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松本恭攝CEOが語る、「ラクスル」起業への軌跡

投稿日:2020/05/18更新日:2022/10/03

本記事は、G-STARTUPセミナー「産業変革に向けて指数関数的な成長を続ける戦略構築」の内容を書き起こしたものです。(全2 前編)

今野穣氏(以下、敬称略):まずは起業の経緯について教えていただけますか?

非効率が常態化していた「印刷業界」

松本恭攝氏(以下、敬称略):ラクスルを起業したのは2009年です。ちょうどリーマンショック直後の不景気真っ只中というタイミングでした。私自身は2008年に新卒でA.T.カーニーというコンサルティング会社に入社しました。そこで、当時は‘Cash is King’ということで、コストサイドを絞って筋肉質にしていくという動きがあらゆる会社で起きている状況のなか、コスト削減のプロジェクトにひたすら取り組んでいました。

そうした仕事を通して、人件費、プロモーションコスト、物流コスト、あるいはシステム開発コストといった、原価でない間接費のなかで削減率が最も高いのは印刷コストだということが分かりました。それで「非効率な業界だな」と思い、印刷業界について詳しく調べたことがあります。

当時の印刷業界を詳しく調べてみると、全体の市場規模は6兆円。うち大手2社で3兆円、そのほかの印刷会社が3万社という状態でした。コンビニエンスストアの4万5,000店舗前後に対して印刷会社は3万社で、そのうちのかなり多くが下請け需要によって成り立っていました。また、大手の凸版印刷と大日本印刷の売上はともに1.5兆円ですが、なんと、前者売上の70%、後者売上の80%は、自社でなく下請けの製造から来ていた、と。大手を通じ、下請け・孫請けに流れていくような、すごく非効率な業界構造でした。最終的に依頼を受ける印刷会社さんの稼働率は当時40%ほど。まさに今のホテル業界のような状態が印刷業界では常態化していたことになります。

それなら、(印刷をしたい)お客様のニーズをインターネットでダイレクトに捉え、中小印刷企業で空いた時間を使って印刷を行うことにより中間マージンを省くことができたら、もっと効率的なビジネスをつくることができるのではないか。そう考えたことがきっかけで、当時はまず転職活動をはじめようと考えていました。

今野:起業ではなかった、と。

松本:はい。まずは起業ではなく、そういうビジネスモデルの会社を探しました。2009年の段階で起業という選択肢は僕の頭になかったので。ただ、転職活動をしてもそういう会社は見つからなかったので、「それなら自分でつくろう」と考えて起業したという流れになります。

今野:ペインが大きく、かつ削減可能なコストがある巨大市場だったというお話かと思いますが、そこに入っていくうえで、最初はどんな経緯でどこにフォーカスしていったのですか?

「比較マッチングサイト」からスタート

松本:最初は資本金200万円で、新宿御苑近くのマンションの1室でスタートしました。当時はマクロの業界課題が見えていて、それを解決しなければいけないとは考えていたものの、24歳のときに資本金200万円で取り組むには課題が少し大き過ぎるな、と。そこで、まずは印刷会社さんを数多く訪れて、ひたすらお話を聞いて回っていました。実際に印刷機を回すといったこともさせていただきながら、業界への理解について、もう少し解像度を高めるためです。

それで、現在のビジネスモデルも最初からなんとなく想像はできていました。当時、ベンチマークにしていたのは金物部品商社のミスミグループ本社という企業です。今ですとキャディ(株)さんがやっているようなビジネスを、紙カタログでやっていました。そちらを見て、「こういうビジネスを印刷業界でつくれば現在の問題は解決できるのではないかな」と。

では、その一歩目はどうするかというとき、資金がなかったので、最初は比較サイトをつくりました。印刷会社を数多く回ってプラットフォームをつくり、印刷をしたい人と仕事を受けたい印刷会社をつなげるという価格比較および一括見積りサイトです。これはメディア事業なので大きな資本が必要ありませんし、特段営業をせずともサイトということで広告掲載もしてもらえると考えました。

それでスモールにスタートして、大きくなったのちに我々自身がブランドを立てて品質を保証し、トランザクションを得て責任を持って納品する形に変えようと考えていました。それで2009年9月に起業して、2010年4月に最初の比較サイトをローンチしました。そこから2年かけて比較サイトを大きくしたあとにシリーズAを行って、2012年8月に現在のラクスルの原型をローンチしています。

今野:メディアというのは、もちろん他の業種からするとライトな事業体ではあるものの、マッチングとなると印刷工場と(印刷したい)クライアントの両方を集めなければいけないわけですよね。その辺はどのような工夫や苦労がありましたか?

