地域で持続可能な社会を創出する事業創造実現の先駆者、小松洋介氏、立花貴氏、山内幸治氏から、事業構想力と実行力を学ぶセミナー「ソーシャルナイト2017」の模様をお届します。(全3回)
地域を変革する社会起業家に学ぶ事業構想と実行力[1]
村尾佳子氏(以下、敬称略): 本日は、地域で持続可能な社会を創出する事業創造に取り組まれていらっしゃる御三方をお迎えし、「地域を変革する社会起業家に学ぶ事業構想と実行力」と題して、様々なお話をお伺いしたいと思う。まずは、NPO法人アスヘノキボウ代表理事の小松さんから。
町の人口の8割が流出した女川町で「まちづくり」に取り組む、元リクルート営業
小松洋介氏(以下、敬称略): 私は、宮城県仙台市の出身で、東日本大震災(以下、震災)を機に地元でボランティアに関わった後、当時勤めていたリクルート社を退職して、女川町にNPOをつくった。女川町(おながわちょう)のことを簡単にご紹介すると、こちらは石巻市に囲まれるような形の町で、基幹産業は水産業。日本全国で6000港ほどある漁港のなかでも一時は13位にランクインするほど水揚量の多い町だった。しかし震災によって、かつて約1万人ほどだった人口のおよそ10%の方が亡くなって、町の8割が完全流出した。今はそこから復興を進めている。
その女川で私たちアスヘノキボウがどんな事業に取り組んでいるのか。まず、これは震災を経て女川が変化した部分でもあるけれど、震災前は「行政は行政、民間は民間、非営利は非営利」ということで各セクターが分断されていた。でも、今後は人口減少という流れのなかで町や社会をつくっていかないといけない時代だ。「だから各セクターを超えて横断型で事業をつくって、互いに役割分担していかないとこの町は復活しないよね」と。行政・民間・非営利の3者が交わって事業をつくっていくべきだと考えている。トライセクターリーダーという言葉があるけれど、3つのセクターをまたいでプロジェクトをつくることのできる人間が、女川の町づくりを推進すべきだという考えで事業に取り組んでいる。
私たちの事業は大きく分けると3つ。1つ目が「活動人口創出事業」、2つ目が「地域社会の課題分析と事業創出」、そして3つ目が「研修事業」になる。まず、「活動人口」とはどういう意味か。これは女川町長が言われていたことだけれども、「これから日本全体で人口が減少するなか、女川だけ急激に人口が増えることはない」と。だから移住に至るかどうかは結果論であり、大切なのはこの町を使ってもらうことだと。移住せずとも定期的に女川に通って趣味の活動をするということだってありえるし、プロボノとして町に関わる選択肢もあるだろう。「そうした人々が結果的には町の経済を動かして、町を良くしていく。「だから、そうした活動する人々を増やさなくては」ということで活動人口という言葉を使っている。
いくつか具体例をご紹介したい。まず、「活動人口創出事業」には「創業本気プログラム」という、地方で創業する方を本気で応援するプログラムがある。これは女川で行っていて、女川町の予算も入っている。でも、女川で起業しなければいけないという縛りはない。石巻でも九州でも、どこで起業してもいい。誰でも参加できる。座組みとしては行政や商工会といった地域のパートナーに加え、日本行政策金融公庫やIMPACT Foundation Japanといったところとも組んでいて、本気で応援できるメンバーやプログラムを用意している。
その内容は、起業するうえで必要な学び。まずは事業計画を書いたりビジョンを描いたりと、起業内容の如何に関わらず必要になる基本的なことを学んでいく。そのうえで、地方で起業するためのポイントも重点的に学ぶ。地方では行政と民間の距離が非常に近いので、そこで人々を一気に巻き込んで事業を立ち上げられるという醍醐味がある。事業の立ち上げ方に関する理解を深めながら、併せて地方ですでに起業した人々のケースも学んでいく。国内外で起業経験のあるメンバーが、そこで本気のサポートをしていく。実はここにいらっしゃるETIC.の山内さんにもそのメンバーに入っていただいている。さらに、地方ということで商工会や行政、それから地元事業者の方々によるローカルな目線も入れてサポートしているところだ。これまで3回開催し、今まで15名が学んできた。その15名のうち、ここで起業の準備または実際の起業をしたという方は70%を超えている。それほど本気でサポートをしているというプログラムだ。
