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特別編 その1 チベット徒然日記

投稿日:2008/04/08更新日:2019/04/09

高山にある美しい寺、鮮やかな橙と濃紫の袈裟を着た僧侶たち。澄んだ目の子供と、同じように澄んだ青く広い空。一般に想起されるチベットと、実際に、酸素の薄いその地を踏みしめながら見るチベットは、どんな相違を感じ取らせてくれたのか。公私に渡り、アジア諸国を自らの足で巡ってきた田崎正巳・グロービス経営大学院客員教授の“チベット徒然日記”を、渦中の暴動問題に触れた「チベット問題に思うこと」の特別編として掲載する。

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「チベット人ってどんな人?」。私がチベットから帰ってきたら、何度かこういう質問を受けました。私はモンゴルや中国、もちろん欧米もそうですが、できるだけ現地の人と接触して話をするのが好きなので、こういう質問を受けることが多いのです。ですが、残念ながらチベットへは行ったものの、チベット人とほとんど話す機会がなかったので、正直全然わかりませんでした。これは私の言語能力の問題というわけではなく、一緒に行った中国人の友人も結局ほとんどチベット人とは話せませんでした。

「チベットってどんなところ」と聞かれたら、多くの人は「辺境」「ダライ・ラマ」くらいしかイメージが沸かないでしょう。意外なところで私の大好きなモンゴルと歴史でつながっているこの国。少しだけ、私のチベットへの旅の跡を追っていきたいと思います。

2003年から、日本人が通常のビジネスや観光で中国を訪れる際はビザが不要になりました。ですが、唯一の例外がチベットです。しかもチベットへは、ビザが下りても中国政府の指定した旅行業者のツアーでないと入国できないのです。いつもは自由な旅行を楽しむようにしていますが、ここチベットだけは、「3食付」の“官製パックツアー”でしか行けないのです。

旅の幕開けは踊るキャビンアテンダント!

日本からチベットへ行くにはいくつかのルートがありますが、いずれも当日中には着きません。私は、成田−上海−成都経由でチベットに入りました。成都へと向かう飛行機の中では、ちょっとした楽しいイベントが待っていました。飛行機が安定航行になると、CA(スチュワーデスのことです)の一人が民族衣装に着替えて、音楽が鳴り出します。それに合わせて踊るのですが、それがまたかわいい!!世界中で、踊るCAなんて見たことありません。かなり気持ちが盛り上がってきました。

チベットの首都はラサといって、世界の屋根と言われるチベットの中では盆地のような場所にあります。ですが、その盆地といえども、なんと富士山とほとんど同じ標高3650mという高地なんです。行く前にガイドブックなどを読んでいると、必ず出てくるのが「高山病」への注意です。ラサ空港に到着した時は、「頭痛くなるの嫌だなー」「空気が薄いって、息苦しいのかな?」などと考えていましたが、意外と呼吸も普通にできるし、頭も全然痛くないので、杞憂に過ぎないと安心していました。

バスで揺られること、1時間ほどで市内に入りました。なんとなく、身体がボヤーっとしてきました。バスの中を見るとこのツアーの参加者の顔ぶれがわかります。ラブラブそうなアメリカ西海岸からきたカップルは、在米中国人(四川省出身だそうです)の奥さんとマッチョな旦那さん(南米出身)。米・フロリダから、リタイア後にアジアツアーに1人できていたおじいちゃん。かなりのご老人とお見受けしました。南京からきた中年男性の教師2人組は、カメラ好き。発売間もないソニーの1眼レフを持っていました。四川省成都からきたOL風のお姉さん2人は、お金持ちのお嬢さんなのかも。なんでも超辛口がお好み。そして、ツアーのガイドさんはチベット人ではなく、四川省出身の中国人(漢人)でした。それぞれ言葉も違うので、ほとんど会話もできない集団でした。ガイドさんは最初中国語で、次に英語で案内するというスタイルでした。

