唐池 恒二氏
唐池恒二氏(以下、敬称略):後ほど、『ななつ星in九州』(以下、ななつ星)ほか、JR九州の列車すべてと大半の駅、そして今や全国の列車をデザインされている水戸岡鋭治さんがご登壇する。その前座として15分、リーダー論と言えるかどうか分からないが、私なりの経営論というかリーダーシップ論をお話しさせていただきたい。
私は10年以上前、外食事業を手掛けるJR九州フードサービスというJR九州の子会社で、計4年間、社長を務めた。そしてJR九州の社長を5年間、つい先週退任するまで務めたが、大きな組織のトップを通算9年間務めてきたなかで私なりに学んだことがある。まず、トップにはどのような力が必要か。私は先般、経済同友会のリーダー研修で次期社長さんたちを前に、「これまで教わってきた7つの心得」という堅いタイトルで、おこがましくもつらつらと喋ってきた。そこでお話しした、トップに必要だと私が考える7つの心得を最初にご紹介したい。
1つ目は「夢を描き展望を示すべし」、2つ目は「伝えることがトップの仕事」、3つ目は「現場指揮に徹するべし」、そして4つ目は「氣を満ち溢れさせるべし」だ。「氣」とは、気迫の「気」、元気の「気」、気力の「気」、あるいは勇気の「気」だ。で、5つ目は「誠実であるべし」、6つ目は「逃げるべからず」、そして7つ目が「広量大度、精神爽快なるべし」となる。常に広い心を持って爽やかな精神であれと。ただ、今日はそれを3つに集約した。私もまだそれを完全に習得できていないけれど、今日はトップに必要な力として、「夢見る力」「気を満ち溢れさせる力」「伝える力」の3つを挙げたい。
15年前、広島でこんなことがあった。現在、広島駅ビルの2階レストランフロアには数軒の広島風お好み焼き屋さんがあるが、僕が訪れた15年前は2軒しかなかった。で、その日は午後すぐに新幹線で移動の予定だったから、お昼をさっと済ませようと、11時40分頃、とある広島風お好み焼き屋さんの前まで行った。「麗ちゃん」というお店だ。でも、店内はすでに満席で、お昼前なのに6〜7人の行列ができている。しかも、そんな状態なのに僕が店舗前の通路にいるだけで、のれん越しに「いらっしゃいませ、どうぞ!」と元気な声を掛けてくる。店内を見ると、おばちゃんたちが一生懸命、すごいスピードでお好み焼きを運んだり片付けたりしていた。ただ、僕たちは急いでいたから「ここはちょっと入れないな」と思い、結局、3軒隣にある別のお好み焼き屋に入った。
すると、こちらはお客さまがゼロ。店内に足を踏み入れると、「いらっしゃいませ」の言葉もない。だから遠慮がちに「やっていますか?」と聞くと、おばちゃんが奥のほうから嫌そうな顔をしながら出てきて、「ああ、営業してますよ。どうぞ」と言う。あの手のお店の常套句だけれど、そういうときの第一声は、「どうぞ、空いてるところに、好きな席に座ってください」だ。で、ともかくも注文をしたのだけれど、僕はそこで、「イカに豚に卵をミックスして、海苔を多めに」と、少し難しそうな注文をした。すると、「ちょっと時間かかりますね」と言って嫌がるわけだ。
その店は「氣」がどんどん薄れていたのだと思う。ほとんど感じられないほどに。一方の「麗ちゃん」は、もう、店からオーラが出ている。大きく元気で明るい声と激しい動きで。店が生きていた。広島駅界隈で1番美味しいお好み焼き屋さんだ(会場笑)。ちなみに半年前、当社で広島キャンペーンを張ったとき、私は「広島に行くなら『麗ちゃん』に行け」と社内報に書いた。そうしたら、当社社員が200人ぐらい行った(会場笑)。
「氣」は誰もが持っている。気功術というのもある。「氣」の力で病を治し、人を健康にすると。それでスプーンを曲げる人もいる。私の友人がそうだ。目の前でスプーンを曲げた。タネも仕掛けもない。「氣」を指先に集中させ、固いスプーンをぐにゃりと簡単に曲げた。目に見えないから信じがたいが、「氣」の力というものは本当にある。辞書には、「宇宙万物、エネルギーの源」と定義づけられている。つまりエネルギーだ。