そのほか、「勝手にフリーランス特区」というのもはじめた。私たちは移住促進の事業も預かっているけれども、誰を何人呼ぶのかということは決まっていなかった。そこで、フリーランスの方であれば場所も時間も選ばず仕事ができるのではないか、ということでターゲットを絞ることにした。それで、女川町に加えてクラウドソーシングサービスのランサーズさんとも連携協定を締結した。そのうえで地方に移住する、もしくは活動人口として季節的に可能な時期だけ女川で仕事をする人を増やす、という取り組みも行っている。
「社会課題の分析と新規事業の創出」についてもご説明したい。私たちは健康に関するプロジェクトも手がけている。今は日本全体で医療費の問題が大きくクローズアップされている。それは女川でも同じだ。震災で生活環境が変わって、大人も子どもも健康状態がすごく悪くなった。健康診断の受診率も低い。その結果、医療費が増大している。では、それに対して何をしなければいけないか。行政が今までやっていたのは病気になったあとのケア。でも、病気になる前のケアが大変重要だ。つまりは予防医療。ただ、予防医療を本気でやろうとしても行政だけでは難しい。行政ができないから現状の数字になっているわけで、そこは行政とも話をして、「きちんと民間のプロを入れましょう」という話になった。
それがロート製薬さんとの協定につながっている。ロート製薬さんは予防医療に大変力を入れて研究をなさっている。そのロート製薬さんと女川町、そして我々でパートナーシップを結んで予防医療をやりましょうというお話になった。我々はロート製薬さんに、「予防医療における実証実験の場所として女川を使ってください」とお伝えしている。研究成果を事業として全国へいきなり展開するのはリスクがある。「であれば、まずは1つの町で進めてください」と。そこに行政も関わればデータもすべて開示できる。だから行政と組んで1つの場所に絞り、「ともに予防医療の実証実験を進めましょう」と。それで「ぜひ」というお返事をいただいて3者によるパートナーシップになった。
今は大学や、アメリカで先進的な予防医療を行っているNPOとも組んでいる。そんな風にして、企業さんにも支援としてではなく戦略的に女川へ関わってもらう形で、今は予防医療の事業をスタートさせている。こういった事業を進めながら、さらには新しく地域に関わる人を増やしつつ、「面白い女川をつくろう」というのが私たちの取り組みとなる。
復興の遅れた石巻市雄勝町と東京を600往復した、元伊藤忠商社マン
立花貴氏(以下、敬称略): 女川町のちょうど上(地図上で北)にある雄勝町(おがつちょう)から来た。東京まで片道約500kmの道のりだ。私自身は宮城県出身で本家は石巻。しかし、まさか自分が宮城へ戻り暮らすことになるとは思わなかった。震災時、母と妹の安否確認で戻って以来、今の今まで続いてしまったというのが正直なところだ。それまでは東京で20年働いていた。震災後は東京と宮城を行ったり来たり。今も週2回往復している。はじめの3年間はワンボックスカーで移動していて、こんな風にお話をさせていただいたあと、なにかこう、心が動いて「ぜひ一緒に」と言っていただいた方をひたすら「人をさらって」いた(笑)。今はもう600往復になる。延べ1300人ほど人さらいした。
震災直後から今に至るまで、「今一番必要なものはなんですか? 何かできることがあれば言ってください」というお声掛けはよくいただく。私はそこで、特に民間企業のトップの方には「ぜひ御社で一番優秀な人材をお貸しください」とお願いしている。実際、この6年間で4名、出向社員の方々をお借りした。先ほどお話が出たロート製薬さんから本当に有難いことに関東のトップセールスを3年半、関西のトップセールスを2年半、それぞれお借りした。また、ベネッセさんとあるIT企業とからも1人ずつ、延べ4名の出向社員をお借りしてきた。まだまだ人材は不足しており、事業を立ち上げられる優秀な人材をぜひ人をお貸しいただければと思う。
