「ゼロからチームをつくりたい」エンジニアから共同代表COOに。稲垣裕介氏が語る「ユーザベース」起業秘話

本記事は、G-STARTUPセミナーの内容を書き起こしたものです。(全2回 前編)

今野穣氏(以下、敬称略):アカツキ塩田さん、BASE鶴岡さん、ラクスル松本さんに続いて、今回はユーザベースの稲垣さん(代表取締役)にお話を伺います。まずは創業の経緯から。創業日である2008年4月1日というのはリーマンショックの半年ほど前だったと思いますが、どのような経緯で創業されたんでしょうか。3人で創業されたんですか?

初めはSPEEDAしかなかった

稲垣裕介氏(以下、敬称略):はい。梅田(優祐氏)と新野(良介氏)と私の3人で創業しました。梅田と私は高校の同級生で10年ほどの付き合いがあり、新野と梅田は前職のUBS証券で1年ほど一緒に仕事をしていた同期です。そんな3人でスタートしました。

今野:稲垣さんご自身は、それまで何をなさっていたんですか?

稲垣:私はアビームコンサルティングという会社にいました。ただ、コンサルではなく、エンジニアとしてひたすら開発をしていました。

今野:ユーザベースの起業は最初からSPEEDAをつくる前提だったんですか?

稲垣:そうです。ミッションは今と同じ広い定義の言葉を使っていましたが、最初は自分たちの前職の強い原体験から、SPEEDAをつくりたいという思いがすべてでした。梅田と新野はUBS証券で転職同期として出合いますが、その前は梅田はCDI(コーポレイトディレクション)で戦略コンサルを、新野は三井物産で投資事業のようなことをしていました。それらは業種や仕事内容は当然異なりますが、仕事のアウトプットの手前の情報収集から分析の過程はほとんど同じで、業界構造を調べ、コンペティターとの競争環境等を見ていきます。それらのプロセスで1/3以上の時間が取られ続けて、難易度が高い案件では1つの業界の競合企業リストを1つ作成するにも3日3晩かかるようなところがあった、と聞いています。この非効率な世界を解決したいという課題意識から、梅田が創業の構想に至りました。

今野:最初から大手もしくはプロ向けのプロダクトをつくるのは簡単でなかったと思いますが、どのようにPMF((Product/Market Fit)まで持っていったんでしょうか。

稲垣:製品の技術的な作り込みについては、私自身はアビームコンサルティングでも財務系のデータベース等を開発していましたし、勘定科目やデータベースの構成はすぐイメージが湧いていました。ですから、一年ほどあればできるかなという感覚を元に、エンジニアチームを集めて開発を進めていきました。一方で、マーケットやペルソナのイメージは、いわゆるN1マーケティングではないですが、元々ユーザーとしての強い原体験を持っていた梅田と新野を主体に、彼らがユーザーになりきったうえで、「これは必要か不要か」といったことを1つ1つ彼らの話に忠実にやっていたというのが実態です。

今野:ユーザーである自分たちが絶対に欲しいと考えるプロダクトをつくり続けた、と。

稲垣:おっしゃる通りです。

今野:それで実際に順調でしたか? いろいろ試行錯誤もあったかと思いますが、開発初期はどのぐらいの時間や労力をかけていらしたんでしょうか。

稲垣:ざっくり1年ですね。2009年5月のGW明けにローンチしました。4月にプロトタイプというかリリース直前のβ版ができて、残り1か月で仕上げたという感じです。

今野:その時期はリーマンショックもあったし、怒涛の1年だったのでは?

稲垣:最初はリーマンショックというものものインパクトが正直よく分からない状態でした。

今野:まだそれほど影響が大きくなかったというか、まだ数人の段階だったからですか?