そういう「氣」を人様に集めるとどうなるか。元気という「氣」になる。「やるぞ」と言う勇気になる。「氣」は動物にもある。私は日曜夜に放送しているNHKの動物番組が大好きでいつも見ているけれど…、「軍師官兵衛」が始まると消すけれど(会場笑)、たとえばアフリカの草原でチーターやライオンが獲物を捕まえる直前、あの獲物を見つけてからの動きに僕は緊張感を感じる。あの集中力、獲物を捕まえる前の静寂さ。それは「氣」だ。で、ひとたび獲物に狙いを定めたら、獲物がちょっと油断した瞬間、一気に飛びかかる。飛びかかるときも「氣」が出ている。「氣」に満ちていれば獲物をらくらく捕まえることができるし、中途半端な「氣」の状態であれば逃がしてしまう。
世界遺産の屋久島には「もののけ姫」のモデルになった森があるけれど、その森に一歩足を踏み入れると森の妖精というか、オーラが感じられる。神社の脇にある鎮守の森にも、なにか、パワーのようなものを感じる。屋久島には縄文杉と弥生杉という、樹齢2000〜3000年の巨木があり、その巨木の前に立つと圧倒される。それらも「氣」だ。「麗ちゃん」は店として「氣」に満ちていて、3軒隣の名前も忘れたそのお店はそれが薄れていたということだ。後者に1度入ったお客様は、もう入ろうとはしないだろう。
芸能人でも同じだ。旬のタレントさんや俳優さんを空港や駅で見かけると、やっぱりオーラが出ている。しかし、5年ほど前はテレビによく出ていたけれども最近は見ないようなタレントさんを偶然見かけると、しょぼくれている(会場笑)。「氣」が出ていない。旬の芸能人にはそれが満ち溢れていて、やっぱり「氣」なんだなと思う。店も会社も個人も同じだ。成功するのも、勝利を掴むのも、業績を上げるのも、元気になるのも、繁盛するのも、「氣」で決まるんじゃないか。僕はそう言い続けている。私は食べ物屋の社長を務めていた4年間、店長会議で50人の店長にいつもそうした「氣」の話をし続けていた。「氣」を集めるとお店が良くなるんだと。それで、どうなったか。私がその会社の社長を引き受けた平成8年には大赤字だったが、「氣」の力で全店舗が黒字になった。
ただ、黒字になった途端、次の目標がなくなってしまった。赤字会社にとって1番の目標は黒字化だったから。そこで、「よし、皆で東京に出よう」と考え、赤坂に「うまや」という店を出した。これも水戸岡先生のデザインだ。5万店にもおよぶ東京のレストランにあって、こちらは開店から12年経った今でも超繁盛店ベスト10に入っている。そんなふうに、トップはまずビジョンを語らなければいけない。そこで必要なのは、平たく言えば夢を見る力だ。夢は多くの人に力を与えるし、夢がないと力は湧いてこない。だからビジョンを描き、それを皆に語る。これがトップの大きな仕事だと思う。
で、2つ目の大きな仕事が「氣」を満ち溢れさせること。つまり、社員や店舗や会社を元気にさせることだ。JR九州は今、社員だけでなく地域も元気にしたいと思って事業に取り組んでいる。私は寂しがり屋だから、寂しそうな人を元気にしたいと、いつも思っている。赤字でしょぼくれた社員を見ていると、「あ、これは黒字にすればいいんだな」と。で、黒字になると「次は東京へ行こう」と考えたわけだ。そんなふうに夢を語ることでまた元気になる。そして、トップに必要なもうひとつの力が伝える力だ。私自身はそんなふうに経営してきた。そうした「氣」が充満した列車の代表が「ななつ星」だと思う。ここで、「ななつ星」の映像を少しご紹介したい。
— 「ななつ星」の紹介映像 (00:15:15-)
