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コロナ禍で決めた起業―aligatosができるまで

投稿日:2021/01/27更新日:2022/02/07

2020年にグロービス経営大学院を卒業した香月美蘭さん。在学中から宣言していた通り、2020年夏、コロナ禍にもかかわらず、独立起業を果たしました。ずっと作りたかった商品は「aligatos」。その美しい靴下には、これまで勤めた数社での経験とグロービス での学びが詰まっています。中国から日本の大学に進学し、新卒採用で入社したユニクロでは3年で本社直下の店舗の店長に就任。その後もビジネスの第一線を走ってきた香月さんに、起業までの道のりについてお話を伺いました。(全2回、後編)前編はこちら。(取材・文=難波美帆)

※2022/12/20にブランド名がaligato socksからaligatosに変更になりました。これに伴い記事内の表記も修正してあります。

ユニクロで学んだ厳しい基準

難波:新卒でユニクロに入社されたんですね。

香月:そうです。2008年、当時ユニクロが中国に大量出店を計画している時で、採用のキャッチコピーが、「経営者を求む」でした。中国で将来幹部候補になれそうな人を日本で採用して、2年間店長まで経験したら中国に派遣しますという話でした。大学を卒業したら帰国しようと考えていたのですが、せっかくだし、日本流の仕事を学んでから帰国するのも魅力的だなと思い、入社を決めました。

難波:香月さんは、日本語に全く訛りがないので在学中、中国のご出身だと気づきませんでした。

香月:日本語では、全然言いたいことが言えなくて、グロービスのレポート課題も苦手でしたが(笑)。中国出身です。18歳で来日して、2年間京都で日本語学校に通いました。その後、大学の4年間を金沢で過ごし、新卒で東京に来てからずっと東京で暮らしています。

難波:就職したときは、中国に戻って働くことを考えてらしたんですね。

香月:はい。就活の時は、中国支社のある日本の大手企業を中心に探していました。 ですが、高校生の頃からファッションが好きで、将来的には起業したいなと思っていたので、ユニクロの採用ポジションはとても魅力的でした。「20代で年商数億円の店舗のトップとして運営できるのはすごい」と思いました。

難波:1つの店舗でそんなに売り上げがあるんですか。

香月:はい。都内の売上はすごかったですね(笑)。私が入社したのは、ちょうどヒートテックがヒットした年でしたが、直近でいえば、「+J」(ユニクロのジルサンダーとのコラボ商品)が発売された時のような活況が起きていました。お店がオープンして数時間でヒートテックコーナーがすっからかん。品出しの補充をしようと、売り場まで段ボールを運んでいる途中で「Lちょうだい」と言われて、箱から取り出してお客様にお渡しする。結局、売り場までたどり着く前に箱が空になって、通路で折り返して戻る。そんな状態でした。

難波:出したら箱からなくなるみたいな経験も、ユニクロでなければできないご経験だったでしょう。

香月:そうなんですよ。ヒット商品の人気を身をもって体験できた貴重な機会でした。あとはお客様に接する姿勢も、すごく勉強になりました。あの頃、厳しい基準で鍛えられた感覚があるので、aligatosを作る際も高い基準で取り組めたと思います。

難波:ユニクロの品質基準は厳しかったですか。

香月:厳しいです。よく見ないとわからないほつれや引っ掛かりでも、すぐ売場から撤去します。売り場に出している商品の量も多く、不良品の処理にはコストも大きいと思いますが、お客様のために妥協せず徹底しているんですよね。

難波:十分勉強したと思ってお辞めになったんですか?

香月:いえ、まず中国赴任がなくなったのと、長期的に考え、他の領域も経験してみたいと思うようになったのがきっかけです。入社して2年経った頃、グローバル展開に力を入れ始め、中国派遣の話はなくなりました。

その代わり、中国での店舗立て直し業務や、海外新入社員研修のサポートなど、店舗運営以外の業務も経験することもできて、良かったです。ちょうど同じ頃に、プライベートでは結婚することになりまして、長期的視点でのキャリアをもう一度考えてみることにしました。それで転職したんです。

「モノ」から「ヒト」へ。人事として再スタート

難波:その次に選ばれたのは、どんなお仕事でしたか?