ようやく、ホテルに到着。各自部屋へ。ホテルに到着したのは、まだ昼過ぎなのに、「夕方まであまり外出せず部屋で休んでいてください」とのこと。要するに、この高地に慣れるように、とのことでした。それから「絶対に走ってはいけません」とも。一度走ると、空気の薄さからすぐに高山病になってしまうそうです。なんだか、この頃から身体がだるくなってきました。部屋へ移動しようとしましたが、なんとエレベーターはなし。まあ、2階だからいいかと、重いスーツケースを持って上がるのですが、足取りが重い。とにかく身体がおかしい。階段を老人のような足取りで上がって、途中の踊り場で少し休むほど。なんだかやばくなりそうな雰囲気でした。

部屋へ入るなり、バタンと横になり、「少し休めば慣れてくるかな?」と期待して休みました。夕方から、食事付きの民族ショーみたいなのに行きました。食事はイマイチで、ショーもさっぱり。一緒に来ていた西海岸ラブラブカップルはホテルへ引き上げるようです。やっぱりつまんないからかなー。フロリダからのおじいちゃんは、箸も使えないご様子。聞けば、初めてのアジアだとか。アジア初心者がいきなりチベットとは、ちょっと無謀ではないかと心配になっていると、案の定、おじいちゃんはほとんど何も食べられませんでした。お酒は怖くて飲めません。酸素は平地の35%少ないとのことで、これまた高山病が心配なのです。

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音楽に合わせて踊る民族衣装姿のキャビンアテンダント

高山病に苦しみながらも、世界遺産を訪ねる

全部終わって、ホテルへ引き上げました。身体もだるいし部屋へ戻ろうとした時、途中の医務室にあのマッチョの旦那さんが。「どうしたの?」と声をかけると、奥さんが横になって、なにやらストローのような長い管を咥えていました。酸素供給器でした。ラサでは、ホテルの医務室に酸素を出す管があるのです。「頭が痛いっていうから、さっきのショーも途中で抜けてきたんだ」とのこと。アメリカ人の旦那さんより、中国人の奥さんのほうが先に高山病になったようです。私も、不安になって、売店で3本ほど携帯用酸素ボンベ買いました。早速吸ってみたけど、全然効果を感じませんでした。が、酸欠だからか、眠りにつくのは早かった。

翌朝、目覚めるとなんか頭が重い。いや、痛い。それもかなり重い頭痛。頭の後ろの方、首の上辺りが痛い。酸素を吸っても関係ない。持ってきたバファリンを飲む。が、効かない。結局、滞在中はこの頭痛は全く消えなかった。バファリンは持ってきた12錠を数日で全部飲み干してしまった。バファリンなんて、そんなにたくさん飲むもんだとは思わなかったけど、こんなに効かないとは。いや、これでも効いてるのかも。もしなければ、きっと激痛だったに違いないと思いました。

朝食は、ホテルではなく旅行会社と提携している食堂へ。ホテルでももちろん朝食はありますが、多分旅行会社が利益出すためなのでしょう、超低コスト食堂へ。毎朝計4回行きましたが、一般客はゼロ。「一人当たり材料コストは、20円くらいかなー?」と言うと、一緒に行った中国人の友人は「そんなに高いはずないでしょう」って。その程度の朝食です。正直、辛い食事でした。テーブル席からトイレのドアが開けっ放しで中がいつも見えるのも辛かった。それも中国の田舎よりもキビシイトイレが・・・。

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世界遺産のポタラ宮

ラサには、二つの世界遺産があります。一つは、有名なポタラ宮。とにかくこれはすごかった。世界中どこでも、昔のとんでもない建物はほとんどが宗教がらみですが、ここもチベット仏教の力で建てたようです。もう一つはジョカン寺(大昭寺)というお寺。このお寺の前では、いつも巡礼者が五体投地をしているところです。とまあ、ここまではガイドブックに出ているような内容ですね。 さて、昼食。バスで連れて行かれたのが、朝と同じ食堂。「え、マジ?」。出てくる料理も結局ほとんど同じで、ランチタイムなのに間違っても一般通行人は入ってこない。

肝心の味ですが、私は、中国の田舎や昔の国営工場に付いてる中華料理とは思えないような中華料理を食べた経験もたくさんありますが、それに比べても相当劣りましたね。フロリダのおじいちゃん、またしてもほとんど食べられません。そりゃ無理だよね。私でも辛いのに。