「ななつ星」(七つ星)とは、北斗七星の和名でもある。日本初の豪華寝台列車であり、鉄道会社による初の富裕層市場開拓とも評された。「クルーズトレイン」とも言われるが、実はこれ、JR九州の造語だ。
JR九州はそれまで、9本の楽しくおしゃれな観光列車を走らせていた。これ、一般には観光列車と言われているけれど、私どもは「D&S(デザイン&ストーリー)列車」と呼んでいる。「ななつ星」はその10本目。集大成だ。九州7県ひとつひとつを輝かせたいとの思いから、7つの県を星になぞらえて「ななつ星」とした。九州には温泉や自然あるいは歴史的建造物といった、7つの素敵な観光資源がある。まあ、細かくは忘れたけれど、7つあると言えばあるんです(会場笑)。ただ、当社は4年前、九州を海外の旅行会社などにPRするため上海に事務所を開設したのだけれど、ほとんどの方が九州をご存知なかった。外国では九州という地域名がほぼ認知されていないことに、私は驚いたし、愕然とした。だから、新しい列車名では「ななつ星」の後に「in九州」を加えた。そういう固有名詞だ。ありがたいことにマスコミさんは固有名詞であればいじらない。新聞もテレビも「ななつ星in九州」と出してくれる。だから海外でも‘in Kyusyu’が伝わり、今は「九州ってなんだろう」ということになっている。
「ななつ星」は九州を売るために作った列車であり、列車自体を売り出すために作ったわけじゃない。九州を世界へ発信するというのが1番の狙いだ。今はその目的も半分ぐらいは達成できたと思う。昨年10月に走り始めてから、全国区の新聞や雑誌、あるいはバラエティ番組や報道番組で数多く取りあげられた。広告会社にその広告効果を試算してもらったら、10月と11月の2カ月だけで120億円にのぼるという。今は実際に「ななつ星」も満室だけれど、「ななつ星」が訪れる観光地、あるいは列車で採用したお料理を給するレストランも、かなりのお客さまで賑わっている。
実は昨年10月に走り始める1年前は、車両がまだできていないので水戸岡さんが描いたイラストだけでお客さまのご予約を受け付けた。すると、イラストに騙されて多くのお客さまが申し込まれた(会場笑)。だから私は水戸岡さんのことを「天下の詐欺師と呼んで」いるけれど(会場笑)、ビジュアルには力がある。また、「新たな人生にめぐり逢う、旅」というのが「ななつ星」による旅のコンセプトだ。お客さまはリタイヤした方が多い。だから、今までの仕事を卒業して新しい仕事や人生を始めるにあたり、ご自身の人生を見つめ直していただけるような旅にしたい。旅のあいだ、カップルのお客さまには3泊4日、同じお部屋で過ごしていただく。普段の生活において奥様あるいはご主人と3泊4日72時間、ずっと一緒というご経験はたぶんなかったと思う。そこでパートナーの新たな一面も発見できるだろう。さらに言えば、おもてなしをする「ななつ星」乗務員との触れ合いによって、彼らの人生にも触れていただきたい。
「ななつ星」のすごいところは、3泊4日コースでも1泊2日コースでも、博多駅に戻ってくる1時間前には、ほとんどのお客さまが感動で号泣される点だ。なぜか。私もときどきその場に立ち会うが、もらい泣きしてしまう。乗る方だけでなく、外から列車に手を振っていただいている人も5人に1人ぐらいは本当に泣かれる。これは魔力を持った列車だ。「なんとすごい列車が、私たちの郷土九州を走ってくれているんだ」なんていう手紙が私のもとによく寄せられる。
