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コミュニケーションにもっと「アート」を!文化を語ることのできるビジネスリーダーは尊敬される〜原田マハ×御立尚資

投稿日:2020/07/28更新日:2023/07/19

本記事は、G1中国・四国2019「特別セッション」の内容を書き起こしたものです。(全2回 後編) 御立尚資氏(以下、敬称略):最近シリコンバレーに行って思ったのですが、あちらの方は物事を分類するのが好きじゃないですか。そうした分類について、「そうだなあ」と思いつつ、でも「違和感があるなあ」と感じていたことがあります。格好良く言うと、アートは問いをつくるもの。心を揺さぶり、「答えは分からないけれども何か感じるよね」と。一方、デザインは何か結果を出さないといけなくて、ソリューションをつくるものだという整理があるわけですね。 ただ、そこで私がずっと引っかかっていたことがあります。たとえば『リーチ先生』のお話や、大原美術館が工芸まですべて揃えているというお話にもつながりますが、つまり日本の工芸や陶芸って、アートじゃないんですよ。西洋のハイアートの世界からするとアートには入っていない。「いいものだから」ということでコレクションする人はいますが、なかなかアートの分類には入れてもらえなかった。それが最近ようやく美術館に入ったりしているんですが、ただ、日本ではアートとデザインの差が小さいんです。たとえば『風神雷神図』もそうですが、お寺でも大金持ちの家でも、屏風という実用品に素晴らしい絵が描いてあったりする。襖や扇面に描かれていたり、実際に茶で使う陶芸がアートだったり。職人とアーティストの差が小さいし、デザインとアートの差も小さいというのは、日本の大変な強みだと思っています。 で、それは本当であれば我々が自信を持って世界に発信することの1つというか。響き合ってつながるという話に加えて、なにかこう、「高級なものとそうでないもの」「現代とそれ以外」といった分類に関係なく、「いいものはいい」という。そのスタートポイントとして、特に工芸や職人寄りのものにおいて日本が異常に強いという話については、我々はもっと胸を張っていいなと、勝手に思っています。

コミュニケーションにもっと「アート」を

原田マハ氏(以下、敬称略):おっしゃる通りだと思います。それで、最近はハンドメイドに回帰するような流れも少しありますよね。工業製品でも日本には優れたものがたくさんあるし、そこは世界的に見ても非常に評価が高い。ていねいにつくり込んだ、クラフトマンシップを感じさせるものに対する評価もすごく高いと思います。私はパリと日本を行き来していますが、海外から日本を見てみると、「なんという優れたものをつくる、ものづくりの国なんだ」と、強く感じます。 美術の観点から言ってもそう。大原美術館に代表される通り、優れた美術館は国内にたくさんあります。こういう形で100年かけて美術館が発展してきた国は、欧米は別として、世界的にもなかなかないんです。いろいろと戦争等の影響はあったかもしれませんが、特に東洋というかアジア諸国のなかではそんな風に発展してきた。日本はかなり早い段階から、つまり長い鎖国を終えて開国して明治政府になってから、文人、画人、文化人、学者といった方々がどんどん西洋のものを吸収しようと外へ出ていった。かつ、日本の良いものも、高階先生が研究をなさっているように、ジャポニズムということで外に出していこう、と。双方向でいろいろな交流をはじめました。以来、およそ160年をかけて西洋からいいものを取り込んできたし、いいものに加工して日本から外にも出していった。そういう歴史について、私たちはもっと自信を持っていい筈なんですよね。 御立:そうですね。さらに言うと、極端な話になりますが、縄文時代以来となる2万年ぶんの美術ストックがある国って、ほかにないわけじゃないですか。 原田:ないですね。 御立:アメリカの美術館は、基本的には皆MoMA。それ以外は博物館で、ネイティブアメリカンのものが少し飾ってある、と。それが日本のように美のレベルとなっている国は本当に少ないですよね。大英博物館は他所から持ってきちゃったものが結構あるんですが。 原田:そういう意味でも日本はすごいなと思います。世界各国に出掛ける機会の多いビジネスリーダーの皆さんには特に、今こそ日本のそういう優れたところを、文化という観点でもっと語っていただきたいと思っています。御立さんもそうだと思いますが、グローバルなビジネスシーンで文化を語ることのできるビジネスリーダーは尊敬されると思うんです。「この人は何か違うな」という感覚を、トークを通し感じていただける、と。コミュニケーションにもっとアートを使っていただきたいと思います。 御立:ちなみに今英訳が出ている著作はあるんですか? 原田:いえ。実は今準備中です。フランス語では『楽園のカンヴァス』が昨年出まして、次は英語ですね。今後も英訳は順次出していったうえで、待っているのではなく、むしろこちらから海外に攻めていこう、と。攻める作家として私も今後いろいろやってみたいと思っています。「原田マハという作家がいてね」という話をするとき「これ読んでね」と渡していただけるよう頑張ってつくっていきます。 御立:そして「日本って偉い」にする必要はなくて、でも「日本って面白い。いいものがあるよ」と。そんな風に胸を張っていけば一緒に付き合えるじゃないですか。たとえば、今後香港はどうなるかと思っているんですが、あちらではM+(エム・プラス)というすごい美術館がつくられています。これは香港の人がスタートさせて、結局は北京が中心になっていますが、あちらの基本思想は、半分正しいんですね。「アジア美術の源流はすべて中国である」ということで、日本のものも整理されてしまっている。「半分正しい」というのは、我々はそこから学んだものがあるのですけれども、半分は「そのあともっと面白くしたぜ」というのがある筈なので。そこをこちらが伝えるような軸を持たないと、我々の正しく在るべきプレゼンスまで戻れないなと思っています。 原田:そこはぜひ力を込めてやっていきたいところですね。 御立:英語小説にも期待しています。では、会場の皆さんからのご質問を受けたいと思います。

