Part1はこちら:特別企画:ミドルリーダー座談会 -期待役割と陥りがちな思考の罠とは?
Part3はこちら:特別企画:ミドルリーダー座談会 Part3 -優れたミドルリーダー育成の肝とは?
そもそもビジネスを構造的に理解しようとしているか(荒木)
荒木:前回、戦略に対し、「自分がコミットする」、「自分のものにする」といった話が出ましたが、前提として、それが戦略のセオリー、理論や定石を理解したうえのものであるかを整理する必要があるように思います。
自分がコミットするという姿勢は、それはそれで大切です。ただ、全体の中での位置づけもはっきりさせない中で、「うちのチームの売上ノルマは1億円なので、お前はリーダーだし、3000万円は何とか頼むよ」といった感じのコミュニケーションをするのと、環境分析や競合理解といった定石を踏んだうえでの説明をするのとでは、得られる納得感がまるで異なります。
ところがそういった部分は、現場ではほとんど語られていない気がします。MBO(Management By Objectives, 目標管理制度)などを通じてされる上司―部下のコミュニケーションと、戦略論の間に乖離を感じている人のほうが多いんじゃないかなと。双方ともそれよりも、いかにうまくコミュニケーションをとっていくかという方向に引力が働いてしまっている。それはそれでもちろん大事ですが、同時に、戦略思考の回路を開けることも必要ではないかと思うわけです。
さらに、残念ながら多くの人が「何から考えたらいいの?」という感じになるというのが実情でしょう。もちろん、競合が何をしているか、自社の強みが何か、など、部分的には頻度高く考えられている要素はあります。ただ総じて、局所戦的なレベルの話となってしまっている。本来は、もう少し先の話があると思うのですが。たとえば、そもそも当該ビジネスがどういったタイプのものであり、エコノミクスはどのように変化しているのか、といった、より構造的な理解です。
戸津:そうですね。ただ、定石的な戦略フレームワークで考えられるものと、ミドルの人たちが日常で抱えているものとでは、いわゆる“粒の大きさ”が違い過ぎるとも思います。たとえば私の下にも経営学の勉強をしている部下はいますが、彼・彼女らに「今の仕事に学んだことを応用したら何が考えられる?」というようなことを聞いてみると、やはり全社的に考える前に、自分の役割に引っ張られてしまう。戦略論を学んだあとであっても思考のスタートは自分の担当になってしまう。
持っている情報量が異なるわけではありません。数字を含め、アクセス権は持っています。そういうことではなく、思考の基点や深さの差みたいなもの。目線の高さの差と言ってもいいかもしれません。もちろん前回、井手さんが言われた“2つ上の視点”に立とうとすることはできても、実際にそこにいる者との間には何か壁のようなものは存在する。この差を丁寧に紐解かず、経営学を学んでいるからというだけでミドルもトップも十把一絡げにしてしまうことは、私は少し危うく感じます。
差異を埋めるために何が必要か、に明確な答えはないのですが、経験を踏むことは間違いなく重要と思います。単に学ぶだけでなく、例えば常に自らの仕事にあてて考え続けること。その場数は徐々に効いてくるのではないかと、今、お話をしながら思いました。
井手:組織の全員が“2つ上の視点”に立って考えられれば、それは理想だとは思いますが、、、ただ現実的には能力の問題もあるし、役割期待の違いもありますから、それを全員に期待しすぎないということも、必要ですね。
飛行機の操縦に例えると、機長はレーダーと窓の外を見つつ、平時は基本的には何も働かない。ただ、もし想定外の天候不良などに襲われたら、迂回策を見出すために最大限、頭を捻る。一方、副機長は示された軌道を外さぬよう目の前のオペレーションに集中する。いかに機長の判断を実現するかというところのみに注力するわけです。
私は、そんな役割分担があってもよいと思っています。つまり、副機長に機長の仕事をさせないほうがオペレーションとしては効率的ですし、この場合、飛行機にとって重要な安全性は高まります。もちろん、業態とか、個々人のスキルセットに依りますが、上が「お前はこの分野だけ考えていろ」と仕切ることで、組織効率が向上するケースもあると思います。皆が、何から何まで考えようとして、足元が疎かになってもいけないかと。
荒木:なるほど。ちなみに藤井さんは、人材採用や育成において“2つ上の視点”、或いは社長の視点に立つことは意識されていますか。もしされているとしたら、どのようにして経営の視界を把握しているのでしょうか。
藤井:まずは、トップの意向を注意深く捉えるよう意識しています。。たとえば、ちょっとしたコミュニケーションのなかで出て来たキーワードなども逃さず、「あの言葉は『こういうことを実現してほしい』という意味なのかな」と解釈してみるわけです。その際、大事にしている一つは、荒木さんが言われたとおり、戦略のセオリーに基づいて考えること。単なる言葉遊びにならないためにも、ロジカルに考える道筋は重要です。もう一つは、ものすごくベタですが、きちんと確認しに行く、ということです。
戸津:ご自身から聞きに行くのですか?或いは、そうした場があるということでしょうか?
