井上:連載コラム「日本企業にイノベーションをもたらすクリエイティビティ」では、これまで、組織や社会が希求するイノベーションを実現するには、そもそも“種”となるクリエイティブな発想が必要であること。しかしながら、多くの組織、個人が「未開発能力の存在」、「末端化の落とし穴」、「短期目線の圧力」により、いわゆる「サイロ化」とも呼べる現象に陥ってしまい、イノベーションの基点にも立てなくなってしまっている(サイロ化現象については本連載第3回「クリエイティビティを阻害する3つの罠とは」を参照されたい)ことを指摘してきました。
(前回のコラム「クリエイティビティを阻害する3つの罠とは」はこちら)
では、いかにすれば既存の前提や常識に囚われず、幅広い視点、そして長期目線で考えられるようになるのか——。今後、具体的なソリューションを提示していくにあたり、業界に新風をもたらしたイノベーティブな事例について伺い、その肝に、より迫ることができればと思いました。それで私自身、稀有なイノベーション事例と思うセブン銀行成功の内幕をお教えいただければと強く希望し、本日のインタビューが実現した次第です。貴重なお時間をいただきますこと、深謝申し上げます。
10余年で1万8000台を設置、生活者の行動を変えたセブンのATM
井上:さて、我々が生活シーンの中でATMを使おうと思った際、選択肢としてコンビニエンスストアに設置された機械が当たり前のように頭に浮かびますが、実は歴史をたどるとセブン銀行の前身であるアイワイバンク銀行がサービスを始動したのは2001年。それからまだ、わずか10余年しか経っていないわけです。この短期間に全国的な消費者の行動変容がもたらされたことに、改めて驚きを禁じ得ません。導入でのご苦労など徐々に伺えればと思いますが、まずは簡単にサービスの特徴や現況の業績から確認させてください。
安斎:通常の「銀行」は、融資、運用、決済という業務が基本機能ですが、セブン銀行は決済サービス、特に小口決済に絞り込んでいます。駅前に限らず全国様々な環境の店舗にATMを設置。世界的に見ても同様のサービスを提供している銀行業態はなく、非常にユニークな存在と言っていいと思います。ATMの設置台数は約1万8000、コンビニATMのシェアNo.1を占めています。
井上:年間の利用件数は6億件を超えますね。2011年度の経常収支が883億円(前年対比5.1%増)、経常利益が295億円(前年対比7.6%増)、当期純利益が172億円(前年対比7.8%増)。これは、セブン&アイ・ホールディングスの当期純利益の約13%にあたります。
成長性、収益性など、あらゆる観点からグループの中で欠かせない存在になっているということですね。ATM利用に訪れる方の多くが、店舗での買い物もしていく副次的な効果も無論、多大であろうと理解しています。私は、イノベーションとは「全く新たな価値を発想し、より優れたモノやサービスを生み出し、企業や社会に対して良き影響を及ぼすこと」と定義していますが、セブン銀行の事例はまさにその代表例と感じます。
では、なぜこのような成功を実現できたか。時系列で伺えればと思うのですが、そもそも始動のきっかけはどのようなことだったのでしょうか。
安斎:直接的なきっかけは、セブン-イレブンが1990年代に実施した「1万人アンケート」と認識しています。セブン-イレブンでは毎年、生活者ニーズを把握するための調査を実施していますが、その中でATM設置に対する要望が年々高まっていた。
井上:安斎会長がアイワイバンク銀行の代表に就任されたのは会社設立時である2000年と伺ったので、それ以前のことについては別途、資料等も拝見してきたのですが、1987年からセブン-イレブンが公共料金の収納代行サービスを実現していたことも大きかったようですね。公共料金の支払いのため、わざわざ平日に銀行に行き並んで支払わなければならなかったものが、セブン-イレブンなら土日も関係なく24時間いつでも受け付けてくれる。その体験が生活者の期待感を押し上げていったのでしょうね。
その後の経緯を、私のほうで簡単にまとめさせていただくと、長野県の店舗に地銀・八十二銀行のATMを設置。これがセブン-イレブンにATMの置かれた最初の事例ですね。さらに97年には鈴木敏文(現セブンアイホールディングス代表取締役会長兼CEO)さんの指示でATM設置の研究がスタート。98年には「ATM検討プロジェクト」が発足。99年にはイトーヨーカ堂、当時のあさひ銀行、さくら銀行、東京三菱銀行、三和銀行、そして、野村総合研究所、日本電気を加え「ATM研究会」が組成されています。この頃は、銀行側としても、不良債権問題から店舗の統廃合を進める必要性があり、コンビニエンスストアを活用したお客様への利便性の向上には前向きだったのですよね。
ところが、平日昼間は無料のATM利用料がなぜ土日や祝日は有料になるのか、なぜどこの銀行も手数料の額が同じなのか、など、銀行業について“素人”であるセブン-イレブン側の素朴な疑問は銀行側の“常識”を過度に揺さぶる内容が多く、議論は紛糾。結果として、セブン-イレブンは独自の銀行を設立するという道を選択し、99年に新銀行「アイワイバンク銀行(現セブン銀行)」が免許取得を申請という流れになった・・・と。
安斎:はい。当初は一時国有化をされていた日本債券信用銀行を買収するという案もあったようですが、最終的には2001年4月に資本金202億円を調達。単独で始動し、2002年3月に610億円に増資しています。
井上:そこで、初代社長として元・日本銀行理事であり、日本長期信用銀行の頭取も務めた安斎さんに白羽の矢が立った・・・ということですね。小売という異業種からの金融への参入ということで、銀行行政に通じ、また、業界にも幅広い人脈を持つ方ということで着眼されたのだと思いますが、一方では大変な責務と思います。オファーを受けたのはどういう理由からだったのですか?