質問1)「現代アートはこういう風に観るといい」といった見方があれば教えてください

原田:いい質問だと思いますが、たぶんその答えはないんですね。特に現代アートについては、見方やルールといったものはまったくありません。1人ひとり、ご覧になる方が自分のルールで見るものだと思っています。ビジュアルとしてすごく美しいものもあれば、「これは一体何なのだろう。ちょっと違和感があるな」というものだってあるかもしれない。ただ、それは現代アートの一側面です。違和感を与えるという作品もあるし、なにかこう、ちょっとザワザワするような気持ちにさせることをテーマにしているアーティストだっているかもしれません。ただ、皆さんご存知の通り、同じようにさまざまな側面があり多様性を持っているのが現代社会だと思うんですね。そして、アーティストというのは現代社会の代弁者として、社会のそうしたいろいろな側面を、多様性を持ってどんどん切り取って、それを自分の作品に加工して提案しているのだと考えています。ですから、まずアーティストからのプレゼンテーション、提案であるという風に受け取ってもらいたいと思います。 御立:あるいは受け取らなくてもいい、と。 原田:受け取らなくていいんです、もちろん。 御立:最近、そのあたりについてずっと議論しているんですが、まず、世の中には「美学者」という人たちがいます。その人たちが寄って立つのは、18世紀ヨーロッパの「世の中には真善美というものがあるのだ」という哲学なんですね。で、それは神様がつくったものなのかどうかは別として、それを掴むと誰にでも美が分かるという思想でした。しかし、それは所詮18世紀の啓蒙主義から生まれた考え方。では、そのあと、たとえばマルセル・デュシャンが男性用の小便器をひっくり返して「これはアートです」と言ったのはどういうことか。そうした従来の価値観をひっくり返すゲームになってしまった。ただ、価値観をひっくり返すだけではなく次の提案をしているものが「いいもの」だと、私は思っています。どんどん新しいものの見方を与えてバイアスを減らす力も、現代アートにはあると考えています。 一方、コンセプチュアルアートはどうか。言い方は変ですが、これは新古今。オリジナルの綺麗なものや「いいもの」を知っている人が、まったく違うものを「へえ」と、理屈で“考え落ち”するのがコンセプチュアルアートの基本。そうすると、オリジナルを知っていて、その考えの何が「へえ」なのか分からないと面白くもなんともない。でも、それを楽しむ人がマジョリティーかというと、おそらく私は嘘だと思っています。椿昇さん(現代美術家/京都造形芸術大学芸術学部美術工芸学科教授)によると、「基本、美術作品は常にバブルである。なぜなら1点ものだから、欲しい人がいる限りバブルなんだ」とおっしゃっていました。ただ、それで儲けようと思うからいけない。自分が信じた値段ならいくら高く買っても別に構わないわけです。ただ、投資に使うのがいいのかというと、「それは別問題だよね」と。私はそう考えるのが正しいと思っています。ただ、いずれにしても私個人としては、どんなものであっても、本当に揺さぶってくれるものなら「いいもの」だと、自分で勝手に思うしかないと考えています。 だから変な言い方ですが、「気持ち悪い」と思ったとしても、自分が持っている常識が壊れて、のちのち一層気持ちよくなるなら一瞬気持ち悪くてもいいんです。でも、ずっと気持ち悪いものは、たぶん私は受け入れたくない人間なので、もうまったく価値を認めません。自分の価値観を広げたうえで、「やっぱり駄目なものは駄目だ」ということであれば、それでいいのかなと思っています。 ちなみに、最近はAIが現代美術を描くなんていう話もあるじゃないですか。でも、あれはいろいろな作家の描き方の癖を身に付けさせて真似しているだけなんですね。これに対して人間にしかないのは「考え落ち」をつくる頭。それと心です。AIについてきちんとした先生方に言わせると、そもそもピカソというのは3次元のものを網膜に入れて2次元にしてから、もう1度脳で3次元に構築するという、その2次元性だと言うんですね。裏から見た目玉だとか、そういう2次元性を、脳のことも知らずに平気で実現していたのがピカソの凄さである、と。だから時間が経ったらアートとして残った。今、現代美術と言われているものでも残るものは何割あるかというと、たぶんそういう確率だと私は思っています。

質問2)大原孫三郎さんや大原総一郎さんはどのような信念で大原美術館やこの町の開発していたのか?