(列車内の写真を紹介しながら)列車内ではバイオリンとピアノの生演奏もある。あと、洗面鉢は昨年6月に他界された人間国宝・十四代酒井田柿右衛門さんの作だ。14ある個室向けに、それぞれ洗面鉢を作ってくださった。納品1週間後にお亡くなりになったので、遺作だ。お客さまには、「これは400年におよぶ有田焼の歴史においても最高峰とされる十四代酒井田柿右衛門さんがつくった洗面鉢です。間違ってもこんなところで汚い手を洗わないでください」と(会場笑)。皆さま、爆笑される。また、福岡で1番有名な「やま中」というお寿司屋さんの大将が「ななつ星」に毎回乗り込んで、旅初日のお昼には握りたてのお寿司を提供する。ということで、今日は『「ななつ星」物語:めぐり逢う旅と「豪華列車」誕生の秘話』(小学館、著・一志治夫)という本のPRに参った(会場笑)。アマゾンのベストセラーランキングで、たまに3000位ぐらいになる(会場笑)。眠くて今の話を聞き逃した方がいたら、ぜひ。以上でございます(会場拍手)。
田久保善彦氏(以下、敬称略):実は私、唐池会長にお目にかかるのは今日が初めてだ。それでセッションの開始40分ほど前に控え室入りしたのだけれど、その1分後には唐池ワールドに巻き込まれて30分笑いっぱなしだった。また、少し驚いたことがある。控室にはJR九州社員の方々も何人かいらしていて、皆さん、わいわいがやがや、げらげら笑っていらした。「あ、こういう社風なんだ」と思った。今日はお二方にいろいろとお話を伺いたいが、まずはJR九州新幹線や「ななつ星」をはじめ、数多くの名車両をデザインしてこられた水戸岡さんに「ななつ星」製作のプロセスを伺いたい。
水戸岡 鋭治氏
水戸岡鋭治氏(以下、敬称略):JR九州でも、まさに先ほどから続く笑いの渦のような楽しい会議が行われていて、僕はそれが大好きだ。中身はどうでもいいけれど、楽しい時間を過ごしたい(会場笑)。これが他社だと、すごく窮屈で、どちらかというと辛くて暗くて面白くない会議になる。けれどもJR九州では社長が全体をこんな風に仕切ってくださり、社長が1番サービスしてくれるから皆も肩の力を抜ける。僕なんかにも、「水戸岡さん、頑張らないでいいよ。60点でいいから」といつも言ってくださる。本当はそれだといけないのだけれど、とにかく私のような堅いデザイナーにも優しい言葉をかけてくださる。そんな風にして、長いあいだ育てていただいている。JR九州にはもう25年間にわたり、鉄道車両のデザインもゼロから教えていただいている次第だ。
で、今回の「ななつ星」についてだが、実は私も昔、「九州一周の旅ができたらいいな」という提案をしたことがある。いずれ大鉄道時代が来ると。ただ、当時は誰にも受け入れられず、私自身もいつかその提案を忘れてしまっていた。けれども社長があるとき、「豪華寝台列車を九州で走らせたい」とおっしゃる。僕は「え?」と思った。「そんなこと、できるわけがない」と。私にも作る自信がなかったし、採算も取れないだろうし、社内でも反対があるだろうし、国交省も「赤字会社のくせになんだ」なんて言うのだろうなと(笑)。で、それからしばらくして社長がまた「本当にやる」と、社内を説得し始めたのだけれど、僕はそれでもあまり信用していなかった。デザイナーとして自分の“クラス”じゃないというか、豪華なハイクラスのオリエントエクスプレスが本当に作れるのかなという思いがあったからだ。
でも、ある時から、「ヨーロッパのオリエントエクスプレスは無理だ。そうではなくてJR九州流、あるいは日本流のオリエントエクスプレスを追求しよう」と、少しずつ考えるようになった。とにかく、社長が無謀なアイデアを出された当時はドン・キホーテがひとりで走っていくような感じだった。だから、「これは皆で追いかけないとまずいよね」と、たぶん僕だけじゃなくJR九州社員の皆さまも考えたと思う。私たちを支えてくれている匠の職人集団も同じだ。全員がそれぞれ勉強や準備を始めていったと思う。そんな風にして、いつの間にか進んでいったという感じがする。
田久保:完成した「ななつ星」を初めてご覧になられた際、唐池会長も水戸岡さんもお泣きになったという記事をあちこちで読んだ。デザインしたお立場として、もしくはプロジェクトを発案したお立場として、完成時はどんな気持ちだったのだろう。
