真山:『ハゲタカ』シリーズ4作目の『グリード』は2008年の、ある一ヶ月ほどのあいだに進む、リーマン・ショックをテーマにした小説になる。現実にはなかった、アメリカの巨大メーカーの買収というフィクションを、歴史的事実を踏まえつつ描いた。当時のアメリカの本質を知り、あの大きな経済危機をより深く理解するための視点を持って欲しいというのが、『グリード』を書いた一番の目的だ。
タイトルはまさに『グリード(強欲)』。映画『ウォール街(WallStreet)』でマイケル・ダグラスが口にしていた言葉だ。リーマン・ブラザーズが破綻した当時、世界中の人々が「強欲に突っ走るからこんなことになるんだ」と、彼らを非難した。ただ、日本人に「リーマン・ショックって何?」と聞くと、「リーマン・ブラザーズが潰れたことでしょ?」と答えるだけの人が意外に多い。その一点をつかまえてもアメリカという国は大変プレゼン上手だ。正直言って、リーマン・ブラザーズの破綻自体は大した話ではない。あれは、かつて生命保険業界において一番下の会社から順番に潰れていったのと変わらない。投資銀行のなかで当時一番下だったベアー・スターンズが潰れ、その次にリーマン・ブラザーズが潰れた。リーマン・ブラザーズがあのショックをつくった訳ではない。
「リーマン・ショック」でなく「サブプライム・ショック」と呼ぶべき理由
あれは本来「サブプライ・ムショック」と言わなければいけない。何年も続いていた、アメリカによる国を挙げた嘘とテクニックが使い果たされた結果、起きるべくして起きたということのほうが重要だ。本来は世界最大の保険会社AIGが潰れたことのほうがはるかに大きなショックだと言える。それでも「リーマン・ショック」と名付けられた。それでなんとなく、当時リーマン・ブラザーズのCEOだったディック・ファルドが悪いという話になってしまった。当時は日本だけでなく、アメリカも人のせいにしていたのかもしれない。
ただ、4作目の主題はそうした構図を解き明かすことではない。主題は、「グリード・イズ・グッド」の意味を我々は理解しているのかということだ。リーマン・ショック後、『ウォール・ストリート(WallStreet:MoneyNeverSleeps)』という映画がつくられている。あれはベアー・スターンズの破綻をベースにしたようだが、そこでは「グリード・イズ・リーガル」と言っているようだ。そのほうが分かり易いが、とにかくそれを含めて重要なポイントは、「日本人は強欲という言葉をどのように受け取っているか」になる。
グリードというのはそもそも宗教用語であり、キリスト教が説く7つの大罪の一つとして、「強欲はいけない」と言っている。強欲というと日本語では少し曖昧だが「がめつい」、「銭ゲバ」が近いだろう。関西には「儲かりまっか?」というやりとりもあるが、日本にもお金の話を口に出すことは恥ずかしい、はしたないという文化がある。従って、がめついという発想も悪いことだと思われている。ただ、リーマン・ブラザーズ破綻を含む一連の金融ショックを見ていくうえで、強欲という言葉は恐らく鍵になるのだろうと思った。
2008年から3年経った2011年の秋頃、ニューヨークへ取材に行った。実はこの3年という期間に大きな意味がある。まず、リーマン・ショック直後から、次の『ハゲタカ』は絶対にリーマン・ショックがテーマになると周囲に言われていたが、当時の私は静観していた。このテーマは根深く、1〜2年経った程度では誰も取材に答えないだろうし、そもそも何が起きたかすぐには分からないだろうと考えていた。
『ハゲタカ』シリーズは現代の歴史小説と申しあげたがそれを書くためにはある程度の時間の経過が必要だ。3年くらい経つと、まず当事者が喋りはじめる。また、当時を分析する書籍やドキュメンタリー映画といった資料も色々出てくる。私はそれらを踏まえて取材に行った。当時ニューヨークでリーマン・ショックを経験した人たち、およそ20人に取材した。
アメリカ人にとっての「グリード・イズ・グッド(=貪欲さは良いことだ)」とは
彼らにそれぞれの立場で話を聞いたが、私はそこで一つだけ共通の質問をした。「“グリード・イズ・グッド”と言うが、リーマン・ショックはグリードのせいで起きたのでは?」と。すると皆から同じ答えが返ってきた。「グリード・イズ・グッドだ。グリードがなければ前に進めないし、グリードがあるからアメリカンドリームもある。それを日本人が理解出来ないことが理解出来ない」と言う。「しかし聖書で駄目だと言っているじゃないか」と言っても、「そうかもしれないが聖書は奇麗事だろう」と。それで、最初のうちはやはりアメリカ人は懲りてないと呆れていた。ただ、同時に「彼らがこれほどの確信を持って言う理由は何なのか」という思いも湧いてきた。
まず、恐らく、私は彼らが言う「グリード」の意味を間違って理解していたのではないかと感じた。アメリカンドリームがグリードによって起きるのなら、「がめつい」、「銭ゲバ」といったイメージではなくやる気やモチベーション、あるいは頑張るための貪欲さという風に、なんとなく良い意味で受け取ることも出来る。それともう一つ。彼らは「そもそもビジネスに善悪はない。あるのは勝ち負けで、もっと言えば“儲かったのか損をしたのか”。何故そこで道徳を持ち出すのか」と言う。
確かに、日本人の解釈では、リーマン・ショックは欲に走り過ぎたことが道徳的に駄目だったということになっている。それで、「日本人はアメリカという国の文化をよく分かっていないのでは?」と、強く感じた。そうした思いを小説に込めようと考えた。それはさらに踏み込むと、お金は人を幸せにするのかという命題にも繋がる。金儲けのモチベーションがグリードだとすれば、そしてそれを訴求した結果としてリーマン・ショックが起きたとすれば、「やはりお金は人を幸せにはしないのでは?」という答えが出ると思う。しかしお金は無いよりあったほうが良いに決まっている。ところが日本でお金をがつがつ儲けた人は、何故か社会に、しかも警察庁等の法権力に排除されてしまうこともある。
