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尾崎正直氏×古川康氏×湯崎英彦氏 -地域から始まる日本の改革

投稿日:2012/02/07更新日:2019/04/09

地域から“しか”日本は改革できない(上山)

上山信一氏(以下、敬称略):このセッションは豪華メンバーで、全国の知事のなかでも若手で最も活躍されているお三方に来ていただいています。「地域から始まる日本の改革」というテーマですが、私は個人的には地域から“しか”日本を改革できないと思っています。地域を見つめ直し、様々な実験をしていく。課題においても解決策においても世界の最先端をいく日本は、そこからしか変われないのではないかと思っています。

今日のセッションは、大きく二つに分け、まず前半にはお三方それぞれの問題意識や取り組みをお聞きし、後半に地域において行政、県や国が果たすべき役割について議論していきます。
まずお聞きしたいのは、お三方はなぜ知事になろうと思ったか、ということです。知事になって出身地に戻られ改めて何を発見したか。さらに、知事という職にあって、特にどのような課題に注目して仕事をしていらっしゃるのか。就任期間の短い方も長い方もいらっしゃいますが、いろいろなことに精力的に取り組んでいらっしゃる。具体的に何をやっているのか。前半はこういったことをお話しいただければと思います。

その後、Q&Aをはさみまして、後半は行政が果たすべき役割について議論していきます。地域において県、あるいは市町村はどういう役割を果たすべきなのか。そして、国はどうあるべきか。地域の側から見た国の課題について検討します。私も含め、本日の登壇者は皆、霞が関で働いた経験があり、国の持てる力も限界も見てきています。そのあたりも含めながら話を進めていきましょう。

尾崎正直氏(以下、敬称略):高知県知事を務めています。知事になる決意をするまでには、二つの衝撃的な体験がありました。私の前職は財務省で、主に予算編成の仕事をしていました。そして辞める直前は、総理官邸にいて官房副長官の秘書官を務めていました。小泉内閣の最後、そして安倍内閣、福田内閣にいたる3内閣の間、私は官房副長官の秘書官として仕事をしていたのです。

秘書官をしていると、霞が関中から色々な情報が集まってきます。そのなかで、経済情報を見ると、当時は有効求人倍率が久しぶりに「1」を超え、ついに景気が回復したという自信が、わずかながらも生まれてきた時期だったと記憶しています。2007年から2008年にかけてのことです。

「だいぶ良くなってきた。これでいける」。そうしたときにたまたま故郷・四国の議長団の皆さんが、官房副長官を訪ねて来られて、意見交換をされました。経済関係の陳情のような話だったのですが、そのときに聞いたデータが一つ目の衝撃でした。いまだに「えーっ」と耳を疑った感覚を忘れることができません。

そのとき高知県の県会議長が言った高知県の有効求人倍率の数字が、「0.42」だったのです。国全体では1を超えたというときですよ。この0.42というのは、正規・非正規雇用の両方を入れた数字です。いかにこの日本において地方は弱いのかということを思い知らされましたし、「霞が関は地方を把握できているのか」と、深く自省したことを覚えています。

振り返ってみれば、主計局にいた際、国土交通省関係の予算の仕事をよくしていたのですが、地方の代表として出てくるのが、例えば四国であれば「松山」だったりしました。資料を見ると、地方のなかの地方の代表として松山市の事例が出てくるわけです。しかし四国のなかで松山は一番の都会です。田舎でもなんでもありません。つまり、その程度の区分けでしか、地方のことを把握できていなかった。これではいけない。もっともっと地方のことを知らなければならない。そう思いました。

そこで、高知県の東京事務所にいた知己を頼り、霞が関の仲間も誘う形で勉強会をしてもらいました。昔の発想であれば、霞が関の情報を地方の人たちに教えてあげる勉強会、となると思うのですが、私の発想は完全に真逆でした。私が感じたような衝撃を、霞が関の仲間にもしてもらいたいと思ったのです。勉強会の後には意見交換もし、明らかな現状の差というものを認識してもらえたと思っています。

もう一つの衝撃は、知事選3カ月前の出馬要請でした。これは、ある意味で男冥利に尽きる話ではあります。前知事の橋本大二郎さんが不出馬を発表され、その後、後継者が決まらないということで、地元の方々より「ぜひ出馬を」と言っていただきました。もともと私は東京に腰を落ち着けるつもりで、住宅ローンも35年で組んで(会場笑)、東京に居を定めていました。しかし、そこまで言っていただけるなら、ということで、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで出馬したのです。それから3年と少しが経ち、今秋に次の選挙を迎えます。

実際に知事になってみて、なかなか厳しい状況に置かれているという私の最初の直感は、正しかったことが分かりました。いま地方がどういう状況になっているかというと、典型的な「縮みスパイラル」に陥っています。ここから脱出するのは、並大抵のことではありません。景気が良いとか悪いとかいう状況は、もう明らかに超えています。

先の話題の有効求人倍率で見てみましょうか。高知県の場合は、平成12年が有効求人倍率のターニングポイントになっています。その前までは全国も高知県もほぼ傾向としては同じでした。つまり、全国で数字が上がるときは高知県も上がり、全国が下がるときは高知県も下がるという傾向が続いていました。ところが平成12年以降は、全国が上がっても高知県は上がってきません。平成12年〜19年の景気回復にまったく付いていけなかったのです。