安斎:声をかけてくれたのが鈴木さんだったからです。当時、私は、長銀の頭取を退任したばかりで、「次は最初に声をかけてくれたところに行こう」と思っていたということもありました。ただ、メディアからも周囲からも、こぞって「どうせ失敗する」と言われたし、心配もされました。
生命線の「信用、利便性、安心」を守るため、減価償却前に次世代端末に切り替え
井上:どのような組織構成での始動だったのでしょうか。セブン-イレブン出身のプロパー社員の発言権が大きくやりづらい、などということはありませんでしたか?
安斎:そのようなことはありませんでした。むしろ、そこは金融経験者にしか分からない枠組みづくりが必要だろうと私に任せてくれた感じでした。私としては逆に、いかにして小売発の良さ、特にお客様のニーズに寄り添う姿勢を組織に導入するかに腐心しました。顧客志向のものの考え方については、鈴木さんに学ぶところが大きかったと思います。現場に幾度も足を運んでお客様の行動をつぶさに観察し、フランチャイズ店のオーナーの方々とも度々意見交換をしました。その中で見えてきた、お客様の基本ニーズが今も大切にして守っている「信用、利便性、安心」だったのです。
井上:それは一般的な銀行の文化とは一線を画すアプローチにも思えますね。
安斎:銀行出身と一口に言っても、様々な組織から集まってきているわけですから、使う「言葉」を揃えること一つをとっても大変でした。
井上:社内の意識合わせも大変そうですが、提携銀行の確保や、店舗オーナーの納得感醸成も大変だったのではないでしょうか。銀行からすれば、一見、競合となるわけですし、店舗オーナーもATMに多額の現金を持つことへの不安など、様々懸念があったのではなかろうかと思います。
安斎:仰るとおりです。特に難産だったのはサービスの鍵である利用手数料をどのように設定するか、という部分でした。私たちからすれば、不当に高い利用手数料を設定するのは、お客様の利便性低下につながるので避けたい。けれど銀行側からすれば、自分らの設定手数料より安く設定されたら商売あがったりになってしまうと思われるわけです。ここは社内でも議論が難航しましたが、結論としては「価格決定権を銀行側に譲ったとしても、多くのATMを普及させ、多くの銀行に参入してもらえれば、市場原理が働き、自然と一定の水準に利用手数料も収斂するだろう。その状態を創ることができれば最終的には自分たちやお客様が価格決定権を持つと言えるのではないか」。そう考えて、まずは各行に自由に利用手数料を設定してもらうことにしました。私たちは、その手数料に応じて予め定めた一定の手数料を銀行から頂き、それが収益の柱になる仕掛けです。
井上:この意思決定をした結果、多くの銀行を巻き込むことができたわけですね。提携金融機関数の推移を見ると、2001年度9社、2002年度48社だったものが、2003年度には309社と加速がつき、現在では584社との提携を獲得されています。利用手数料も当初、目論見どおり、ほぼどの金融機関も同等に収斂されています。フランチャイズ店のほうの反応はどうだったのでしょうか?