藤井:同じフロアにいますから普段から顔を合わせる機会も多いですし、また、当社の社長は育成に対して大きな関心を持っているのでコミュニケーションがとりやすい状況だということもあります。たとえば、人材育成に関する大きな方針は必ず社長に相談しに行きます。「来年の新卒採用者の教育キーワードは、“主体性”で行こうと思いますが、宜しいでしょうか?」といった具合です。繰り返しになりますが、情報を、勝手に想像して脳内でこねくり回すのではなく、戦略のセオリーに基づいてとことん考えた上で、躊躇せず確認する。待ちの姿勢になってはいけないと思います。
井手:コミュニケーションは、やはり重要ですよね。会社ごとに文化は様々ですが、上司から「お前、わかってないなあ」などと思われて評価を下げられないように、「ですよね」なんて相槌でうまくつなぎながら、さりげなく上司の考えを確認する。戦略論からは離れますが、そうした細かなテクニックは色々ありますし、とりわけ、そういうことが事業会社では必要とされるようにも思います。
藤井:競争環境などの変化に即応し、トップの考えも変化する、ということもポイントですね。気が付くと、半年前とは異なるテーマが重要になっていたり。
少し議論を元に戻し、冒頭に荒木さんが言われた「競合や競争については考えられるけれど、本当の意味での戦略を考えることが出来ていないのではないか」という部分について、私は、部下が考えないのは上司の側にも多少なり課題があるかなと思いました。井手さんにしても戸津さんにしても、日常的に、考えさせてみたり、うまく考えを引き出すような投げかけしたり、ということをされていますが、現実には、そうしたことが出来る上司のほうが少ないのではないでしょうか。部下が考える余地も与えずに「アレをしろ」「コレをしろ」と指示をしてしまう。その積み重ねにより、考える習慣がなくなってしまった人も多いのではないかな、と。
戸津:そのほうが、どちらもラクですからね。
藤井:上司は「この範囲内であれば自由にやっていいよ。本当にまずくなったらストップをかけるから」というスタンスを持てるか、そして、部下は失敗を恐れず前向きに取り組めるか。組織文化に負うところも大きいかもしれません。でも、そこも含め何とかしていかないと組織全体が思考停止に陥ってしまう。若い人たちも、折角学んだ戦略を使わないようになってしまうのではないかと感じます。
井手:そこは大きいですね。もちろん個々人のタイプにも依るでしょうが。
藤井:そうですね。言ってもらったほうがきちんと仕事が出来るというタイプの方もいますし。
井手:戦略や、そこから発生する目標を自分のものとした瞬間に、大きな力を発揮するタイプも確実にいます。前職では、そのタイプの部下が仕事内容について確認にくると、常に「なぜそう思ったの?」と聞くようにしていました。「これこれこういう風に考えたので・・・」、「なるほど、ではここは?」といった感じで話を詰めていくのです。
多くの場合、こちらにとっては特に新味のある内容ではなく、既に自分が済ませた分析、理解をなぞるプロセスだったりするのですが、「あ、この仕事は、事業全体の中で、こういう役割を果たしているんだ」と、部下の納得感が高まったり、視点を上げてあげたりすることが重要なのです。さらに言えば、そうしたディスカッションは、なるべく他の部下も見ているところでする。そうすると、「あ、なんか・・・自分もちょっと考えないといけないのかな」と、全体にそういう空気感も醸成されていきます。