ここまで会った人は全て中国人(漢人)でした。ガイドさん、ホテルの人、レストランの人・・・。「一体どこにいるの、チベット人?」。チベット人と思われる屋台や行商、物乞いの人は多かったけど、お店とかそういう固定的な場所でチベット人はなかなかいません。街は、ほとんどの看板が中国語で、チベット文字はほとんどない。うーん、おかしい。そもそもチベット人は、どこでお昼食べるのかな?チベット料理屋も無さそうだし。やっぱりガイドさんと離れて街を歩くしかないな。

あれ?そういえば、フロリダのおじいちゃんがいない。単独行動はまずいよ。なんと今後の日程を全てキャンセルして、フロリダに帰ったとのこと。今後の日程とは、チベットの次はモンゴル、そしてアジア各地を2カ月かけて回る予定だったとか。それをたった2日で全部キャンセル。確かに、あのままではサバイバルできなかったでしょうね。アジア初心者にはやっぱ無謀だよな。

今後どうなるんだろう、この旅は。もちろん、頭痛は続いてます。

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多くの巡礼者が訪れるジョカン寺

民族としての誇りを奪われたチベット人

多少は慣れると思っていましたが、私の頭痛にはその気配なく、バファリンは飲み続けるも全く効果なし。とにかく起きている間中、頭痛がします。酸素ボンベは手放しませんでしたが、これまた効果を感じることなく、気休めであったような気がしました。それでも、小さなバスで自然やお寺を目指し観光は続けました。

自然は、まさに別世界でした。中でも、チベット語で「天の湖」を意味するナムツォは圧巻でした。ここはラサから北西に200kmほど行ったところにある塩湖で、標高はなんと4700mにも達します。まさに「神々しい」という言葉がぴったりでした。面積は琵琶湖の3倍だそうです。そこへ行くために通る峠では、さらに標高5000mの地点へも行きました。これはもう単なる頭痛というレベルの高山病ではないのかもしれませんが、相変わらず頭が痛いままでした。こういうところへいくと、観光客目当ての子供や大人がうるさいほどに寄ってきます。アジアでは良く見る光景ですが、中国人(漢人)でそんなことをしている人は1人もおらず、全部チベット人だったのは、やはり被征服者の悲しさかなと思いました。

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チベット語で「天の湖」を意味するなナムツォ

中国はチベットを征服し、チベット語を禁止し、全部漢字と中国語に切り替えたわけです。勉強も中国語、役所や企業への入社も中国語が必須となれば、昔からのチベット人にはやれる仕事がなくなってしまいます。チベット人の子供たちも、「中国語のできないおじいちゃん、おばあちゃん」を“劣等国民”だと思うようになります。こうして、民族の誇りや文化、言葉や文字が世代とともに瓦解していくわけです。

他人事ではありません。日本も同じ歴史を持ちます。

漢人がチベット人にしていることは、明治以降、大和民族がアイヌ民族に対して行った。施策とほとんど同じです。

明治時代に制定した「北海道旧土人保護法」という法律はつい10年ほど前に廃止されるまで続き、大和民族は法律を使って、アイヌ民族を“保護・教育”してきたのです。

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物乞いのチベット人の子供

“官製ツアー”は「建前」だらけ

チベットで一番閉口したのは、なんといってもトイレです。モンゴルの方がずっといいなと思いました。モンゴルは草原が続く中にはもちろんトイレはありません。男も女も、「その辺で」やります。難点は、どこまで歩いても平らな草原ですから、女性の方は見られやすいという点で辛いかも。ただ、人はどこにもいませんから、同行者以外、気にする必要はありません。

一方チベットですが・・・。中国はご存知の通り、田舎へ行くとあまりトイレはキレイではありません。ですが、ここチベットはそんなレベルではない。要するに、壁らしきものが一つ立てかけてあるだけです。壁の向こうがトイレということです。もちろん、囲いも何もありません。かろうじて、男女が分かれているという感じでした。壁だけですから、あとはただの土です。ちょっと掘ってある所もあれば、そのままという所もあります。問題は、「トイレ」という概念があるために、人々がそこに集中するということです。猛烈な臭いで、かなりきついです。ただの土の上で用を足すわけですから、その辺にゴロゴロと・・・。間違ってあれを踏まないように・・・。この辺で止めておきましょう。モンゴルのように、自由にできたら臭いなんてないのですが、集中してはきついです。鼻が曲りそうでした。

