ユーザベースが大事にしている「The 7 Values」とは?稲垣氏が語る経済メディアの立ち上げと会社上場まで

本記事は、G-STARTUPセミナーの内容を書き起こしたものです。(全2回 後編)

3人での創業はうまくいったか

今野:では、続いて組織のお話も伺ってみたいと思います。ユーザベースさんの特徴というのは、少なくとも肩書ベースでは3人の創業代表が、創業期からフラットな体制でやっていらした点にあると思っています。この点について、良かった点や悪かった点、あるいは気を付けたほうがいいことや、お勧めするようなことは何かありますか?

稲垣:僕たちは共同創業のチーム経営によって、3人で協力し合うことでここまで来ることができました。1人ではできなかったと思っています。ただひたすら3人の価値観のすり合うまでの期間が辛く、コミュニケーションコストが高かった。

今野:トップが1人や2人の場合に比べて、3人だとすり合わせなければいけない幅が広かったという意味ですか?

稲垣:創業者同士の関係性にも依るのかもしれません。梅田とは高校の同級生でしたから、根本的に嫌いにはならないというか、ビジネスパートナーとして、友達からの変化という調整で良かった。でも、新野とは梅田が連れてきた彼の友人として本当に創業の瞬間に初めて会ったので、信頼関係も何もないところからスタートしました。新野はミッションやビジョンを重要視してお互いの対話を求めてくるタイプ。僕やエンジニアチームはエンジニアとして一秒でも早くコードを書くことを重要視して実績でお互いを認めるタイプ。全く噛み合いませんでした。

まだお互いの信頼関係が作られておらず、仕様変更などでゴタゴタしている中で、チームアップするために新野はなんとか「互いを知ろう」とコミュニケーションを取ろうとしていましたが、エンジニアに対しては逆効果。「そんなことを思うなら1行でもコードを覚えてほしい。一緒にコードを書いてほしい。」という思考になってしまうんですね。彼は「対話により良いチームを作りたい」、僕らは「良いチームを作りたいなら行動で示すべき」となっていって、さらにイザコザが生まれていきました。結局、そういう状態が2年間続きました。新野にはすごく辛い思いをさせたと思うし、僕も僕ですごいストレスだった。当初はそれを乗り切れるかどうかがすべてでしたね。

今野:どうやって乗り切ったんですか?「成長がすべてを癒した」的な話ですか?

稲垣:2つあったと思います。1つはおっしゃる通り成長。成長がなければどこかで無理が来たと思います。もう1つは対話ですね。新野は対話から逃げず、最後まで対話を続けてくれました。ただ、対話だけでお互いを認められていたかというと、それはなかったです。

転換期は営業フェーズになった瞬間。新野は元々ビジョンやミッションを語るのがすごく上手でしたが、会社の意義や製品のあり方とか、チームの思いとか、そういう話を誰よりも話していたし考えていた。実際の営業の場でもそういう話をしていて、新野が行くと、なにかこう、ユーザーのファンができる。製品もまだ理想とは程遠い頃でも、僕たちの製品の可能性やチームや会社の思いというレベルで伝えてくれる営業するので、応援してくれる人がどんどん増えるんです。

そうなると、機能でまだ多少足りないところがあったり問題があったりしても、「この会社だったら投資してあげようよ」という応援も含めて導入をしてくれて、ある意味では僕らエンジニアチームが開発する期間を稼いでくれることにもつながっていました。開発フェーズはエンジニアの貢献が大きく見えてしまいますが、営業フェーズでは新野が自分たちに到底できないことをやってくれて、その実績が大きなリスペクトを生んでいったというところがあります。ですから、営業フェーズになって初めて3人の体制の歯車がかみ合ったという感じでした。

今野:あとから経営レイヤーが入ってくるときは、社内の、特にエンジニアの方々に対して、稲垣さんのような立場の人によるフォロワーシップが大事になるというお話ですかね。それから、会社の成長フェーズによって必要な価値が変わるということで、フェーズによって大変なパワーを発揮するといった話がある、と。

