「イカゲーム」と「海街チャチャチャ」の構造的な類似点と「愛の不時着」「ヴィンチェンツォ」との関係 ~「イカゲーム」世界的ヒットの考察第5回~

韓国ドラマ「イカゲーム」がNetflixでは過去最大のヒット作となりました。本稿では、その理由を探ります。1回目では日本発のデスゲーム系コンテンツとの比較を行い、2-3回目は現代の韓国社会が抱える問題とイカゲームの関係について分析しました。前回と今回は同時期にNetflixで放映された人気ドラマ「海街チャチャチャ」との対比を通じて、その構造的な類似点を示します。また、同じくNetfrixで放映されて大ヒットした「愛の不時着」や「ヴィンチェンツォ」との関係についても触れます。

海街チャチャチャとイカゲームの共通点

海街チャチャチャはイカゲームと対照的なドラマです。ドラマの舞台は都市から離れた漁村で、人々は地縁に基づく互助的な共同体で幸せに暮らしています。主人公はニート生活を送っている青年(35歳)ですが、彼は地域住民の様々な問題を解決するスーパーマンでもあります。自分の好きな時に休み、仕事は最低賃金でしか請け負わないというポリシーを持っています。地元のおばあさんたちとも親しく、よく彼女たちの世話をしています。

もう一人の主人公は、都会からこの町にやって来た若い歯科医の女性(34歳)です。最初は田舎暮らしに馴染めませんが、徐々に適応していき、都会よりもその漁村に魅力を感じるようになります。物語は彼女とその青年の恋愛を軸に展開します。

デスゲーム系と癒し系という対照的な作品ですが、どちらのドラマも根底には「脱家族化」と「個人化」の影響があります。イカゲームは社会のセーフティーネットから見放された個人が、最後の望みをかけてデスゲームに参加します。海街チャチャチャでは、核家族化が進む中で「架空の漁村」がセーフティーネットになっています。

どちらも現代の新自由主義的な個人化からの救いを描いている点は、変わりません。「海街チャチャチャ」は一見すると昔ながらの漁村の物語ですが、その設定には現代の韓国を反映している点がいくつもあります。主人公の青年は一人暮らしのおばあさんの世話をしていますが、彼女の息子は海外で仕事をしており、帰ってくる気配がありません。これはイカゲームのサンウと同じです。また、主要な登場人物の中で大家族は1組も出てきません。登場人物には中年が多いのに、その多くは未婚です。住民として登場する家族は、元歌手の父と娘、食堂を切り盛りする母と息子、雑貨屋の夫婦と子供1人の核家族だけです。のどかな漁村なのに、脱家族化しています。

しかし、イカゲームとは大きな違いがひとつあります。この漁村には資本主義的な産業化が及んでいません。主人公の青年が「最低賃金しかもらわない」のに普通に生活できているのは、それが理由です。新自由主義的な競争社会ではなく、皆が平等に暮らす村落共同体です。そして、仮に貧困に陥ったとしても地縁のセーフティーネットがあるので、1人暮らしの老人も幸せに暮らしています。

都会から来た歯科医の女性は都会の競争に疲れており、のどかな村落共同体に魅力を感じています。しかし、これはファンタジーです。イカゲームと同じく、現実には存在しない話です。それはこのドラマの不自然な点に現れています。

いるはずの人がいないという不自然さ

まず、おばあさんは出てくるのに、おじいさんが出て来ないことは不自然です。おばあさんたちは海女として働いているので、実質的に定年がありません。また、料理も得意で若者に差し入れなどをしてくれます。つまり、若い人にとってマイナスにはなりません。しかし、おじいさんは違います。仕事をしないのに、家父長的な価値観を振りかざされるかもしれません。そういう存在はドラマから消されています。

次に、親兄弟のしがらみから完全に解放されている点です。主人公の青年には両親がおらず、亡くなった祖父の話しか出てきません。兄弟もおらず、天涯孤独です。祖父が亡くなってからは、村の人々に育てられたような設定になっています。歯科医の女性には両親がいますが、実の母は亡くなっており若い女性(50歳前後くらい)と再婚しています。一人娘ですが、父の介護で頭を悩ませる必要はなさそうです。このように、海街チャチャチャの主人公の男女は、互いに結婚して家族を持つことのリスク(老親の世話や兄弟の介入)から解放されています。

