前回のコラムでは、「イノベーション」や、それを生み出す発想のタネとしての「クリエイティビティ」が企業経営において求められる環境要因などについて論じました。また、イノベーションが実現する流れを「クリエイティビティ(発想)」→「エグゼキューション(実行)」→「イノベーション(革新)」として整理しました。
では、組織においてクリエイティビティはいかにして得られ、また、どのような手続きを踏むことでイノベーションに昇華されるのか——。具体論に入る前に、今回は、そもそもの「イノベーション」「クリエイティビティ」という概念について、少し丁寧に考えてみたいと思います。
イノベーション創出は新規事業責任者や経営者“だけ”の仕事ではない
まず、イノベーションについて概観しましょう。
経済学者ヨーゼフ・シュンペーターは、1912年に発表した『経済発展の理論』において、イノベーションを進める者を“企業者(アントレプレナー:entrepreneur)”と呼び、「企業者は、いくつかの要素を全く新たな組み合わせで結合(“新結合”)し、新たなビジネスを創り出す存在である」と述べました。ここで新結合(new combinations)、即ち無から有を生み出すような営みのみならず、既にあるもの同士を組み合わせ価値創出することをもイノベーションであると明示されたことは非常に大きな意味があると言っていいでしょう。
それから100年近い時を経て、ハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセン教授がベストセラーとなった自著『イノベーションのジレンマ』において、“破壊的イノベーション”と呼ぶ概念を紹介しました。これは、ある画期的な技術やそれを用いた商品が導入されることで、既存の技術やビジネスモデルによって確立された業界の競争ルールが根底から覆されてしまうイノベーションの形態を示しています。具体的には、デジタルカメラが銀塩カメラに取ってかわったり、携帯電話が固定電話に取ってかわったりといった事例が挙げられます。
さらに昨今では、“ビジネスモデル・イノベーション”という、事業モデルそのものを構築し直すようなイノベーションの必要性も叫ばれています。これは、単に新製品や新技術を投入するのではなく、製品やサービスを提供するビジネスシステムの構成要素〜例えばR&Dの流れや、海外拠点などを活かした調達や生産の仕組み、或いは組織間の意思決定の方法論など〜にまで手入れをすることで、自社の競争優位の源泉を大きく変更していくものを指します。
いずれもイノベーションを考える上では極めて重要な概念ですが、私は、破壊的イノベーションやビジネスモデル・イノベーションといった言葉“だけ”が先走るのは、実際に企業経営を推進するうえでは危険な側面もあると考えています。
経済成長と共にありとあらゆる技術が研ぎ澄まされ、画期的と言える製品やサービスの登場しづらい環境となってきていることは事実です。ドラスティックなコストカットに資する単純な施策というのも、もはや望めず、結果としてより複雑性の高いイノベーションの創出に関心が移らざるを得ないのは自明と言えるでしょう。しかし、その結果として、イノベーションをおこす仕事は、既存ビジネスを破壊するような新規事業を考える人“だけ”の仕事であるとか、ビジネスモデル全体を考える経営者“だけ”の仕事、という間違った捉え方が生まれてしまうことを私は危惧します。新興国から生み出した低コストの技術や製品を先進国でも活用する「リバース・イノベーション」の成功例を引くまでもなく、すべてのイノベーションが地位や権力に紐づかなければ実現できないものではないと考えるからです。
経営学者ピーター・ドラッカーは著書『イノベーションと企業家精神—実践と原理』の中で、イノベーションについて「より優れた、より経済的な財やサービスを創造することである。企業は単に経済的な財やサービスを供給するだけでは十分ではない。より優れたものを創造し供給しなければならない」と語っています。
私は、このシンプルな定義に、むしろ今一度、私たち皆が立ち返るべきと思います。目を凝らせばビジネスのあらゆる局面がイノベーションの必要に満ちています。大きな決定権を握る経営層だけではなく、顧客に最も近いところにある末端の営業担当に至るまで、組織の全階層のスタッフがイノベーションを牽引する意識を持ち、日々の業務を遂行することこそが、変化に満ちた現況のビジネス環境に即応する早道なのではないでしょうか。
