前回に続き、5月29日に行われた杉山知之氏のご講演「テクノベート時代のリーダーとは~ デジタルハリウッド建学者が描く未来 ~」の一部をお届けします。(全3回)
直面している事実
さて、今、世界の人口は76億人に増えています。1900年時点では16億人しかいなかったんですね。現在のようなテクノロジーで16億人しかいなかったら、誰もがらくらく暮らせる気がしますが、ご存知のように今は爆発的に増えていて、2050年には98億人になると言われています。
毎年増える8000万人という数は、生まれてくる人と亡くなる人の差。だから実際には毎年1億4000万人が生まれてくる。ということは、あと20年で20歳以下の人口は30億になります。そして、その子たちは世界のどこにいたって、デジタルコミュニケーションという環境の外にいるなんていうことは考えられないですよね。たとえアマゾンの奥地であっても。20年後ですから。
そういう風に考えたうえで、私は若い学生に、「その世代に向けて新しい仕事をつくればいい」と言っています。事実、今だって人類の50%以上は30歳以下です。日本で感じているより世界は若いんですよね。アジアの子たちを見ていても、たしかに今後急速に高齢化へ向かってはいきますが、今は若い人が多い。
もちろん、これからはアフリカの人口も爆発的に増えます。ですから「逆に言うと、なんの努力をしなくても、君たちには毎年1億4000万人のポテンシャルユーザーが増えている」とも言っています。「そのなかから50万人が君たちのファンになれば、ゆうゆう暮らせるよね」みたいな。50万人なんてね、ネットでは実現可能な数じゃないですか。
だから、こういう風にも言います。“Don't Trust Anyone Over 30” 。30歳以下で半分の市場があるなら、そこでわいわいやれば別にいい。まあ、そんな風に話せば学生たちも少し気持ちが緩みますから、「自分たちが好きなことをやっていいんだ」という気にさせるためにも言っています。ちなみに年齢が高い方は分かると思いますが、この言葉自体は1960年代の終わり頃にアメリカで流行った言葉です。あまりにも長く続くベトナム戦争に対し、アメリカの若い人々が、これが書かれたバッチを付けたりしていたんですね。
続いて、Facebookを国と仮定して人口を比較することで、SNSのパワーを見てみたいと思います。2014年から2015年の世界では人口の多い順に、中国、インド、Facebook、アメリカ、インドネシアとなります。当然今は1位で、数字的にはもう比べる意味もなくなっちゃいました。しかも、中国ではFacebookが使われておらず、彼らは彼らなりのSNSがあるわけですよね。ですから簡単に言うと、アクティブに動いているビジネスマンで、ネットで掴まらない人は全世界でほぼいないんじゃないでしょうか。今はそういう状態だと思います。
社会学的な研究も1つご紹介します。「自分が“知り合いたい”と考えている人に、人の紹介を何回経ることで辿り着けるか」という研究があります。この実験は、手紙しかなかった時代にも、あるアメリカの学者によって行われたことがあります。詳しいことは忘れたのでだいたいで聞いてくださいね。その実験では、とある田舎の街で、まず(写真等を見せて)「このおじさんのこと知ってる人は?」と聞きます。すると誰も知りません。そこで「じゃあ、知っていそうな人に手紙出してください」と言うわけですね。
それを何回繰り返したら本人に辿り着くのか、と。たしか、そのときの実験では6回ぐらいで行き着いたのかな。では、インターネットで同じ実験をしたらどうなるか。SNSなら、特にFacebookのなかだけでやれば、たぶん4回や5回で行っちゃうんじゃないですかね。そういう意味でも、今は本当にすごい世界が来ているわけです。
技術的特異点の真実は?