御立:これは会場にいらっしゃる大原美術館館長の大原あかねさんにお話しいただいたほうがいいですね。 大原あかね氏:簡単に言えば、総一朗の「過去の歴史と明るい未来の接触点としての現在」という言葉が大切だと考えています。私たちは常に今を生きているけれど、それは過去の歴史に根ざしたうえで未来を見据えている。ただただ、それをやっていただけなのではないかと思っています。 御立:今のご質問については若干違う立場から見ている私も思うことがあります。もともと倉敷という土地は商人の町。天領だったこともあり、大名を中心に美術がつくられたわけではないんですね。経営者たちが「街を経営するために何かをやろう」というのがあった。だから、倉敷美観地区についても、実は大原家だけでなく、いくつかのお家が頑張って保存してきました。京都の町衆に少し似ていて、「皆でサポートしなきゃね」というのがスタートだった、と。 ただ、孫三郎さんも総一朗さんも、そのスケールが少し違っていた。おそらく当時の繊維業は桁違いに儲かっていたと思うんです。で、それを「次世代に返す」という責務から、たとえば留学制度をつくって児島虎次郎を欧州へ送ったら、その結果として美術館につながったりしていった、と。だから、先ほどのお話につながるのですが、「将来のためにここを良くしよう」と。そのうえで、病院も労働組合も美術館も保育園も必要になる。それらも含めて現在の場所をより良くするための投資をするということが、現代から見たらSDGsみたいだった。そんな風に、外からは見えます。

質問3)「アート」と「美」の違いとは?

原田:アートと美の違いですが、なんという難しい質問でしょう。おそらく私がそれにお答えできることは永遠にないと思います。ただ、『楽園のカンヴァス』で、私はピカソが実際に話したことを1つ引用させていただいています。ピカソはこんなことを言いました。「美というものは相当な醜さを持って生まれてくる」。ピカソは「青の時代」「バラ色の時代」と言われる時期を経て、あるとき突然豹変します。20世紀初頭、1907年の出来事でしたが、『アヴィニョンの娘たち』という記念碑的な、まさにモダンアートの目覚めを告げる革新的な作品を突然描きました。自身が今までコツコツつくってきた美しい、誰もが「美しい」と言って認めていた自分の美の集約のような作品を、バーンとぶち壊してしまった。 それでギャラリストもコレクターも皆、嘆きました。「ピカソは頭どうかしてしまったんじゃないか?こんな醜いものを描いて。一体誰がこれを買うんだ」と。でも、それこそピカソが狙っていたこと。観る人の心臓を鷲掴みにするような衝撃を持ったものが現代アートなのだ、と。美は誰が決めるのか。まず自分が決める。「あとは、それが美しいかどうかは観る人が決めてください」ということで、美の感覚すら観る側に向かって投げつけてくる。そういう大変強いメッセージを発したということで、ピカソの言葉は私にとっても忘れられないものでした。ご質問は、そういうお話にもつながるのかなと感じます。 御立:あと1点あるとすると、アートは「ars(アルス)」ということで技能性や技術性という意味が入るじゃないですか。これに対して美は「ただそこにある自然美」。ですから、おそらくアートのほうは人間が関わり、一定の技能性や技術性を持ってできたものという定義もあるのかな、と。 原田:そうですね。アートというのは人間だけに許されているものです。人間が人間たる理由と言いますか、人間の性(さが)と言いますか、そういうものにもつながると思っています。「アートと美」というのは永遠のテーマかもしれません。ただ、たとえば『アヴィニョンの娘たち』も、言い方によっては「醜い女性たちを描いた醜い絵」かもしれなくても、そこはかとないエネルギーや生命力を感じ、そこに美を見出す人もおそらくはいるだろう、と。ということで、現代アートのいろいろな側面や多様性を見せる“一撃”になったと言えるのかも知れません。 御立:ありがとうございます。キュレーターからはじめられて、そして作家としては山本周五郎賞をはじめ各賞を総なめにされて、西洋のものをお書きになったり、かと思えば今度は『風神雷神』のような小説をお書きになっている原田マハさんに今日はご登壇いただきました。ぜひ、皆さまも『風神雷神』を読んで絵画を観るような機会をつくっていただければと思います。どうぞ原田さんに盛大な拍手をお願い致します(会場拍手)。 <前編はこちら> 執筆:山本 兼司

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