グローバルで活躍したい方のために、異文化理解についてお伝えするセミナー。前半は、異文化の違いを理解するためのカルチャーマップについて解説しました。後半は、世界の人々と比較して日本人はどういう特徴を持っているのか、違いに対する感度をどう身に付ければよいかお話しします。(全2回)
「異文化理解力」で違いの分かるグローバルビジネスパーソンになる[2]
アメリカ、中国、日本がどこに当てはまるのか、プロッティングしたチャートをご覧いただきたい。日本は、コミュニケーションはハイコンテクスト。言外に含めてものを言う。そしてネガティブ・フィードバックは間接的。そして事例を通じて納得感を引き出す説得の仕方を好む。リーディングは階層式。決断は、みんなで議論して延々ミーティングで合議する。タスクの前にまず人を見て信頼関係を築く。意見の対立は徹底的に避けたい。スケジュールはきちんと。このように、日本は各フレームにおいてほぼ一番端っこに位置し、ものすごく極端だ。世界の中から見ると日本文化はものすごくユニークな特徴を持っているということが、この分析から分かる。
こういう文化を持った我々が仮に海外に行ったとすると、周りはどういうリアクションをするだろうか。そこでは、互いの違いを知り、それに対する感度を上げてどう振る舞うかが、非常に重要になるわけだ。一方で、他者の文化を理解するだけではなく、実はその対比において自分が世界の他人の目から見るとどういう特徴を持った人間なのかを理解する、自己理解こそ非常に意味があるんじゃないかなとも思っている。
アメリカにいたときの経験を話したい。日本人の上司との面談では、「君は本当にものをはっきり言うね」と、言外に「ちょっと言いすぎなんじゃないか」という非難を含めたフィードバックをされた。一方、アメリカ人の上司との面談では「何で君はそんなに遠慮をするんだ。もっとはっきり言ったらいいじゃないか」と、ここでもやっぱり非難される。私という人間は変わってないのに何でこんなにリアクションが違うのか。これがまさに異文化の違いだ。
違う文化の他人を理解して対比をすることで、自分というものがどう他人の目に映るのかが理解できる。つまり、他者と自分の相互作用、私がいて相手がいて、この違う文化の相互作用でどれだけ自分が仕事で意図した結果を出せるかが決まってくる、というのが私の理解だ。
違いに対する感度はどう身に付ければよいか?
じゃあ、そういう感度をどうやって身につければよいのか。よく聞かれる質問の1つが「異文化理解力は海外に住まないと身につかないのか」というものだ。実際のところそうそう海外に住む機会はないだろう。私は今回たまたまいろんな国の職場での違いについて話をしたが、それとは別に単なる違いに対して自分がどう振る舞えるかという考え方もある。
その違いはどういうものがあるか。国籍、人種、宗教、性別、年齢、職種、セクシャリティ、そしてどういった教育を受けてきたか、家族の構成はどうなのか、出身地はどこなのか、支持政党は何か等々。いろんな種類の違いが我々の生活にはある。これを私たち専門家は「氷山モデル」と捉えている。私たちが普段意識するのは、水の上に出ている、表面で見える人種や性別だなど分かりやすい違いだけだ。でも水の下、実際には見えないところにいろいろな違いがあり、それが我々という人間の個性をつくっている。この違いに対して感度を高めて振る舞い方を考えるというのが、異文化理解力を鍛える1つの手だてだと思う。
その異文化理解力の根底にある感受性を育てるには、違いが楽しいと思う体験すること。「わぁ、こんなに考え方が違うんだね。面白い!」という体験。やっぱり男女一緒に話すからこんな新しいアイデアあるねとか。一方で、違いが怖いと思う体験も必要だ。「えっ、何でそんな言い方をするの?」など。そういった楽しいというポジティブな経験とちょっと怖いというヒヤッとする経験の掛け算こそが、感受性を鍛える上でなくてはならないものだと思う。
皆さん、マイノリティ、少数派になったことはあるだろうか。例えば女性の方だと、業界や場合によるが、私の年代だと大きなミーティングに行って女性1人とか。あと海外の職場で日本人1人とか。そういう、少数派になるときの心理をちょっとご説明したい。
自分が「おっと、少数派だ」と思うと、まず環境に敏感になる。私が女性で周りが男性だと男性の行動を見てしまう。みんな楽しそうに名刺交換してるから私もしなくちゃとか、敏感度がちょっと上がる。で、一瞬ちょっと嫌な気持ちになる。ああ、私1人かと。一瞬マジョリティのやっていることを拒絶したり、無視したいようなネガティブな感情が湧く。けれど、その場になじんでいくと少しずつその違いを理解しようとする。そして私も握手をしてみたりする。でもそんな大勢におもねることをしたくないと反発したくなったりと揺れ動くリアクションがあり、そのうちに結局そこにいる他者と自分それぞれの個別の価値を考え始める。男性、女性というラベルから外れ、誰々さんは、私は、どういった意味を持ってこの会議の場にいて、どういう価値が出せるんだろうみたいな生産的な考え方に移っていく。すると、互いの違いを生かそうというポジティブな気持ちになれる。
私がここで強調したいのは、そこに至るまでの過程だ。自分が周りと違うということに対してすごく敏感になる。それをぜひ皆さんにも経験していただきたい。そうすると少数派の方に対しての感度というのも上がってくる。肩身の狭い思いをしているんじゃないか、ちょっと緊張しているな、など注意が払えるようになる。そして、それらを乗り越えた上でその場で集まっていることに意義を見出そうと努力をする。この力がつくことによって生産性が上がり、違いを互いに生かし、それがイノベーションにつながるというのが、我々が多様性において盛んにしている議論だ。海外に行く機会がなくても、違いが楽しい、あるいは怖い、そんなことを求められる環境にあえて飛び込んでみる。それが、海外赴任したり外国人の同僚ができたときに、必ずや生きてくると。同じ能力として生かすときが来るというのが私の信念だ。
最後に、先ほど申し上げたようにグロービス経営大学院には、何と50カ国以上から外国人の方がいらして、日本人も含めて喧々諤々と経営について議論するという場がある。もしお仕事でそういった違いを経験する場がないなと思ったら、あえてこういった学びの場でそういった経験を求められる、そんなこともぜひお勧めしたい。
日本が、多様性から学び、皆さんが豊かな人生を歩めるような社会になることを願い終わりにしたい。
※この記事は、2017年2月9日に行われた、DODA転職フェア「『異文化理解力』で違いの分かるグローバルビジネスパーソンになる」を元に編集しました。