ところで、なぜガイドさんが中国人(漢人)か?ずばり、チベット人にガイドをしてもらったら大変なことになるからでしょう。ガイドさんは、普段はやさしくリラックスしていますが、ちょっと面倒な話をすると急に「建前」的な話だけに終始しました。現在占領中のチベットについて語ると、矛盾も出ます。

ダライ・ラマ14世については、詳細は別にして、多くの人は名前くらい知っていると思います。映画『セブンイヤーズ・イン・チベット』にも出ていました。中国のチベット侵攻、虐殺などを機に、1959年、このダライ・ラマ14世がインドへ亡命したことは、チベットを訪れる外国人なら誰でも知っていますし、普通のガイドブックにも書いてあります。ですが、この中国人ガイドさんは、「現在のチベット仏教の宗主は、パンチョン・ラマといいまして・・・」と一切、ダライ・ラマには触れません。まるで存在しなかったかのように、知らん顔です。今のチベットは、ダライ・ラマの写真を持っているだけで政治犯とされるようなところですから、さすがの私もあまりそこは突っ込めませんでした。

そのパンチョン・ラマというのは、中国側が勝手にあるチベット人の少年を宗主に指名して、歴史ある名前であるパンチョン・ラマの11世として名乗らせています。要するに傀儡です。観光PRの建前としては、「中国政府は、チベット仏教の本拠地であり、大変信心深い国であるチベットを保護しています」ということになっています。ですので、ガイドさんによれば「チベットの人々はパンチョン・ラマへの信仰は厚く、平和な日々を過ごしています」となるわけです。

私は「チベット人は、大変信心深いと聞いています。であれば、その宗主を常に身近に感じていたいのではないでしょうか?なのに、なぜパンチョン・ラマは普段チベットにいないで、北京にいるのですか?」と聞きました。傀儡のパンチョン・ラマを人質のように北京に置いておくことで、変な行動を起こさせないのが目的らしいのです。そのガイドさん、困った顔をして、「北京だとパソコンとかをするのに便利だからではないでしょうか?」だって。答えになっていない答えでしたが、彼は「そんなことわかってるじゃないか。そんなこと聞くなよ」といった優しい感じの目で私に訴えていました。満州国の溥儀みたいだなと思いました。

チベット侵攻時に99%もの寺院が中国共産党に破壊されたと言われていますが、現在観光上の必要性から修復工事をしているところが多いです。これもガイドさんによれば、「中国政府の莫大な支援により、古くなったり、壊れたりした寺院が修復されています」となる。まるでチベットは、中国の傘下だからこそ、色々なメリットを享受できているような言い方をしていました。

このような説明を本当のチベット人にさせるわけにはいかないでしょう。私みたいのが、「チベット人の貴方は本当にそう思うのですか?」なんて聞きそうですから、絶対にさせないのでしょうね。業者もガイドも、そして3食の店までも全部政府の「指定」というなわけが、なんとなくわかってきました。私の推測では、3食付にすれば、多少の自由時間を与えても、そう遠くへはいけないだろうし、チベット人との接触も限定的になるという狙いもあるのだろうと思いました。

ここまできても結局、まだチベット人と話すことは全くありませんでした。

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“官製ツアー”バスの前でタバコをくわえている中国人(漢人)のガイド

第2の都市、シガツエへ

ラサでの滞在を一旦終えて、いよいよシガツェというチベット第2の都市(といっても、人口は9万人)に向かうことになりました。バスの中には朝から全員揃った・・・はずでしたが、あのカリフォルニアから来たマッチョな旦那さんと四川省出身の奥さんの姿が見えません。この2人は英語が通じるので、なんとなく親しみがわいて話したりしたのに、どうしたのでしょうか?しばらくすると、旦那さんがバスに乗ってきました。私の方にやってきて、「Nice to meet you!」(会えてよかったよ、って感じかな)。

聞けば、前日の標高5000mが効いたようで、もうギブアップで早くチベットから出たいそうです。あらら、これでフロリダからのおじいちゃんに続き、またしても落伍者が出てしまいました。残念だけど、仕方ないです。さようならの挨拶をして、別れました。私だって、ずっと頭痛なのに。段々サバイバルレースの様相になってきました。シガツェは、日帰りにはちょっと遠いので、泊まりで行きます。

