先行き不透明なコロナ禍の中、テクノベート時代の新たな価値創造に取り組んでいるビジネス・リーダーへのインタビュー。エン・ジャパンの社外取締役に就任し、グロービス経営大学院の卒業生でもある村上佳代氏にこれまでのキャリアの歩みと今後の展望を聞いた。(全2回、前編)(文=竹内秀太郎)
非連続なキャリアが機会に結びつく
竹内:これまでのご経歴を教えて頂けますか。
村上:1995年にタイピングソフトなどのソフトウェアを扱うデジタルコンテンツの制作会社を起業しました。2000年からネットイヤーグループでの戦略コンサルタントとしてB2C、B2B企業のインターネット活用、ネットビジネス事業化支援などに携わり、2007年以降、カルチュア・コンビニエンス・クラブ、楽天、P.G.C.D.といった事業会社のマーケティング責任者を経験し、2016年に再びコンサル職に戻り、現在は自分でコンサルティング会社をやっています。
竹内:2020年6月からエン・ジャパンの社外取締役に就かれたそうですね。
村上:私はこれまで、「#マーケティング」「#デジタル」「#起業」という領域で経験を積んできました。エン・ジャパンの事業は「テクノロジー ×ヒューマン・リソース」という世の中的に注目されている領域に関連していることもあり、とても興味を持ちました。光栄にも選んで頂けて、大変ありがたく思っております。
竹内:どのような経緯だったのでしょう。
村上:「エン・ジャパンと一緒にお仕事されていたのですか」とよく聞かれますが、全くそうしたことはありません。私にお声がけを頂いた理由として、
また、社外取締役は直接利害関係のない人から選出されることがガバナンス的に理にかなっていると言われますので、これはこれで非常に妥当なことだと受け止めています。
軸足はブラさず機会をつくる
竹内:ご自身では、非連続なキャリアだったと認識されているのですね。
村上:そうですね。マーケティングとデジタルという軸足はずらしていないのですが、自分の中では、大きい規模の会社、小さい規模の会社、あと業界も変えてきました。外さないところ、要するに軸足を明確にし、自分の中の一貫性は保ちつつ、常にピボットしながら目指すところにたどり着くような歩みだったように思います。
竹内:これまでのキャリアを振り返っての転機をあげると。
村上:自分の中での転機=転職です。自分のフィールドが広がったり、視座が上がったりする機会をつくることを意識してきました。2001年にネットイヤーグループに入った時は、ネットが今後大きく伸びる実感があって、起業という形で小規模でやっているより、組織に入って大きい予算で大規模なシステムを扱う仕事を経験した方がいいと思ったのです。そこでクライアントの事業をネットやデジタルを活用して支援し、ある程度立ち上がったら引く、という関わり方を続ける中で、事業側の経験を積みたいと、カルチュア・コンビニエンス・クラブに移りました。TSUTAYAオンラインのマーケティング・マネジャーというポジションだったので、それはもう面白い体験ができそうだと思いました。
竹内:楽天にはヘッドハントされたそうですね。
村上:もともと興味のある会社でしたし、ヘッドハンターの方からお声がけ頂いたとき、常務直下の話だと聞いたので、すぐにお会いすることにしました。新規事業の立ち上げという話で、また、新たな見たことのないフィールドにいけるかもと思いました。
竹内:P.G.C.D.にもお誘いがあって移られたのですか。
村上:P.G.C.D.のトップもCOOもグロービスの同窓生で、マーケティングのできる人を探している、とのことでお声がけ頂きました。それまで私は主に無形サービスを扱っていたので、基礎化粧品という有形商品のマーケティングには興味がありました。また同社の商品は、自分自身が愛用していた大好きな商品でもありました。買ってもらうだけでなく、
竹内:その後、またコンサル側に戻られたのですね。
村上:グロービスの同窓生が取締役をやっているコンサル会社です。P.G.C.D.でも3年半ほどかけてひと回しできたタイミングだったこともあり、通算10年以上の事業会社での経験を生かしてコンサルに戻ろうと意図的に考えました。
竹内:誘われて移るというパターンが多いのですね。
村上:もちろん誘われたらいつも移るというわけではありません。お声がけ頂いても、その時手掛けていることを手放せないタイミングだったのでお断りしたこともあります。お声がけ頂いて動いたとき、というのは、そのタイミングがちょうど、ひと回ししたタイミングと合致していたからです。その業界でのやり方がだいたいわかってきた時とか、さらに次のひと回しをするのに、もう4~5年かかるなと思っている時にお声がかかるのは、「ああ、これはご縁だ」と思えるのです。