全人類がつながるということを前提にして商売を考えると、今までと環境が完全に異なってきます。そこで、「技術的特異点」というものについて、今日は皆さんとともにはっきりさせていきたいと思います。
たとえば、1900年頃も電気自動車はありました。モーターと電池だけですから、内燃機関よりよほど簡単でした。それでも当時106km/hも出した自動車がありました。そして2016年、「Ventury Buckeye Bullet 3」という車がアメリカで549km/hの世界最高速度を記録しました。これ、考えてみると100年で5倍ぐらいしか速くなっていないんですね。物理的に挑戦すると、こんなもんなんです。
一方、デジタルはどうか。僕はデジタル化のはじまりというと、やっぱりCDだったと思います。それが1982年。この点についてソニーとフィリップス、特にソニーは偉かったと思います。だって、いまだにCDで新譜が出るんですよ? 30数年前に生まれたデジタルフォーマットの新譜を聴いている。もっと高音質なハイレゾのフォーマットはありますが、今だって普通に聴けば十分な性能があるわけです。
そこで、1982年時点で売られていたパソコンの性能も調べてみました。そこからCD発売30周年であった2012年までの30年間で、パソコンはどれほど性能が高まったかも計算してみました。僕なりの計算方法で、使い勝手をはじめ、いろいろな要素を含めて計算しています。すると何倍ぐらいになっていたと思いますか?100万倍です。これを、18ヶ月で半導体の集積度が2倍になるという「ムーアの法則」で計算しても、だいたい100万倍になります。
これを人工知能の進化に置き換えるとどうなるか。アメリカのレイ・カーツワイルさんという未来学者が提示した有名な表があります。表の横軸は1コマ20年で1900年から2100年まで見ています。そして縦はアメリカ人らしいんですが、1秒間に1000ドルのコストをかけて買うことのできる計算パワーです。1番の驚きは縦軸のコマ。「1、2、3」ではなくて「1、10の5乗、10の10乗、10の15乗」なんですね。1マスで10万倍大きくなる。そこに現実をプロットするとどうなるか。1マスで10万倍大きくなるにも関わらず、さらにカーブがエクスポネンシャルになるんです。恐ろしいですよね。
このグラフを見てみると、2000年になる少し前のAIは「One Insect Brain」の能力。虫さん1匹ぐらい。そして2010年頃には「One Mouse Brain」の能力になります。このままいくと、2020年東京オリンピック・パラリンピックの頃には「One Human Brain」になる。そうして、その後もさらなるスピードで能力を高めて、「All Human Brain」、つまり全人類の能力を超えるときが来るというわけです。
それが2045年ということでシンギュラリティ、技術的特異点と言われるわけですね。ただ、「それが本当に特異点なんですか?」というのが僕の考えです。たしかに全人類を超えるという意味では特異かもしれませんが、すでに我々はその途中にいるわけです。すでに乗っかっているんだから、技術的特異点以降にまったく違うことが起きるという気はしません。すでに方向自体は明らかだと思いますので。
実際、これをもって「人工知能が全人類を支配する」みたいなディストピア的な未来を描くSFはいくらでもあります。でもカーツワイルさんはそういうことを言っているわけじゃなくて、「そうなるんだから、もっとちゃんと利用すればさらに素晴らしいことが起きるんじゃないか」という風に見ているわけですね。僕もその立場を取っています。
AIとビジネスの関係は?
たとえばIBMの「Watson」という人工知能を「Pepper」君というインターフェースで利用した例があります。ロボットをインターフェースにしながら、実質的にはその背後でWatsonという大きなコンピュータサーバーが喋っている形です。
こういう感じにもなるんだと思います。高度な人工知能を家庭のコンピュータに住まわせるというより、とんでもない人工知能がどこか別の場所にあって、たとえば家庭ではその端末みたいな形で動く、と。今我々が使っているAIスピーカーをもう少しロボット化したようなものがどんどん出てくるんだろうなと思います。
Watsonに関しては、1つの良い例としてニューヨークのがんセンターのプロジェクトがあります。60万件の医療報告書、150万件の患者記録や臨床試験、そして200万ページの医学雑誌を、簡単に言えば「Watsonが知っている状態」にした。近年は我々の体の状態がほとんどデジタルデータ化されています。画像のデータだけでなく、肝臓の状態も血液の状態も、なんでも数値のデータになっています。つまりデジタル化ですよね。そういうものをきちんと見ていけば状況は分かるわけです。
