テーマと出演者
テーマ:「脳科学者が最近気になっていること」。
発言のポイント
1) AIの進化と人間の役割について
・イーロン・マスクらが関わっているGPT-3というオープンAIの成果が今はとてつもない感じになっている。たとえば「(米国自体が誕生する前の)1500年代の米国大統領は誰か」といった質問にも答えたりして、「これはなんなんだろう」と、皆が呆然としている。評価関数が定まっている場合だけでなく創造性の世界でも答えを出すようになり、我々をインスパイアするようなふるまいを見せているというか。「人工知能はここまでしかできないが、人間はそれ以上ができる」といった今までの話が、どうも成り立たなくなってきた。
・ビジネスの世界ではAIを使い尽くすことが当たり前になってきて、グロービスでも「GAiL」というAIラーニングシステムを提供している。記述式演習問題の採点やフィードバックをAIが行うことで公平性を担保したりするものだ。そんな風に、今後はAIがあらゆる企業活動に入っていくと思う。
・イロレーティングというレーティング理論によると、現役棋士トップとなる藤井聡太さんのレートが1800~1900台なのに対し、今は普通の将棋プログラムでも4600だったりする。すでに囲碁や将棋では月とスッポンの状態だ。それと同じようなことが他の分野でも起きていくなか、人間の役割をどうセッティングしていくのか。これはすごく面白い問題だと思う。
・シリコンバレーのシンギュラリティ・ユニバーシティで学んでいたとき、AIの進化で人間の役割はどう変化するのかを質問したことがある。すると、1つはパッションになるという。AIは情熱を持てないから、情熱を伴った教育で人々を動かす役割がある、と。また、クリエイティビティで力を発揮したり、人間同士のリレーションシップをつくっていく役割もあるほか、高度な研究分野もAIにできないものとして残るという。AIにはそうしたもの以外を委ねていくのだと思う。
・たとえばDMMの亀山さんとお話をしていると、ある種の「見通す力」を感じる。メタな部分でなんらかの脈絡を見出す能力が優れている、と。大雑把に言うと人間が担うのはそこ。ただ、その意味でシンギュラリティ・ユニバーシティが「創造性」や「つながり」と言っても、一般の人は、ある種の日常化された概念で捉えてしまうと思う。しかし、実際に起きていることはもっともっと抽象化された概念であり、そこの優劣が、おそらく人類にとって今後一番のイシューになる。その感覚をどれほど持てるかが大事だし、どれだけ教育で育めるかも日本のチャレンジになると思う。
2) 中国型ディクテーターシップと民主主義の対立
・ダボス会議でユヴァル・ハラリは「B×C×D=AHH」という話をしていた。「biological knowledge(生物学的知見)×computing power×dataは、ability to hack humans(人間をハックする能力)に等しい」と。GoogleやAmazonが現在持っているようなデータに加え、今後はワクチン摂取情報や体脂肪といったデータまで蓄積されることで、自分自身よりAIのほうが自分を知っているような世界がやってくる。すると、人間のあらゆる行動がAIにハックされるようになり、人間を支配するのは人間ではなくなるというものだ。
・デジタルレーニズムと呼ばれる中国的統治のあり方というか、評価関数を定義して人々をモニタリングする手法についても議論がある。かつて西側には「自由主義や資本主義が最終的に勝利した」という歴史観があったが、ソ連の計画経済はAIやICTがなかったから失敗しただけかもしれない。その意味では、今の中国のやり方は、いろいろ議論はあるかもしれないが、1つのソリューションである可能性もある、と。そう考えると今の米中対立は根深い問題だと思うし、そこで日本がどんなポジションを取るのかは大変シリアスなイシューになる。
・これまでは、所得が一定水準を越えれば人々は自由や民主主義を求めるという楽観的な見通しがあったし、実際の歴史もそうだった。しかし、AIやデータを活用した強固な管理社会が生まれるなか、一部の政治的自由については、「なくてもいいや。他のことが豊かで幸せなら」といった社会が中国で生まれている。政治の話さえしなければ富を得ることもできるわけで、その辺がデジタルディクテーターシップの難しい問題だと思う。
・今は中国型システムが輸出されている。それで「中国型デジタルディクテーターシップ対民主主義」といった構図になると、軍隊を送らなくてもデータで人間をハックするような方向に進むのではないか。だから、人々は基本的に民主主義・自由主義を選択すると思ってはいるが、楽観はしていない。少なくとも中国の現体制は経済的理由で崩壊することがないと思うので、長い目で付き合っていかなければいけないと感じている。