その辺は、たとえばYappli(ヤプリ)さんもすごく上手にやっていました。彼らは創業3年目ぐらいまで、3人のリーダーシップチームでやっていたんです。で、3年目ぐらいにエバンジェリストということで雑誌社のメディア記者を採用して、ひたすら広報に力を入れていきました。で、その次の年は組織が50~60人になってきたということで、CFOとしてコーポレートのヘッドを入れて、去年あたりは「CMをやるから」と、CMOみたいな人を採用しました。そのときどきのフェーズで必要な人を取っていて、結果的には1年に1人みたいな感じになっていましたね。そんな風に、各フェーズに必要なタレントがいるということですね。で、少し時間軸は飛びますが、稲垣さんが今代表取締役をやっているのはなぜなんですか?

稲垣:初めて代表になったのは2017年頃ですが、これは梅田が米国への挑戦をはじめるタイミングでした。梅田が僕たちとしても悲願の米国の立ち上げに専念しなければいけないとき、一旦集中するために代表から降りるべきでは。その際、日本に残る新野が代表としてSPEEDAとNewsPicksの両方を見ることが最適なのか、チーム経営の強みを維持して日本で新野と稲垣で共同代表制を継続するべきじゃないか。これまで新野はSPEEDAに集中してきたこともあり、NewsPicksを別の誰かが代表として担当するべきではないか、ということで僕にユーザベースの共同代表兼NewsPicksの代表をやって欲しいという話が来ました。

ただ、正直僕は最初「嫌だ」と言ったんです(笑)。僕は根がエンジニアですし、「これまでお互いの才能を活かし合う経営をしてきたのに、エンジニアの僕が代表として経済メディアを語るとか、そういうのは理想のチームワークではないからやりたくない」と。ただ、会社としての必要性という観点も当然ありますけれども、何より梅田と新野に対して彼らがこの体制にしてほしいと言っているのに僕のわがままで困らせてしまっていると感じて、3人で助け合ってここまでやってきたのに「ここは自分の好き嫌いで決めちゃいかんな」と思い、代表を引き受けたというのが当時の経緯です。

それで、梅田と新野による共同代表だったものを、僕と新野による共同代表に変えました。ただ、そのあと新野が体調不良で顧問に退く形となってしまったので、「こうなったら僕と梅田でやるしかない」という話をして、今は僕と梅田の共同代表制になったというストーリーです。

今野:たとえばローテーションをするとか、そういうポリシーがあったわけではない、と。

稲垣:後日談として実際に代表という立場をやってみて、僕がいかに梅田や新野に甘えていたのかを思い知りました。これも僕がCTO・COOという役職を長く続けた結果、無意識にコンフォートゾーンに入って固定的な景色のみを見ていたことが原因で、かなり反省しました。この体験を通してチーム経営を活かしたローテーションの意識が生まれてきたという感じですね。

NewsPicks立ち上げ

今野:では、またリリース後の話に戻りますが、Biz Devというか、エクスパンションしていく時期に一番大事にしていたKPIというか、最もよく見ていたところはどんなところでしょうか。

稲垣:製品によって違うとは思いますが、SPEEDAに関しては利用時間の1点でした。ユーザーがどれだけ使っているか。そこだけをずっと見ていた記憶があります。

今野:どれだけ粘着性の高いプロダクトにできるかという。

稲垣:そうです。ただ例えば今はコンサルの方と事業会社の方で見ると使い方がかなり異なっていて、コンサルの方には定常的に使っていただいている一方、事業会社の方には決算対応や中計の作成など一定期間に一気に使っていただくケースが多かったりします。そうなると一律的な見方はできないので顧客属性毎に数字のクライテリアも調整していますが、当時はまだシンプルに利用時間を追求していました。

今野:なるほど。スティックネスという意味では解約を見ていたら遅いですし、その前の先行指標として、「どれだけ使われるか」を最も重要視していた感じですかね。一方、組織に関してはいかがですか。今日初めて聞いて「なるほど」と思う話も多かったのですが、トップの3人が“強い”というか、濃ければ濃いほど、組織の拡張というか、ダイバーシティを生むのが結構難しかったりするケースも、僕の知り得る限りは結構あります。その辺の組織拡大について、何か課題はありましたか?