これらに加えて、主人公のニート青年はソウル大(日本の東京大学に相当)の工学部に首席で「入学」した設定になっています。ちなみに、イカゲームのサンウもソウル大の経営学部に首席「入学」という設定でした。工学部というところが、サンウとの違いです。学部の違いは時代を反映しているのだと思います。科挙制度の影響からか、韓国は歴史的に文系重視でしたが、IMF危機を境に理系重視に変わりました。これにはサムスンやLGの成長が影響しています。

また、卒業ではなく「入学」を重視するのは欧米にはない価値観で、日本にも通ずる部分もあります。これも科挙制度の影響(合格することが大事)です。話を戻すと、ニートの青年は単なる田舎町のニートではなく、ソウル大工学部に首席入学した人物ということで、いざとなったら新自由主義的な競争社会でも勝ち残るポテンシャルを備えています。この点でも、結婚のリスクは少ないです。

こうしてドラマの設定を丁寧に吟味すると、一見すると、のどかな田舎町の癒し系ドラマの別の側面が見えてきます。イカゲームのように社会の問題をストレートに表現していない分だけ、海街チャチャチャは趣味の悪いファンタジーに思えてきます。

北朝鮮にノスタルジーを求める心理

イカゲームの参加者の中で、脱北者の女性参加者は家族(弟)を養う目的で参加していました。自分の救済ではなく、家族の救済だけを目的にしていたのは彼女だけでした。主人公のギフンも母の治療費を捻出することが目的でしたが、それと同じくらい自分の借金返済が重要でした。この女性参加者のキャラクターが脱北者なのは、現代の韓国では家族は個人にとってリスク要因であり、家族のために自らの命をささげるような行為は考えにくいからだと考えられます。もちろん、実際に北朝鮮の人たちが家族愛に満ちているかどうかは別です。

イカゲームにおける北朝鮮は、韓国社会が失ってしまった前近代の「血縁・地縁共同体」の象徴として用いられています。その最たるものは、20年に日本でも大ヒットした「愛の不時着」における北朝鮮です。

愛の不時着は、財閥系企業の経営をしているキャリアウーマンが、パラグライダーの事故で北朝鮮に不時着し、そのまましばらく北朝鮮で暮らすという話です。彼女は北朝鮮の軍人の婚約者という偽りの身分で、北朝鮮の村落共同体で暮らします。ドラマで描かれる北朝鮮は、軍人の男にとっては厳しい場所ですが、女性と子どもたちは平和に暮らしています。暮らしぶりはつつましいですが、そこには近代化する前の家族愛や共同体の互助精神が残っています。イカゲームとは正反対の世界です。北朝鮮の実態は分かりませんが、近代化以前の朝鮮へのノスタルジーが北朝鮮に投影されています。

「愛の不時着」と「海街チャチャチャ」に共通しているのは、ソウルでのきらびやかな生活と、田舎での村落共同体的な生活が等価で比較されている点です。普通に考えたら前者の方がいいはずです。村落共同体ではないですが、ソウルの古い雑居ビルの住民たちの結束を描いた「ヴィンチェンツォ」も同じ構図です。主人公は韓国系のイタリアンマフィアですが、なぜか雑居ビル住民の共同体に加勢します。海外での豪勢な暮らしと、雑居ビルの住民たちとのクラスが、等価に置かれています。

これらのドラマが投影している視聴者の心理は、「人がうらやむ金持ちやセレブでも、そんなに幸せではない(村落共同体の一員と同じ幸福度)」と思いたいのと、「昔の韓国(あるいは日本)に戻れば、今よりも幸せになれるのではないか」という願望です。

日本ではどうなのか

では、現代の日本はどうなのでしょうか。日本とこれらのドラマに通ずる部分は「脱家族化」です。セーフティーネットは韓国ほど脆弱ではないですが、戦後から長い時間をかけて「個人化」が進行したことで、今の20~30代にとって家族を増やすことのリスクが高まっています。村落共同体から都市に住んだ核家族の受け皿になったのは、郊外の団地や住宅地における近隣同士のコミュニティーでした。今やそれも脆弱化し、子育てや介護は家族の中に閉じています。また、非正規雇用も増加し、企業や労働組合のセーフティーネットも弱まりました。こうしたことが、初婚年齢の上昇、未婚率の上昇、少子化につながっています。

