人生100年時代。70代まで働くことを想定した場合、40代、50代はどうキャリアを築いていけばよいのでしょうか。活躍するビジネスパーソンの姿から、そのヒントを探っていきます。今回は、新卒で入社した企業で10年以上自分の技を磨き、その延長線上で30代半ばに日本・アメリカ・モンゴルの3カ国で不動産投資を行うVE-ST社を起業し、40代になった今、モンゴルでの社会貢献まで幅を広げている佐藤哲也さんにお話をお聞きしました。
最年少管理職よりも大切なこと
田久保:そもそもなぜ三菱地所グループの会社を辞められたのでしょうか。
佐藤:三菱地所グループではできない、海外の不動産投資の舞台を創りたかったからです。もともと三菱地所グループで企業の不動産コンサルティングをする部署に12年いました。最後の年に新設部署の事業戦略の責任者をして、2015年に起業しました。
三菱の看板でがむしゃらに営業していると自分の型ができ一定の成果があがるという実感が湧いてきました。31歳の時に最年少で管理職になりました。
グロービスに入ったきっかけは、当時、次のステージに上がるために必要な学びだと考えたたからです。営業の延長で部下を育成するのに限界を感じて、小さな組織をまとめていく方法を調べていくうちに、これは経営だと思ったんです。それが2013年。そこで田久保さんに出会ったんですよね。
田久保:10月開講のクリティカル・シンキングのクラスですね。この時、おいくつですか?
佐藤:34でした。
田久保:2013年で34ということは、管理職になって3年目。そこで、なぜあえて、お金を払ってまで勉強しようと思われたのか。
佐藤:この会社に長くいるなら、もっと会社のためになることをしなきゃというイメージがあって。その時に自分の成長だけでなくて外で学んだことを社内で発信して、会社全体をもっと巻き込みたいなって思ったんです。それが、まず行動してみようと思ったきっかけです。
田久保:最年少管理職までなったけど、会社も自分もこのままでいいのかな、という思いが出てきたんですね。
佐藤:このままだと自分らしくいられないな、というか。若い時は、年収1,000万とか管理職とかを思い描きますけど、でも結局そこに目的はないな、と思ったんですよね。
だから、自分らしさを追求することからはじめました。まずは、肩書きや名前を外して、考えてみました。組織とか管理職とかに捉われない自分らしくいられる本質は何かということを。それが今ある行動の原点です。
起業の理由は、「お客さんの喜ぶ顔が見えていた」から
田久保:グロービスに入ってどんな変化が?
佐藤:まず営業から事業企画へ異動しました。各部署共通の課題を抱えていたので、その解決策を考えて全体に発信する立場になりたくて。それがグロービスに入った翌年、35歳の時ですね。
田久保:新しい部署は、どうでしたか?
佐藤:組織改革と新規事業の2つを提案するセクションで、1年間でそれぞれ1つずつ提案したんですけど。組織改革に関しては、スモールスタートで推進していました。
新規事業では「海外の投資機会をつくりたい」というのを出したのですが、なかなか機会がもらえない。結局それが立ち消えになって。だったら自分でこの情熱を形にしようと思って2015年1月に退職届出して3月に辞めた、そんな流れでしたね。
田久保:35歳で家族もいて一般以上の給料とポジションがあって。そこが分かれ道というか、いいか悪いかの問題ではなく、動かない人は動かない。でも動く人は割とスッと動く。それはなぜなんでしょう。
佐藤:私の場合は、常にお客さんの顔が見えていたんです。海外不動産投資機会を提案できたら喜ぶなっていうのが手に取るように分かるわけですよ。その期待にとにかく応えたかった。当時の自分には十分なイメージができていたと思います。
田久保:お客さんの顔が見えているというのは大きいですね。そういうモチベーションもありますね。
佐藤:2つ目は、好奇心というか。海外なら新しいビジネスチャンスがあるんじゃないかっていうワクワク感が自分をかき立てたのかな。それと同時に今やらなかったら一生やらないと思いましたね。
田久保:食えないんじゃないのかという心配はなかった?