トップの意図を確認するうえでもフレームワークは有益(井手)
荒木:先ほど、“2つ上の視点”での解釈の精度を高めるために、一つには経験値がものを言うだろうという話が出ました。「解釈」というのはクリティカルシンキングの領域でも使う言葉ですが、この方法論につき、もう少し考えてみられればと思います。
たとえば社長や上の人が「今年は研究開発の年だ。R&Dにシフトだ」というキーワードを出したとします。それを自分のものにするには、具体的にどういったスキルや行動が必要になるのでしょう。「あ、俺は研究開発部門だからやばい。仕事が降ってくる。どうしよう」みたいな表層的な理解で終わらせないために。
井手:あるいは「自分は研究開発部門じゃないから関係ない。良かった」で終わらせないために?(笑)。
荒木:一つには、情報の非対称性というものはありますね。例えば、社長だけが参加したカンファレンスでの議論の内容やプロセスが思考に影響を与えた、というような。
戸津:(情報量や思考投入の時間が増える)トップの休み明けとか、マズいですよね(一同笑)。
荒木:ただ、仮に情報量が同じでも導き出される解釈が、どうしても異なってしまうという話が、先にもありました。情報をあてる前提というか、セオリーというか、経営フレームワークのような思考回路の組み合わせによって、アウトプットが出てくるんですよね。その思考のスタイルを合わせていくことは可能なのか・・・。
戸津:創業社長は色々なことを思いつきます。ただ、アントレプレナーには多かれ少なかれ似たようなところがあるのだと思いますが、この思いつきは、何の脈絡もない思いつきではないのです。本人が頭の中に長らく培ってきた「もやもやしたもの」に何かがコツンと引っかかり、それまで皆が想像もしていなかったアウトプットが出てくるわけです。そういった特有の思考回路というのがあります。
結果、周囲はどこからそれが出てきたか理解できず、「へ?」となるわけですが、情報の非対称性を埋めるという意味ではまず、「何故ですか?」と質問するしかない。その質問に抜け漏れがないようにするためにフレームワークというのは有用であると私は思います。「あ、競合を見てこう思ったんだ」、「お客さんにこう言われたんだ」、「知り合いにこう言われたんだ」、「社員にこう言われて気づきがあったんだ」といった要領です(笑)。全てに3Cを使えばいいという意味ではなく、思考回路を理解するきっかけを、自身が培ってきたフレームワークで探していくということは、よく行っています。
行動という部分については、まずは一度、話を聞いて「分かりました」と飲み込む。そうやって一度、持ち帰ってから、持てる情報を全て入れ、改めてアウトプットするという作業を行なっていく。で、それを絵にするなり文字にするなりして社長のところへ持って行って、「こないだのお話は、こういうことですよね」と聞くわけです。
一度で理解が噛み合うこともあれば、まるで噛み合わず、自分が書いた言葉尻を捉えて指摘を受ける時もあります(笑)。けれど、そういうやりとりを通して、本当の意味での「あ、分かりました」となっていくわけです。先ほど藤井さんも言われましたが、これは、やはりコミュニケーションだなと思います。ただ、私がそこでいつも意識するのは、自分でも一度まとめたうえで再度アウトプットして、それを見てもらうという部分です。それによって思考範囲を整えていくのはすごく大事な作業になりますので。