安斎:今でも痛烈に覚えているのは、当時一番の大口の繁華街の中心にあるお店のオーナーさんに怒られたことですね。ATMの処理速度が遅すぎるために行列ができてしまい、おにぎりの棚が塞がってしまう。商売妨害だ、と。
ヒヤッとすることも諸々ありましたよ。例えば、サービス開始して初の年末の御用納めの日のことです。ATMを利用するお客様は仕事納め後に職場付近でお金をおろすのではないかと想定し、オフィス街のATMに現金を多く用意していたんです。しかし実際には多くのお客様は午前中に仕事納めをして自宅に帰り、自宅近くでお金をおろすという動きでした。このため、あちらこちらのコンビニATMで現金が不足するという事態が起きてしまいました。
また、こんなこともありました。埼玉県では夏になると落雷が頻繁にあるのですが、従来型のATMは電力が寸断されると、途中まで利用していた利用者のカードを飲み込んだまま出てこないような仕組みになっていました。業界ではそれが常識だったのですが、通常の銀行ならその場に行員がいるから問題は起こらない。しかし、セブン銀行の場合は行員がいませんから当然クレームになる。その場でお客様に待っていていただき、警備会社が駆け付け、本人確認をし、ようやくお返しをする。身の縮む思いがしますし、当然、オーナーさんもやきもきされる。
お客様からすれば、ATMというのはご自身の預金を現金に換えるだけのものにすぎません。ですから、一万円おろそうとしたら間違いなくATMから一万円が出なければならず、ATMの中に現金がなくてお札が出せないということがあってはいけない。
オーナーさんにとってのメリットがなかったわけではありません。毎日の売り上げをセブン-イレブンの本部に送金するために、いちいち近隣の金融機関に足を運ばなければならなかったものが、店内のATMでできるようになったのは助かる、と。特にロードサイドなど銀行から離れたところにある店舗のオーナーさんの中には、文字通り泣いて喜んでくださった方もいらっしゃいました。
井上:ATM導入後に分かったそうした問題(前に列ができる、カードが飲み込まれてしまう・・・)には、どのように対処されたのですか?
安斎:行員を置かずに運用する以上、ATMの精度は「信用、利便性、安心」を担保する生命線ですから、これはもう、徹底的にこだわりました。初年度に顕在化した問題を全て解消するため、創業2年目に第2世代ATMの開発を決めたのです。併せて、全店舗展開も急ぎました。当初計画の中では全店舗展開までは行かない緩やかな設置計画を立てていたのですが、お客様の利便性を考えると同じセブン-イレブンでもATMのある店舗とない店舗があるというのはご迷惑をおかけすることになるので。
井上:当然、減価償却も・・・
安斎:終わっていません(笑)。会社はまだ赤字であり、2年目には累損が200億を超える状態。もともと資本金600億円の会社で、既に一度、数百億をかけてシステム導入をしていたところに、さらに250億円の投資ですから、もう背水の陣です。
第2世代ATMは出入金の処理能力を4倍に上げ、一時間当たりの利用者を60人から100人に拡大しました。また、紙幣の収納量も2倍にし、現金を補充してまわる警備会社の負担も軽減させました。そのほかにもセキュリティーを強化し、のぞき見防止機能を追加するなど様々な改善を行い、結局、3年8カ月で全て入れ替えました。最初に決めたことも必要に応じて大胆に変更する。これが重要だったように思います。
井上:なぜそれができたのでしょうか。
安斎:一つには、若さがあったからかもしれません。あとは、お客様目線で考え続けること。それは社内の人に対しても、社外の協力会社の人に対しても一緒です。ただし、相手以上に相手先の事情に詳しくなり、正しい判断をできなくなることもあるので、そこは気をつけなければなりません。結果としていつの間にかお客様が置き去りになってしまうことを「ラクダの鼻」と言います。砂漠では夜が冷えるので人間はテントを張って寝る。ラクダは外にいるのだがラクダも寒いので鼻だけテントに入れてくる。砂漠を一緒に旅をしている命の恩人だと思ってテントに入れてあげるとどんどん鼻を突っ込んできてテントが倒れ、共倒れになってしまう。こういうことに気をつけながらお客様や提携先、フランチャイズ店などとの関係性を保たなければならないということです。
クリエイティブな発想の拠り所は経営理念、そこに提供価値のヒントがある
井上:社内や金融業界の“常識”に閉じることなく、様々な問題解決をされてきたように見受けられますが、小売ならではのノウハウも投入していったのでしょうか?
安斎:はい。例えば、ATMの中に装填している現金の管理にはセブン-イレブンの単品管理のノウハウを応用しています。ATM設置場所などによって、出金よりも入金の多いところ、千円札がたくさん出金されるところなど使われ方が異なるため、データを分析したうえで必要な量、必要な種類を装填しています。
井上:決済サービスに特化した銀行とのことですが、今後はどのようにビジネスの領域を拡大されるのでしょうか?