なぜ、このようなことが起きてしまったのか。これは典型的な人口減少と高齢化の結果です。生産年齢人口の極端な減少の結果として、県の総所得が落ち込み、経済が縮むということが、高知県のようなところでは、明白に出始めています。高知県の総所得は平成9年をピークに減少に転じ、現在は当時の約8割程度となっています。それと足並みを揃え、県内の商品売上高も平成9年のピーク時2兆円から、平成19年度には1兆6000億円にまで縮小しました。経済規模が10年の間に約2割も縮んでしまっているわけです。そういう中で、若い人たちの地元離れが加速し、とりわけ中山間地域での状況悪化が目立ちます。高齢者の方々の孤立化が急激に進行しているのです。

地産地商ではない、地産外商だ(尾_)

こういう状況において、私たちは何をしなければならないか。日本全体でどうかということは別にして、残念ながら地方においては、「官から民へ」というだけでは済みません。明らかに官のほうから手を差し伸べていかなければ、暮らしを守れないのが現実なのです。

第一に、経済規模が縮小していくなかで、ますます資本の蓄積も産業の蓄積も薄くなっていきます。本来なら、このように足下の経済規模が小さくなったら、市場を遠くに求めざるを得ません。外から変えさせることを考えないといけなくなるわけです。ですから、私はよく「地産地商ではない。地産外商だ」と言っています。

ただ、外から稼いでくるためには、なんらか研究開発投資をしないといけませんよね。そこで残念なのは、もはや民間だけでは、キャッシュアウトしてからキャッシインするまでの時間の長さに耐えられないことです。経済規模が小さいところでそれを補うためには、官が歩み寄って手助けしなければならない側面があるのではないか。研究開発・マーケティングといった一連の動きを、官から手を差し伸べ、民に寄り添いながらやっていかれないものか。それを徹底的にやろうとしているのが、産業振興計画の一つの発想です。

そして、地縁・血縁が衰えているなか、いかにして官も寄り添っていくような形で地縁・血縁を再生するか。そうやって、意図的に支え合いの力を生み出し、コミュニティを支えていくことを、もう一つのポイントとして、長寿県構想と謳っています。

私たちの最大の課題は、人口減少と高齢化に直面するなか、どのようにして生き残りを図るか、脱出の道を探すか。この点に尽きます。そして、今後30年なり50年なりの尺で見れば、日本全体が同じような状況に陥っていく兆候があるのです。そういうなかで最初に苦しんだ県だからこそ、最初に克服策を見つけ出した県になりたいと願っています。時代の流れのなかで、私たちは最先端を行くことを目指していきたいと考えているわけです。

30年先を見据えた際には、食糧とエネルギーをいかに確保していくかということが国家戦略として絶対的に重要となってきます。そうした観点から見ても、地方はその供給源として注目されてしかるべきです。地方なり田舎なりを元気にするということは、日本の長期的な課題と対峙するうえで不可欠である。我々はその先鋒として頑張らなければならないと思っています。キーワードは「官民共働」。共に働く、ということです。

頭に安住している人は、尻尾を見ていない(古川)

古川康氏(以下、敬称略):私も、最初から佐賀県知事を目指していたというわけではありません。ただ私は、大学生のときから既に、将来は東京以外の地域で働きたいと思っていました。私は佐賀で生まれ育ち、鹿児島の高校に進み、その後、上京しました。そこで地方と東京の圧倒的な違いというものを実感したのです。私は大学時代、ボート部に所属したのですが、大体ボート部の部員というのは、あまり勉強しないもので、成績はともあれ、とにかく卒業さえすればいいというような会社に先輩のツテで入れてもらうというのが、正しいしきたりなんですね(会場笑)。もう一つの正しい道は、留年して資格試験を目指すというもので、私は、そちらを取りました。

就職活動として各省庁を回る前に決めていたのは、とにかく地方を元気にするようなところに勤めたいということでした。そして、地方を元気にすると言うからには、自分はいつの日か、生まれ故郷かどうかは別にして、東京ではない地域にしっかりと根を生やして暮らしていくんだという思いを強く持っていました。

この会場は山梨県にありますが、私は隣の長野県にも5年間、お世話になりました。新幹線のない時代だったので、東京から長野に行くには上野発のあさま号を使います。列車が長野県に入ると横川を通り、この近くの軽井沢まで急勾配の坂を上っていきます。1000m進むと67m上がるという日本の鉄道路線のなかで最も急勾配の上り坂を、“下り”の特急列車が走るわけです。当時の国鉄では、地方から東京に行く列車は上りで、東京から地方に行く列車は下りでした。僕は国鉄民営化でJRになったとき、この呼び名が消えるものだとばかり思っていました。お客様がお住まいになっている場所に、上も下もないはずだからです。私鉄では当然のことながら、上りも下りもなく何々方面行きとしか表示しません。ところが、JRになってからも上り・下りという言葉はしばらく残っていました。今はさすがにそうは言わなくなって、JRでも何々方面行きとなっています。けれど、時刻表上には残っていますよね。そのように我が国の世の中に巣食っている、東京が上で地方が下のような風潮を、なんとか変えていきたいとずっと思い続けていました。

私は国の役所で20年ぐらい働きましたが、その間も、国と地方を行ったり来たりしながら、やはりいつかチャンスがあれば、どこかの地方に根を下ろしたいと思っていました。そして最終的には、生まれ故郷の佐賀県で知事選に出ないかという打診があり、これまで自分が見てきたこと、してきたことを役立てられればという思いから挑戦したのです。

「もしかして、お前は根を下ろすのが佐賀県じゃなくても良かったのか」「知事じゃなくても良かったのか」と問われると、まぁ良かったと思います。決して東京が嫌いというわけではないのです。(テレビ番組の)「ブラタモリ」などで観ても、良い街だなぁと思います。でも東京が良い街だということと、日本が東京だけが栄える国であっていいのかということは、まったく別のことです。それを自分の終生のメインテーマに据えて、今この道を進んでいるというわけです。

