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新刊「人生の座標軸」堀義人 —個人の心 (1/6)

投稿日:2014/04/02更新日:2019/04/10

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堀義人氏(以下、敬称略):今日はまず、何故この本を書こうと思ったかという話からはじめたい。僕には5人の子供がいて、子供たちと接するときはパパの表情をしている。ただ、その姿とベンチャーキャピタルのリーダーまたは大学院学長としての姿はまったく違う。スノーボードや水泳を楽しんでいる僕個人の姿ともまた違う。さらに言えば、先週はダボス会議に参加してきたが、世界へ出て行ったときに日本人の代表として語る姿、そしてアジア人・地球人として語る姿とも違う。表情も考える軸も、すべてが違う。

どういうことか。まず、個人としての堀義人に加えて家族人としての堀義人がいる。妻にとっては夫、子供にとってはパパ、両親にとっては息子という、家族人の役割がある。また、僕にはグロービス学長そしてグロービス・キャピタル・パートナーズ代表パートナーという、組織での役割もある。皆様にも何らかの形で役割があると思う。夫、妻、息子、あるいは娘としての役割があるだろう。仕事で言えば、たとえば一人で独立した仕事をしている方にもお客様との関係性がある。個人、家族人、そして組織人という軸がある訳だ。さらに言えば、日本人、そしてアジア人・地球人という軸もある。所属するコミュニティの捉え方が大きくなるに従い、軸の捉え方も大きくなる。

個人が1番重要だと思う

一番重要なのは個人としての軸だと考えている。で、個人のなかには「心技体」があると。僕はグロービスの仲間に対しても会社より個人と家族を大事にして欲しいと思っているが、個人の健康や心の安定がなければ家族を支えることも出来ない。仕事も同じだ。そう考えると、個人が一番重要になると思う。その次に重要なのが家族だ。会社では副学長やマネージングパートナーに仕事を任せることも出来るが、家族を他者に任せる訳にはいかない。その次がグロービスになる。それがなければ生計も立たないし、多くの社員、そして彼らの後ろにはご家族もいる。さらに言えば学生と教員、そして投資先企業等のステークホルダーもいる。そうした方々の期待に応えて、僕自身がリーダーシップを発揮して皆を引っ張っていかなければいけない。

さらに広く見ていくと、日本人としての軸も出てくる。僕は、「ヒト、カネ、チエのインフラをつくり、創造と変革の志士を輩出しよう」と考え、グロービスを立ちあげた。また、投資によって新しい産業を創出し、世の中を変えるという崇高な気持ちで会社を大きくしてきた。ところが、懸命に人を育成して新たな産業をつくっても、ふと気が付くと日本は右肩下がりになっていた。ダボスでも無視されていた訳だ。そうした状況にあって僕自身がグロービスに専念していて良いのかという気持ちになり、「もっと日本人としての立場で働きかけるべきでは?」と。そこでG1サミット等、様々な活動を通して日本をV字回復させ、‘Japanisback.’と言わせるようなものにしようと考えた。また、世界ではアジアの一員という軸もある。そこで、たとえば今は日中および日韓関係が良くない状態だから改善していきたい。さらに気候変動をはじめとしたグローバル問題にも関与し、地球人としての役割も果たしたい。もしそのための場に呼ばれたら、そうした責務を果たしたいと考えている。

ただし、基本は個人で、その次が家族だ。それに組織が続き、さらに時間的余裕があれば日本人として考えていく。今日はそうした軸についてそれぞれ章立てでお話ししていきたい。個人とは何か、家族人として何を考えているか、組織の一員としてどうあるべきだと思っているか、そして日本人・アジア人・地球人としてどのように生きていこうと思っているのか。そんなお話をすることで、まだ著書をお読みになっていない方にとっては読んでいただくモチベーションにもなればと思う。

「個人」の生き方で大事なのは「心・技・体」

最初は個人の軸だ。個人のなかにある心技体に関して、まずは「心」について考えてみよう。ある雑誌の取材で次のような二つの質問を受けたことがある。一つは、「あなたは今、何を最も大切にしていますか?」。もう一つは、「あなたは今、何が欲しいですか?」というものだった。一つ目の質問に対しては、人それぞれ、「お金」や「命」あるいは「愛」と答えるかもしれない。「家族」と答える方もいらっしゃるだろう。僕はそのとき、「平静なる心」と答えた。心が基本だ。心のあり方が平静かどうか、取り乱していないかどうか、自分の心が変な欲や邪念あるいは意地悪な気持ちに毒されていないか。そうしたことが一番重要だと考えている。

僕は陽明学に傾倒しているが、陽明学には心即理という言葉がある。「心はすなわち理(ことわり)である」と。知行合一という言葉もある。「知ることと行うことは一つである」。心即理と知行合一。心と頭と行動が一気通貫であることが一番良いということだ。陽明学ではそこで最も大切なのが心とされているが、とにかく思いや考えと言動が一致しない人間に対しては、皆様も「この人は言っていることとやっていることが違うじゃないか」と、不信感を持つだろう。さらに言えば、言っていることと思っていることが違う場合もすぐに分かってしまうものだ。「この人は、なにかこう…、嘘をついているよね」、「この人は本音と建前の違いがバレてしまっているよね」と。人間はすごく大きなセンサーを持っていて、すぐに分かる。つまり、心のありようがそのまま言葉と行動に表れるのが一番良いということだ。そのために「平静なる心」が必要だと、僕は考えている。その心というものを陶冶し、耕していくことに僕は相当な時間を使っている。

では、そのためにどうすべきか。内村鑑三さんが書いた「代表的日本人」には「徳」という言葉が出てくる。「徳を持つためには小さな善を積み重ねていくということだ」と言う訳だ。誰もが見ていない場所で何か良いことをする。大きな善を行おうとすると名声が欲しいかのような形になってしまい、偽善になってしまう。大きな善を行うより、小善。同書には、「大善は名声に繋がるが、小善は徳に繋がる」とある。「だから、日々のなかで良いことをしていくのだ」と。要はお天道様に見られているというような感覚で善いことをしていきなさいということが、「代表的日本人」に書いてある。

そこでさらに考えてみると、「行い」以前に、自分の心が善い思いを持っているか否かという話になる。変な思いを持っていないか、そしてそれが表に出ていないかを一つずつ確認しながら心の平静を得ていく訳だ。そんな風に心を耕していくことが大切だと考えている。平静なる心を大切にしたいと思う一方で、僕自身、それがまだまだ足りないとも思う。だからこそ適宜、たとえば座禅を組んでみたり、あるいは心を鎮めてみたりして、「心に映し出されるものは何か」と考えていく。この辺に関して言うと、僕は陽明学に加えて密教の学問も学びながら自分の心を耕そうとしている。

僕は欲しいものは・・・「ない」

もう一つの「今何が欲しいか」という質問には多くの人は「時間」や「家」と答えていたが、僕は…、格好をつけた訳ではないが、「吾唯足るを知る」と答えた。「ない」。「吾唯足知」の4文字は、僕の出身である水戸の徳川光圀公が京都龍安寺に寄進したと言われる蹲踞に彫られている。与えられた富や物、あるいはご縁といったものを有り難く受け入れるという考え方で、僕はこれがすごく好きだ。「では、何故お前は今そんなに頑張っているんだ?」と言われるかもしれない。社会的に行わなければならないことは、ときに義憤を持って進める。そんな心のあり方でいたいと思うからだ。出来ているかどうかは別だが、とにかくそういう気持ちで生きたいと思う。

写真撮影:東洋経済新報社・尾形文繁

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