唐池 恒二氏
唐池:完成前から現場に携わっていらした水戸岡先生と異なり、私はできあがっていく様子をまったく見ていなかった。それで、水戸岡先生に案内されて昨年9月13日に初めて、マスコミにお披露目をした前日に車両を見た。で、正しく言うと、水戸岡先生はそのとき泣いていたけれど、私は我慢した(会場笑)。
水戸岡:(笑)。製作に関して言うと、私の能力が足りなかったためにデザインがなかなかフィックスできず、遅れに遅れていた。「これで本当に間に合うのか?」といった山場が何度もあったわけだ。ただ、社長はそれでも、「水戸岡さん。これ、走りながら作ったらいいよ」と、いつも言ってくださる。「途中でも見せたらいいじゃん」と。そういうことを言ってくださる方はいない。とにかく製作過程に大変な苦労があって、皆の努力があって、そして“ゆるーく”見てくれているという社長のバックアップがあった。そのうえで車両が完成したとき、普段はあまり褒めてくれないし握手もしてくれない社長が、初めてぎゅっと握手をしてくれた。そのとき、うかつにも涙が出てしまった。そんなわけで私だけが泣いていたのかもしれない(会場笑)。
田久保:水戸岡さんにとって唐池会長はどんな方なのだろう。
水戸岡:ご本人の前で少し照れてしまうけれど、僕だけでなく僕たちにとって夢であり、誇りだ。一緒に仕事をしていると、できないと思っていたこともできるような気がしてくるというか、「何か面白いものができそうだ」という予感を共有できる。その思いを僕がいろいろな人に伝えていくわけだ。それで皆も、「この予算とスケジュールと私たちの技術では…」と思っていたのに、できそうな感じになってくる。それがまさにロマンというか、夢なのだと思う。「唐池恒二が後ろについていてくれるし、皆、とりあえず思い切って頑張ろうよ」と。「予算なんかオーバーしてもいいよね」と。本当はいけないのだけれど(会場笑)、職人にはいつもそんなふうに話していた。
唐池:本当にオーバーしました(会場笑)。
水戸岡:(笑)。実際のところ、「予算とかそういうことよりも、やっぱり大事なのはクオリティーだよね。最高のものを作って多くの人に感動を与えないとダメだよね」と、本当は皆考えている。そういうものに向かって人間は生きているわけで、目先の利益だけを追いかけているわけじゃない。そういう本来の姿に、皆があるとき、はっと気づく。そこでひとりの大人として、「いまだかつてないものを作って人々に感動を与えよう。それを我々も楽しもう」となり、その過程で「あ、やれそうだな」という感じにもなっていく。
田久保:「ななつ星」の夢が具体化したプロセスはどういうものだったのだろう。
唐池:水戸岡さんの力なくして「ななつ星」は誕生していなかった。私がこういう列車を作りたいと思ったのは25〜26年前だったけれど、当時の私はまだ副課長といったポジション。これほど大それたプロジェクトは提案すらできない。潰されるのが初めから分かっているから。でも、社長となった5年前に「いよいよできるかな」と思い始め、それで4年半ほど前、恐る恐る水戸岡さんに「先生、豪華列車を作りましょうよ」と申し上げた。ただ、実はその時、私の中でも半分はできないという気持ちだった。「まあ、実現は難しいだろうな」と。ところが水戸岡さんが…、さっきおっしゃっていたことと違うけれど、2週間後には「こんな列車にしましょう」とイメージパースを持ってきた(会場笑)。「え!? 水戸岡さん、本気でやるんですか?」と。「冗談ですよ、あれは」と言おうと思ったけれど、なにかこう、言えなくなっちゃった。
水戸岡:嘘ばっかり(笑)。違いますよ(笑)。
唐池:で、そうしているうち、『週刊朝日』にも勝手に情報を出したりして(会場笑)。
水戸岡:すみません、それは本当です(笑)。