安斎:決済サービスだけでもまだまだ先はあります。たとえば始めたばかりの海外送金。日本で仕事をしている外国人の方が家族に現金を送る際などに大変喜ばれており、これは今後さらに伸びて行くと見込んでいます。ほかにも金融機関が毎日やらなければならない事務はたくさんあり、そういうものを取り込んでいきコスト安にできないか。まだまだいろいろ考えていますよ。
井上:今やセブン-イレブンの競合コンビニエンスストアなどにもATMは入っていますが、価格競争にはいかない、と。
安斎:新しい価値を提供できないなら値下げ競争をするしかないですね。そして、値下げ競争をすれば資本はあっという間になくなります。私はセブン銀行を引き受けたときから新しい価値を創り出さない限りはダメだと思っています。新しい価値を出してはじめて、お客様が認めてくださる。「より安心できる」「便利なので自分の時間を他に使える」「期待を裏切らない」「何回やっても同じである」。そういった価値を創り出すことを目指してきましたし、それは今後も変わりません。
連載コラムのタイトルとされている「クリエイティビティ」という言葉は、まさに価値を創るという意味ですよね。値下げするのではなく、価値を創り続けるということを会社としてやっていきます。
井上:その際、発想の拠り所となるのは何なのでしょうか?
安斎:カギは経営理念にあると思います。セブン銀行の経営理念の三項目に「決済インフラの提供」を謳っていますが、経済には「決済ができない」ということがもっとも打撃的です。だからこそ、価値を提供し続けたい。
経営理念を明文化するか否かという議論を社内でした際に、「教育理念がない学校はないでしょう。経営理念を持たない企業はつぶれるぞ」と私が言ったら、共感してくれました。そして、理念を明文化したのです。
井上:理念をより良く達成するためにと知恵を絞ることがクリエイティビティの発露やイノベーションにつながる・・・
安斎:そう思います。集団は何のためにある、ということを決めることは経営において存外に重要です。「カネ儲けです」と即答する方もおられるが、これはないと思う。それではお客様がついてきてくださらない。何かに役立っているのではないか、そういう気持ちがあってアクションがおこってくるし、それが結果としてお金儲けにつながる。そういうサイクルが然るべきものと私は思います。ですから株主の方々にも、「配当を増やすためにというモノの考え方はしない。それがお嫌であれば株主を辞めてくれ」とお願いしています。
経営は例えるならば壮大な織物のようなものです。織物は縦糸と横糸を紡ぎ合わせて生まれる。経営に当てはめると、縦糸が経営理念であり、そこに横糸であるヒトが関わり織り上げていく。
井上:短期的な収益に縛られると、なかなかそうした発想は持てませんね。
安斎:老舗が残る理由は簡単で、お客様が望むことをやっているからです。ここにあるのはベネチアの絵ですが、ベネチアは700年続いている。セブン銀行も700年続いたら止めても良いと思うし、逆に言えば、経営者が自分の任期中になんとか、という短期的発想になると必ず失敗を犯すと思います。
井上:最後に、安斎さんが個人として矜持としておられることをお教えいただけますでしょうか。
安斎:座右の銘は「今日生涯」。私自身、常に今日で生涯が終わるという心構えで生きてきましたが、聞けばアップルのスティーブ・ジョブス氏も禅に傾倒し、禅の教えにある同じ意味の言葉を大切にしていたそうです。
井上:今日は本当にありがとうございました。
セブン銀行の事例は、新しい価値を生み出す種を見つけ、その種から事業を育て上げた素晴らしいストーリーです。種は「お客様への1万人アンケート」から発見しました。ただ、それに留まらず、「実験ATMを出してみる」、「常識に囚われず外部と議論しながら本質を見い出す」、「社外から安斎氏のような小売の枠に囚われない視点を持つ人物を招へいした」という行動が種から花を咲かせます。そして、その花を大輪に咲かせるまで「理念を大切にしながら長期目線を持つ」、「多様なプレイヤーを巻き込む」、「前提や常識に囚われずお客様の基本ニーズに立ち返り意思決定する」ということを積み重ねてきました。新しい価値を発想し(=クリエイティビティの発揮)、イノベーションを実現した事例であり、多くのことを学べるストーリーだと思います。
さて、今回はセブン銀行安斎会長のインタビューから、セブン銀行におけるクリエイティビティからイノベーションを生み出した流れを見てきました。次回は我々一人ひとりがどのように、クリエイティビティを抑制する罠を乗り越え、クリエイティビティを高め発揮することができるのか、その具体的な方法を書いていきたいと思います。
※参考文献:
『セブン-イレブンの経営史』
『セブン-イレブン覇者の奥義』
『セブン-イレブン サービスイノベーションの奥義』