第2回あすか会議初日は、ケンコーコム、ネットエイジグループ、フィル・カンパニーという3社の創業社長が登壇し、事業創造に係る紆余曲折を率直な言葉で語った。「起業は特別なことではない」「失敗するリスクより“始動しないリスク”のほうが大きい」など、3者の力強いメッセージを、講演内容より紹介する(文中敬称略、登壇者の肩書きや発言は開催当時のもの)。
「当事者として、自らビジネスの世界のパラダイムを変えたかった」(後藤)
■まず、自己紹介から。
西川 8年前、39歳で起業した。その前に会社員として4社、経験している。東京大学卒業後、通信会社に3年、官僚主義的な社風に耐え切れず、コンサルティング会社に移って6年。しかし、当事者としてではなく、アドバイスだけに終始することに居心地の悪さを感じ、よりビジネスの現場に近い環境への転職を切望するようになった。
その頃、米国のアントレプレナーシップ(起業家精神)に触れ、自ら起業したいと思うようになっていたが、起業に至るほどのテーマにはなかなか出会えず、もんもんとしたまま結局、インターネットサービスプロバイダー(ISP)の立ち上げなどで更に2社を経験した。このISPの立ち上げ経験から、「インターネットには空前絶後のビジネスチャンスがある」と確信、1998年2月の「ネットエイジ」創業に至った。ネットエイジは、インターネット関連ビジネスのインキュベーション(孵化、新規ビジネス立ち上げ支援)を生業としている。現在までに24社の創業に関わり、IPO、バイアウトを多数、実現した。最近では例えば、ミクシィの前身イー・マーキュリーもネットエイジが立ち上げに関与した会社だ。
後藤 健康食品などを扱うインターネット上のショッピングモール「ケンコーコム」を運営している。創業は1994年。当初は「ヘルシーネット」という名前でダイレクトメールを使った通信販売を行っていたが、その後2000年に、ウェブを使うB2Cサイトとして「ケンコーコム」を開設した。2004年6月マザーズ上場、2006年3月期の売上高は47億円まで拡大している。
僕自身は1989年に大学を卒業、バブル絶頂期にコンサルティング会社に入社した。システム担当から始めて、3年目から戦略コンサルタントに。最初は成長戦略、新規事業を多く扱ったが、丁度、バブル崩壊と重なり、1992年頃からはリストラや再生系の案件を任されるようになった。この時期、米国で起業ブームが起きており、「コンサルタントとして人にアドバイスするだけではなく、ゼロから自分で事業を興すのも面白いかもしれない」と思うようになった。大企業の再生案件などとして古いパラダイムを新しく作り直す作業をするなら、自分が新しいパラダイムに乗ろう、そんなふうに考えたのだ。そこで、大分にある実家が製造・販売していた霊芝を使った健康飲料などを扱う、ヘルシーネットから始め、試行錯誤しながらEコマース市場拡大の波に何とか乗ってきた。
松村 東京工業大学を卒業後、4年間、コンサルタントとして経験を積んだ。その後2年間、フリーになって事業のタネを探した。28歳でフィル・カンパニーを起業。まだ創業1年の若い会社だ。駐車場の、今は使われていない“空中部分”をオフィススペースとしてプロデュースするというビジネスを進めている。2006年3月に東京・八重洲にモデルルームを作るところまで、こぎつけたところだ。
■会場に質問したい。「起業家」からイメージする言葉は。
会場 「リスクを恐れない」「強い使命感」「ポジティブシンカー」「好奇心旺盛」「メンターの存在」「人を巻き込む力」「先見性」「タフ」・・・
■信念、使命感に起因するモチベーションの高さや、リスクを恐れないタフな精神に言及するキーワードが多く挙がった。お三方は、何に突き動かされ起業したのか。また、リスクを恐れる気持ちはなかったのか。
西川 何度か転職を繰り返し、「このままいくと軸のないキャリアになる」と、それが不安だった。その一方で、幾つかの会社での経験から、会社勤めが自分の性に合わないことにも気づいていた。ならば、自分で自分が働きやすい環境を作ろう、自分にとっての理想郷を作ろうと、そんな想いから起業した。ただ、起業したときには子供も3人いたし、家族を路頭に迷わせるようなやり方はしないようにした。具体的には、起業時に借金をしない(出資を受ける)こと、自分と家族が最低限生活できる所得水準を保つようにすることで、可能な限りのリスクフリーを目指した。「起業のリスク」というと、随分と大きな話のように聞こえるが、実際にはこの程度のことで回避できる。そう考えると、起業して失敗するリスクよりも、起業のタイミングを逃して後悔するリスクのほうが僕にとっては大きかった。最近はベンチャーキャピタルが上手く機能するようになってきており、彼らから出資を受けることでリスクヘッジはしやすくなっている。起業家にとっては追い風ではないか。