このシガツェでは、タシルンポ寺を訪ねました。大きな敷地内にいくつもの寺がひしめいており、たくさんの僧侶が生活していました。今も1000人くらいはいるそうです。ここには、パンチョン・ラマ10世の霊塔1994年にできたそうで、その費用には10億円もかかったとのことです。「全額中国政府が出している」と誇らしげに説明していましたが、それだけダライ・ラマの影に怯えているのだろうと思いました。

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たくさんの寺がひしめくタルシンポ寺

初めてチベット人の笑顔に出会う

シガツェという街は、有名な寺があるせいか、なんとなく他の地域よりは豊かそうな感じがしました。モンゴルほどではないにしろ、大きな寺の前ではまるで高級ホテルの前のリムジンのごとく、トヨタのランドクルーザーがたくさん並んでました。子供たちも小綺麗で、日本の田舎の子供と同じ顔をしています。カメラを見ると、皆寄ってきてポーズを取り出しました。チベット人でこんなに明るそうなのは、子供も含めてラサではあまり見ることはなく、このシガツェくらいでしか見ることはありませんでした。

首都のラサは、今となっては占領後移住してきた中国人(漢人)の方が多い街になってしまいましたが、このシガツェの方は、今でもほとんどがチベット人のようです。ですので、この地のチベット人の表情が本来のチベット人なのでしょう。差別とか悲惨さはあまり感じませんでした。

同じチベット人でも、山間部の方の子供はものもらいなどをしており、教育を受けている感じはしませんでした。表情は明るいのですが、多分、「観光客相手に何か貰ってこい」と言われてきてるのだろうなと感じました。

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明るい笑顔を見せるチベット人の子供たち

ラサの街には中国人(漢人)がたくさんいますが、街から一歩外へ出ればほとんどはチベット人です。しかも、そのほとんどが見るからに貧しそうでした。草原に出ると老婆が寄ってきて、何か買って欲しいようなことを言ったり、ただニコニコしてる人もいました。老婆の皺の一つひとつが、近くで見ると結構インパクトあって、自然と共に生きる厳しさと貧しさが表れているような気がしました。

中国人(漢人)が多い首都ラサで暮らす暗い感じのチベット人と、中国人がほとんどいないシガツェで生き生きとした表情を見せるチベット人。

この対照性が、この国の問題を端的に表しているのかもしれません。

もうこれで4日ほどチベットに滞在していますが、全く頭痛がなくなることはありませんでした。翌日はまたラサです。

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草原で出会ったチベット人の老婆

活気のない田舎

シガツェの街からラサに戻ってきました。ここまででチベット人と直接話せた機会はほとんどなかったです。もちろん、見る機会は多かったし、挨拶くらいはしました。

街と街の外で見える人々の風景はかなり違っていました。ここまでほとんどチベット人の家を見たりすることなかったので、シガツェからの帰り道、ガイドさんにお願いして途中の「普通の民家」らしきところでバスを停めてもらいました。街以外の田舎の方で見る人は、もちろんほとんどチベット人でした。民家は、どこが入り口で中がどうなってるのかよくわかりませんでしたが、石垣を土台に土壁で作った家が多かったです。その辺には鶏がいたり、ヤギがいたり。至って時間の流れを感じないような空間でした。

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チベット人の民家が立ち並ぶ一角

人の姿といえば、いかにも働き者風の女性がちょっと小走りに通ったりする程度でした。村の方は確かに貧しそうなのが伝わってきます。東南アジアへもいろいろ行きましたが、東南アジアは、田舎でも人々は明るく、活気を感じましたが、チベットの田舎にはそういう活気のようなものは全く感じませんでした。だからといって、街へ行くのがいいか?というと、これもまた疑問です。そんな想いで、ラサに戻りました。

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小走りで通り過ぎる女性

“中国人の街”と化したラサ

ラサの街ではいかにも貧しそうに見えるのがチベット人で、そこそこ小綺麗にしてるのが中国人(漢人)のようでした。極端に言うと、寺院へお参りに来ている人々、僧侶、そして物乞いくらいしか、チベット人がいないようにも見えました。