このG1サミットでもそうですが、ほとんどの場合、前提なしに語られることは、東京の話なんですよね。地方のことを語るときは、このセッションのように、わざわざ「地方」とクローズアップするわけです。国の審議会を見ていても、地方のことというのは「また書き」か「なお書き」なんですよ。およそ主文で語られているのは東京の話であって、首都圏以外に住んでいる7000万人のことは、「また」と「なお」でしか語られない。

私は長崎県にも4年間、お世話になりました。この3日間、日本をどうしていくかというテーマでの議論に参加しながら、私の脳裏にあったのは長崎の祭りの出し物の代表格である龍踊り(じゃおどり)でした。これは龍の目の前に玉を掲げると、龍が玉を太陽と勘違いして追いかけていくという踊りです。龍の細長い体を10人くらいで持ち上げて追いかけるのですが、龍の頭を持ち上げる人は、玉を見てどの方向に行こうかと一生懸命です。G1サミットや多くの国の審議会での議論が、私の目には、この頭を持ち上げている人の姿に重なるのです。地方にいる我々は、いわば長い胴体を持ち上げている後続ですが、胴体は頭の行く方向に進まざるを得ません。頭が妙な方向に行ったからといって、尻尾だけ別の方向に行くわけにはいかないですよね。そして頭に安住している人は、尻尾を見ていないんです。だからこのG1サミットに参加している皆さんには、この日本をどうしようかといった議論になったときには、首都圏に住む3000万人だけでなく、地方にはそれより多くの人々がいることを認識していただきたいと思います。

キングギドラになることこそが、私たちの目指す地方主権(湯_)

湯崎英彦氏(以下、敬称略):広島県知事を務めています。もともと通産省(当時)に入り、10年ほどの後に、アッカ・ネットワークスという通信会社を創業し、全国展開していきました。ところが2008年に、いろいろしがらみがあって、WiMAX(ワイマックス)という無線通信の免許争奪戦に敗れました。私はいまだに総務省の方針が間違っていると思っていますが、責任を取って辞めました。

そのときには、出身地の広島に帰って何かをしようということは、考えてもみませんでした。ただ、会社を辞めて少し落ち着いたときに、広島大学附属高校の同窓会が東京であり、その際、広島から出席した方が挨拶の中で、「最近、広島は凄く発展してきた。広島駅の北側にマンションができたし、広島大学本部の跡地にもマンションが竣工されているし、広島市民球場などは新しくなってMAZDAスタジアムになる」といった話をされるんですね。一方で、私の知る現実はどうかというと、広大跡地はまだぽっかり空いたままだし、広島駅の北側にも広大な土地が残っている。駅前の再開発プロジェクトは30年前からずっとやっていますが、ほとんど動いていないんです。

翻って東京はどうか。汐留や品川に次々ビルが建って、六本木ヒルズができて、東京ミッドタウンもオープンしましたが、「ビルが建ちました」「マンションができました」ぐらいでは、話題にもなりませんよね。ところが広島では、それをもって発展しているという認識があるわけです。

そこを改めて考え、東京ばかりが焼け太りしている現状は、非常にまずいのではないか、そんな問題意識を抱きました。広島に帰ると、中心街ですら人通りは疎らです。120万人弱の人口を有する広島市の中央ですら、その状態は危惧せざるを得ない。広島カープやサンフレッチェ広島に象徴されるように、県民の郷土愛自体は、とても強いと思います。一方で、それがゆえか現状に甘んじてしまっている部分も多い。このままではいけない、広島のポテンシャルをフルに引き出したい、そういう志でもって、県知事選への出馬を決めました。

私の出た選挙は前任知事が5選目を不出馬。16年ぶりに新しい知事が誕生するという選挙でした。当時、私は44歳で、主力の対立候補は36歳の女性県議でした。しかも美人なので凄く盛り上がりそうじゃないですか(会場笑)。しかし投票率はわずか33.7%でした。まったく盛り上がらなかったんです。政治的無関心ですね。こういう話をすると、「候補がお前らなのが悪かったんだ」とか言われてしまうんですけれども(笑)、16年ぶりに新しい知事が誕生する選挙で、しかも前任者にはマネースキャンダルが持ち上がっていたので、それなりに注目は集めていた。にもかかわらずの低投票率は、要するに自分たちが物事を変えていくということに関心が薄いのだと捉えています。

選挙は一昨年の11月でしたので、私が知事になってまだ1年ちょっとですが、最初の1年間は、そんなわけで、県政というのは県民のためにあるのだと改めて理解していただくことに力を注ぎました。また昨年10月には県政のビジョンを総合計画としてまとめ、「県民視点」というキーワードを盛り込みました。事業仕分けも実施しましたし、県政の見える化に取り組み、記者会見は週1度の定例化に踏み切りました。しまなみ海道を派手なウェアを着て自転車で走ってみるなど、パフォーマンスと言われるようなことも、あえてしています。それも県政に関心を持っていただくためです。

今年もいろいろな取り組みをしていきますが、基本的な考えは尾?さんと共通しており、やはり経済力を高めることに焦点を当てています。私たちは「地方主権」をスローガンの一つに掲げていますが、これを本当に実現しなければならない。龍踊りの頭と胴体のたとえ話がありましたが、霞が関と永田町だけで日本全体、1億2000万人という規模のGDPをどうするか考えるのは、どだい無理な話と思っています。