幸せとお金儲けに関する価値観が日米で違う
そこには嫉妬があり、道徳の話が出てくる。これは日米の大きな違いだ。アメリカは多民族・多宗教の国で、価値観の異なる人がたくさんいる。そうした社会におけるモチベーションの一つ、あるいは成功の定義がお金を手にすることなのだと思う。お金を手にすれば時間やモノやサービス等々、色々なものが買える。家庭だって買えるかもしれない。もちろん、愛や友情といった、お金を出しても買えないものはある。しかし、「お金がなければ駄目じゃないか」という現実もある訳で、アメリカ人はその辺がドライだと思う。「金儲けは金儲けでいいじゃないか」と。そこに幸せを見出すかどうかは本人の問題で、「そもそも最初から幸せとお金を一緒くたにするのがおかしい」という考え方が、どうもあるようだ。
日本人はそうでなくて、「幸せになるために生きているんだから、お金儲けばかりしていてはダメ」という思いが根っこにある。ただ、日本人も、たとえば地主や山持ちのように昔からお金を持っている人達のことは非難しない。結局、資産が急上昇すると、嫉妬の対象になるのではないか。中国も同じだが、アメリカでは懸命に頑張って、競争を続けて成功した人は素晴らしいという話になる。一方、日本では周囲を見ながらじわじわゆっくり上がる人が成功者として認められ、そこで得たお金は人を幸せにすると思われている面がある。
日本人は一つになることが好きだ。震災後もしきりに「繋がりましょう。私たちは一つです」と言っていた。ただ、日本人にとっての「一つになる」は、異文化が混在するアメリカ人にとってのそれとは違う。あちらは民族や文化が違う人々がそれぞれの違いを認識したうえで一つになろうとするが、日本では「まずは一つでなくては」という話になる。そうなると、一人だけ目立ってビジネスを、あるいは金儲けをするのは駄目という話になる。そこで恐らく、「お金は人を幸せにするのか」という命題に行き着いてしまうのではないか。
そうしたことを踏まえずに私の小説を読むと、アメリカ人が大変異質に思えてしまうかもしれない。私自身、海外で取材をする、あるいはそれまでまったく知らなかった業界の人達に業界内の常識等を聞いていくと、最初は「非常識の塊みたいな人達ばかりだな」と思う。ただ、取材を進めていくうち、「価値観というのは一つではないのだな」と感じるようになる。
小説は「視点」を使い登場人物の心の中を描けるのが魅力
それは、分かり合えないということかもしれないが、分かり合えないことを理解すると分かり合える。ただ、日本人は「話せば分かる」と本気で思っているし、そういう人達はアメリカ人や中国人の価値観は理解出来ないだろう。小説ではそうした色々な価値観を持った登場人物を描くことが出来る。現実では人と議論する場合、言葉に出てくることは分かるが、実際に相手が心の中で何を考えているかは分からない。しかし小説ではそれぞれの視点で書くことで、両者の気持ちを表すことが出来る。すると、たとえばその二人とも異なる価値観を持った人が小説を読んだとき、現実の世界ではあり得ない、一つの現象を三つの目で見ることも可能だ。「あ、こういう価値観や考え方もあるんだ」と分かって貰える。それも小説が持つ魅力の一つだと思う。
また同じ小説でも、たとえば10年後に改めて読んでみるとまったく違う作品のように感じることもある。自分の価値観や立場が変わっているからだ。本は変わっていなくとも、自分が変化したことに気付く。
さて、ここからは、そもそも私はどういったことを考えて小説を書こうとしているのかというお話もしたい。私としては、根本的には「小説を通じて少しでも日本が良い国になれば」と、実はそんな大それたことを考えている。小説にはそれだけの力があると信じているし、私が、小説家になりたいと思った一番のきっかけでもある。「こういう考え方や価値観、あるいは未来があっても良いのでは?」と、という思いのもと、虚実織り交ぜながら面白い物語を書き、それによって、あり得ないと思われていることを「あ、あり得るんだ」と思っていただき、読者の考え方の幅を広げることが出来れば嬉しい。
そんな思いもあってここ数年力を入れて書いているのが、日本の新しい成長産業は何かということだ。『黙示』(新潮社)という小説では農業をテーマにした。農薬の問題を取りあげたかったというのもあるが、もう一つ、「日本の農業は世界でも大変な競争力を持っているのでは?」と感じていたからだ。これほど狭く、寒い地域と暑い地域があり、湿度も高く、さらに平地が少ない島国で1億3000万人が食糧難になっていない。日本の農業は大変な競争力があると思う。ただ、守られ続けてきたために外へ目を向けたことがない。それで、「じゃあ、外に目を向けてみましょう」ということで書いた。
現実にも多くの若者が農業に興味を持ちはじめている。現在、私は個人的なゼミを都内某所で毎月開いている。そこに大学生・院生から30歳前後までの若者が集まり、色々な産業に関して議論しているが、結果的に「農業をやろう」という話になっている。「産業として農業が成長するため何が足りていなくて、そしてどうすれば良いのか」と、今は皆で議論している。
また、『週刊文春』(文藝春秋)で連載中の『売国』という小説では、宇宙技術産業を取りあげている。同分野に関して、日本には世界でも稀に見る技術がある。有人は駄目だが、無人で宇宙へ飛ばす技術は世界でも屈指だ。ビジネスとするには投資と産業の広がりがまだまだ足りていないが、これからに期待している。
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