稲垣:僕らに関して言えば互いの得意不得意がクリアでしたし、大事な意思決定のときは常に3人で話していましたね。それで意見が割れるときはだいたい2対1に割れるので1人だと間違えてしまいそうな意思決定は防がれますし、納得いくまで話していたので話をしていくなかで1のほうが2に寄っていく、みたいな感じでした。多様性の観点では、たとえば先ほどお話ししたようにエンジニアと営業の観点が強い新野がうまくいかないといったときには、僕が入ればお互いを通訳できるのですぐ解決できるようになっていました。もちろん逆の話もあり、3人の誰かが衝突しても、別の3人の誰かが仲介に入ることで、チームの多様性を繋いでいくことができました。

ただ、SPEEDAはそれで回っていましたが、NewsPicksを立ち上げるときだけは違っていました。新たなメディアという領域に対して、僕らも最初はメディアの初心者でよく分からないままやっていた部分がありました。いわゆる編集・ジャーナリズムというものについて経験もなく、オリジナルコンテンツをどう作っていくべきなのか、そこが最初は一番苦戦したポイントでした。NewsPicksとして「この領域を牽引してくれる新たな異能の誰かを採用しなきゃいけないんじゃないか?」と。それで一緒にできることとなったのが佐々木(紀彦氏:NewsPicks初代編集長。現在はNewsPicks Studios CEO/NewsPicks取締役 新規事業担当)です。

やはり彼のように強烈なトップが来ると、新たな編集という領域であってもその人を中心にしてチームを作ることができました。ですから、最終的にはこれまでの創業者3人のように佐々木と僕らがどこまで一緒の目線でできるかという話になりますが、そこが妥結できればまた新しい異能のチームとして多様性の掛け算が働きます。新たな領域に踏み出すときに、象徴となるトップの人を採用して、そこからチームをつくるという体験は重要な経験だったと思っています。

今野:NewsPicksの立ち上げについてはどんな経緯があったんですか? 上場前ですよね。たとえば、「伸びる事業に集中せず、いろいろ多角化するのはどうなのか」といった議論もあったとは思いますが。

稲垣:NewsPicksも言い出しっぺは梅田でした。当時はちょうどSPEEDA Asiaのほうで製品をつくってグローバルに打って出ようというときで、新野はグローバルを、僕と梅田は日本を見ていくタイミングでした。そのときに「思いついちゃった」と梅田が持って来たのがNewsPicksの企画です。僕もエンジニアチームと一緒に話をしてプロトタイプをつくったりしていたんですが、その中で「これはイケるんじゃないかな」と僕も思ってしまった。

それに、僕らのミッションとして「B2B だけをやっていたいのか」というと、僕らは創業時からGoogleをリスペクトしていたし、真に社会のインフラになりたいという思いがありました。ビジネスパーソンの情報収集はデスクでPCに向かっている時間だけではなく、朝起きたときや通勤時といった、いわゆる可処分時間でも必要な情報を見ることをできるようにするのはすごく重要です。ですから、そういうことをやりたいという思いは皆一緒だったので、「何か思いついちゃったのならやるべきじゃないか?」と考えていました。

ただ、そのときは最初新野が反対しました。「これから海外に打って出ていく段階で、リソースを分散させるのか」と。新野は海外に移住してSPEEDA Asiaを背負うタイミングでしたし、指摘は正論でした。ただ事業の色々なニュースアプリが立ち上がっていく中でこのタイミングでやるべきだと、最後は新野も納得してくれてスタートしました。ただその翌年は初めて目標未達という結果となってしまい、3人で報酬カットという責任を取りました。大きな挑戦を2つもやるのは甘くなく、新野の指摘は正しかったと思います。それでもやり続けると光が見えてくるもので、その次の年からは2つの事業があることで成長率が上がり、ユーザベースとしても初の多角化が形にできたタイミングになります。