後藤 僕も(起業することが)大したリスクとは思っていない。確実に上手くいくという自信があったわけではないが、人より先に始めれば、成功しても失敗しても何がしかのノウハウは得られるだろうと、考えていた。自己資金だけで小さく立ち上げ、借金をせずに回せるビジネスプランを考えたので、お金に関しての不安はなかった。それより、新しいことを始めたい、5年後も、10年後も、社会に残るビジネスの新しい形を作りたいという想いのほうが強かった。
松村 リスクが何かという解釈は人によって異なる。僕にとってのリスクは、自分の人生にこれといった軸がない状態になること。やりたいことを一つ定め、ひたすらに邁進する人生を歩みたい。今の日本では、失敗したからといって、それで死ななければいけないわけではなく、手段さえ選ばなければ食っていくことは可能だ。だったら、まずは挑戦したほうがいい、青臭くても理想を掲げ、愚直に突き進んでみたい、そう思った。
■そうは言っても、起業家に向く人と向かない人というのはあるだろう。
西川 確かに物事を0から1にする人と、1から10にする人とでは、人としてタイプが違う。どちらが得意かぐらいは自らで見極めるべきだ。
後藤 起業というと、すぐリスクについて語る人がいるが、(そのように)リスクを考えすぎる人はやらない方がいい。それから、年収を気にする人。ベンチャー企業の採用面接などで、待遇やポジションを気にする人は、ベンチャー向きではないと思う。
松村 自分は「0から1」というところにロマンを感じてしまうタイプ。西川さんが言われるように、これと、「1から10にする」ところは、仕事の仕方がかなり違うと思う。0から1を生み出すには、こだわりが強く、頑迷な人が向いているかもしれない。
西川 起業には大きく2つのタイプがある。誰もやったことのない全く新しいビジネスと、既存のビジネスに改良を加えて新規参入するもの。僕は前者に魅力を感じるが、どちらが良いかは、それぞれが自分で選ぶといい。
「顧客や周囲の人への思いがモチベーション維持の源泉」(松村)
■事業のテーマやコンセプトは、どのようにして探したか。沢山のアイデアから選んだとしたら、その絞り込み方など、教えてほしい。
西川 僕は起業願望が強かったが、肝心のテーマと巡り合えず、5年以上も探し続けた。だから、この質問は身につまされる。事業のタネは自分の知識や経験の中からしか出てこないので、経験の浅い分野で考えると素人っぽいアイデアばかりとなってしまう。今、考えると赤面ものだが、インターネットの商用利用が始まる前に考えたアイデアを2つ、紹介したい。1つは、プランターなどを工夫してマンションのベランダを緑化するビジネス。もう1つは、健康志向の高まりを見据えたベジタブルジュースのチェーン展開。どちらもわりと真剣に考えたが、経験がなく、自分の強みを見出せなかったため事業化には踏み切れなかった。そんなときに出てきたのがインターネット。全く新しいものだから、誰もが素人で、誰もが同じスタートラインに立てる。「これだ!」と思って毎日インターネットでの起業アイデアを考え、メモをいっぱい書いて、それをビジネスプランとして膨らませて・・・というのを繰り返した。これが起業につながった。
後藤 僕は西川さんとは対照的。まずは会社を作る経験がしたかったので、始めやすいところから始めた。親がやっていた会社に、あまり売れていない健康食品があって、モノは悪くないが売れていない。だから、これを通信販売で売るところから始めた。そこそこ伸びてきた頃にインターネットが普及してきた。僕はコンサル時代にITもかじっていたので、当時としては珍しい、「ネットも健康食品の通信販売も分かる人間」だった。それで、「これなら勝てる」と思い。ケンコーコムの立ち上げに踏み切った。
