソーシャルアントレプレナーの走りでした。東北で起きていたことが、10年経った今は全国各地で当たり前になっています。

田久保:短期的なボランティアではなく、中長期のコミットメント、人生を変えてまでコミットして、社会問題を解決しようというムーブメントが起きました。ソーシャルアントレプレナーとしては、ラポールヘア・グループの早瀬渉さんをはじめ、様々な方がいらっしゃいますが、グロービスの卒業生では、2012年に卒業されたGRA代表の岩佐大輝さんですね。岩佐さんと青柳さんは、同時期にグロービスに在校され、同じように東北で人生を変えられた。

青柳:やはりあれほどの災害でなかったら、そこまでの人が、あれだけの数は出ないと思います。

田久保:出世を是とする世代から、社会善がいいという価値観へのシフトも、今振り返ると東日本大震災が大きく影響しています。

青柳:先ほど名前が上がったリーダーは、ミレニアル世代より少し上ですよね。まさに価値観の転換が起きている。今のミレニアル世代はもともとそういう価値観で、ビジネスを始めるときには社会課題から入るようになっています。

田久保:東北で立ち上がった事業の成否より、その後に与えた価値観のシフト、その背中を見てきた今の20代、30代の若者への影響のほうが大きな出来事だったのかもしれません。

もう1つ、世の中の構造を変えたのが、LINE。末端までコミュニケーションを取らなければならない、もしくは取れたかどうかの確認をしなければいけないというニーズに応えたサービスだと思います。

青柳:「今ここで物資が足りません」といったことも含めて、現場と援助側を直接つなぐという意味で大きな影響力があったと思います。

東北以外の地域も地域社会の課題に気づく

青柳:また、震災を機に、人口減少や超高齢化、少子化といった社会構造を前提にした地域社会づくりを考えなければならないと、東北のみならず、他の地方自治体や企業も気づいたと思います。

その後、「地方創生」が政策として打ち出され、多額の予算がついたのは、2014年5月に日本創成会議で発表された、いわゆる「増田レポート」がきっかけです。これは「2040年までに全国の市町村の半数が消滅する可能性がある」という衝撃的な内容でした。これで政治も動いた側面もありますね。

田久保:一方で、中央依存型のメンタリティーは今もあるように思います。

青柳:例えば、「福島イノベーション・コースト構想」は、地域の復興を狙い、新たな産業基盤の構築を目指す国家プロジェクトで、さまざまな先端企業を呼び込むことが政策で決まっています。これは意義のある政策ですが、発想がどうしても中央資本ありき、のように見えます。

自分たちで地元資本をつくり、地元で資源やお金、人を回そうという動きが東北にはあったわけです。もちろん失敗もありました。ただ、日本全国がそれを見てきた。今、東北の事例から学び、そこに挑戦しようという地域がかなり出てきています。今後の地域が抱える課題をいかに解決していくかを考える上で、大切なポイントではないでしょうか。

後編に続く

(文=荻島央江)

RELATED CONTENTS