皆さんご承知のとおり、ヨーロッパで1人当たりのGDPが高いのは、ルクセンブルク、ノルウェー、アイスランドといった人口数十万〜数百万人の国々です。私は日本も同じように、国内をそうしたサイズに分割して、それぞれに多様性を作り出していくことが必要と考えています。社会的にも経済的にも、日本が次のフェーズに進むためには、頭が一つでは絶対にダメなのです。ヤマタノオロチやキングギドラのように、頭が幾つもないと強くはなれません。キングギドラになることこそが、私たちの目指す地方主権なのです。これをやらない限り、これからの日本の発展はないと私は思っています。

上山:「頭が一つの龍から頭が複数のキングキドラへ」というキーワードをいただきました。「県庁は県民のためにある」というお話がありましたが、セッションも参加者のためにあります。途中ですが、公務で退席される尾?さんと会場とのQ&Aに移りましょう。

県知事の仕事はビジネスパーソンのようなもの(尾_)

会場: 2週間前までシンガポールに行っていたのですが、そこで、最大のカギは、いかにしてやる気というか、ハングリー精神を引き出すかということではないかという思いを新たにして帰ってきました。地方に限らず、私は、人間の誇りは人に頼らない、或いは政府に頼らないことから生まれてくるものと思っています。つまり、自立がポイントだということです。

シンガポールはもしかすると今、世界最強のベンチャー国家かもしれません。1人当たりの所得は約3000ドルで日本と同程度ですが、日本よりもずっと元気があります。ぬるま湯ではない。なぜなら、そうさせない仕組みをたくさん作っているからです。

翻って、日本はどうか。サービス提供も地方自治体の重要な役割と思いますが、いかにして地方の若者のやる気を引き出そうとしているか。そこを伺いたいと思います。

それから一つ提案があります。幾つもの頭を持つキングギドラの話がありましたが、そこまでおっしゃるのであれば、地域から日本を改革するのではなくて、いっそ独立するという発想。そうした政策を考えてみられるというのは、どうでしょうか。

尾崎:やる気をいかに引き出すかというのは、ポイント中のポイントだと思います。私は昨日まで台湾に行っていたのですが、こちらでも同じようなエネルギーを感じて帰ってきました。一昨日は私が主催の食事会で、台湾の航空会社や旅行会社の方々と2次会までご一緒したのですが、「乾杯、乾杯(かんぺー、かんぺー)」のコールがいつまでも止まない。高度成長期の日本のサラリーマンというのは、こうだったのだろうな、などと思いました。

私は、県知事の仕事はビジネスパーソンのようなものと捉えています。どのように経済を活発にしていくかという方向性を考え、数値目標をはっきりとさせて、PDCAサイクルを回し、毎年、計画を改訂していくといったことを、経営者感覚で取り組む必要があると考え、取り組んでいます。

その中に、どのように周囲のやる気を引き出していくか、ということも当然、含まれます。ただ、こればかりは官だけで号令をかけていてもダメだと思っています。まずは官民共働で動き出して、結果的には官なんてどうでもよくなって、民がどんどん先に行ってくれるような、そういう姿を作り出すことが最終的な目標です。

10年もの間、経済的に厳しい状況が続くと、どうせ何をやってもダメではないか、というような空気が蔓延してきます。資本の蓄積、産業の蓄積が少ないため、物理的に新しいことを始める力がない、という側面ももちろんあります。そこに敢えて私たちが入っていき、「アドバイザーを準備しています。場合によっては財政的な支援もします」というようなことを、ルビコン川を渡る覚悟で先導していく。そうやって官と民が手を携えるための仕組みをたくさん生み出そうとしています。

例えば、東京のアンテナショップには県の“外商部隊”である高知県地産外商公社が常駐しており、そこからどんどん商売の斡旋をするような仕組みを取り入れています。NHK大河ドラマをきっかけにした坂本龍馬ブームの後押しもあり、初めて東京進出した地元メーカーの商品がヒットし、大手デパートとの取引も始まった、というような成功事例も出始めています。そうした成功事例を、私たちとしては更に他の地元企業にも知らせて、伝播させていく。そうしたことを、いずれは民だけでやってくれるようになるのが理想ですが、動き出しは私たちも一緒にやりますから、と、そして成功事例が出れば伝えてさらなるやる気を引き出していく。今はそのような段階です。

それから、いっそ独立しては、とのご提案ですが、私自身は、やはりある程度の規模をもった国だからこそできる仕事、やらなければならない仕事というのはあると考えています。例えば羽田空港の国際化。自分がアジアに出張してみると、なおさらにその利便性を感じます。逆に中国との関係性が民間に影響し、銀座から人が減り、売り上げが減ったということは皆さんもご存知ですよね。こうした大きなことは国がしっかりとやってくれることが非常に重要ですし、国と地方が良好な共働関係を築いていくことが、より有用であると私は思います。

他方で、国として一つに定めようとすると、うまくいかなくなるという類のものも、もちろんあります。例えば、社会福祉制度において、規制を定める場合、東京23区で通用する規制と地方で通用する規制は異なる。どちらにすべきかで惑い、足して2で割ったような折衷案が取られることが往々にしてありますが、それではどちらにとっても中途半端で誰にとっても良い結果にはならない。そうではなくて、都会型があって、中都市型があって、中山間地域型があるというように、幅を持たせる形で国が政策決定をして、一定の幅のなかから地方が自由に選べるようにしておいてもらう。そういう政策の汲み上げ方をしてくれれば、うまくいくはずです。その幅を定めるためにどうするのか。企画立案の段階から地方も参画して、政策を決めるのが妙案ではないかと思っています。

いろいろな考え方がありますが、まず身近にできることとしては、国と地方の協議の場をつくる法案を通すことではないでしょうか。企画立案段階から分科会を設けて、一緒に論じていこうという法案はできています。これを超党派で早期に成立してもらいたいと願っています。

上山:高知県からは、馬路村など全国からも注目される村おこしの例が出てきています。尾?さんの目から見て、先ほどから話に出ていた当事者意識や危機感、若者のやる気などはいかがでしょうか。希望的な動きはありますか?