するとWatsonはその状況を見て、「この状況ならこういう治療計画が一番良いのではないでしょうか」という提案をしてきます。そして、手術をする外科医がそれを選び、実行する。まさに人間と人工知能がともに働くことで、最良の治療計画をつくることに今は成功しています。
どれほどの天才でもWatsonが持っているほどのデータ量は頭に入っていませんよね。今はもう、そういうビッグデータをAIに食べさせるということが行われています。当然、そこではAIをトレーニングするビッグデータが重要になる。つまらないデータをいくら大量に食べさせてもダメなので、どんなデータをどんな風に食べさせてAIをトレーニングするかが大事になります。データには大変な利用価値があります。
それと、AIと仕事の関係について言うと、僕は楽天的に捉えています。現在のAIは万能型ではありません。素材としては万能になるものだと思いますが、実際には一つひとつ教え込んでいかないといけない。そのトレーニングによって良くなるので、どうしても特化型に見えます。たとえば碁だけがめちゃくちゃ強いとか、将棋だけがめちゃくちゃ強いとか、完全な汎用型ではないんですね。
ですから、人間ができる仕事の範囲に、人工知能によってできることが一部入ってきますが、すべて代替されてしまうことはないんじゃないかな、と。そういう職種もあるとは思いますが。となると、それをうまく利用するビジネスパーソンは、そのぶん仕事や勉強の時間をつくることができて、自分の力をさらに伸ばしていける。利用するところは利用して、自分自身はクリエイティビティやイノベーションに大きな力を注ぐわけです。その気力や時間ができる。そうして自分の仕事をより進化させることができると捉えることで、我々もさらに脱皮できるんじゃないかなと思います。
よく言われている通り、今の日本は労働力がどんどん失われている状態ですから、そうしたことを実現するには最適な社会です。労働力が余っているところでやれば社会問題になります。「仕事を奪うな」と。でも、日本は先進国のなかでそういうことに最もなりにくい状態と思います。だから、どんどんやったらいい。
AIとIAを掛け算する
もう1つだけ面白いトピックをご紹介します。アメリカのコンピュータ系の学会では、長い間、「Artificial Intelligence」対「Intelligence Amplification」の議論があるんです。後者は、コンピュータが個人の力をAmplify=増幅するものであるというもので、このAIとIAはかなり違う立場になります。僕なんて「どうでもいいじゃん」と思っちゃうんですが。
でも、どうしてもAIに対しては、特にキリスト教を深く信じる方々が多い国で危機感や嫌悪感があったりします。「神様でない我々が人間と同じようなようもの、あるいは人間じゃないものをつくろうとしている」と。これに対してIAはどうかというと、最も良い例はパソコンです。西海岸から出てきたMacintoshをはじめとするパソコン文化の背景にあったのは、個人の開放や個人の力の増幅でした。普段WindowsやMicrosoft Officeを使っているぶんにはあまりそういうことは考えないと思いますが、基本的にはそうだったんです。
でも、これからは「AI×IA」という感覚。2つを掛け算するという風に、日本にいる皆さまには考えていただきたいと思います。それによって新たな世界を探索できると思いますし、そういう考え方で技術を上手に使っていただくといいんじゃないかな、と。やっぱりいくら技術が良くても、それに携わる個人が幸せにならないとぜんぜん面白くないですからね。ここはすごく重要なところだと思います。
これに関しては、日本に良い例があります。「ガンダム」に出てくる「ハロ」というロボット。「ガンダム」には40年ぐらいの歴史がありますけれども、当初、「ハロ」はただのマスコットだったんです。でも、最後のほうになると相当に高度な人工知能として主人公たちと一緒に戦ったりするんですよね。そういう感じになるんだと思います。往々にして、SFやアニメというのは未来へのヒントになりますね。
続いては皆さんもご存知だと思いますが、もう本当に、彼が出てきたおかげで僕も気がラクになりました。この人に任しておけば勝手に世の中をわーっと動かしてくれる。落合陽一さんです。デジタルハリウッドでも夏休みにメディアアートを教えてもらっています。彼がいくつか出している本はとても分かりやすい。たとえば『これからの世界をつくる仲間たちへ』(小学館)。これは彼が高校生向けに書いたと言っていますが、高校生で読める人は少ないと思います。普通の大学生がちょうどいいぐらい。
あと、『魔法の世紀』(PLANETS)という本は、ある程度コンピュータを知っている人が読むといいと思います。これは初期に書いた本で、大学教員たちにも大変なインパクトを与えました。それと『日本再興戦略 (NewsPicks Book)』(幻冬舎)という、日本をすべてつくり直そうなんていう本も出しています。