ユーザベースの「The 7 Values (7つのルール)」

今野:なるほど。あと、ユーザベースさんの特徴として、カルチャーが濃いというか強いというか。「The 7 Values」でしたっけ? 就業の縛りもないという話を聞きます。その辺の思想と企業価値、あるいは事業との関係という点では、どんなことをなさってきたんでしょうか。

稲垣:これはエンジニアが起点になっている話ですが、当時から僕も含めて、そもそも時間に縛られるのが嫌いな人たちが多かったんです。くだらない話かもしれませんが「スーツも着たくない」と。エンジニアというのは、そういう部分ですごく過敏に反応する性質がある人たちなので。ですから、せっかく自分たちで立ち上げるなら、個性豊かなエンジニアたちが生き生きと働ける会社にしたい。そのためにはそうした自由度をしっかり確保したうえで、きちんと成果に対して向き合うチームにしたいと考えていました。実際の実現に向けては文化の衝突があったといいますか、梅田は当初、「なぜ、みんな朝9時に来ないんだ」と、怒っていましたね(笑)。でも、僕たちのほうは(定時の出勤という形で)行く気もなかった一方で、「やる」と言ったことは徹夜してでもやるというようなスタンスでした。

特にデータベースというのは初期のSPEEDAでも1億レコードくらいのデータ量を処理するので、徹夜で見ていなければいけないようなこともあります。3時間ごとに起きて、エラーチェックをして、エラーがあればすぐプログラム修正してリトライしたりして。そういうことをやっていこうとすると、必然的に「(働き方等について)ダイバーシティが認められないならチームなんかできないよ」という話になっていきました。こちらも逆の景色もあり、電話対応など会社に出社してやらなければならないことは彼らがやってくれていたので、エンジニアチームもビジネスサイドへの理解が必要でした。そういう状態で1年ほどやっていくうちに、ようやくお互いを認めて理解できるようになっていきました。そこから、まずはエンジニアとビジネスサイドの文化が混ざっていきました。

とはいえ、その時はきちんと言語化はしていませんでした。なんとなく、「スピードが重要だよね」「多様性は大事だよね」「自由が好きだ」というぐらいだったんです。30人くらいの規模感まではお互い背中で示したり、日々の対話でそれらの価値観が伝わっていました。でも、いわゆる「50人の壁」みたいなタイミングでは、そこを超えられませんでした。それで、一度は本当に、もう内部崩壊のレベルで会社が傾きはじめていった時期があります。

当時も新野が療養に入っていて、その中で僕も梅田も開発や資金調達でかなりの時間を取られていて、皆となかなか話す機会がなく、少しずつ認識の齟齬が生まれて結果として少しずつ空中分解していくような感じになっていってしまいました。幹部として採用したメンバーが、ちょっとバリューをすり合わせる前に現場に入れてしまったということもあって、みんなから相談を受ける彼が裏で皆の不満を束ねる係みたいになっていたんです。それで、「僕ら」対「彼を筆頭にしたメンバーたち」みたいな対立構造も生んでしまっていた、と。それで、もう本当に、一時期は会社にいても皆が腹を割って話してくれていない感じになってしまっていました。

それで療養中の新野のところへ相談に行きました。彼は創業当時から「バリューが大事だ」ということを言い続けていたんですが、「僕たちのバリューを作ろう」と提案をくれました。それでつくったのが「7つのルール」(現:The 7Values) と呼んでいるバリューのセットです。

今野:どうやってつくったんですか?

稲垣:とにかく「無理につくるべきではない」という話をしていました。すでに創業して数年経っていた会社なので、「自分たちが常日頃から何を言っているのか」ということで、自分たちはもちろん皆からも普段口にしている言葉や大切にしている価値観を集めることにしました。そうすると「スピード」や「多様性」といった言葉がどんどん出てきたので、それを最終的にまとめていった結果、たまたま7つのバリューになったという流れになります。

今野:キーワードは下からというか、民主主義的に集めたんですね。

稲垣:そうですね。民主的に集めて、トップダウンで決めたという感じです。

今野:それを浸透させる労力は結構かけているんですか?