尾崎:それはあります。地元でごく小規模に木工細工を作っていたような人たちが、レーザーの機械を導入して生産規模を拡大し、県外でも販売するようになったり、若い人たちを集めて発展していったような例が幾つか出てきています。徐々に契機が出てきていることは嬉しいことですが、ただ、まだ始まったばかりです。坂本龍馬ブームに後押しされた感もありますので、この反動で減速せぬよう、県としてもより力を入れなければいけないと思っています。

農業は「農業」「農村」「農家」という3つの複合体(古川)

会場:農業への企業参入に取り組み、2007年に大分、北海道、2009年に佐賀に出て、次は島根、広島などで生産を始めたいと考えています。

こうした場で地域の課題討議というと、大体において経済の活性化という話になります。そこで伺いたいのは、皆さんが農業というものを地域経済の中にどう位置づけておられるのか、県の主産業として育成しようとされているのか、という点です。私が地方で農業をやっているのは、雇用の受け皿が非常に大きいからです。トマトやピーマンのような、毎日畑に入って人手をかけなければならない労働集約型の農業を中心にやろうと考えています。一方で、売り上げや市場規模から言えば、畜産業のほうが大きく、次に水産業、そしてフルーツの後にようやく野菜が続きます。

それから、農業保護政策の是非についても、ご意見をお聞かせください。私は、農業は参入障壁が高いのも良いと思って事業を始めたのですが、この2年ほど前から「農業は面白いんじゃないか」みたいな空気が世間に漂うになりました。私としては、「話が違う。競争が激しくなるから止めてくれ」という感じだったのですが(会場笑)、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の話が出てきたから、また空気が変わってきました。何やら「農業を守らないとかわいそうだ」というようなトーンになってきている。これでは、日本の農業はまた元に戻ってしまうのではないかという危機感をもっています。私としては、官が用意すべきは、セーフティーネットではなく、むしろ後ろから背中を蹴飛ばすような政策であり、お金の使い方だと思うのですが、皆さんのお考えはいかがでしょうか。

尾崎:高知県の場合は、農業は主軸産業です。まず農業があって、加工やグリーンツーリズムといった関連産業をいかに拡げていくかがある。これが大きな命題になっています。園芸作物では、例えば藤の生産性では全国ナンバーワンで600億円ほどの売上がありますし、農業を主軸においていくことは今後も変わりません。

TPPに関しては、日本が今後、食糧をどのように確保していくかということと、生産者の生活を守ることの二つの側面から考えなければなりません。この国にとって、今後30年から50年にかけての最大の課題は、間違いなく、食糧をどう確保するか、エネルギーをどう確保するか、ということでしょう。中国、インドが台頭し、価格競争力を強めるなかにあって、日本の調達力はどうなるのか。今はマネーゲームで価格が高騰しているという側面もありますが、その背景に大きな構造的要因があることも、また間違いのないことです。いかに自給率を高めていくかということは、国家的な安全保障の観点からも重要なことだと思っています。

そのなかでどのようにして農業を守るか。政府の方針として、集約化という方向が出てきていますが、どんなに農地を集約化したところで、アメリカやオーストラリアには敵いません。むしろ、日本の農地は狭いという前提のもとで、いかにして競争力のある農業にしていくかがキーポイントであると私は考えます。むしろ、農業は知識集約型のハイテク産業であると考え、付加価値をのせたビジネスにしていくという意識が必要不可欠でしょう。高知県には伝統的にそういう志向があるので、今後、優位性を示せると思っています。

一方で、知識を入れて先端化しようとしても限界のある地域が存在することを政治の責任としては考えていかなければならない。例えば棚田にしている地域などが挙げられると思います。うかつに米の輸入の自由化などすると、集落そのものが消滅する可能性すらある。人々の暮らし、生活をどうするか。守るべきものは守るということを、やはり官としては考えていかなければならないと思います。

古川:農業は「業」と言いながら、実際には「農業」「農村」「農家」という3つの複合体であることを農業政策を立てる際には看過してはならないと思います。農業をどうするかということを議論しているだけでは見えてこないものがあるはずです。

規模化の話が出ましたが、平地でしている水田農業について少し前までの政策は、先ほど尾?知事が言われたようなものでした。機械を個人々が購入すると負担増となるから、皆でまとめて買いましょうと。佐賀県は全国的には、そのお手本みたいな地域で、実際に単位収量あたりのコストは下がっています。皆でやってよかった、という実感はあります。ただ、大きな所得につながっているかというと、そこは悩ましいところです。

しかし、理想だけを言うのであれば、TPPに加盟しようが何しようが、国内のお客様が「どんなに高くても国産を選ぶ」という判断をしてくださるのであれば、何の心配もありません。佐賀は農業が盛んな県の一つですが、それでも世帯比率は2割程度。残りの8割は農家ではありません。知り合いの農家から直接買う米を「縁故米」と呼びますが、佐賀県ではこれがかなりの割合を占めます。都会はまた違った事情ではありますが、まったく農業と関係がないと思っている方々に、国産のもの、地産のものを食する価値や意味を分かってもらうというのが、足腰の強い農業に繋がっていくのではないかと思っています。