その落合さんがつい最近、「3年かかったけど自信作」という本を発表しました。『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』(PLANETS/第二次惑星開発委員会)。こちらもお薦めしたいと思います。僕が書いた昔の本を読んでいただいても仕方がないと思うので、今はこちらを。テクノベートという意味でもすごく参考になると思います。
テクノベートはエクスポネンシャルの時代のスキル
エクスポネンシャル(指数関数的)とリニア(算術的)の関係についてもお話をさせてください。我々の感覚というのは結構リニアなんです。「物事は毎年少しずつ進んでいる」というぐらいの感じ。でもデジタル技術は指数関数的な曲線で伸びていくんです。
これはパソコンで考えていただいてもいいと思います。実際、僕もパソコンの時代がはじまる前からコンピュータを使ってはいましたが、いつもがっかりしていた。「こんなことができないのか」「こんなバグが出るのか」って。でも、今はリニアとエクスポネンシャルが交わるあたりにいて、「だいたいこれぐらいできるだろう」と思ったことを、コンピュータ側がちゃんとできる感じなんですね。
問題はここから先です。ここから先は、我々が「このぐらいできるだろうな」と思うよりも多くのことを、デジタル技術ができるようになる。ですから、かなり特別な勉強をした人でないと(エクスポネンシャルの)ラインに沿っていけず、「混沌としている」とか「驚いている」といった状態に、大抵の人は陥ってしまう。
これに関してもすごく納得のいく話があります。『魔法の世紀』で落合さんがこう書いています。ここにおいての普通の人の感想は、「これすごいよね! なんかできちゃうんだね。魔法みたいだね」ということなんですね。だから普通の人にとって、これから先は魔法しか起きない。分からないんです。
でも、もちろんビジネスをつくる側はそれじゃいけない。エクスポネンシャルのラインでやれとは言いませんが、そのラインの辺りから普通に使える技術が出てきますから。それを使いこなして一般の方々向けにビジネスを行っていかなければいけない。
テクノベートというのはそういう感覚のものだと思って欲しいんです。今は本当に、皆さんが想像しているぐらいのことは技術的にほぼできてしまう。とにかく進化が早い。去年はできないと思っていたことが今年は解決している、というような状態です。AIで言えば、問題が起きた瞬間に解答が出ているような。それを信じて、その解答通りにすれば正解になる。こうなると、人はどういった仕組みでそれが解答に至ったかを考えなくなっちゃうと思うんですね。
コンテンツインダストリーについても、僕が関わっていることを簡単にご説明したいと思います。今はメディアがいろいろと変わってきました。簡単に言うと同じものになっちゃった。スマートフォンから街のデジタルサイネージに至るまで、入っているものは同じなんです。
MPUにGPUにスクリーンがあって、インターネットにつながる。だから、新聞になったり雑誌になったり本になったりテレビになったりラジオになったり、なんでもできちゃう。インフラがメディアになっている。あとは使い勝手によって我々がパネルの大きさを選ぶだけ。そのなかで、いろいろあるアナログ的なコンテンツがどんどんくっついて、コンテンツ産業が広がっていくわけですね。
経産省は数に入れていませんが、パチンコ・パチスロだってコンテンツ産業ですよ。AKB48やエヴァンゲリオンをモチーフにしたパチンコがあって、それで芸能界や出版社にじゃらじゃらお金が入っているといったことも考えると、コンテンツ産業。プロスポーツもコンテンツ化していますし、さらに6兆円という広告産業もコンテンツ産業と言えます。広告も新聞・テレビ・ラジオだけに流す時代はほぼ終わってきていて、今は各種コンテンツのなかにいろいろな形で溶け込んでいます。
さらに、日本にはキャラクター関連グッズという大きなコンテンツ関連産業もあります。そういうものまで入れると、実はコンテンツ産業は大きいんです。GDPの1/10ぐらいあるんじゃないかと思います。末端まで含めると自動車関連産業より大きいのではないかなというほどです。なので、特に日本では、マイナーなようで意外とマイナーじゃないというのが面白いと思います。
そこで僕はいつもこう思います。まず、主要な産業に対してコンテンツ産業というものを1つにまとめることができます。それはいつも縦割りなのかというと、そうじゃない。デジタルコミュニケーションは今やすべての産業で必要になっています。それは卒業生の転職先を追跡していても分かります。あらゆる産業で雇われているんですね。ウェブ制作をやっている方なんて特にそう。いろんな会社でデジタル系のプロデューサーや執行役員、取締役になっている人だっていると思います。