・『1948』や『華氏451』といったディストピアものの小説を読み返してみたが、ほぼ共通して、今のお話にあったようなデジタルディクテーターシップ的世界が描かれている。幸福は国家やシステムに与えられるものではないし、それぞれの人が自分なりに幸福を追求することはファンダメンタルな権利だ。でも、デジタルディクテーターシップにおいて幸福は分配・供給されるもの。この根本的な価値観の差は簡単に埋められない。
・これから脳にチップが埋め込まれるような時代が仮にやってきたとき、そうした幸せの定義が改めて議論されるとともに、そこでテクノロジーがもたらす進化を拒んでアーミッシュ的な生き方を選ぶ人が増えていくのではないかという議論も先日行っていた。
3) イーロン・マスクの世界観について
・脳にチップを埋め込むといった話についてはイーロン・マスクもしているし、中長期的にはデジタルで脳のコーディングをハックして、たとえば外国語で容易にコミュニケーションできるようになるといった話も実現するかもしれない。ただ、それは彼が提示するタイムウィンドウでは明らかに実現できないというのが僕の見解だ。言語野の情報コーディングをハッキングするというのは、そんなに簡単ではない。
・暗号資産に関する彼の動きについても僕はかなりネガティブ。短期的に売り抜ける戦略ということなら理解できるし、今の彼はBANされる前のトランプのポジションにいるから、何か言えば皆がばっと動く。でも、通貨は軍事力を含めた国家権力によって信用力を高めることで成立しているわけで、民間のサードパーティーがイシューできるものではないと考えている。
・自分の予測として、かつて金の兌換を停止してニクソン・ショックが起きたように、クリプトカーレンシーについても、あるとき突然、“バイデン・ショック”のようなことが起きる可能性はあると思う。
4) 日本人が身につけるべきリテラシーは何か
・日本の地上波テレビのお笑いは、観る人にリテラシーを要求しないネタが多い。でも、イギリスではオックスフォードやケンブリッジの人たちが大変知的なコメディを展開している。エリート層によるリテラシーとしての知的なコメディがあって、リーダー層の世の中の見方が違うということだ。ある種、コメディというのはメタ認知だから。その点、日本のお笑いは、面白いけれど、人間観や世界観としては、良い悪いという話でなく事実として小学校レベルのものが主流になっている。
・東大を含めて日本のエリート層に最も欠けているのは、そうしたコメディのリテラシーでもあると思う。たとえば、河野太郎さんはTwitterでよくブロックをすることから一部で「ブロック太郎」なんて言われる。ただ、それも河野さんの個性であって、それが良いか悪いかということは簡単には言えない筈だ。でも、そこら辺のリテラシーが日本にはないから議論が低レベルになってしまう。それは日本のお笑い文化が偏っていることに起因している部分もあると思う。ジョークのリテラシーはリーダーにとって不可欠なものだ。
・それで僕は今コメディアン宣言をして、YouTubeに動画をアップしている。4桁ビューぐらいになる。向こうはオックスフォードやケンブリッジの人がコメディアンになるわけで、「それなら東大を出てケンブリッジにも行った自分がコメディをやるべきでは?」と。そういう存在は日本だと高学歴芸人なんて言われたりするけど、そうじゃない。自分がやっているのはコメディのど真ん中だ。
・日本にCIAやMI6のようなインテリジェンスがないのも重大な問題だ。日本のエリート層に欠如している議論という意味では、これもコメディの話と同じ。すべてはつながっている。日本型インテリジェンス組織の構築は絶対にやらないといけない。
・特定秘密保護法案の議論は日本人らしい素直過ぎる議論だった。秘密を守る最良の方法は、秘密の存在を秘密にすること。「エニグマ」という暗号を解読したことでドイツ軍による空爆の場所が分かったとき、イギリス政府はどうしたか。解読できていないふりをして意図的に何箇所か空爆させた。インテリジェンスというのは、そういうレベルの判断をする。日本人は素直だし「いい人」だから、空爆の情報が事前に分かったら「全員救うために対応しましょう」と考えるが、イギリスは違う。解読したことがバレたら相手は再び暗号を変えるから、バレない範囲で最適な道筋で選ぼうと考える。そういうレベルのインテリジェンスが今の日本にはない。
ディスカッションに参加してくださった皆様