佐藤:ないですね。給料下がるかもしれないし、有名企業の名刺やポジションはなくなるけど。
田久保:動ける人の1つの特徴は、組織にぶら下がらなくても食べていけると思えることですかね。
佐藤:どうでしょうか、当時はそんなことすらも考えなかったと言いますか……。前職の組織ではやれないことが沢山あって、溜まりに溜まったものが外でしか発散できなかったのかもしれない。当時、自分がやりたいと思うフィールドがそこには無かったので。
田久保:そういうエネルギーだったんですね。じゃあ、逆か。食えないかもっていう恐怖感は動く人のエネルギーにはならないけど、動けない人のボトルネックにはなる。
佐藤:なるほど、それは腹落ちしますね。
“勉強”の起業1年目
田久保:2015年に立ち上げた会社では最初に何をやり始めたんですか。
佐藤:最初は、会社設立の準備と、やっぱりお金がなかったので自分の得意分野、コンサルティングの仕事をスタートしたんですよ。でも、これをやりたくてビジネスを始めたんじゃないと思って3カ月で軌道修正しました。
原点に戻って、グローバルな投資機会をつくる方向に軌道修正して、勉強しに行ったんです。現地行って、いわゆるローカルのエージェントに話を聞いたり。
日本でも、海外で不動産投資をしている人を探してインタビューさせていただいて。なぜ海外投資を始めたのかとかを聞いて、海外不動産の知識を実践的なものに変えていきました。それが1年目です。
田久保:その勉強期間の初年度に4億売り上げたんですね。すごいですよね。
佐藤:不動産なので単価は高いんですよ。その時に知り合った方々が後にモンゴルの不動産に投資してくださったりしたので今振り返ると貴重な時間でした。
海外経験がないままアメリカとモンゴルで起業
田久保:グローバルでビジネスをされてきた大変さについて教えてください。それまでの海外経験や英語力は?
佐藤:ゼロですよ、ゼロ。本当に恥ずかしいんですけど、SVOから学び始めました。だから語学は海外で起業ができない理由にはならないと思います。
田久保:それは不動産の独特な商慣習も関係している?
佐藤:あると思います。不動産ってある程度一定の枠組みの中で議論ができるので、日本語の論点が英語に変わったからって大きく苦労するかというとそうでもない。アメリカでは英語と日本語ができる日本人も探そうと思えば探せちゃいますし。
田久保:モンゴルに視察に行った時に会わせていただいたAさんがそうですよね。日本の大学への留学経験があり、日本語が上手なモンゴル人女性。
佐藤:彼女と会えてなかったら、モンゴル事業はまだ軌道に乗ってなかったかもしれないです。
田久保:ということは新興国でルールもよく分からない国でビジネスをする際の1つのキーファクターは人脈。
佐藤:はい、人脈ですよね。特に、モンゴルのような人口が少ない国ではその意味は大きいと思います。
ただ大事なのは、海外だろうか何だろうが、経験なんか気にせず、まずはやってみることだと思います。そこで、その国々で、できることできないことを正確に知る。正確に知れば明快な解決方法が見えてきますから。「他力本願」ではなく「本願他力」、人のご縁を大切に行動してきました。
モンゴルでの起業を支えた意地
田久保:そもそもなぜモンゴルを選んだんですか。
佐藤:先進国以外で魅力ある投資機会を探そうとアジア圏でマーケットを探したのが最初です。結果的にモンゴルを選んだのは、3つあって。
1つ目は、高度商業地区になる可能性が非常に高いロケーションがまだ荒らされてない。日本でいう丸ノ内とか銀座にあたるトップロケーションにまだ4階建てのアパートが建ってるような状況だったんです。
2つ目は、不動産の法律がないから自分たちでルールをカタチに凝縮できる。
3つ目は、日本でやってきた経験やノウハウ、コンテンツもロールモデルとして活かせる。スタートしやすいなと思ったのがきっかけです。