唐池:で、「そういう企画があるんですか?」と、記者さんが取材にいらした。「そんなん知りません」と僕は言ったのだけれど(会場笑)。とにかくそんなふうに外堀を少しずつ埋められて、やるようにさせられてしまった。被害者は私なんだ(会場笑)。
田久保:ステレオタイプかもしれないが、インフラを手がける企業さんでそのように物事が決まるケースは少ない気がする。JR九州さんは特殊なのだろうか。
水戸岡:きっと、JR九州にとっては特殊じゃないと思う。たとえば僕は鉄道のプレゼンを行う際、いつもA案・B案・C案というふうに3つの案を出す。そこで、A案はいまだかつてないオンリーワンのもの、B案は今より少し良いもの、そしてC案が今と同じようなものというふうに分けている。でも、JR九州はこの25年間、そこでいつもA案を採用してきた。これはどういうことか。僕にとってもJR九州にとってもメーカーにとっても大変なことを繰り返していくうち、いつの間にか体力・気力・知力が付いてくるということだ。ただ、こういうことは1番難しいものを選ぶリーダーがいなければできない。
優秀なデザイナーは日本にたくさんいる。彼らは教育もしっかり受けているし、提案力も高い。ただ、そうしたデザイナーの勇気あるプレゼンテーションを受けて、勇気をもって決断するリーダーが日本には非常に少ない。1番大事なのは私たちデザイナーの力でなく、それを決断するリーダーの力だ。リーダーが時代の「用と美」を考えながら勇気ある決断をしてくれないかぎり、楽しいもの、美しいもの、嬉しいもの、あるいは心地良いものはできない。JR九州はそれを25年間やってきたわけだ。
田久保 善彦氏
田久保:その辺が、「唐池さんは夢であり誇り」ということでもあるのだと思う。やはり唐池会長は、そうした3つの案があれば「当然、A案だ」という話になるのだろうか。たとえばネットにはお二人に関する記事がたくさんあるし、私はお二人の書籍も5〜6冊読んだけれど、そこではいつも、「かつてないもの」という表現が出てくる。「世界一」という言葉も同様だ。それはお二人が25年間目指し続けたものだったのだろうか。
唐池:水戸岡さんのそうしたプレゼンは、物事が具体的になる2〜3回目のものだ。最初のプレゼンではビジュアルが一切ない。そして、「こういう列車にしたい」「こういう駅にしたい」というのを1つの言葉ないし漢字で表現する。その時点でビジュアルはゼロ。それで判断しろと言ったって、無理ですよね、そんなこと(会場笑)。
水戸岡:(笑)。僕が1番得意にしているのは絵を描くことだけれど、自分が1番不得意な活字で賛同をもらうことが最初は1番大事だと思っているから。絵ばかりだと詐欺師のようになってしまう。逆に言えば、詐欺ができない活字で理解が得ることができたときは、ほとんど上手くいく。
田久保:ちなみに「ななつ星」はどんな1言で表現なさったのだろう。
唐池:「ななつ星」のコンセプトを決めるのは大変だった。
水戸岡:コンセプトと名前は社長が決めた。先ほど「D&S列車」とおっしゃっていた通り、社長は常に物語を作ってくださる。私はそれを色や形や素材あるいは使い勝手に置き換えていく係だ。だからいつも苦労なさっているけれど、名前を決めるというのはものすごく大事なこと。それでほとんどが決まってしまう。
唐池:それまでの「D&S列車」9本も、すべて水戸岡先生と私のタッグで作り上げている。そこで私はさしたる仕事をしていないが、ただひとつ、列車名を考えている。「指宿のたまて箱」「海幸山幸」「はやとの風」「いさぶろう号」「しんぺい号」「A列車で行こう」等々、すべて私が考えた。そのネーミングがそのままコンセプトになる。水戸岡先生は名前が決まらないとデザインに着手されない。名前が決まったうえで、名前とコンセプトに合った具体的デザインということで先生が料理なさるというプロセスになる。