稲垣:そのタイミングではまだ製品を世の中に出しておらず、開発に集中している期間だったので影響を肌感覚で受けにくかったというのがあったと思います。デットでの調達は一旦終わっていて、手元には3,500万ほどあったので1年間は死なない計算だったんです。そのうえで、あとはひたすら製品を作り切ることができるかどうか、製品を完成させて売りに出ていけるどうかがすべてだったので、開発に集中していました。一方で、当時の課題というのは、ひたすら「中」の話でしたね。外へ戦いに出る前に中のチームの人間関係の戦いで負けるのかというほどの。まあ、ひたすら喧嘩です。ベンチャーの一番の失敗の理由が、創業メンバーの仲違いと言われているのを肌で感じていました。

今野:(笑)。今聞いていらっしゃる方々に向けて、「最初の1年で、ここは気を付けたほうがいい」というか、大事だと思えるところがあるとすれば、何でしょうか。プロダクトであれば、最初は1年ぐらいかける必要があるんですかね。

稲垣:そうですね。しっかりつくろうと思うと1年くらいの期間はかかるかなと思います。

今野:それで、最低限死なない資金を手元に置いておく、と。3000万とか4000万とか。

稲垣:はい、開発に集中しなければならない期間、資金面の心配でマインドシェアが分散しないように、開発だけに集中できる状態を作ることが大切だと思います。

エンジニアチームをつくることにこだわりたい

今野:「こういう喧嘩にならないよう注意しておこう」みたいなお話は何かありますか?

稲垣:やっぱり最初は“きれい”なんですよね。やったことないので想像で、なんとでも言えてしまうというか。僕はきっかけは梅田に声をかけてもらって誘われる形でやることになって、最初はCTOという肩書でやっていました。僕はそこで、「一緒にやるなら内製化でエンジニアチームをつくることにはこだわりたい」と伝えていました。その辺は梅田も開発経験がなく感覚がなかったので、外注のほうがいいかどうかといった話を聞きに来ていたぐらいでした。そこからせっかくチームをつくるならダイバーシティを大切にしたいし、営業と開発が喧嘩をするといったこともよくある話なので、「そこをなんとか超えられるようなチームをつくりたいよね」なんて、想像しながら2人で話をしていました。

最初に僕が連れてきたエンジニアたちにも、「そういう理想的なチームをつくろう」と思いを伝えていました。当時のシステム開発はデスマーチのような話もいろいろあったし、あまりエンジニアが輝いていた時代ではないと思っていたんですね。だからこそ、Googleのような会社に憧れてゼロからチームをつくることにみんなで希望を持っていました。

ただ、実際にスタートしてみると、それほどきれいな話にはならないんです。梅田たちも真剣に考えたつもりでも、初めての自社開発で実際できたモノを見てみるとなんか違うということも多く、もっとユーザーの理想を追求するためにどんどん追加の要求が来て、仕様変更の嵐でした。エンジニアたちからは、「安易に仕様変更し過ぎじゃないか」とか、「エンジニアに対する配慮が足りないんじゃないか」などの不満も出てきて、彼らも我が強かったので、「梅田の言っていることが最初の話と違うんじゃないか?」と。「こんな状態でいいチームなんかつくれない。もう辞めたい」みたいなことを言い始めて、それで板挟みに合いながらやっていたのが一番辛かったですね。

初めての起業でいきなり取ってきたような理想だけを掲げても、その通りにきれいにはできませんでした。理想になっていないと相手を責めるような状態で。理想を共有することは大切だと思っていますが、その実現が難しいことを認識しつつ、みんなで対話しながら一緒に作り上げていくような形が取れると良かったと思っています。今の僕たちで言うValueを共有できていなかったことが一番の問題だったと思います。

今野:そういう状況で、「ここでリリースだ」といったタイミングの意思決定はどのように行われたんですか?

稲垣:機能の面で、「ここまでやろう」というのは決めていましたね。今はグローバルに世界各国のデータが入ったSPEEDAを展開していますが、当時は国内の上場企業の分析にフォーカスを絞ってデータを集めることを徹底的にやりました。まず財務、株価、株主等について、上場企業を調べるのに困らないレベルで企業軸のデータ量をしっかり確保するということが1つ。それともう1つは、他の競合サービスとの最大の差別化要因でもありましたが、先ほどお話したような業界構造を定義して、業界と企業をマッピングして競争環境を即座に把握できるというオリジナル機能でした。当時おそらく最も細かい業種分類となる500ぐらいの業界をつくり込んで、その業界に対して国内上場企業4,000社をすべて手作業でマッピングしていきました。この3C構造を作ることがSPEEDAの核の機能だったので、そこまでは絶対にやろうと決めていたので。

今野:その1年は何人でやっていたんですか?