それでまず自分で不動産を買って試運転を始めたんです。自己資産で一点突破して、それから点を増やす考えで。そしたら、今のうちに買いたいというお客様が資金を集めてきてくれて。「佐藤くん、あとよろしく」と。運が縁によって結ばれた瞬間でした。でも、ドーンと資金を渡されて、さぁ、どうしようかと。
田久保:先に資金が集まっちゃった。
佐藤:資金が集まったのでバリュー上げてエグジット取りにいかないといけないんですけど、モンゴルで不動産の状態を正確に把握すらもできてない。取引が正常なのかもわからない。これは現地でエージェントというか、分かっている人を探すしかないと思って、日本語をわかる方で今一緒にやっているAさんではない人を最初に1人アサインしたんです。
そしたら、その人に騙された。途中から家賃の送金がなくなって、気づいたら、その人が住んでいた。出てけと言ったらキッチンとか、トイレとか、バスタブとか全部剥ぎとられていなくなっちゃって(笑)
田久保:剥ぎとるってトラックで運びだしたんですか。
佐藤:そうです。おいおい、待てよ、と。こういう事件があと2つくらいありまして(笑)。途中で工事を放棄されちゃったりとか、裁判したりとか日本で起きないようなことが日常茶飯事。そういうのを1つ1つ整えていくのに、1年半から2年ぐらいですかね。お客さんにサービスができるまでは時間がかかりました。
田久保:その状況で「嫌だな、この国」と思っても全然不思議ないじゃないですか。それはなぜ思わなかったんですか。
佐藤:思わないです、お客さんからお金を預かっちゃってますから。うまくいかないことがあっても、失敗から学び、大きなポイントから順番に、スピーディーに考えながら行動するサイクルで続けることが大事だと思って、意地でも続けました。
田久保:そうか、そのときにはお金をもらっちゃってるのか。
佐藤:もしも、自分でああだこうだとこねくり回していたら、今でも事業化してなかったと思います。むしろお客さんから頂いたミッションだから、私利私欲を忘れてがむしゃらに目的達成に突き進むことができました。結果的にご縁をカタチにできて、今こうやってビジネスが広がったんです。
信頼される理由
田久保:ご本人は答えにくいかもしれないんですけど、その方々は、どうして佐藤さんに数千万~億単位のお金を預けようと思われたのか。
佐藤:3つあるかなと思ってます。
1つ目は、その方々も不動産投資に関しては素人ではないということです。海外不動産の投資経験がある方々だった。
2つ目は、ロケーションは嘘つかないという不動産の方程式。世界中どこに行っても、ど真ん中の不動産は最後に勝つんだという定石があるんです。
3つ目は、会話の節々で僕がビジョンや戦略を話していたと思うんですけど、それ面白いよね、と。
戦略については投資家のみなさんも理解されているし、日本でやってきたことをスライドできるから、ビジネスとしては立ちやすいよねっていう納得感があったわけですよ。
田久保:そういう方々だから人を見る目もあるし、佐藤さんを信頼した、と。補足になりますが、僕は、佐藤さんは不動産を基軸にビジネスセンスが研ぎ澄まされているんだろうなっていう感覚がすごくするんです。自分のメジャー(ものさし)がクリアに設定されている。比較対象の軸を本当に自分の中に明確に持てるっていうことは、ビジネスジャッジも考えてないようで自動的にできちゃうというか。そこから全てが広がっていく。
お話をお聞きしていると不動産のグローバルのグランドルールは同じというか、トップエリアは嘘つかないとか、割とシンプルなものだったりもするかもしれない。そうすると佐藤さんが大企業にいた十数年は、メジャーを鍛える時間だった。その強みと不動産っていう業界特性を生かしてグローバルに出たっていうのは、無謀に見えるけど実はすごくいいキャリアの発展をさせていますよね。