そして同じことを、部下にもさせています。自分が言ったことを、彼・彼女なりの整理でアウトプットの形にして持ってきてもらうのです。これにより、全体として進む方向もピタリと定まりますし、やりとりを重ねるうちに目線も多少は合ってくると感じています。
井手:戸津さんの話を伺っていて、前職でプロダクト企画を担当していたときのことを思い出しました。企画担当者は、新商品や新サービスのコンセプトメイクから、実際にモノを作り、販売企画を立て、サポート体制まで構築するという、一気通貫での責任を担うのですが、検討開始当初は、企画側から関連各部に対して、一方的にサービスコンセプトを説明していきます。そのうち、関連各部から戸津さんが言われたような「こう解釈しました」という書類が出てくるのです。その内容を見て、初めて関連各部がどれだけ内容を理解してくれているか、を把握することできます。
たとえばコールセンターであれば「こういう問い合わせに、こう答えます」とか、営業であれば「このような販促物で訴求していきます」とか。場合によっては「やりたいことは分かるけれど、物理的に難しい・・・」ということも多いのですが、これらは企画のコンセプトを関連各部が自らのお題として受取った瞬間です。こういうやり取りを深めていくことで、より良いプロダクトが完成するのです。
私自身、上司の立場の時は、「こんな解釈ですけれども良いですか」というコミュニケーションは歓迎していました。一方で部下の立場であれは、「お前、分かってないな」と思われないようにしつつ、上司との理解を深めるコミュニケーションを行うよう意識していました。個人的に好きな言い回しとして、「と、言いますと?」というのがあってですね(一同笑)。「こんなことやろう」と上司に唐突に言われた際に、「どうしてですか?」と言ってしまうと、「それぐらい理解しろよ」なんていうやりとりになってしまう。そのため、「なるほど。えーと、これってどういうことですかね。。。」といったニュアンスで質問していくと・・・
荒木:相手が勝手に、興が乗って喋る、と(笑)。
井手:そうなのです。「ということは、どの辺りをターゲットに置くのですかね」なんて聞いていきます。つまり、その人が思い付いたアイデアに関して、その人の脳を回転させるのです。その回転させる方向性が、まさに先ほど出てきた「フレームワーク」です。「ということは、競合は社長のなかではどのあたりを考えているのでしょうか?」と聞いてみたり(一同笑)、「新たな物流体制が必要という感じでしょうか・・・」といった、バリューチェーンについて思考を促してみたり。
戸津:私もよく「どの辺を今はイメージしていらっしゃいますか?」とか言いますね(一同笑)。
井手:そんな感じです(笑)。この際、経営の常道や、幾つかのフレームワークに沿って質問をしていけば、上司としても「あ、全体像を持って聞いてくれているな」と感じてくれますし、「上司の頭の中の整理」も促すことができます。
戸津:自分にもスムーズにインストールされてきますよね。自分の枠のなかに相手の情報を詰め込んでいくわけですから。
藤井:フレームワークを使う大きな効果の一つは、足りない部分に気づけることでしょうね。一度、持ち帰った議論も、「次はここを確認しなければ」とか、「この部分について自分で調べる必要がある」などと補強していくことも可能になります。
荒木:フレームワークが効くのは、相手も経営学を学んでいて同じフレームワークを持っていることが前提になるのでしょうか?