なお、これに近いことは、マーケティングの重要概念である“キャズム”を提唱したジェフリー・ムーア氏も言っています。「ビジネスのあらゆるフェーズにおいて各種のイノベーションが求められる」、と(下図参照)。私たち全てのビジネスパーソンがイノベーションを意識しなければならない、そうでなければ成長はできないという時代であると思います。
常に業界に革新的な変化を起こしてこられたセブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長CEOの鈴木敏文氏は、『中央大学ビジネススクールレビュー』(2012年3月号)のインタビューに応え、「今のように物が充足している時代は、どれだけ新しいものを出すかによって決まってきます。新しいものをどんどん出していける企業であれば競争はないわけです。逆に、新しいものを生み出せない企業はドロップアウトしていくことになるでしょう」と話されました。
ここで氏の言われる「もの」は必ずしも商品だけではなくサービスや、物流・商流の仕組み、店舗内オペレーションの工夫など業績にかかる全ての「新たな価値」を示していると思っていいでしょう。こうした時代背景も踏まえ私は、「新たな価値を発想し、より優れたモノやサービスを生み出し、企業や社会に対して良き影響を及ぼすこと」とイノベーションを定義しなおしたいと思います。
分析思考と発想を広げる創造的思考の双方が組織に求められる時代
さて、一方のクリエイティビティについても概観してみましょう。
一般に、クリエイティビティというと、広告に代表される、感覚に訴える表現力をイメージする人が多いかもしれませんが、ここではビジネス全般において「新たな価値を生み出すための発想力」と定義しています。
先に私は、クリエイティビティに基づき新たな価値を発想し、社会に変化をもたらすべく、関係者やお客様を動かし、エグゼキューション(実行)をやりきることで、イノベーションが創出される、と整理しました。
イノベーションへの3ステップ
また最近では、分析的にビジネスの問題点や解決策を見定める“左脳思考”、ロジカル・シンキングに対し、枠組みに捉われず、より感覚的に発想を広げる“右脳思考”、クリエイティブ・シンキングをバランスよく取り入れることで、時代に合った経営が可能になるとの論考が顕著になっています。組織において従来、足りなかった新たな発想を柔軟に考える右脳的な能力を表現する際に“クリエイティビティ”という言葉が散見されるようにもなっています。
例えばトロント大学のリチャード・フロリダ氏は自著『クリエイティブ資本論—新たな経済階級の台頭』の中で、「私たちは『情報経済』や『知識経済』を生きているという者は多いが、それよりも根本的に正しいのは、この経済は人のクリエイティビティによって動いているのである。(中略)自動車からファッション、食品、情報科学そのものまで、ほぼすべての分野の勝利者は、長期的に見て何かをつくり出せる、創り続けられる人たちである」と言い、新しいアイデアや技術、コンテンツの創造によって、経済を成長させる機能を担う知識労働者層を呼ぶ“クリエイティブ・クラス”という言葉まで提唱しました。
フロリダ氏は同書のなかで、クリエイティブ・クラスは総じて高所得を得ており、彼らが集まる地域とそうでない地域の間に経済成長の格差が生じているとまで説明しています。このことは、多少の意訳を恐れずに考えれば、「新しいアイデアや技術、コンテンツの創造」つまり、新たな価値を生み出すための発想力(=クリエイティビティ)が弱いと、世の中の成長は停滞してしまう、つまりイノベーションの存在しない環境を生み出してしまうとも捉えられると思います。
では、新たな価値を生み出すための発想力とは具体的に、どのような能力により構成され、どのような環境で適切に発露するのか。
次回以降はいよいよ、この本題に迫っていければと思います。それは、イノベーションの源泉であるクリエイティビティは(特に昨今の日本企業において)どうして発揮しにくいのか、という点です。その「クリエイティビティを抑制する罠」を理解した上で、新たな価値を発想するために我々はどのような思考・行動特性を持つべきなのか、という点について徐々に掘り下げていきたいと思います。