■「リスクは恐れない」と言っても、実際に事業を興せば、予期せぬことはいろいろ起きる。
後藤 苦しいことは山ほどあった。僕は資本金1000万円から始めたが、最初は週刊誌などに記事中広告を出稿して、無料サンプルの利用者を募った。1本30万円ぐらいかかり、「明日から問い合わせがジャンジャン来る」と待ち構えていたら、最初の日はたった2件しか連絡がなくて、泣きそうになった。「これを3~4カ月続けたら、何もしないうちに資本金が尽きる」と。本当に怖かった。しかし、試行錯誤するうちにダイレクトメールと雑誌広告の出稿バランスなど、効果的な方法が見えてきて、費用対効果も割に合うようになった。
僕は試行錯誤することに楽しみを覚えるタイプ。起業というのは、真っ暗闇の洞窟をさまようようなものだが、試行錯誤するうちに光は見えてくる。その瞬間が楽しくて仕方ない。苦しい時が長いほど、後の喜びは大きいので、それをモチベーションにしている。
松村 建築・不動産は比較的、体質の古い業界で、人間関係がウエット。信頼を得るためには、事業に最後までコミットする責任感が必要。「モチベーションが下がった」などと甘えてはいられない。それに、顧客や支援してくれる人のことを考えれば、それが自然にモチベーションにつながる。まだ小さな会社なので、逆にいろいろとチャレンジできる側面もある。苦しいときこそ試行錯誤のチャンスと考え、乗り切っている。
西川 起業直後、1500万円の資金が尽きるまでに売り上げを立てるという綱渡りの時期は、厳しかった。しかし、夜も眠れないというほどではなかった。『起業は楽しい!』という自著にも書いたが、基本的には楽しんでいた。どうしても苦しいとき、悩みが残るときは、社外取締役や起業家仲間に相談した。僕の場合、自分のしたことが仮に表面的に失敗していても、それは神様とか仏様とか、そういう大きな存在が、「今、苦労しているのは、後で成功するために、どうしても必要なこと」とメッセージを送っているのだと考えてしまう。だから、本気で滅入るようなことはなかった。
■メンターとの付き合い方や相談の内容は。
西川 起業したのが30歳代後半だったこともあって、「メンター」という存在はいなかった。あえていえば、先にも話した社外取締役がメンター。悩みがあると常にフランクに、何でも相談していた。
昔は「メンター」という言葉は、それほど一般的ではなかった。しかし最近、「メンターになってください」と頼まれることが増えた。何か縁があったり、出資していたりすればメンターにもなるが、知らない人にいきなり頼まれてもちょっと・・・。例えば学校の後輩なる人からいきなり電話がかかってきて「メンターになってください!」と頼まれたことがあった。「これから毎月1回、ぼくとランチしてください。その場でいろんな相談をさせてください」と。半年くらいランチをしたが、その後、連絡は来ない。もう必要なくなった、ということなのか(苦笑)。
松村 僕はまだ起業したてなので、自分自身の父親を含め、色々な人に相談する機会を意識的に作るようにしている。その際に気を付けているのが、正直になることと、事実を正確に伝えること。その上で複数の人からアドバイスをもらい、自分がどの意見を採り入れるのかを考えている。
後藤 企業を経営していると、様々な悩みが出てくる。悩みの種類ごとに、相談する相手は異なる。だから、日頃から様々な分野にネットワークを張っているようにはしている。
「出会いは不思議。必要なときに必要な人と出会えるようになっている」(西川)
■先ほど「起業家」で想起するキーワードに「人を巻き込む力」というものがあった。仲間を集めたり、やる気を出させたりする工夫は。
西川 人材の確保は、どんな企業にとっても悩ましい問題。僕は、社長一人、正社員ゼロ、後は学生バイトばかり、というところから始めた。その後、ある程度の売り上げが立ったタイミング、16人目で初めて正社員を採用した。そのぐらいの規模にならないと、優秀な正社員は採れない。
組織については、自然にできてくるという側面がある。ネットエイジでは、学生バイトばかり数十人というチームでも、いつの間にかリーダー格が出てきて、組織として機能するようになっていった。