松本:比較サイトでは、ユーザーに対してはひたすらグロースハック的な記事を書いたりしていました。ちょうどnanapiが出はじめた頃で、我々も彼らを見習って、記事を書いて、それをはてなブックマークに上げてトランザクションを集めたりしていました。あるいは、今はブラックハットになっていると思いますが、各印刷会社の仮想ページのようなものをつくり、数多くのキーワードを盛り込んで検索からラクスルへ流れるようにしたりしていました。そんな風にして、ユーザーの獲得については、どちらかというとSEOを中心としたグロースハックで取り組んでいました。

一方、印刷会社さんの獲得はフェイス・トゥー・フェイスの信頼が重要になりますから、それこそ週10件ぐらいのペースで印刷会社にひたすら営業して回っていました。「無料でいいから掲載させていただこう」と。登録自体は無料にして、広告は有料にしたうえで、とにかく印刷会社を訪れて確実に載せていただけるようにしていきました。そのうち一部の印刷会社さんから広告費をいただくということで、結構地道な積み上げになります。

今野:当時、印刷をする人は検索をするものだったんですか?

松本:実は、当時は検索ワードがすごく増えたタイミングでした。2008~2010年はネット印刷の業界が一番伸びた時期なんです。私が起業したときは3万社あった印刷会社も、4~5年後には2万社に減っていて、印刷会社が大量に減少していました。とはいえ、お客さまからすると印刷は続けなければいけない。それでネットに流れ込むという現象が起きていて、ネット印刷の大きな伸びに伴って検索数も伸びているとき、我々のサイトも「印刷のポータルサイト」という位置づけでかなりのユーザーを獲得できました。

今野:供給が逼迫していて、切り替え需要というか、印刷会社を探すニーズがあった、と。

松本:そうですね。

40社回って最終検討は3社

今野:シリーズAまでは順調にいったんですか?

松本:シードのファイナンスを最初に行ったのが2010年6月頃で、シリーズAの着金は2012年4月です。準備をはじめたのは2011年の夏ぐらいですね。たしか2010年の11月頃、グロービス・キャピタル・パートナーズ(以下、GCP)がnanapiに3.3億円を出資するというニュースが出て、「あ、これは時代が変わるな」と。資金調達が3.3億というと今はよく耳にする規模ですが、当時は今で言う100億円ぐらいのインパクトがありました。資金調達が完全に凍結していた時代でしたから、もう1度“窓”が開いたような感覚がありましたね。ですから、当初からやりたかったeコマースサイトも資金があればスタートできるということで準備をはじめ、10月頃から資金調達をはじめました。それで当時はGCPさん含めいろいろなVCに相談をさせていただいています。

今野:シリーズAではファイナンスにあたってどんなことを訴求していたんですか?

松本:比較サイトを持っていて、かつ、それが日本で最もトラフィックのある印刷サイトという点でした。また、「サイトにはサプライヤーもいるし、価格比較を行うユーザー、つまり買う寸前のユーザーもいます」と。eコマースというのは在庫を多く抱えてマーケティングを打つようなケースが多いため、キャピタルインテンシブな事業になりがちです。その点、我々はメディアから転換するコマースなので、マーケティングコストもかからないし、サプライを集めてきて在庫を持つコストもかかりません。ですからROIC(Return on Invested Capital)が非常に低いキャピタルライトで、かつ、スケールするのが大変早い事業という訴求をしていました。

今野:順調に集まりましたか?

松本:そうですね。私自身は営業がかなり好きなので。投資家やお客さんと会うのが大好きで、シリーズAのときは40社ほどリストアップして、ひたすらピッチを続け、最後は3~4社に最終検討していただくところまで進みました。

今野:逆に言うと40社は回ったわけですね。

松本:回りましたね。おそらく、当時日本で活動していたVCにはすべてあたりました。

今野:そんな松本さんをもってしても最終検討は3社。多いと感じるか少ないと感じるかは別として、それぐらいに絞られたという。

松本:シリーズAに関してはそうです。

資金調達をして「eコマース事業」へ転換

今野:なるほど。続いて、シリーズAが無事終わったあと、メディアからトランザクションへの転換はどういったタイミングやジャッジで行ったのでしょうか。

松本:最大の契機は資金調達です。もともとスタート時点から多重下請けを解消するようなeコマース事業を展開しようと考えてはいたのですが、当初は資本がありませんでした。当時、アスクルやアマゾンジャパンが立ち上げにいくらかかったかを調べてみると、アスクルは広告費だけで最初の5年間に75億、西野伸一郎氏(現・富士山マガジンサービス代表取締役社長)がアマゾンジャパンを立ち上げたときも2年で120億を使ったりしていたんですね。そういうことを知って、「あ、今の資本ではまったく足りない。インパクトが出せないな」と。

他方、当時はちょうどモノタロウさんが上場するまでに40億を集めて、その40億でJカーブを掘って、ちょうど掘りきったタイミングで上場していました。それで、「我々の事業もモノタロウさんとほぼ一緒だろうな」と。お金が一定程度あってJカーブを掘ることができれば、ある程度のサイズまで行くだろうと思っていました。ですから、そのドアが資金調達によって開いたというのが最大の転換点になります。