湯崎:私は数少ないTPP賛成論者の一人です。国内農業の事情を踏まえても、加盟すべきと考えています。

広島県は中山間地域が多く、佐賀県とは対照的に平均コストでは不利、つまり農家別補償では損をしています。それでも私は、農業を中山間地域における基幹産業にしなければならないと言い続けています。なぜなら例えば工場を建てるだけの労働力がないからです。非常に少人数でやらなければならないこの土地の強みは、やはり農業なんです。

今、目標に掲げているのは、農家の一人当たり所得を500万円まで引き上げるということです。そこまで上げられれば、それなりの生活ができます。ビジネスのいろはみたいな話ですが、そのためにはコストを下げるか収入を上げるしかない。持てる農地には制約がありますから、収入を上げるためには単位面積あたりの収益を上げなければなりません。

「土日に作業するだけで収穫できるから」という理由でコメを作っている兼業農家が多いのですが、それでは1ヘクタールで100万円にしかなりません。これを上げていくには、収益性の高い果樹や野菜にできるだけ転換することです。ただ、果樹や野菜の生産は労働集約的なので、水田と果樹・野菜の組み合わせで一人当たり500万円という収入を作り出していく。これがあって初めて産業として成り立ちます。そこから始めなければならないと思っています。

国と地方の関係性はどう変容すべきか(上山)

上山:ありがとうございました。ここで尾?さんが公務のため退席されますが、センションを続けます。後半の行政が果たすべき役割、国と地方のあり方について議論を移していきましょう。

先ほど、龍からキングギドラへということで多様性の話がありました。各地の状況はあまりに違うので、全国一律、東京発の政策だけではもうやっていけない。この認識自体に反対される方はあまりいないでしょう。一方、国は非常におぼつかないことになっていて、方向性が定まらない。すべての政党が「国から地方へ」には言及している。けれど、現実が寄り添っていきません。

これに痺れを切らすようにして、道州制の議論が出てきたり、大阪や名古屋のように経済力のある自治体が独立していく都構想を掲げたり、といったことが起きています。新潟県も同じようなことを言っていますね。そんな、地方から日本を変えよう、あるいは、国が動かないなら地方だけで動こうという流れについての、お考えを聞かせてください。

古川:「国から地方へ」ということはどの政党も言いますが、どの政党もしてくれません。1つでもいいから、実行してくれる政党があればいいと思っています。それがなぜ進まないかというと、我々の社会の仕組みはどの団体も実は中央集権だからです。

例えば障碍者雇用は、国ではハローワークの仕事になっています。ハローワークがやるとどういうことになるかといえば、仕事を探している人のことを一生懸命考えてしかるべきなのに、彼らが考えるのは、まず、障碍を持っている人を雇ってくれる企業に対して、失礼があってはいけないという配慮なんです。だから、この人に合っているという仕事、少し頑張ればできるようになるというような仕事は紹介してくれません。絶対にこなせるというものをしか、紹介しないわけです。訓練すればもっと可能性が広がるはずなのに、「いやいや、訓練の途中みたいな人を紹介できない」と言われてしまいます。

しかも、ハローワークで障碍者雇用を担当しているのは、ほとんどが非正規雇用の人なんです。というか、あまり知られていないことですが、ハローワーク自体が非正規雇用がもの凄く多い職場なんです。すべての方がそうとはもちろん言いませんが、非正規雇用ではなかなか腰を据えては取り組んでいただけない。我が国でなかなか正規雇用が進まないのは、私はハローワークに非正規雇用の人が多いからじゃないかと思っているほどです。

私たちは地域に住む障碍者にとって、一生涯の責任を果たしたいと考えています。そういう気持ちで向かいたい。私は地域主権というものは責任を持つことだと思っています。権限でも財源でもない。責任を取らせてくれと言っているだけなんです。そういう覚悟でやっている。

それから、保育所の設置基準をとっても、終戦後すぐにつくられたような「1名当たり3.3平米」といった基準があって、これに満たさないと認可外の保育所になってしまいます。例えば東京都と佐賀県では、乳児に求められる面積はまったく違っていいはずです。そういったものが同じ基準になるのはどうかと思うし、認可外は保育のレベルが低いかというとまったくそんなことはありません。

こういうこともありました。地方分権改革推進委員会で、東京都の猪瀬直樹副知事が委員になっていて、当時、この規制についての担当だった女性局長が呼ばれました。その局長は、のちに障碍者郵便制度悪用事件で起訴されて無罪になった村木厚子さんです。彼女はご自身のお子さんを認可外の保育所に預けていらっしゃいました。それはもちろん責任者になってから預けたのではなく、若い頃の話ではありますが、保育所の規制の担当局長が、かつて自分の子どもを認可外の保育所に預けていたわけです。私は彼女に敬意を持っているし、まったく悪く言うつもりはありませんが、一つの象徴的な出来事としてご理解ください。

ご来場の方々の中にも夫婦共働きケースが多いでしょうが、皆さん方のように比較的収入の高い方が認可保育所に預けると、高額な負担を強いられるかと思います。それを知らずに一人目の子どもは認可保育所に入れたけれども、二人目の子どもは認可外に預けている方が圧倒的に多いでしょう。少なくとも県庁職員はほぼ全員そうです。二人とも認可保育所に預けている人はほとんどいません。

実情に即していない設置基準から外れるからといって、あたかも法律違反のように認可外に追いやるのはおかしい。だからといって保育所を増やすようなことも、もうやめてほしいと思います。というのは、佐賀県内の待機児童はゼロなんです。もちろん年度の途中に若干の待機児童が出てくることもあります。でも、4月1日の時点ではゼロです。それなのに、「子ども手当てを保育所整備に回せ」というようなことを言われると、馬鹿々々しく思います。子育て支援に使ってほしいのであれば、その使い道は市町村長に任せるべきです。