稲垣:フルタイムでは梅田と新野がビジネスサイドにいて、エンジニアサイドは僕を入れて4人ぐらいでした。あと外部の人やインターンが数名手伝ってくれていました。

「死なない経営」「潰れない経営」が重要

今野:そうしてリリースしたプロダクトのセールスは、最初から想定通りの立ち上がりを見せたんですか?

稲垣:ここはうちが最も恵まれたところだったと思います。SPEEDAは創業期から、右肩上がりでここまで来ることができています。これは製品のコンセプトがPMFしていたというのが一番大きかったと思います。梅田や新野の元ユーザーの原体験をブレずに追求して作ったことでPMFできた。また当時の競合製品はコマンドを覚えないとうまく使えない、あるいはログインに数分かかるようなシステムなどがあり、使いやすいとは言えなかったと思いました。その点、SPEEDAはとにかくシンプルなUIでパフォーマンスも非常に速かったので、この点はとても好評を頂いていました。これは技術の結晶だと思っています。

またリーマンショックが逆に追い風になってくれた面もありました。グローバルなデータベースを導入していても、コストカットのプレッシャーがある中で「限られた予算の中で日本企業のデータの取得を最優先にしたい」という会社が結構多かったんです。当時のSPEEDAは国内上場企業に特化していてスタート時点で価格も低かったので、「他社のサービスを解約してSPEEDAを入れてみよう」といった動きが後押しをしてくれました。

1年の開発期間を超えて、リリース後からは年間契約のサブスクリプションのストック型ビジネスの強みが活きて、安定した経営を行えるようになっていきました。

今野:この話を聞いていらっしゃる皆さんへお伝えできるファイナンスのコツみたいなものは何かありますか? ヒト・モノ・カネの使い方といった点で。

稲垣:「死なないキャッシュ」のラインがどこなのか、これを経営として意思決定していくことが何より重要だと思います。リーマンショックも結果的には1年ほどで回復した感覚がありましたが、ああいった不景気が一定期間続いたとしても死なない状態にすることが最優先。「死ななければ必ずまたリベンジできる」という考え方の中で、自分たちのここまで行けばこれだけの売上を見込めるという自信と様々なリスクを想定した時に必要になるキャッシュの確保とのバランスについてどう考えていくのか。このバランスからどこにラインを引くのかを、経営の意思としてつくることが何より大切だと思っています。私たちの場合はまず1年間という開発期間を決めて、その期間は開発に集中するために必要になるキャッシュを借り入れで確保しました。開発に集中できたことで、予定通り開発を終えて2年目には売りに出ることができました。2年目はもしかするとそのまま資金調達をしなくてもいけたかもしれません。しかし、その時もリーマンショックの最中であったため、リスクを鑑みて資金調達をかける意思決定をしています。これによって「死なないキャッシュ」のラインを経営としてコンセンサスが取れた状態で、攻めに集中して挑戦を続けることができたと思います。

あと、もう1つ重要な点は、先行投資として必要になるキャッシュアウトのリスクですね。僕らはそこを、ある意味ではコントロールできていました。それはB2Bなので、契約を取らなければお客さんの数も増えないですから。お客さんの数に相関して必要となるコスト、例えばサーバの数ですとか、そういったものもB2Cのように(ユーザー等が急激に増えて)一瞬で跳ね上がってしまうようなことは、良くも悪くもありません。その意味では常に一定のキャッシュアウトの計算ができる状態だったので、きちんと売りが立っていったタイミングで何らかの投資の意思決定をしていました。「ここまで行けたら、こういう道が見えるので、そこでまた投資をしよう」という風に、順序立てて事業を進めやすかったというのはあると思っています。

今野:オフィス等の固定費や採用といった部分で先行投資をあまり行わず、売上の増加とともに拡張していったという感じですかね。

稲垣:特に創業期はそうしていました。ちなみに、うちが先行投資をして仕掛けたのは2013年。そのタイミングでSPEEDAがグローバルに打って出ると同時に、第2のサービスとなるNewsPicksの開発にも着手しました。そこまでは、SPEEDAで着実に成長をして堅実に1つのビジネスの型をつくり、国内のニッチでトップになることを優先していきました。

ニッチだけど使われるツールをつくる

今野:まさにそのニッチという部分でお伺いしたいと思っていました。先ほどおっしゃっていた機能について言えば、たしかにマーケットはあるけれども、「狭いのでは?」というフィードバックが、たとえば調達等の段階でありませんでしたか?