井手:いえ、相手がフレームワークに沿って思考しているか否かに関わらず、どちらにも対応できるように「適切な問い」が重要になるのだと思います。「どの辺りのターゲットをお考えですか?」といった、フレームワーク的な思考の枠組みに引き込む「問い」を、意識して行うのです。
荒木:逆に言えば、そこで分りやすい問いに変換できなければいけないということなのでしょうね。「3Cで整理するとどうなるのでしょう?」など、小難しい言葉を振り回す人は、相手の共感を得られない。重要な場面での会話というのは、言葉遣いの一つひとつがとても重要ですから。その時、自分でもうまく説明できないような難しい言葉を出すのか、誰にでも分かるような平易な日本語を出すのか、というのは大きな違いを生じるのでしょう。
井手:前職では、上司から仕事を受け取るタイミングが一番重要だと考えていました。少し柔らかい質問をしながら、その人がどれぐらい深く、そのことを考えているのかを理解するという手法です。
結果的に「いや、今はこれぐらいしか思いついていないのだけどさ」と言われるようなこともあります。そんな時には、フレームワークで全体像を意識しつつ、相手のプライドを損なわないような質問をしながら、お互いの理解を深めていく工程が重要になると思います。
藤井:上司や社内のステークホルダーから言われたことがセオリーに乗っていないと判断できれば、「しばらく経ったらこれは止めることになる可能性があるかも」と考えられたりもします。そうすると、実行上のプライオリティをつける際に、「これは優先順位を下げよう」といったことを自信を持って判断できるようになりますよね。
戸津:同じように、幾つかの重要なマスのうち、例えば一つしか埋まっていないような指示を出されたときには、「これはまだ煮詰まってないな」、「少し置いておこう」などと思える。或いは、こちらで穴埋め作業をしたうえで、「この方向感で行きます」と。そういう意味では、フレームワークというのはすごく使い勝手が良いですよね。
藤井:そうですね。使える道具(手法)が増えて助かっているという感覚は確実にあります。
より良い仕事をするために外部環境と自社の優位性の認識は不可欠(藤井)
荒木:フレームワークに関わらず、経営者と対峙するときに意識している視点あれば、もう少し詳しく教えてください。
藤井:一番はやはり外部環境の変化ですね。自分が一担当者の頃は外部環境についてあまり意識できていませんでした。人事だから社内の人や組織のことをしっかり理解する必要があると思い、内側のことばかり考えがちだったんですね。しかし、MBAを学び、経営者が見ているのは外からの景色であり、彼らが一番注意しているのは外部環境の変化であることが分かってきました。ですから自分も同じような視点を持たないと話が食い違ってしまう。そこは随分と変わりました。
戸津:それが最も大きなところかもしれませんね。内部と外部の見え方がすごく違う感じがします。何をきっかけにしているか。何をベンチマークしているか。新聞や『日経ビジネス』のような媒体によっても上の人たちの意識は刻一刻と変わっていきます。彼らはそういった情報が得やすい環境にいるわけです。「会食で聞いた」とか、そういうこともたくさんある。
情報の非対称性そのものでもありますが、とにかく外部については目線を合わせておかなければいけないと思います。危機意識や優先順位のポイントというのは、原則的にはそういうところから来るわけですから。その辺が上の人と一致しているかどうかという部分は、ミドルが一番気にしておくべきポイントかもしれません。
藤井:もう一つ。やはり差別化というか、優位性というのは戦略でも一番重要ですよね。その視点で考えてみると、たとえば人事であれば「グローバル人材を育てよう」という会社が増えると、自社もそうしなければと思い、横並びで同じことをする。でもよくよく考えてみると、同じことだけをやっていたら差別化なんて出来ない。ですから、もちろん参考にはするのですが、本当に自社の強みを活かすにはどういった人材が必要なのかをまずはとことん考える。そのうえで「他社がやらなくてもうちはやる」「他社がやってもうちに必要のないことはしない」という意識で、人の育成や採用について考えていかないと駄目だなとは思います。とにかく横並び的な発想からいかに差別化していくかも意識する必要があると考えています。
荒木:私も、もともとは人事だったんです。商社で人事をやっていたのですが、どうしてですかね。たしかに業界問わず、人事というのはものすごい横並び意識がありますよね。