後藤 起業時、前職の同僚などにも声をかけたが、家業(の健康食品会社)を継ぐようなところからのスタートだったので、わざわざ一流企業から転職してくれるような物好きは居なかった。そこで、親戚の知り合いとか、縁故を頼ってアルバイトをお願いした。「あそこは働きやすいよ」という評判ができると、アルバイト希望者が増える。業績が上がると、「正社員として働いてもいい」という人が出てくる。そうこうするうちに、ネットバブルが来て、Eコマースがブームになって、前職の同僚なども入ってきてくれるようになった。わらしべ長者のような感じだった。
松村 僕はパートナーと2人で創業した。あとはアルバイトだけ、というのは皆さんと同じ。(モデルルームとして)1軒、建てたところでマスコミに取り上げられ、それを契機に注文が来るようになった。業務がパンクしそうになったところで、優秀なアルバイトが正社員になってくれた。
西川 人との出会いというのは不思議。なぜかは分からないけれど、必要なときに、必要な人と出会えるようになっている。そういう経験を幾度もしている。
後藤 それは僕も同じ。困っている時というのは、会社にとって明らかに重要なポジションが空いている時。その仕事が得意と思う人にとっては、やりがいのあるポジションに見えるはずで、そんなふうに上手く噛み合うようにできているのではないか。
■立ち上げ当初は人材の確保が難しいが、成長し始めると優秀な人も入ってくるようになる。初期に入った人材が、後から入った人材より能力が劣る場合、どのように対処するのか。
後藤 ケンコーコムは社内で上下関係をほとんど付けていない(階層を複雑にしていない)ためか、あまり問題は起きていない。大切なのは、チームとしてどう動くかということであり、従って社員を採用するときには上下関係ではなく補完関係を意識して、チーム全体として足りないスキルを補うようにしている。
西川 当社も幸いにして、そうした問題は抱えていない。ネットエイジは立ち上げた新規事業を、どんどんスピンオフさせていて、過去のメンバー達は、そこで経営者となっている。人材と事業が、良い形で新陳代謝しているのだ。
「クレイジネスがベンチャーの醍醐味。やりたいことをやれるのが強みだ」(西川)
■偶然とは思うが、3人ともコンサルタント出身。起業に与える影響はあったか。
松村 コンサルタントとして養った力が役に立つ場面も、そうではない場面もある。例えばリサーチをしたり、ビジネスプランを書いたり、戦略オプションを出したりといった情報処理は得意だし、役にも立っている。ただ一方、コンサル時代はどうしても他人のビジネスに横から入る立場だったので、当事者としての心の強さは養われなかったように思う。例えば、客観的にリスクを分析することで、目をつぶって飛び込む勇気が削がれてしまったりすることがある。
後藤 コンサルティング会社に持ち込まれる案件は、全体としては上手くいっている会社の中で、少し上手くいっていないという部分。こうした案件を数多くさばくなかで、事業がどういうところでつまずくかというポイントが分かった。それが収穫だったと思う。
西川 ネットビジネスは様々な業界を変革する可能性を持っている。コンサルタントとして様々な業界のビジネスモデルを根本から見直す経験を多くしてきたので、業界ごとに、どういう形でインターネットを導入すると上手くいくかと、ビジネスプランを発想する材料を、人よりは多く持っている。また、ベンチャーキャピタルへのプレゼンも上手いと思う。他方、松村さんの話にもあったが、ロジカルに考えるとリスクが見えすぎてしまい、怖くなるということはあるだろう。
■コンサルタントとして大企業の戦略を作っていた過去と比して、大企業とベンチャー企業の戦い方の違いを聞かせてほしい。
後藤 一筋縄ではうまくいかないことを、試行錯誤して何とかするのがベンチャーだと思う。大企業では失敗すると怒られるので、試行錯誤をせずに、お金をたくさん入れて成功させようとする。ベンチャーはいくら失敗しても誰にも怒られないので、試行錯誤して失敗し続けられる。それが、僕らの特権でもある。
西川 クレイジネスがベンチャーの醍醐味だ。やりたいことをやれるのがベンチャー。従って、大企業のようにロジカルに考えるより、クレイジーにやるべきだと思う。
松村 大企業は戦争だが、ベンチャーはサバイバルに近い。全く違う。日々生き残るのに必死だし、そういう戦い方だ。
「購買行動の変革に一石を投じた企業と言われたい」(後藤)
■それぞれにとってのゴールは?