で、「ななつ星」も同様のプロセスだったけれど、これが大変だった。水戸岡先生には5〜6回電話をして、「先生、こういう名前でいきましょう」なんて話をしていて、「ななつ星」に決める前はへんてこな名前もずいぶん提案した。たとえば、デボラ・カーとケーリー・グラントが出演していた名画にちなんで、「列車名は『めぐり逢い』でいきましょう。クルーズトレインこそめぐり逢いの旅ですよ」なんて。ただ、水戸岡先生は反対するとき、電話口ではまず「うーん、いいですねえ」なんていう感じになる(会場笑)。これは用心しなきゃいけない。ほぼ反対のときだから(笑)。そういうときに水戸岡先生は、たぶん後ろに控えていらっしゃる奥様に聞いたりするのだろう。で、奥様は相当に素晴らしい感性の方で、「ダメよ、あんた」なんて一蹴されるんだと思う。それで先生も、「やっぱり、どうですかねぇ」となる。それで何回も提案しては先生に却下されるという。
水戸岡:却下はしませんよ(笑)。
唐池:何回もやりとりをした。たぶん「ななつ星」というのは6〜7回目に出てきた名前だ。ただ、「ななつ星」にしてからぴたっとはまった。先生は元々星のモチーフが好きだから、そこでいろいろなデザインのレパートリーを考えつく。「ななつ星」という名前自体もコンセプトに合っていたし、実際に7県あるし、しかも先生が得意な星のデザインにもつながったと。ちょうど良かった。だから、たとえば「ななつ星」の車両には1万6000個の木ねじが使われていて、それらはすべてオリジナル。プラスでもマイナスでもなく、星型のドライバーでしか回せない。先生はそこまでこだわった。
田久保:そうしたこだわりが詰まった列車であると。ただ、そこでは車両をつくるメーカーの方々や装飾を担当する職人の方々、あるいはエンジニアの方々も大勢巻き込まれていったと思う。一緒に夢を追う仲間はどのような感じだったのだろう。
水戸岡:すごく仲が悪い(笑)。もちろん夢はあるけれど、どの会社にも経営があるわけで予算も時間も決まっている。だから最初は皆渋い顔をするし、動きも悪い。けれども、少しずつ、見えてくるものがある。最初は私たちにもなかなか見えておらず、象の尻尾や足だけが見えるなかで作る感じだ。全体が見えるのは本当に最後の一瞬。ただ、それでもなんとなく分かり始めてくる。そうなると皆も少しずつスピードアップするし、質も上がって、「もうちょっと、あと1%」と。それは各々が勝手に抱く不思議な感覚だし、僕たちが「こうしろ」「ああしろ」という話でもない。自ら、「あ、これは一生に一度の仕事だ」と思い始めると、とにかく良いものを作りたいという気持ちになる。「家族のため、地域のため、お客さまのために」と、人間が本来持つ大切な気持ちに還る。すると、今度は「そこまでしなくても…」と言っても勝手にやっているような状態になる。
唐池:トータルで30億円ちょっとの投資だったけれども、まともに発注したら100億円以上になっていたと思う。たとえば柿右衛門さんにお願いした洗面鉢は部屋の数プラス予備で15個。また、ダイニングカー向けのプレートもいくつかいただいた。でも、最初の依頼時に提示させていただいたお値段は、実はトータルで洗面鉢1個分だった。それなのに、あれほどいただいた。また、家具に関しても世界一の家具職人さんにお作りいただいたものばかり。水戸岡先生がおっしゃった通り、最後はそれだけ職人さんが意気に感じていらっしゃったということだ。「世界一のものを作るんだ」と。それが使命になり、もう採算度外視でお作りになられた。先生ご自身もそうだ。だから完成の直前直後には、かなりの数の職人さんが体を壊され入院された。最後の1カ月は先生の設計が遅かったから、皆ほとんど徹夜(会場笑)。もう、とんでもないですよね。
水戸岡:本当に設計が遅かった。分からなくて、決められなくて、自分の能力の限界というか、能力のなさを思い知った。