藤井:そうですね。「あそこがこの制度を入れたからうちも」みたいな。
荒木:「今は360度評価らしいぞ」とか(一同笑)。
藤井:そこに安心感があるのかもしれません。「まわりの会社の同じことをしていれば」という。
荒木:360度評価を入れた成功事例として、「当社はこういう風にやって良いことがありました」なんていう競合の話が人事系の雑誌に出ていたりすると、もう「やばい、やばい」と(笑)。
井手:これに関連して、ちょっと別の観点ですが、ビジネススクールの卒業生を見ていると、フレームワークを形式上だけで使って、脳を使わないという人がものすごく多いような気がしています。
実際、外部環境分析というのは本当に大事です。ただ、その分析の結果として何を解きたいかというイシューそのものが的外れであったら意味がありません。例えば、新規成長領域を探すという事業環境と、衰退事業で生き残りを考えるという事業環境では、イシューが異なると思います。自社の戦うドメインに合った外部環境分析を行うためには、まず何を解くかというイシューを正しく設定し、そのイシューに合った考える枠組みに、フレームワークをつくり変える必要があります。
それが出来るようになるためのプログラムを、ちゃんとビジネススクールで学んでいるはずなのですが、実務に戻ると相変わらずひと通りの5F分析やら何やらをやるだけで、結果としては「それで?」という話になってしまう。本来はどんなことを解きたいかという目的で情報を整理し、そこから意味合いを抽出することが重要なのですが。。。
荒木:その辺がまさに私のクラスでも伝えようとしていることです。とにかく何についてでも良いんです。自分が何か新規事業を興すときや会社を変革しようとするとき、「何を考えるかという自分なりのフレームワークをつくりなさい」と、私はクラスで教えています。借り物ではいざというときに絶対、活用できませんから。そのためにはまず自分で手を動かして、形にして、色々なフレームワークを挙げてみる。「一度咀嚼してから出さないとモノにならない。だからとにかくやってみろ」と。
しかし一部の人たちを見ていると「まず5Fをやって、次に3Cで考え、そのあとバリューチェーンをやって」という風に、なんというか、フレームワークを並べるだけのような感じになっているんです。もちろん最初の一歩としてはそれは大事なんです。少なくとも今まで見えなかったものが徐々に見えるようになる。その過程は大事だし、そこは決して否定しません。ただ、実践においては、その先が大事なんです。井手さんが仰るとおり、フレームワークというのは、その裏側に問いがあってこそ、効果を発揮するものです。5Fでも何でもいいのですが、どんな問いに答えるための分析なのかと。重要なのは問いとフレームワークの関係性です。まずは問いをしっかり分解したあと、それを押さえるためにフレームワークが出てくる。そういう考え方であって然るべきなのですが、やはりある種の弊害が出てきます。3Cや5Fといったフレームワークの引力が強いあまり、そこで問いについて考えずに終わってしまうという問題があると思っているんですね。
それは先ほど申しました通り、経営者と向きあったときに出てくる問いとも恐らくリンクしている考え方だと思うんですね。ただただ5F等をやっただけの人は、それらを上手く使いこなせません。聞くべき問いが出てこないんです。これは学びのステップ論だと思うので、決してツールを使って考えるアプローチそのものを否定しているわけではないのですが、MBAを卒業するくらいになるまでには、フレームワークを使う脳みその柔軟性が大変重要になると私は思っているのです。
戸津:これは私自身も同様だったのですが、現在MBAに通っているメンバーを見ていて感じることがあります。まさにステップ論の話だと思うのですが、私は“守破離”というアプローチが好きなんですね。私は原則としてメンバーなどには「あいうえおレベルや歯磨きレベルで習慣化させなさい」と言っています。「見なくても言えるレベルで言語になるまで身に着け、素振りをしなさい」と。そのうえで工夫をしていくうちに、やっとオリジナリティが出てくると思うんです。私自身もその辺を理解したうえで進んでいかなければいけないのかなと思っています。
