エンジニアを育成するためのプログラミングスクール「DIVE INTO CODE」を運営する野呂浩良氏。エンジニア経験ゼロから稼げるレベルにまで育て、受講後は開発プロジェクトに参加して収入を得ながら実践力を磨いてもらう。テクノベートの流れに乗り、「エンジニアとして活躍したい!」という人たちに人気だ。しかし、創業に至るまでには一つの大きな挫折があった。(聞き手は、グロービス・デジタル・プラットフォームの鳥潟幸司)
父の急死から12年間続けた「時間記録」で起業を目指す
鳥潟: DIVE INTO CODEとは、どのようなビジネスですか?
野呂: エンジニア育成のためのプログラミングスクールの運営、そして卒業後には私たちの開発プロジェクトに参加してもらい、腕を磨き、収入も得てもらう。学びから実務までを繋げる事業をやっています。
鳥潟: 起業しようと思ったのはいつ頃ですか?
野呂: 小学校の卒業文集に「社長になりたい」って書いていました。小さい頃から、そういうものに憧れというか、自分で何かを創りだしたという気持ちがあったんだと思います。
鳥潟: 親御さんや周りの影響ですか?
野呂: サラリーマン家庭で、親戚にも起業家は1人もいません。学校を出て社会人になってから「いずれ経営者になるぞ」という気持ちが明確になってきたのですが、まずは自分ができることをやりながら経験を積もうと思っていました。
2012年にグロービス経営大学院に入学した時には、「時間の生産性や時間の価値を上げるための事業をしたい」と考えていました。「自分の時間を後悔なく使っている」と誰もが確信できる、そんな世の中を作りたいと思ったのです。そこで、自分自身の時間を記録し、その時間を振り返り、時間をより良く使うにはどうしたら良いかを考える――ということを12年くらい続けていました。
鳥潟: 12年ですか!どのくらいの頻度で記録していたのですか?
野呂: タスク単位です。「To Do」の1個ずつに何分かかったかを、ツールを使って記録していました。これを始めたのが22歳の時です。
その少し前に私の父親が急に亡くなったんです。人生ってそれぞれに「長さ」があって、いつかは必ず終わるんだな、自分で止めようと思えば止まっちゃうようなものなんだなって思いました。僕にとって、それは人生について根底から考え直すような強烈な体験でした。「では、自分はどうしたいのか?」という問いに対する答えを考え抜いた結果、「より良く生きたい」というシンプルな答えに辿り着いたのです。
一度しかない人生です。その貴重な時間を価値に変えていきたい、後悔のない人生を生きたい。では、どうしたら後悔なく生きられるか。僕は「後悔するようなことをしなければいい」と思いました。例えば、お酒を飲み過ぎて後悔したこと、ありませんか?僕は後悔のしっぱなしでした(笑)。そこで、自分の行動を全部記録して、その中で後悔したことを全部やめることにしました。
そんなことを考えるうちに、自分だけではなく、他の人たちにも時間をより良く、無駄にすることなく使って欲しいという想いが強くなっていきました。行動を記録する、その記録から必要な行動と不要な行動を選別し、次の行動につなげていく――。自分なりの方法論を編み出しました。
コンテストには敗れ続け、仲間は離れていった
野呂: これを使って、生産性を上げたり、仕事のパフォーマンスを上げたり、プライベートを充実させたりしたい。それを事業に発展させたい。それが、グロービス経営大学院の門を叩く動機でした。
最初から、「卒業したら時間管理のビジネスを立ち上げる!」と心に決めていました。在学中にイメージをどんどん具体化させていきました。経営大学院の同級生や友人を巻き込んでビジネスアイデアを練り、タスク管理アプリを作るところまで辿り着きました。
しかし、事業として花咲かせることはできませんでした。
ベンチャー・キャピタルを何社も訪ねましたが、出資してくれるところはありませんでした。ビジネスプラン・コンテストにも出ましたが全くダメ。「もしかしたら、事業化なんて無理なのかな」と迷いが生じた時、他のメンバーと改めて話してみると、誰も起業する気がないことに気づき…。プロジェクトは解散し、そこから僕ひとりで再スタートしました。
鳥潟: その時点で、野呂さんは会社を辞めていたんですか?
野呂: 辞めていました。前職はワークスアプリケーションズでした。そこでプログラミングを少し学んでいたので、自分でアプリを開発することができたのです。
1人になって考えました。12年間もこだわってきた「行動の記録と選択」の発想が事業化できないということは納得できない。しかし、少し冷静になって「それで本当に食っていけるのか?」と自問自答を繰り返しました。
「会社を辞めて1年はやる」と決めました。最初の半年はタスク管理アプリ一本で走りましたが、残りの半年はもう少し視野を広げてトコトンやってみようと開き直りました。前職の同僚、グロービスの学友、グロービス出身の起業家の方々、知り合いの経営者の方々などに片っ端から会って話を聞きました。もう、恥も外聞もありません。
鳥潟: そこから気付きはありましたか?