さて、私自身は漁師の会社や生産者支援団体、震災遺児孤児支援団体ほか、いくつかの団体を兼務している。今日は団体の代表理事をしているということで「MORIUMIUS(モリウミアス)」について話をするよう仰せつかった。私がいる雄勝町について、最近はよく「6年経って景色も変わったんじゃないですか?」と言われる。けれども、実際には震災直後とほとんど変わらない風景が広がっている。雄勝湾は典型的なリアス式海岸に囲まれた深い入江になっていて、山と海がすごく近い。もともとは硯の一大産地だ。国産硯市場の90%を雄勝硯が占めているほか、東京駅の屋根瓦もスレートと呼ばれる雄勝の石で出来ている。また、おだやかな湾では養殖が盛んで、カキやホタテやホヤを育てている。
そんな雄勝町にある築93年の廃校を利用した施設について、お話をさせていただきたい。私たちは首都圏および地元住民の方々とともに、その廃校を2013年4月からDIYで改修して、2年半の歳月をかけ、延べ5000人でリノベーションしていった。この20年間に日本全国ではおよそ6800校が、現在も年間400~500校が廃校しているという。雄勝町のこの廃校も震災前からすでに使われなくなっていて、13年間放置されていた。それで裏山の土砂もすっかり崩れていたような状態から、重機も使わず人の手だけで直していった。
当時、土砂を掻き出してみると、基礎の部分からすべて土に埋もれていたこともあって、校舎の柱はすべて腐っていることも分かった。高知の家曳職人の方々に柱をジャッキで持ち上げて頂いたり、さまざまな改修を行って、今の状態になった。現在は子どもたちの複合体験施設だ。自然とともに生きる暮らしの体験を通じ、水や土の循環といったものを感じてもらう施設になっている。「MORIUMIUS」という言葉は「森」と「海」と「明日」から来ている。「US」には私たちという意味もあり、「私たちみんなで明日を創る」という想いが込められている。 モリウミアス代表でありフィールドディレクターであり団体理事の油井元太郎(ゆいげんたろう)。「キッザニア」の創業メンバーで、私とはもともと山登りの仲間だった。彼が震災直後から雄勝町に入ってくれて、ともに活動する仲間になってくれた。全ての統括はモリウミアス代表として油井が行っており、私は団体の代表理事に過ぎない。
「MORIUMIUS」は「多様性」「地域性」「持続可能性」をテーマとしている。オープン1年目はおよそ2000人の方々が宿泊してくださった。子どもたちには7泊8日といプログラムを提供している。訪れる子どもたちの7割が首都圏、2割が東北から、そして1割が海外から来てくださっている。首都圏だと私立やインターナショナルスクールに通っているようなお子さんが多いようだ。海外のサマースクールにも行っているようなお子さんが、初年度は比較的数多く来ていた。そうした都会の子どもに田舎の子どもが混ざったり、日本の子どもに海外の子どもが混ざったりして、ともに7泊8日滞在するなかで多様性を感じ学んでいく。さらには地元の漁師さんと漁業を体験したりして地域の暮らしも学んでいく。地域性もテーマの1つになっている。
スタッフとしてはオープン当初から10名が働いていて、うち4名は地元の若者になる。もともと今のようなビジョンがあったわけではなく、やり続けた結果、今のような形になった。その結果として日本経済新聞社さんから「第3回日経ソーシャルイニシアティブ大賞 東北部門賞」もいただいた。施設は東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場をデザインした隈研吾先生をはじめとし、世界9大学の建築学科および建築家の方々とのワークショップを通じてデザインされた。ハーバードやスタンフォード、あるいは海外の高校生も体験に来ていて、その意味では「グローバルな限界集落」になっている。