稲垣:ありました。梅田や新野の原体験からも、外資系金融やコンサルといったプロフェッショナルファームの人たちがメインのペルソナだったので、本当にニッチなところから入ったと思います。

今野:初期はプロフェッショナルファームの人たちに向けてプロダクトをつくっていたわけですよね。一方で、今は企業の経営企画とか、いわゆる事業会社の人たちが使っている、と。そこで、プロダクトのバリューやつくり方、あるいは見せ方は変えたりしているんですか? お客さんによってプロダクトのフェーズも変わっていたりするのかな、と。

稲垣:相当変わってきました。梅田と新野にしても、起業して時間が経過する中で、5年目ぐらいで「自分たちをペルソナにしちゃいけない」という判断をしていました。SPEEDAの導入状況としても、既に日本のコンサルや投資銀行にはかなり導入が進んでいて、おっしゃる通り新規で契約してくれるお客さんが事業会社のほうへシフトしていきました。

ただ、一言に事業会社といっても多岐にわたりますし、その会社の中の部門の言葉自体の定義も会社によって全く違っていたりします。ある会社では営業企画部門で営業の戦略策定に使うために導入頂いていますが、別の会社では実際の営業部門で一部営業の戦略策定までやっているのでそちらの部門に導入が決まったり。ただ営業部門になると、実際の現場では戦略策定よりも、営業先のリストアップのためのターゲティングに特化して使うようなシーンが多くなります。ある意味最初はそれでも売れてしまうことが増えましたが、メインがターゲティングになると競合と比べてもコスト対効果で割が合わなかったり、機能が多過ぎて逆に使いきれないことも増えていきました。そうなると、その後のチャーンの対応等で逆に私たちもかなりの時間を使うことになり、本質的にニーズがマッチしていないお客さんに売ってしまっていることに気が付きました。この辺についてSPEEDAの提供すべきお客さんの属性の線引きをするのに、なんだかんだ言って5年くらいかかったと感じています。

結果としてはもう1つ、「FORCAS(フォーカス)」という営業のマーケティングツールに特化したサービスをつくり、SPEEDAとFORCASでそれぞれペルソナを明確にすることで、ようやく当社のなかでもきれいに線引きができました。想定外に「売れてしまう」というのは、自分たちがお客さんの実態をきちんと掴むことができていないということで、すごく危険な売上をつくってしまっていたと反省しています。創業期の梅田と新野の原体験からサービスを開発したように、自分たちでお客さんの業務を徹底的に理解し、意思を持ってターゲティングした営業先に自信を持って売りにいくということを、もっと早くやらなければいけなかったのかなと思います。

今野:なるほど。おそらく市場の選択が良くて、ニッチだけどきちんと使われるツールをつくって、そこからお客さんに応じて機能を拡張していったという感じですかね。

稲垣:そうですね。

今野:まあ、リーマン後のベンチャーって、だいたいそうでしたよね。ボトムアップで。

稲垣:状況的に大きく仕掛けるというのが難しくて、きちんとニッチでトップになることのほうが先だったような気がします。

今野:そう思います。僕は今日も、割とシードに近い投資先のボードで、「本当にすべてをボトムアップで考え直そう」という話をしてきたところです。「『これだけ使ったら、これだけ跳ね返ってきて、CPA(Cost Per Action)がこうだから、ライフタイムバリューから考えるとこうで』とか、そういう話はもういいから」と(笑)。「今取れるのはどこまでで、追加リソースをかけないと取れないのはどこからで、資金繰りとバーンレートはどうなのか。そういうところを再度見直そう」という話をしました。リーマン後って、皆、そんな感じでしたよね。今日聞いてくださっている方にとって、おそらく今後もそれが主流になるというか、大事なアクティビティになるかもしれないと思います。(後編に続く)

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