これに関連して、家族の意識や関係における「伝統的要素と近代的要素の混在」も東アジアで共通しています。韓国と日本では、父系血縁中心の直系家族(親の資産は長男が継続、長男はイエに残って嫁をめとる)の理念が作動しながらも、夫婦中心のロマンティックな愛を背景とする近代的核家族中心の日常が作動している(クォン2011)*1点が共通です。男女が恋愛の末に結婚したいと望んだとしても、イエや墓、親兄弟の関係が障壁になることは少なくありません。こうしたことが、韓流の恋愛ドラマへの共感を生みやすくしています。人気が出るのはイカゲームよりも、愛の不時着です。

違う部分は、国民年金や社会保険、生活保護などのセーフティーネットが韓国よりも早い段階から充実していた点と、中流層にとっては企業(主に大企業)がセーフティーネットとして機能していることです。

企業がセーフティーネットになっている点については異論もあると思いますが、あくまで米国や韓国と比べての話です。バブル経済の崩壊後、失われた10年、20年と言われましたが、韓国のIMF危機(97~01年)に比べて大企業の社員は手厚く守られてきました。

ライフステージに応じて給与が上がる年功賃金、多少パフォーマンスが落ちても雇用が約束されている終身雇用、社宅や手厚い福利厚生などです。企業は、働く男性と専業主婦のセットから成る核家族を丸抱えしてきました。日本のドラマ「半沢直樹」が銀行内で自由にふるまえるのも、せいぜい出向がペナルティであり、辞めさせられることは無いからです。あのドラマでは、社宅に住む専業主婦の奥様方と外で働く男性という、昭和後期から平成時代における核家族の典型が表現されています。

こうしたドラマの設定に大きな違和感を抱かないというのは、日本は今でも会社が「個人化」した社会のセーフティーネットになっているからです。非正規雇用の割合は1990年時点で約20%でしたが、30年後の現在は40%に増えました*2。ただし、世帯主ではない「パート・アルバイト従業員」も多く含まれています。男性の非正規雇用も少なくないですが、非正規雇用全体の22.2%(2020年)であり、働く男性全体の10%程度です*3。日本は自営業者の割合も全体で10%程度なので(韓国は20~25%)、それ以外は企業の正規雇用になります。前に述べたように、イカゲームのギフンと映画パラサイトの主人公ギテクの共通点は、40代後半~50代前半の中年男性で、会社を解雇された後に自営で飲食店の経営に失敗し借金を背負い、現在は定職を持っていない点です。日本人のアラフィフ男性の典型ではありません。むしろ、半沢直樹的な世界の方に共感を覚えます。

しかし、近年ではグローバル化に伴い外国人株主が増加し、コーポレートガバナンスの改革で株主主権が強まり、日本企業も少しずつ変わり始めています。近年では「ジョブ型雇用」を取り入れる企業が増え、著名な経営者が発言した「45歳定年制」も話題になりました。非正規雇用の割合は高いままです。こうした変化の兆しはあるものの、よほどの外圧がない限り大きな変化はないと思います。最近でも「バブル世代入社のシニア社員の活性化」が経営課題になるくらい、パフォーマンスが給与に見合わない社員でも(ある程度は)雇用が継続されているからです。

日本から「イカゲーム」のようなドラマが生まれにくいのは、こうした背景があります。イカゲームに共感しにくいとしたら、それはむしろ幸いなことです。仮に日本発のドラマが退屈な日常を描いたものばかりだったとしても、不幸が少ない社会だからです。しかし、日本でも経済格差の拡大や脱家族化が進んでおり、韓国ドラマが描く世界が無縁ではなくなってきました。エンターテイメントとしてだけでなく、今後の社会のあり方を考える上でも、韓流ドラマは良い材料になると思います。

<参考>
*1 日韓中の家族比較から見る「近代家族論」の可能性,柳 煌碩,範 俏慧,中野 円佳,東京大学大学院教育学研究科紀要 第56巻 2016 
*2 雇用の流動化、女性の活躍|総務省労働局 
*3 男女共同参画白書令和3年版 第2章第1節 就業をめぐる状況|男女共同参画局

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