佐藤:ありがとうございます。前職の時は、どうやるかを考えず、できない理由を探して不完全なことを遠ざけてしまうことがあったと思います。結果、行動しない自分と会社はたくさんの機会を逃してきたという反省があるんです。だから今は、蛇行しながらも前へ進んでいけば道は開けると常に動き続けています。
親兄弟の目線でモンゴルの社員に関わる
田久保:モンゴルに対するスタンスはどんな感じなんでしょうか。ピュアな不動産事業だけじゃないですよね。
佐藤:モンゴルは日本の経済の50年前のイメージで、まだまだ家族がお互いに支えなきゃいけない国なんです。ビジネスだけで物事を考えちゃうと限界がくるので、その人が裏で抱えている悩みだとか、家族も一緒にサポートしていく。新興国ではそういう関わりが必要だと思っています。理想から逆算して、今、モンゴルにおいてやるべきことをやっています。
田久保:佐藤さんの会社に勤めている若い男性は、佐藤さんのお下がりのスーツを着てるんですよね。みんな嬉しそうに「社長にもらいました」って。
佐藤:彼らは親兄弟と同じですよね。そこまで踏み込むかどうかは、その人の思想かもしれないけど、できることからできる範囲で行動することに自分らしさがあるなと思って。
田久保:採用はどうしてるの?
佐藤:Aさんと一緒に面接してます。ビジネススキルは誰がやっても一定レベルに育つから、会社や人のために考えて行動する人を採用したいって言って、今のメンバーが集まっています。
田久保:モンゴルに行った時に現地で5、6人会ったかな。そのうち3人が司法試験を目指してる。弁護士にもなって、この会社に貢献するって言って。
佐藤:勤勉ですよね。モンゴルは民主化になってまだ30年なんです。社会主義から民主化するって大きな変化で、何も食べれない状態が続いてたわけです。そういう辛い思いを親世代がしているのを見ているから、自分の身は自分で守んなきゃいけないっていうのが彼らの根っこにあります。
なので、学ぶことに関してはすごく貪欲。だから安心して働ける環境を整えてあげることが大事だと思っています。
企業理念、ビジョンを進化させる時が来た
田久保:最後にこれからのビジョンを聞かせていただいてもいいですか。
佐藤:もともと投資機会を世界中に広げたいと考えていたんですけど、日本の投資家だけじゃなくて、ローカルの不動産取引事情を解決していくことも同時に重要な課題だと考えるようになりました。そうなると、関わる人全てにもっと豊かになってもらいたくなってきました。
じゃあ、何がビジョンかっていうと歯切れが悪くなるというか、今らせん階段を上ってる途中だというのが実感です。とにかく、今はいい答えを出すことより、いい問いを生み出す段階だと思ってます。
田久保:いろいろ調べていると、ビジョンってある程度の規模になるまで持たない起業家も結構いるんですよ。
稲盛和夫さんも、「俺はこういう会社をつくりたい」と従業員の前で演説したのが今の京セラフィロソフィの元になってるという話ですし、松下幸之助さんも1番最初に綱領の大元をつくったのは創業してからだいぶ時間が経過してからなんですよ。最近でこそ、ベンチャーを立ち上げる時に、理念とか、ビジョンを明確にする方が増えましたが。
佐藤:モンゴルでは今、4つの会社―不動産・ファイナンス・ツーリスト・レストラン―があるんですけど、社員たちと「これもやりたいね」と話していることが沢山あって広げ過ぎている感じもあります。これからは、創り上げたベースを活かしながら、日本、アメリカ、モンゴル全社の企業理念やビジョンとかを再定義していく段階なのかもしれません。
田久保:そこを一気通貫する、モンゴル社会に対する具体的な貢献ビジョンみたいなものをこれから作れるといいのかもしれないですね。