香月:次の会社は、中南米雑貨を扱う会社で、当時店舗数が30ぐらいで、ちょうどヴィレッジヴァンガードに買収され、香港と中国出店を控えていたときに一次面接がありました。一次面接なのに、その場で、「一緒に働きましょう」と言われました。お互いのニーズがマッチした瞬間ですね。これは運命に違いないと私も即答しました。

難波:また、店舗に立ってお客様と接するお仕事でしたか?

香月:いいえ、メインの業務は人事です。「モノ」を経験したので、今度は「ヒト」に関わってみたかったんです。人事としては未経験でしたが、それでも受け入れ、チャレンジさせてくれた社長には今も感謝しています。入社後は、人事から海外出店まで幅広い業務を任せてもらえました。

難波:ユニクロで積んだ経験が生かせましたか。

香月:はい。社内の研修がほぼない状態でしたので、どんどん作りました。店舗運営には何が必要か、研修体系を考えるうえで、ユニクロで培った店長経験がとても役立ちました。香港出店では、1カ月半現地に出張に行って、1号店の立ち上げをやりましたが、ここでもユニクロの経験は役立ちました。今思えば、当時の社内はスタートアップそのものでしたね。

難波:在庫も全部自分で一から揃えたんですか?

香月:在庫は営業が揃えてくれますが、意見は反映させてもらいました。香港ってすごく土地が高いんです。だから店舗を借りても、店舗内にバックヤードがない。ヴィレッジヴァンガードが香港に支店を置いていたので、そこの倉庫を間借りしていたのですが、距離も遠く、すぐ補充できる状況ではありませんでした。必死で欠品させないように在庫を管理していきました。

難波:雑貨屋さんだから、物凄い多品種でしょ。

香月:はい、SKU(Stock Keeping Unit:ストック・キーピング・ユニットの略で、受発注や在庫管理を行うときの最小の管理単位)が非常に多いんです。例えば指輪だけでも種類がたくさんあって、さらにサイズ別となると膨大な数でしたね。統一した商品タグがなく、POSレジ(販売時点情報管理)もなく、在庫管理が想像以上に大変でした。

難波:どうやって在庫管理をしたんですか?

香月:全部手書きです。倉庫の在庫点数と、売り場に置いてある点数を把握するために、紙にマス目を作って、日本から入荷したら、まずそのマス目に倉庫分を入れる。倉庫から店舗に出荷したらその分倉庫のマス目を消す、店舗が荷受けしたら店舗在庫のマス目を増やすというようにアナログで管理しました。でも、海外初出店の喜びが大きく、大変な作業もすごく楽しくやりました。

難波:香港に1カ月半いて、帰ってきたら、日本での出店を続けてやった。

香月:そうですね。帰国してからも毎月出張ラッシュでした。会社が急成長していたので、毎月、2~3店舗のペースで出店し、OPEN研修や、昇格研修など年中忙しかったです。

コロナ禍でライフスタイルを見直し、起業へ

難波:その後に、産休をとってご出産されたんですよね。

香月:そうです。産休は、また自分の長期的なキャリアを考えるきっかけとなりました。そのままでも充分楽しかったですが、アパレルはアナログな部分が多く、人事としても自己流でやっていたので、よりシステム化された業界を経験したくなりました。当時、IoTがホットワードで、せっかくならIT業界に行ってみようと思い、産休から仕事に復帰後にニフティへ行きました。ここで4年半勤めました。

難波:人事については十分学べましたか?

香月:はい、とても勉強になりました。やり方を学べた部分より、人事はどこに行っても新しい課題に直面するので、結局は自分で考え抜くことを求められることが分かりました。この気付きはグロービスに行くきっかけにもなりました。

難波:考える力を鍛えるためにグロービスにいらしたんですね。そして、グロービス在学中にLINEに転職したと伺いました。LINEは短い在籍で辞めて、起業をしたんですね。

香月:ほんとに短かったです。元々はLINEに在籍しながら副業で靴下を進めようと思ってましたが、転職してすぐ新型コロナウィルスの流行で働く環境が大きく変わったんです。とても起業を進められる状況ではありませんでした。