私は、知らない国へ行くと、その街の市場やスーパーに行くのが好きです。その街の人々の暮らしが垣間見えるようです。ラサにあるスーパーに行ったら、お坊さんがいました。チベットでお坊さんといえば、それは敬わなければならない人です。そのお坊さんが、化粧品コーナーのカウンターでニコニコしていました。しかも携帯電話を持っている!「チベットのお坊さんでも携帯電話持っているんだ」と驚いて近づいてみると、なんと「ネールサロン」というかマニキュアを女性の店員さんにしてもらっていました。なんともミスマッチな光景。写真を撮ろうとしたら、さすがに恥ずかしそうに、爪だけ隠してしまいました。でも写真獲るのは「構わない」と至ってオープンな感じがしました。

街に出ると、たくさんの小さなお店があり、たくさんの人が歩いてました。ですが、ほとんどが観光客用のお店のようで、一般のチベット人が買い物している風景はほとんど皆無だったような気がします。3食付のツアーではありますが、さすがにまた「あの店」へ行くのは辛いので、ガイドさんに言って街のレストランに出かけることにしました。「そういえば、チベット料理なんて全然食べてないな」と思いながら探しました。もちろん「地球の歩き方」も参考にしましたが、いかにも観光用の店しか出ていません。

ある小綺麗な土産物店に入りました。なんとなく垢抜けた店の作りで、お店の人もいい感じの人でした。同行の友人によると、綺麗な中国語を話すけど、どうも漢人ではなさそうです。「お、ついに地元のチベット人の経営する店を見つけたか!」と思って聞いてみると、ネパール人で子供の頃ネパールから来たのだそうです。チベットよりもネパールの方がもっと貧しいから、こっちへ来て商売始めたんだとか。彼はフランクな感じだったので、いくつか聞いてみました。

「たくさんお店あるけど、チベット人が経営している店ってあるの?」

「いや、ほとんどが中国人(漢人)だよ。あとは、自分のようなネパール人やインド系が少しあるかな。」

「なんで?」

「チベット人は、お金もないし、言葉も十分でないし、あまり働かないし・・・」

やはりここは、チベット人の国であるけど、チベット人はほとんど何もできないようになっているのだな、と思いました。我々観光客の落とすお金も、チベット人には行かないようになってるような気もしました。

「チベット人が行くような、チベット料理屋を探してるんだけど、どこか知らない?」

「チベット人は、そもそもお金が無くてレストランに入れないから、そういう店はないよ。敢えて言えば、この先の角にある店かな?」

「それって、このガイドブックに出てる店?」

「あー、これくらいしかないよ。中華料理屋ならいくつもあるけどね。」

東南アジアでは、どんな田舎でも地元の人々が入る村の食堂とかありますが、そういう店さえないのだろうと思いました。結局その店に行きましたが、客はもちろん全部観光客で、しかも半分以上は西洋系の人たちでした。ま、これでは本物のチベット料理は出てくるはずもありませんね。

短く限られてはいましたが、チベット旅行を通じて感じたのは、「独立国として自立させてもらえない状態では、なかなか人々から『活気』というものが感じられなかった」

ということでした。貧しくても、自分たちの言葉や文字、文化に誇りを持て、自分たちで物事を決められる国であればきっと、人々の目の輝きも違うのだろうなと思うと、とても残念でした。

とはいえ、この支配構造は今後もずっと続くのだろうなとも思いました。今、ラサで一番多いのはチベット人ではなく、戦後移住してきた中国人(漢人)です。北方領土もそうですが、もうそこを故郷として生まれてきた人たちがたくさんいる状態になっているので、急に「返還」ということは現実的には難しくなっているのだと思いました。

「チベット人が、以前の仏教大国としての輝きを取り戻し、周囲から尊敬される国になる日はいつくるのかな?」と思いました。

>>時勢インサイト特別編 その2 モンゴルとチベットとは何が違う?

▼時勢インサイトとは

経営のプロフェッショナル、田崎正巳が世の中の動きを鋭く切り取り、ニュースの本質を読み取る連載コラム。時勢に即応し、不定期に更新します。

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スーパーでネイルアートをしていたチベット人僧侶

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