なぜかというと、お客さまとのファーストコンタクトがデジタルになったから。だから「そこを制することなしにどこを制するんだ」と。スマホ画面から見えるもの自体がその会社のブランディングであり、コマーシャルでもあり、広報にもなっている。なおかつ、何か気に入って1タップしたらすぐ購入できるようになっていたり。自分のアドレスを入れて「買います」となった瞬間に、アフターサービスまで入る。こういうことは、今までは大企業ならすべて違う部門でやっていました。それが数秒のあいだにスマホ画面のなかだけで起きてしまう。それを完璧に取り仕切れないと企業として負ける、みたいな状態なんですね。
でも、そこで楽しくないと意味がない。楽しいから続けることができるし、楽しいから「次」をクリックする。だから、うちの大学では「すべてをエンターテインメントにせよ」と言っています。「Entertainment. It's Everything!」をモットーにしています。
「不可避な未来」というのは、デジタルな未来でもあります。ほぼ間違いありません。でも、日本はそこで少し遅れちゃったと思います。中国の学生も結構デジタルハリウッドに来ていますが、よく財布を家に忘れてくるんです。なぜなら、もう何年も現金を使っていないから。だから、日本に来て「あ、まだ現金を使うんだ」みたいになっちゃうんですね。だから「俺たち、遅れてるな」って思います。
そこで、僕らは大学院で、ビジネスとICTとクリエイティブの3つを掛け算しましょうということで「DCM(デジタルコンテンツマネジメント)修士」を設けています。うちの大学院に来る社会人の方は何かのプロ。そのうえで、今まで自分に足りていなかったところだけ勉強します。そして最後はデモよりもう少し進んだものを、できればサービスにするぐらいのものをつくったうえで卒業するというのが大学院です。
これからの簡単な条件として、大学生にもよく示しているんですが、
「全人類が常につながっている」
「ほとんどすべての道具がネットにつながっている」
「いつでもどこでも学習ができる」
「科学技術全般の進歩が早くなる」
「最先端の高度な技術が誰でも使える」
「普通の仕事は人工知能とロボットがやる」
「健康寿命がどんどん伸びて、人生が長くなる」
こういうものが基本的な分かりやすい条件だと思うんですね。
今年生まれた子の平均寿命はだいたい100歳になるそうです。なので、今お話ししたような条件のもと、人間らしい創造性を追求できるという方向に持っていったほうがいいと思います。個人にとっても、たぶん会社組織にとっても悪い条件じゃないですよね。
それともう1つの「不可避な未来」。やはり人間はクリエイティブであることしか求められなくなると思います。これからはAIがほぼ100点の答えを出し続ける。でも、人間って100点が好きなわけじゃないんですよね。「醜いほうが面白い」とか「シンプルじゃなくてぐちゃぐちゃしたほうがいい」と言う人だっています。美しさの基準は皆それぞれ違うじゃないですか。そういうものってやっぱりクリエイティビティだと思いますし、そういうことも鑑みながら技術を使い、イノベーションを起こしていく。そういうことがこれからは大事なんじゃないかと思います。
最後は僕の心に残っている言葉をお伝えしたいんですが、この言葉はインターネット上にも記録がまったく残っていなくて、僕の記憶だけを頼りにしています。いつ聞いた話かというと1989年の6月9日。MITメディアラボで「Entertainment for the Next Millennium」というシンポジウムがありました。さすがMITですよね。「次の1000年のエンターテインメント」。10年でも大きいのに、100年でもびっくりしちゃうのに、1000年ですから。
そこで、マービン・ミンスキーという、人工知能の父の1人とされている方がこう言ったんです。「これからエンターテインメント以外に人間がやることはない」って。僕は「なるほど」と思いました。人工知能が高度に発達してしまえば、生まれてから死ぬまで、人間にはエンターテインメントしかやることなくなるんじゃないか、と。
究極まで考えればそうなるんです。それで、エンターテインメントというものが大変重要な要素になると、そのとき思いました。この話はネットにも出ていないので、ぜひ皆さんに知っていただきたいと思ってお話ししました。ミンスキー先生は2016年に亡くなってしまいましたので。
いずれにしても、僕自身は四半世紀、馬鹿にされようが「世界を変えよう」ということでやってきました。当初は本当にまったく理解されなかったんですが、最近は少し分かっていただけるようになった。ということで、本日はありがとうございました(会場拍手)。
執筆:山本 兼司