子ども手当てを配りたい自治体はそうして構いませんが、例えば学校給食費の滞納の問題がありますよね。あれは所得がありながら納めない人が、結構います。そういった人たちに給食費を徴収に行くのは、正規の教員です。つまり教員が本来なら採点をしたり、子供たちに向き合う時間を、給食費の徴収のために潰しているわけです。これは誠にもったいないことだと思います。家庭訪問の代わりになっているというメリットはあるのかもしれませんが、給食費を払っていただけない家庭ばかり頻繁に訪問することに時間を費やすよりは、学校給食費については子ども手当から天引きしたほうが、はるかに教育そのものに向き合えるに違いありません。

子ども手当ての使い道は政府が決めるのではなく、実際に子育て支援の担い手である市町村に任せてもらえないか。そして議会で議論して配るなり、配らずに施策に反映させるなりして、その責任は市町村で取ってもらえばいいのではないないかというのが、私の地域主権の考え方です。

上山:どうすれば、日本をそういう国にできますか?

古川:まず諦めず。言い続けることです。そしていつかは実現すると信じて、とにかくずっと動き続けるしかないと思います。私はマニフェストの責任者なので、民主党が政権を取る前に全国知事会でいろんな政党とやり取りして、その時点においてはかなりやる気を見せていただいていたんですね。ところが残念なことに実現しませんでした。今後もいろいろな選挙がある度に、新しい政権が生まれてくるだろうと思います。そして、その度ごとに私たちがずっと言っていかなくてはなりません。そのためには何より今できるところで、実際に任せて良かったという実話を作り上げなければいけないと思います。将来の可能性をイメージして議論するのではなく、私たちに一番求められているのは、現行制度の中でこれだけできているという実話だと思うんです。

小さな例を一つお話ししましょう。パスポートは概ね都道府県庁が発給していますよね。東京都であれば新宿にパスポートセンターがあります。これが分権改革の一環で、市町村でも受付や交付ができるようになりました。いまだにコンピューターは県にありますが、佐賀県ではすべての市役所と町村役場で、受付と発給をするようにしました。これまでは県庁に来てもらって受付して、交付するまでに6日間かかりました。それを市町村で受付して、交付するまでに5日間でできるようになりました。1日短縮したんです。

実際にパスポートを申請する人から見たら、戸籍は必ず必要になります。戸籍を取りに行くには市役所、町村役場に行かなくてはなりませんが、県庁に行く必然性はありません。それはおかしいので、僕は前からずっと旅券法の改正要求を出していて、やっとできるようになりました。そして市町村で、パスポートの受付と交付を始めたわけです。そうすることで、これまで県庁所在地の佐賀市以外に住んでいる人は、パスポートセンターの出張窓口が設けられる日(1週間に1度ぐらい)しかパスポートの申請ができなかったものが、毎日申請できて、しかも県庁に申請していた頃よりは、発給までの日数が短くなっています。

旅券の発給を担当している職員たちと話をして、1日に発給できるパスポートはそれまで80枚ぐらいだったものを、100枚以上にすれば時間が短縮できるとわかりました。市町村から送られてきて、また市町村に送り返すことになるから、その分の時間のロスがあることを考えると、もともと1.5倍の生産性にしなくてはならない。これをどう解決するということで議論をしていきました。例えば、パスポートの申請書はセンター内で各市町村別に並べられますが、県庁所在地の佐賀市が一番最初にあって、次に唐津市といったように、人口の多い順になっています。人口が多い市は申請も多くなります。ところが人口の多いところが作業場所から一番遠くにあると、その紙を取るだけでも時間がかかるという話になりました。だから一番枚数の多いところを、自分たちが処理しやすい一番近く置けば、それで時間が数秒間短縮できるということになりました。何かトヨタの工場のようなカイゼンをやり始めたんですね。

それから、旅券のパスポートの申請書はいまOCRになっているので処理は速いですが、きちっと数字が読み取れなくて弾かれるもののチェックで時間がかかることがネックになっていました。そこで、何が原因で弾かれることが多いのかよく調べてみました。すると、受付の際に受付印を押しますが、それが滲んで数字が判別できなくなることが分かりました。県庁が市町村に仕事を頼むときに、スタンプ台も一緒に配っていますが、このスタンプ台を入札で決めたことによって、安い中国製のものが入ってきたことでスタンプが滲んでしまい、読み取りエラーを引き起こしていました。品質の良い日本製のいいスタンプ台に代えて配り直したところ、その滲みがなくなって、読み取りエラーで弾き出されるものが激減しました。

これはあくまで例に過ぎませんが、こうした取り組みをしていくことによって、お客様から見たときにも、また働く職員から見たときにも、生産性は上がるし、残業は減っているということで、好循環が生まれてきます。このような実話をいろいろな場面で増やしていくことが、地域主権を理解してもらえることに繋がると思っています。

上山:ありがとうございました。湯?さん、お願いします。

求められるのは地方主権にかかる「理念」(湯_)

湯崎:トップダウンとボトムアップがありますが、ボトムアップでいえば、政策に関しては地方には自由度があります。要するに予算を使って何をやるかというのは、ある程度自由にできます。私たちの県では一般会計ベースで1600億円ぐらいの政策的予算があって、そのお金はある程度自由に使えるわけです。まずこれをどう組んでいくかという問題があります。