稲垣:それをつくって皆に発表したときは、驚くほどストレートに浸透していったという感じでした。やっぱり皆も会社を大事に思っていたということですよね。だからこそ、余計なコストを使わなくてもすぐ浸透できたのだと思います。現状では入社研修やTHM(2週間に一度の全社集会)、バリューについて書かれている冊子を配ったりすることで浸透を図っています。

今野:そのあたりは、評価にはどのようにリンクさせているんですか?

稲垣:言語化したうえで、バリューの体現度合いのようなものはコンピテンシークライテリアに入れています。まず、ジュニアのメンバーに関しては、どちらかというとバリューに基づいた「Do=こうあるべき」と「Don’t=べきではない」のポイントを見ています。それこそ「陰口を言っていないか」といったレベルも含めて。一方、より上のレイヤーのメンバーでは、発信力も含めて、どれだけバリューを体現しているかという部分を見ていきます。チームメンバーのバリューの理解を深めていくような対話も大切ですが、結果的にバリューを体現していればチームの力を引き出していろいろ挑戦をしたり、クリエイティブに新しいものを生み出せる可能性が高くなると思うんですね。ですから、チームの状態も大切ですが、結果としてそのチームが何かを生み出しているのかも見ています。

今野:最後に、ご自身の経験を基にして今お話を聞いていらっしゃる皆さんにアドバイスをいただきたいと思います。皆さんは、今プロダクトをつくっていたりPMFを当てにいっているようなタイミングにいらっしゃると思うんですね。そうした方々に、これまでを振り返ってみて、「ここは大事だぞ?」「こういうところに注意しとけ」「こういう考え方でやるといいよ」といったお話が何かあれば。

今は図らずも御社が創業したときと世の中の環境も近くなってきたというか。創業時のステージでリーマンショックを知っている、もしくは経験しているという意味でも、結構近しいと思いますので。まあ、「気にするな」ということかもしれませんが(笑)、何かアドバイスがあれば、ぜひお願いします。

稲垣:僕らの体験から申し上げますと、まず1つは潰れない経営というのがスタートの土台になっていたと思っています。安心してやるべきことに集中できるキャッシュをしっかり持って、バーンレートから「どのタイミングまでなら生きられるのか」を見極めて意思決定する。そしてあとは愚直にプロダクトづくりを進めていくというのが一番大事なのだと思います。ここの意思決定がブレて、(キャッシュとプロダクトの)両方を気にしなければいけなくなると集中できなくなってしまうので。まずはきちんとこのラインを決めて、調達するなら調達すると決めて、明確に動いた方がいいのではないかなと考えています。

それともう1つ。これは、なかなか答えがない話だと思いますが、プロダクトは早く市場投入したほうがいいと、僕は考えています。もちろん中途半端なものを出すという意味ではありませんが、初期開発として「ここまでいこう」というのはたぶん皆さんもつくると思うんですね。ただ、それで進めている最中、いろいろな人に意見を求めて見せていくうち、いろいろなことを言われます。SPEEDAも「そんなのブルームバーグと何が違うの?」みたいなことを言われたり、「それじゃ絶対に成功しないから」、時には「会社をたたんだほうがいいんじゃないか」なんて言われたり。

ただ、それでもブレずに、当初の必達ラインに到達した時点で市場投入しました。前段でお話しした「国内の上場企業の業界構造をしっかりつくって出す」というのがそのラインでした。市場に出せば市場の反応がダイレクトに見えますし、そこでなければ本当の意味でのPDCAは回りません。口で説明するのと実際に製品を見せるのでは、やはりインパクトがまったく違うんですよね。それまでの周りの意見も、驚くほど変わります。自分たちが信じているものに向かってブレずに、市場投入まで最速で進めたほうがいいのでは、僕は思っています。

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