「年金はもらえない」と言い切ってしまうのはなぜ?確証バイアスを考える

先日、政府の諮問機関「金融審議会」の市場ワーキング・グループが発表した「高齢社会における資産形成・管理」という報告書が大きな話題となりました。老後の生活設計について記述した中で、夫65歳妻60歳の夫婦のみ無職の世帯では、その後の人生を考えると単純計算で2000万円の不足があるといった主旨の表現があったためです。

これに対して、年金制度への不信や不安をかき立てるものだなどとして批判の声が上がり、金融庁はこの報告書を正式には受理しないという事態にまで発展しました。この件をめぐって、「報告書の記述はやはり不適切だった」「いや、以前から言われている内容にすぎず、不受理という対応の方がおかしい」と議論が盛んです。

確かに、双方の言い分にはそれぞれ一理あります。たとえば、平均的な高齢無職の夫婦の家計は月5万円赤字になっている「から」、老後は月5万円×余命分の金額が必要になるだろうというロジックには疑問の余地があります。いわゆる「原因と結果が逆」というパターンで、無職になった時点でそれなりの預貯金と年金収入がある「から」5万円取り崩す程度の支出をしている(ゆえに、預貯金がもっと少なければ、それに合わせて支出を節約する)と捉える方が実態に合っていそうです。

また、結局のところ老後にどの程度の額の預貯金が必要になるかは人それぞれなのであって、平均値で語るのはミスリーディングだという意見もあり得ます。これに対して、老後の備えにいくら必要か知りたいというニーズに対して「人それぞれ」では話が噛み合わず、少々乱暴でも何らかの目安となる数値を出して論じざるを得ない、そもそも老後の生活を国が丸ごと保障するわけではない以上、ある程度は個人の自助を促すメッセージを出すことは間違いではないという反論も十分成り立ちます。

このような賛否両論分かれるトピックを考える際に注意しておきたいのが、確証バイアスです。確証バイアスとは、認知心理学や社会心理学において取り上げられるバイアスのひとつで、自分の意見や認識、願望を強化する情報ばかりに目が行き、そうでない情報は軽視してしまう傾向のことを指します。これにとらわれたままだと、何かについていろいろと調べて熟慮の上で意見を固めたつもりでいても、実は単に調べる前に思っていたことを追認しただけ、という状況になりがちなのです。

■確証バイアスとは(視聴時間:22秒)


年金問題の場合、「今の現役世代は将来年金をもらえないのでは」という予測(心配)が根強くあります。この心配の背景には、少子化や寿命の伸びといった近年の傾向によって、高齢者(年金をもらう世代)に対する現役世代(年金保険料を払う世代)の負担が重くなることがあります。そのうえ2004年の年金制度改革で、現役世代が払う保険料の水準を固定する代わり、将来もらえる年金額の水準を調整することになりましたから「将来もらえる年金額が減らされるかも」と考えること自体は筋の通る話です。

しかし、ここに確証バイアスが働くと、将来の経済見通しに不利な情報や年金制度の運営に不信を抱かせる情報ばかりが目に飛び込み、その結果「もらえない」という心証が強固にでき上がってしまうというわけです。考えてみれば、既に分かっている範囲の少子化傾向は織り込んだ上で保険料率や将来の年金額が計算されているのですから、この先さらに大きな状況変化(寿命の伸びや景気変動など)がない限り、今の「ねんきん定期便」記載の見込み額から大きくブレることはないはずです。しかし、いったん「もらえない」との心証ができ上がった人にとっては、そうした情報は軽視されてしまいます。

確証バイアスは人間心理の深い部分に根ざしているため、これを逃れるのは容易ではありませんし、「予言の自己成就」という面もあるので要注意です。これは、当初は不確かだった予言(予測)でも、それを信じてそれに沿った行動をとり、結果としてその予言が実現してしまうこと。

年金の例ですと、当初は「(期待していたほどは)もらえない」くらいの認識だったのが、いつのまにか「(文字通り一銭も)もらえない」となり、「もらえないなら払う意味がない」と考えて保険料を払わないでいると(サラリーマン等で給与天引きでない場合)、受給権を失って本当に将来もらえなくなってしまいます。この件に限らず、日頃からさまざまな立場の意見や情報にバランスよく触れるよう、意識しておくことなどは重要です。

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