自分自身もそうだったのですが、フレームワークを覚えると最初は楽しいですよね。今思うと穴埋め問題をすべて埋めたような快感に近いのかもしれません。綺麗に整理出来た感覚がありますし、何か小利口に映る部分もあったりして。それで縦横斜め問わず、そういう絵を持って色々なところへ説明に回っていくわけです。実際にやっているんですよ(笑)。でも、そこから出て来たことは何か。それは荒木さんが仰っている通りです。相手の理解を得たり、自分なりの理解は出来るのですが、そこからの問いはなかなか立ちません。
それで「どうしてだろう」と考えていくわけですね。で、「フレームワークの繋げ方なんて教わっていないし、活用するシーンのセットも教わっていない」と、やっと分かってきます。それらの結果として、代表的なものはあまり使わず環境に応じて自分でフレームをつくり、それを整理するという作業を、最近はおかげさまで出来るようになりました。そのあたりはプロセスを通して学んでいくのではないかなと感じています。
「自ら問いを立てる」論理思考力の重要性が根底にある(戸津)
井手:それは戸津さんがものにしているということなのでしょうね。多くのMBA生や卒業生は今のお話にあった前段の部分で止まってしまっているような気がします。「こう整理した」とか「表面的にこうだった」ですとか。その結論としての行動の方向性が、間違っていなければまだ良いのですが、間違えている可能性も往々にしてあります。言葉は悪いのですが「結果マイナスになった」ということだってあり得るわけで。中途半端な知識を増やすぐらいなら、むしろ何も考えずに、いわれたことだけやっていたほうが良かったと。世にあるMBA不要論というような話も、これが原因の一つになっている気がします。
ですが、私としては、そもそもMBAの2年間ですべての学びが得られることは難しいと思っています。学びというのは、実業を経験しながら、考えては実践し、実践しながら更に考えるという、“べき乗的”に深まっていくものなのだと思います。そのような思いから、私がグロービスで講師をしている時は「自ら学ぶことができるエンジンを積ませる」ということを強く意識しています。
藤井:「あとは自分で廻していきましょう」と。
井手:そうなのです。そのための必要な要素として、フレームワークも大事だが、一方でフレームワークが適用できる範囲を知ることも重要であることも強調します。実際にフレームワークで収まらない事例を題材に、どうフレームワークを自ら修正していくか体験していきます。ただし、世の中の事例を全て体験することは無論不可能ですので、授業でやれることというのは、「気付き」と「自ら学ぶきっかけ」を提供するだけ。あくまで今日からが学びのスタートなのです。
戸津:自分で考えるエンジンを積むというお話を聞いた今、その考え方が、最初の「3000万円をやれ」というお話や「上から目標を落とされた」というお話と最後に繋がった感覚があります。それはひょっとしたら、やはりフレームワークの力というより論理思考の力なのかなと。結局、「どのようにして問いを立てるのか」という部分が根っこにあるという気がしました。
「問いを立てろ」と口で言うのはすごく簡単ですが、現実的にそれを話しても皆が思いついた話をするだけになったりしてしまう訳ですよね。もちろん上も横も下も同様ですが、とにかく3000万と言われても問いを立てられない。あるいは問いを立てろと言われても考えられない。そんな状況を感じてみると、「自ら問いを立てる」、さらには「自分で考えるエンジンを積む」という意味でも、やはり論理思考を知ったり、未知の領域を見たりすることで、学びの無限性を知ったりするという、その辺が大事になると感じます。
荒木:そこである種の原体験を積んでいる人は強いですよね。自分で問いを立ててクリア出来るというそのちょっとした自信。仮に私たちから「こういう問いを立てると良いよ」と言ってみても、多くの人がそれを実行しないんです。何故かというと自分で出来ると思っていないし、「やったらやったですごく大変そうだな」と思っているから。それで余計なことをやるより目の前のことをやったほうが「仕事はラクじゃん」という風になってしまうんです。そちらの引力が強いですし。
出来ないというのもあるのですが、仮に「なぜ3000万なんだ」なんていう問いを立てても実際のところ疲れますからね。答えが出せる気もしません。ですからそこで立ち止まってしまう人が多い気がしています。そういう意味でも「自分で出来るんだ」という原体験が大変重要になると思いました。それが井手さんの言うエンジンなのかもしれませんね。