それともう1つ。当時、比較サイトは月に400~500万円ぐらいの広告費を取ることができるサイトにはなっていました。ただ、トランザクションが増えた結果、どうなったか。印刷会社さんからは「お金を払ってもらえなかった」「債権が焦げ付いた」といった話が出てきたり、お客さんからは「頼んだけど酷い印刷だった」等、クオリティのコントロールが効かないという課題に直面するようになりました。ですから、「このサービスを今のまま続けていくと悲惨なことになるな」と思ったというのがあります。それで、早く止めなければいけない、と。規模が出れば出るほどクオリティコントロールが効かなくなるマッチングサイトというのは、世の中にとって悪になるという不安感が出てきていました。ですから、調達ができたら、とにかく早くeコマースのサイトに変えようということで2012年に転換したという流れになります。

今野:今回、私は1回目のレクチャーで「経営者は上場までに必要な総資金量を把握しなさい」といった話をしました。松本さんも40億という目標をセットしていたんですか?

松本:そうですね。

今野:Aではいくら集めたんですか?

松本:AとA#があって、2つ合わせて2.3億円になります。

今野:そこからどれほどの期間でシリーズBに進み、Bではどれほど集めたんでしょうか。

松本:Bでは15.5億円集めています。Aが12年4月で、Bがクローズしたのは14年2月ですから、1年半ぐらいですね。

今野:AからBのあいだはどんな取り組みをしていたんですか?

松本:eコマースに転換をしていました。ただ、実は蓋を開けてみると、メディアを訪れていたユーザーは、たとえ比較サイトでも「買う」というモードに入っていなくて、トランザクションはまったく生まれませんでした。ただ、デジタル広告を含めればお客さんは集まっていましたし、ユニットエコノミクスを考えても、しっかりと回収はできる、と。

Aで行ったのは、いわゆるPMF(Product Market Fit)です。ビジネスモデルをつくり、サプライチェーンをつくり、プライシングを最適化してユニットエコノミクス検証をしていました。そして、マーケティングによるユーザー獲得のテストをかけて、Excelでかなり精度の高いモデルをつくり、それこそ月次の予実管理で±3%以内に収まるくらいの状況にまで持っていきました。そのうえで資金調達に回りました。「デジタル広告にもっと投資すればこれだけ伸びる」というExcelのモデルができあがっていて、そのモデルにおける変数がマーケティングになるという。

それともう1つ。他方、デジタル広告は、基本的には検索クエリが変動の上限になっていて、それ以上に獲得するのは難しいという面があります。では、検索する人がどれほどいるのか。当時見えていたのが月に2,000万円ぐらい。ですから調達してからは、それまで月700~800万使っていたのを2,000万にまで増やしました。で、その2,000万にタッチしたら、その次の成長をするにはテレビCMにいかなければいけない、と。

当時はSansanがちょうどテレビCMをはじめて1年ほど経ったタイミングでした。それで「B2BでもテレビCMは効くのではないかな」と考え、寺田親弘氏(Sansan代表取締役社長/CEO)にもいろいろ相談をして「どうやら効きそうだ」と。ですから、Bで集めたお金でテレビCMの検証をして、「これがいけるならCでもう1段大きなお金を集めればさらに成長できる」という、そんな意図で調達を行っています。

今野:本当にマイルストーンの切り方が上手だと思います。まずはAの2億数千万でマーケティング投資を踏むことのできるKPIを出し、Bではクエリの上限を超えるマーケティング投資、すなわちテレビCMを打てるようなモデルがワークすることを証明しにいった、と。ただ、2億数千万で、しかも1年半前後でマーケ投資を踏める状態にまで進むというのは大変レベルの高い作業だったと思いますが、どのようなご苦労や工夫があったんでしょうか。

松本:PDCAはたくさん回していました。2012年7月にオープンしたあと、最初の1年は「SEOで獲得したユーザーがそのままコンバージョンする」という当初の想定がまったく機能せず、かなり苦しんで右往左往していましたね。問題解決の方法も一発で見つかったわけではなく、最初は「セールスモデルなのかな、それともマーケティングモデルなのかな」という話からはじまっていました。マーケティングをするにしても、利益率の高い商材を売るべきなのか低い商材を売るべきなのか、と。とにかく、いろいろ試しまくっています。

そのなかで問題解決の方法が見つかったのは1年ほど経ったタイミングです。契機は2つありました。1つはサプライ側。「この投資を一緒にしていくと、こんな風に成長できますよね」ということで信頼しあえるような、もっと言うと応援してくれるオーナー印刷会社に巡り会えました。そのオーナーのおかげで売値を大きく変えることができたんです。特に、需要が一番大きなチラシの売値をかなり下げることができました。で、マーケティング側はいろいろテストをしながら、「あ、これならいけるんじゃないか?」というのが見つかったという流れになります。

今野:良質な工場との出会いが大きかったということですね。

松本それが一番大きいですね。(後編に続く)

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