また、基本的には子どもたち向けの施設だけれども、子どもが来ることができない時期には大人の方々にもたくさん来ていただいていている。たとえば企業研修などでご利用いただいる。こちらのほうは「MORIUMIUS」ができる前の2011年から受け入れをはじめていて、今年はオフサイトミーティングを含めて20社を超える企業の方々にご利用いただいている。利用してくださっている企業の売上を合算してみたら日本のGDPの約5%となる約25兆円に達していた。また、全省庁を対象にして霞ヶ関官僚の新入省行政官研修も行っている。そこで霞が関官僚全体の5%におよぶ入省したての若手官僚に、5週間の研修で利用していただいている。こちらは今年で6年になる。霞が関の駅で降りて若い方に声を掛けて、(もしその人が官僚だったら)20人に1人ぐらいは僕らのところに来ている方だったりする。
そんな風に今は大人にも利用希望者が多いということで、先月、大人のための協働宿泊「MORIUMIUS ANNEX(モリウミアス アネックス)」もオープンした。4名×5部屋で、ともに学び、ともに暮らす「協働宿泊施設」というテーマを掲げている。企業研修でもご利用いただけるし、異業種の方々とともに受けるリーダーシップ研修等もある。で、最後に少し宣伝ということで、5年ぶりに書いた著書をご紹介したい。今日話しきれないこともいろいろ書いたので、ぜひご購入いただけたらと思う。『ひとりの力を信じよう――「今あるもの」で人と地域の未来をつくる』(英治出版)。印税はすべて公益社団法人MORIUMIUSに寄付される。
震災からの復興を目指すソーシャルベンチャーに「右腕」を派遣し続ける男
山内幸治氏(以下、敬称略): ETIC.(エティック)は、もともとは1993年に学生たちで立ち上げた勉強会からスタートしている団体だ。そこで、私自身も学生だった1997年、事業を立ち上げ、20年ほど一緒にやってきている。今日そのすべてをお話しすることはできないが、かいつまんでご紹介できればと思う。
私たちがやってきていることは、時代やタイミングによって求められる課題解決や価値創造の現場が変わるなかで、現場と若い人々をつなげながらともに課題解決や事業創出に取り組んでいく、その環境作りだ。そのような活動を通じて、次の時代をつくっていくような若い人たちを育てていく、というようなことをこれまで続けてきた。たとえば最近は「MAKERS UNIVERSITY」というものを立ち上げている。そこに、インターネットビジネス、テクノロジー、医療、地方創生等々、さまざまな分野の第一線で活躍している経営者の方々などにメンターとして入っていただいている。現代版「私塾」のようなものだけれども、ただ学ぶだけじゃない。大学生や大学院生が実践を重ねながら、月に1度、メンターたちと自身の今の課題を話し合うという場になる。
なかには「期間限定社長」のような形で、経営者からいただいたお題を元に会社を実際に立ち上げ、そこを2年間経営しながら自身の経営力を磨くというプロジェクトもある。だから普通の大学やビジネススクールとは少し発想が違うかもしれない。実践のなかでメンターとともに学ぶということを行っている。今年度も「MAKERS UNIVERSITY」には全国各地から350件におよぶご応募をいただいた。そのうちの70名を採用して、今ちょうどプログラムをスタートさせたところだ。今年特徴的だったのは、そうした70名のうち20名が地方創生というテーマに関心を持ってエントリーをしてきている点だった。
このほか、東京都とともに日本最大規模となるビジネスプランのコンペ「TOKYO STARTUP GATEWAY」も開催している。これは15歳から39歳を対象にしたコンペ。今年はおよそ1000件のご応募をいただき、グランプリは大学生、準グランプリは高校生のプランになった。本当に驚いているけれども、最近は特にテクノロジー系で事業を立ち上げようという学生が増えてきた。テクノロジーの視点から社会課題領域でチャレンジしていきたいという層が増えてきていると感じる。そんな風にして、たとえばコペルニクの中村(俊裕氏:米国NPO法人コペルニク共同創設者/CEO) さんにも創業期にはETIC.のプログラムをご使用いただき、その立ち上げなどに関わってきた。今後も多くの企業さんと連携して、ともにプログラムをつくりながら皆さまの挑戦を支えたい。そのための仕組みを日本で広げるということで取り組んでいる。