緊急事態宣言で小学校・幼稚園共に休校になり、2歳児と7歳児を抱えながらの在宅勤務が始まりました。業務が多忙であったうえに、仕事のスケジュールと関係なく母親を求めてくる子ども達からの要求に、思うように在宅業務が進まなくなりました。今までは器用に仕事と育児の両立ができていると思っていたのですが、初めて両立できないという壁に当たってしまったんです。子供達も長期に渡る自粛でストレスが溜まり、心のケアも必要な状態でした。夫も私も両親が遠くに住んでいて、助けてもらえる状況でもなかったので、決断する時だと感じました。

それで、「仕事とプライベートを合わせ、自分の中で大切と思う順に整理し、できると思うキャパからはみ出たものは一旦、諦めよう」と。結果、退職を選びました。会社はチームで動くので、家族のことを優先してしまうと、どうしても周りに迷惑をかけてしまうんです。でも、自分の事業であれば、自分でコントロールがある程度できる。それが、今の私には必要だと判断しました。エネルギーを集中して成功させよう、と決めました。

難波:大学院在籍中から、起業したいと聞いてたので、その時から考えると十分に考える時間があったのかもしれませんが、会社を辞めてから、実際に商品を出すまでは早かったですね。

香月:早かったですね。今思うと会社を辞めなかったら、多分、2020年10月1日のOPENに間に合わなかったと思います。それまでは隙間時間でしか作業ができず、浅くコマ切れでしか考えてなかったんだなぁと気付きました。集中して考えるようになってからは、ビジュアル撮影やサイト構築などがハイスピードで進みました。

難波:グロービスの学びの中で、どのようなことが起業の土台になりましたか。

香月:グロービスに入り、まずはビジネスの原理原則が理解できるようになりました。ユニクロで働いた4年間、自分は仕事ができるのだと勘違いしていたんですけど、今思えば、マニュアルのおかげだということも、学んだからこそわかるようになりました(笑)。もう1つ大きかったのは、難波先生の「デザイン思考」のクラス。

難波:お役に立てて、うれしい!

香月:考え方がガラッと変わりました。デザイン思考にたどり着く前は、KSF(Key Success Factor:キーサクセスファクターの略で、事業を成功させるための主要要因)を考え抜き、経済の原理原則に則った先手を考えることに一生懸命でした。靴下も、素材や機能性ばかりに意識が向いていました。それが、デザイン思考を学んで、お客様のペインポイントに対してどのようなストーリーでどのような体験を届けたいのか、を考えるようになりました。

難波:サイトも素材のクオリティーや機能面を出したものではないですね。

香月:そうなんです。お客様に届けたいメッセージを考えなかったら、商品紹介も、全員が靴下を履いて地面に立っている写真にはならず、いわゆる「物撮り」になってたと思います。「数あるソックスの中で、私の商品を選んで履く人ってどんな人なんだろう」とか、「靴下を履いた後、どんな気持ちになって街中に出て行くのかな」というのを想像しましたし、「そういう人たちが大切にしてる物って何だろう」と考えました。

香月:aligatosというブランドのイメージや企業姿勢が、お客様のライフスタイルや価値観に合うかどうかが大事なんだなというのに気付いて、「じゃあ私たちの価値観って何?」とか、「私たちは企業として何をするの?」というふうに議論をしました。結果「あらゆる人を足下から幸せにしたい」という企業姿勢が決まり、撮影コンセプトも自然と決まりました。

「あらゆる人」を表現する為に、まず、顔を隠し、性別、年齢、人種に囚われないことを表現しました。次に、10色のカラーバリエーションを目立たせることで、多様なシーンに合わせられることを伝えたかったです。それと「足下から幸せにしたい」というメッセージを伝えるべく、靴は履かず、地面に直に立つことで、支えたいという思いを込めました。

難波:このソックスには、香月さんのこれまで働いてきた経験と学びがいっぱい詰まっていますね。だけど、シンプル。かかとがなくて裏も表もない。右も左もない。この靴下を足に纏う時、きっと私はちょっとくすぐったい気持ちがします。あ、誤解ないように。靴下自体はまったくのストレスフリーでくすぐったくはないですが(笑)、作り手の思いが足から伝わってきてとても喜ばし いです。aligatosに込められた物語(前編)と香月さんの成長の物語を聞かせていただき、ありがとうございました。

【関連サイト】
aligatos https://aligatos.com/

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