例えば、国においても留学生を増やさなければならないとか、若者が内向きになって外に行かないとか、グローバル人材をつくらなければならないと言われますが、何をやっているのかよく分かりませんよね。

広島でもまったく同じ課題を抱えています。そこで、平成23年度予算で何をやるかというと、広島県の公立高校に海外の高校と姉妹提携を結ばせて、交換留学を進めていきます。広島県立の高校は80数校ありますが、3年くらいかけて全校に広げていきます。毎年80人くらい海外に行くようになります。産業人材の面では、企業が社員を研修に出す場合、研修そのものにコストと人件費がかかります。国内でもいいですが、できれば国外の大学や研究機関に人を送ることを推奨しています。それに対して年間の上限400万円まで、研修費や人件費を補助します。これで年間30〜80人くらい、そういった研修ができるような予算を組みました。これを10年やれば、数百人になります。

あるいは、瀬戸内・海の道構想を実施しようとしています。瀬戸内海を一つのエリアと捉えて、観光客を呼び込む取り組みです。これは広島県が提唱して、他の県と共同でやろうというものです。そのためのプラットフォームは、従来の都道府県や道州という枠を超えた、経済的な結びつきの中での特別公共団体のようなイメージです。具体的には、瀬戸内海のブランディングなどをコントロールします。民間企業から、こうしたことに土地勘のある人材を巻き込み、「チーフ瀬戸内海オフィサー」のようなものを作って、彼らに権限を与えてやっていきたいと思っています。

また広島県は、県から市町への権限移譲が最も進んでいる地域の一つです。この中には、「国からは市町村には渡せない」と各省庁が抵抗しているものも、いっぱい入っています。しかし私たちは事実上、渡しているわけです。本当はできることなんです。そういうことをいっぱい積み上げていきます。

一方、トップダウンということを考えたとき、何より求められるのは地方主権にかかる「理念」だと思っています。なぜ地方主権にしなければならないのかということが、国としても、国民的コンセンサスとしても、はっきりしていません。私は日本がこの先、発展していくためには、頭を8つか9つくらいは作らないと無理だと考えています。多様性のなかから生まれてくる進化論的な発想をしないと、これからの発展はないでしょう。では政権政党である民主党はなぜ地方主権を進めるのかというと、理由があまり見えないんです。この「なぜやるべきか」ということをきっちり議論して定めないと、各論に入ったときに省庁の抵抗に遭って物事が進まなくなってしまいます。この基本理念を定めることも、ボトムアップでやっていこうと思っています。

古川:私は日本という国が必要ないとは、微塵も思っていません。国は大事なんです。グローバルな競争が激化している中で、国は国でしかできないことに集中してほしい。これは国に対する私たちからの最大のエールなんです。

例えば、外務省の在外高官の人数が現状のままでいいのか。2倍、3倍、いらないのか。防衛も大丈夫なのか。高等教育にお金も人材も投入しなくていいのか。小惑星探査機「はやぶさ」を打ち上げるのは、県では到底、無理です。そういった、国でしかできないことに特化してもらって、そのかわり、「あとは頼むね」「それは知らんけんね」と突き放されて構わないと思っています。そうしてもらえば、私たちも国に信頼感を持って安心できるし、つまらない争いをせずに済む。それは必ず住民の方にとっても喜んでいただけることになります。

住民の負担は増えるかもしれません。だから、私は地域主権が「バラ色だ」とは言っていません。「バラバラ色」だと言っています。仮に九州に道州制を導入したら、九州の税負担が増えるでしょう。それでも物事を決められるということが、そのリスクをしのぐんです。北欧でいえばスウェーデンは人口が900万人ですから、九州は人口が1500万人で道州制がなんとか成り立ちます。1億2000万人以上いる国で、消費税率が20%の国を私は知りません。

上山:一国多制度、多様性がないと、日本全体が生き残れないということですが、日本は江戸時代に300の藩に分かれていて、多様性がありました。通貨も別々だったし、徳川幕府が何から何まで決めていたわけではありません。やがて薩摩藩は貿易をし、長州は技術開発を進め、それぞれ個別に欧米列強と戦って、敗れ、その末に薩長連合を組んで、地方から江戸に攻め入りました。そして、国のかたちを変えていきました。それに対して当時の清や朝鮮の王朝には地方分権的な形態がなかった。そのため外国から攻められ、頭を食われて植民地化しました。やや単純化した話ですが、このように語られることがあります。

グローバリゼーションやアジアでの競争など、激しい国際情勢があるからこそ、地方分権、あるいは地方の独立が必要だという議論が少しずつ出てきています。G1サミットはまさに、グローバルというところに軸を置いています。そしてもう1本の軸足が、地域です。海外との関係、あるいは国際競争という観点から、地域が果たすべき役割がありそうです。いかがでしょうか?

湯崎:私もあると思います。例えば、広島県は中国の四川省と26年前から友好提携の関係にあります。それを発展させるために、私自身も中央の中国共産党を訪れたりしています。向こうからすると、私が若くて新しい政治家だと思っているようで、大事にしてくれるんですね。そういった地方の取り組みによる層の厚さが、国全体に貢献しているはずです。そういうなかで、中国と広島の関係が経済的にも社会的にも発展に繋がるでしょう。ほかの県、ほかの地域がそれぞれでやってもいい。そういう取り組みをしていくことが、先程の話に出ていた頭をいっぱい作るということだと思います。

上山:海外もまさに頭がたくさん出来つつあるわけですよね。こちらも頭をたくさんにするということですね。

湯崎:その通りです。

上山:残念ながら、ここで時間になってしまいました。皆さん、また会いましょう。

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