後藤 健康関連商品のEコマースをやっているので、将来、「購買行動を変えるのに一石を投じた企業」と言われたい。あとは、近所のゴミ捨て場でうちの段ボールを普通に見られる(ぐらい、あちらこちらで使われる)ようになると嬉しい(笑)。
西川 インターネットの応用範囲はまだまだある。そういう新しい事業を生み出すスタートアップファクトリーとしてのスタイルを獲得したい。ネットエイジでそういうスタイルを確立させられたら、いずれはネット以外の起業にチャレンジするかもしれない。
松村 都内には3万軒の駐車場があるが、その空中はほとんど使われていない。これからネットを通じた新しい事業がどんどん生まれてくると思うが、僕自身がネットで起業するには乗り遅れた感じがあるので、そこから生まれてきたものを東京のリアルな土地に落とし込むところをやりたい。
■「会社は社長の器以上にはならない」と言われる。自分の器を拡げるために何かしているか。
後藤 「考える器」は、試行錯誤の回数を増やすことで拡げている。「対人的な器」は、人それぞれの悩みなどにもっと触れて、理解する幅を拡げたいと思っている。
西川 僕はそもそも、規模よりもクオリティを重視したいので、会社を大きくしたいとは、あまり思っていない。人それぞれ理想があるので、個々人の価値観で決めればいいことだと思う。ただ、折に触れて日常業務を離れて会社の将来をプランニングすることは、社長の役割だと思うし、大事にしている。
松村 僕の会社はまだ6人なので、その言葉がピンと来る段階ではない。まだ仲間内でアイデアを実現していくのに必死という状態だ。
■皆さんを筆頭に、日本でも起業家が増えてきた。しかし、世界に突き抜けるようなベンチャーや起業家はあまり出てきてはいない。どう思うか。
後藤 言葉の壁は大きいが、今のビジネスを暖めているうちにグローバル規模になってくる可能性はあると思う。すぐに拡げるのはちょっと難しいが。
西川 そういう起業家になりたいという思いはあるが、具体的なことはやれていない。ネットの世界では特に、シリコンバレーと比較し、起業環境のあまりの差に愕然とする。世界規模のビジネスを立ち上げることを目指している起業家はいるが、そういう人はシリコンバレーに渡ってしまう。個人的には、海外勢がマネできない、日本の独自性を武器にしたビジネスで世界に出たいという思いはある。
松村 事業を立ち上げるのに必死という今時点から「いつかは世界へ」などというと荒唐無稽な話になるので、なかなか言葉にはしづらいが、個人として「いつか世界に」とは思っている。日本では起業を語るとき、リスクについて話す人はとても多いが、リスクテイクした結果、得られるものについて語る人は本当に少ない。そうしたネガティブな面ばかりを見てしまう文化が、世界規模のビジネスを産む障壁となっているのかもしれない。