野呂: はい、がむしゃらに動き回っているうちに、グロービス出身の起業家たちの多くが「エンジニアがいない、エンジニアが足りない」って口癖のように言っていると気づいたのです。テクノロジーによって旧来型ビジネスモデルが次々に書き換えられる時代です。エンジニアへの引き合いが高まっているのも頷けます。ということは、エンジニア経験が無い人たちの中にも「エンジニアになって活躍したい!」と思っている人たちがけっこういるんじゃないかと思ったんです。でも、そういう人たちは、自分の知らない世界に一歩を踏み出す勇気を持てずに躊躇しているかもしれない。だとしたら、そこにチャンスがあるのではないかと。ドキドキしました。
周りの人たちに聞いてみたら、「やってみたい」という人が多い。じゃあ、まずは勉強会を開こうということで、グロービス東京キャンパスの片隅で集まったんです。一声かけると10人ぐらいが集まってくれました。
「へえ、システムってこんなふうにできているんだ」「プログラミングって思ってたよりも簡単」などと言って喜んでもらえました。また声をかけると、また人が集まってくる。自分が12年間こだわって続けていた「時間管理セミナー」とは比べ物にならないほどの「引き」の強さでした。
はっと気づいたんです。自分がやりたいと思ってやり続けてきたことと、人々が求めていることは、全く違っていたということに。自分が「志」だと思っていたことは、実は、ただの「独りよがり」だったのではないか。自分の理想を独善的に美化し、それを他人に押し付けようとしていたのではないかと。眼から鱗が落ちる、とはそういうことだと思いました。
そしたら、なんだか泣けてきました。
「過去に学んで改善」から「未来を目指して学ぶ」に大転換
鳥潟: 起業家としての大きな転換点でしたね。
野呂: はい。僕がこだわっていた「時間管理」って、過去ばっかり見ていたんです。過去を振り返って改善につなげようとしたわけですが、人はやはり、未来を見て生きているし、その方が健全です。過去を見て改善、過去を見て改善の繰り返しでは疲れちゃう。薄々感じていたのに、ずっとそのことに気づかないふりをしていたんですね。やっと、それを認めることができ、しばらくして、行動記録をやめました。
父親の急死を機に人生を良く生きるということを考え、時間の価値を高めるということに自分はこだわり、自分なりの記録・改善手法を編み出してアプリを作るところまで、一直線に走り続けてきました。でも、それは過去の側に顔を向け、後退りしながら未来に向かっているような不自然さを内包するものだったのです。自分自身がこだわり続けてきたものに真正面から向き合い、その不完全さを認めて、走る向きを切り換える――。これは、けっこう辛かった。自己変革のプロセスでもがき苦しみました。
鳥潟: それは、ご自身の「志」を見つめなおす作業であったのかもしれない。
野呂: そうかもしれないですね。「志」って、最初は自分で作り上げてしまうものですよね「自分がやりたい!」と勝手に思うものが志になっていく。でも、事業を作るっていうことは、「はい」って差し出したら「ありがとう」と受け取ってもらえる、そんなコミュニケーションを作ることです。相手があってこそ、お客様があってこその志です。独りよがりな思いでは、コミュニケーションが広がっていきません。僕はそのことを12年かけて学びました。
目標をしっかりと見定めていれば、手段は何でもいい
鳥潟: エンジニア育成を事業にすることに自信を持てたのはなぜですか?
野呂: ワークスアプリケーションの時の経験があったからです。私が入社した頃、「未経験の人でもエンジニアになれる!」といった中途採用をやっていたんです。「時間管理」や「生産性向上」を事業にするには、システムが必要になるので経験を積みたかった。でも、未経験で入れるIT企業はほとんどありませんでした。でも、ワークスでは「研修があるから大丈夫」って言われて喜んで決めました。
研修初日、同期入社は80人。人事の方が言いました。「この研修にはコンセプトがあります!一切教えません!全部自力でやってください!終わり!」。その日から、COBOLとDelphiというプログラミング言語を、全部自分で考えて習得することになりました。もう、必死です。寝る時間以外はずっとプログラミングしていました。
毎月課題があって、提出しないと呼び出しがかかりました。皆、本を買い込んで、横に積み重ねて必死に開発していました。インターネットに繋がれていないので、Google検索ができない。だから、本を読み込んで理解するしかない。それが原体験。誰でもやればできると、その時、「プログラミングって特殊なスキルじゃない」って確信したんです。それが、タスク管理アプリを開発しようという動機付けにもなりましたし、今の事業の入口にもなったわけです。
鳥潟: 最後に野呂さんの志は変わったのですか。
野呂: いえ、手段は変わりましたが、志は変わっていないです。あるコーチの方に教わりました。「富士山に登ることが目的なら、どこから登ってもいい。五合目からでも、須走からでも。登り終えた状態から見たら、大した違いはない」と。
時間管理という手段にこだわることを止められたのは、そういう考え方からです。登る目標、目的は大事にしたい。でも、手段にこだわりすぎないほうがいい。
これから起業しようという人たちには、ぜひ、そのことを伝えたいですね。
鳥潟: 野呂さん、ありがとうございました。DIVE INTO CODEの成功を祈っています。
インタビューを終えて
起業家に志は必要――誰もそれを疑う者はいないでしょう。しかし、その志に拘泥し事業の展開方向を誤っては意味がありません。野呂さんは、12年間大切にしてきた「生産性をあげる」という志に沿った事業展開を、起業後に転換しました。これは簡単にできることではありません。場合によっては、自身のこれまでを否定することにもつながるのですから。しかし野呂さんは、マーケットニーズを冷静に見極め、事業を大きく転換させ軌道に乗せています。
起業家にとって、外面で発生する困難以上に、自身の内面との葛藤こそが大きなチャレンジかもしれません。この野呂さんの志変化のプロセスから学ぶことは多いです。今後の野呂さんの活躍をお祈りしています。