唐池:ただ、7車両に14室しかないのだけれど、壁や天井の素材、椅子の造り、机の形、壁の模様といったものが、全客室で異なる。そのデザインを1枚1枚、お描きになって、しかも全体デザインまでなさったわけだ。何万枚もの図面を描かれたと思う。だから遅くなった。(水戸岡氏に向かって)すみません、ありがとうございました(会場笑)。
田久保:先日伺った先生の事務所には、「ななつ星」で採用された組子が壁に飾ってあった。それに触らせていただいたのだけれど、本当に細かいところまで作りこんである。「こんなところまで面取りを」と、思わず頬擦りしたくなるような(笑)。もう作品だと思う。そういう列車に今後も数多くの方がお乗りになり、思い出をつくられるのだと思う。今回のプロジェクトを通じ、お二人はどういったものを目指していらしたのだろう。
唐池:でき上がって分かったのは、私たちはたくさんの「氣」を「ななつ星」に投入していたということだ。ここで言う「氣」とは、平たく言うと手間のことかもしれない。とにかく大量のエネルギーをこの車両にぎっしり詰め込んだ。匠の技に、お料理に、サービスに、そして1つひとつのパーツにそれが組み込まれていて、設計から大変な手間がかかっている。手間=「氣」であり、エネルギーだ。そして、投入したぶんだけお客さまがそのエネルギーを受け止められると分かった。そのエネルギーが感動になって、それがさらに思い余って涙に変わっていくのかなと感じる。
水戸岡:そう思う。僕はデザイナーだから、本来はモダンなデザインを追及するのが仕事だ。だから最初に提案したのもモダンなデザインだったけれど、それは却下になった。で、社長が「クラシックでいきたい」と。「多くの方に納得して理解してもらうためには今まで経験したものでないといけないのでは? 超モダンなものを作っても専門家にしか分からない。だから、できればクラシックにして欲しい」とおっしゃる。で、私自身もクラシックを以前からやりたかったのだけれど、手間もお金かかるし、様式についても勉強しないとそう簡単には作れない。ただ、それでも僕らは今回初めてクラシックに向かった。これは僕としても本当にやりたかったことだ。社長にやるよう言われたときは、「おお!」という感じだった。それで、子どもの頃から見ていた日本や海外の伝統をいろいろ表現できるかもしれないと。できないかもしれないし、実際に作ってみないと分からない。でも、とにかくクラシックを作り上げていこうということになった。
職人たちも僕と同じだ。本当はクラシックを作りたいけれど、予算やスケジュールの問題があるし、いつも利便性と経済性を追求されるからそれができていなかった。でも、「今回はできるぞ」と。それで皆が、「いつかは作りたい」「こうだったらいいね」というものに向かって仕事をしていった。だから完成したものを見ると、「よくやったよね。誰がやったの?」という感じだ。自分で設計した感じがしない。それほど、数多くの職人の方々が手間暇をかけて優しく美しく、そして楽しく作った。それはまさに「気持ち」だ。そういうことがあったから私も自分で設計していて“のって”いた。ただ、一方では、「ああ、もう2度と設計したくない」とも思うけれど(笑)。もう2度とできないというか。
唐池:そうおっしゃるけれど、水戸岡先生が天才だなと思うのは、列車全体を額縁にした点だ。「ななつ星」が巡る観光地自体は2カ所だけ。1番楽しいのは列車の車窓からぼんやりと景色を眺めている時間。実は、私はさほど鉄道は好きじゃないのだけれど(会場笑)、そんな私でもたまらない時間だと感じる。先生はその辺を計算して、列車全体をいわば30億円の額縁にした。車窓から見える風景をひとつの美術作品にしたわけだ。立派な額縁を通して観る車窓の向こう側こそ、最高の芸術だと思う。だから、あの列車は乗っているだけで楽しい。
執筆:山本 兼司