そうした取り組みを行っているときに2011年3月11日を迎えた。では、復興に向けて私たちにできることは何か。やはり人材というテーマで関わることなのだと思った。それで立ち上げたのが「右腕プログラム」。小松さんや立花さんのような素晴らしいリーダーは、震災後に数多く生まれている。では、その次の課題は何かというと、そうしたリーダーとともに事業を立ち上げる仲間を増やすこと。震災発生3日後の3月14日、我々はそうした構想を発信し、その結果として多くの方から総額およそ8億円の寄付をいただいた。その寄付金を原資に、月々15万円の人件費をETIC.が1年間負担する形で派遣を行うという取り組みをはじめている。
たとえば気仙沼のバイオマス事業。山の木々でエネルギーをつくっていこうという取り組みが震災後に立ち上がった。地元でガソリンスタンドを経営されていた方が立ち上げた事業だ。ただ、そのためのプラントは海外からの輸入になる。なので、外資系で働いていた女性に入っていただいてそうした輸入業務を担当してもらった。また、プラントのマネージャーはご自身の建築事務所を開いていた1級建築士の方だ。そういったことをさまざまな分野で行ってきた。
また、石巻の牡鹿半島にある閑散とした浜で、カフェを立ち上げた男性をサポートした事例もある。そのカフェづくり等で「右腕」を入れた。こちらに入った方々もすごく活躍してくれていて、人口10人というその浜で生まれたカフェに、今は年間1万人以上の方が訪れている。また、地域にこうした拠点が1つできると、その周辺に小さなビジネスが生まれやすくなる。実際、こちらでも「右腕」たちが裏山の木を使った家具づくりのビジネスをはじめたり、マリンスポーツの拠点を展開したり、周辺にもビジネスが立ち上がっている。
ほかには、すごく有名になった『東北食べる通信』という食べ物付きの月刊誌を立ち上げた高橋博之さんという方もいる。こちらにも、事業立ち上げ時に編集デザイナーの経験を持つ方に「右腕」として入っていただき、創刊号から一緒につくってもらった。この事業は「北海道食べる通信」「築地食べる通信」という風に今は37地域にまで広がっている。そうした各地域への展開にあたっても、それまで大手出版社で編集長をされていた方に入っていただいた。「地域のビジネスに関わりたい」ということで同社を辞め、今は全国展開を担っていただいている。こうして今まで38市町村に計250名以上の方を送ってきた。
こんなふうに、震災直後は緊急支援の現場に、そして震災から3年後ほど経ってからは、特に産業として今後も継続する事業に私たちは「右腕」を入れてきた。お手伝いをさせていただいている40団体ほどにアンケートを取った結果、そのほとんどが震災後に立ち上がった団体だけれども、今はその40社合計で32億円ほどの予算規模となっている。ゼロからはじまった事業に、人材と、少しの人件費ではあるけれどもお金を投資させていただくことでこのような変化が生まれてきた。また、各現場に入っていった「右腕」の方々の62%は今も東北に残ってくれていて、そのうち22名は自身で次の事業を興している。
私たちは今ご紹介したような事例を「ローカルベンチャー」と呼んでいる。東京でのビジネスはどうしても短期的に利益を出す発想になってしまいがちだ。でも、地域では違う。地域でビジネスを立ち上げる資本というと、もちろんお金もその1つではあるけれど、それ以上に、たとえば自然資本というものがある。さらには地域における関係性もある。人間関係や文化や歴史等々、さまざまな資本があるわけだ。そうした資本を活用して地域で事業をつくっていった結果、資本がさらに強化されていく。使わなければそうした関係性も歴史も文化も自然も廃れていく。だから、まずはそうした資本をうまく活用してビジネスをつくること。そして、それらを豊かな資本へと育て上げたうえでチャレンジを増やしていくという考え方が今後はすごく大事になると、この5年間で学んだ。(第2回はこちら)
※この記事は、2017年2月20日にグロービス経営大学院 東京校で開催されたソーシャルナイトセミナー2017「地域を変革する社会起業家に学ぶ事業構想と実行力 」を元に編集しました