稀勢の里は引退しなければならなかったのか?フレーミングで考える

稀勢の里大相撲の横綱稀勢の里が、2019年初場所限りで引退しました。2017年春場所に横綱へ昇進するも、その新横綱の場所で取組中に大ケガを負ってしまいます。その場所の残りの取組はケガを押して出場し見事優勝したものの、翌場所以降は休場しがちとなり、今場所も初日から3連敗、ついに引退という決断を下しました。

結果として、稀勢の里の横綱在位12場所中、途中休場が今場所も含めて6場所、全休が4場所、皆勤したのはわずか2場所となってしまいました。現役全体を通じての功績は十分認めつつも、こと「横綱としての成績」に限って言えばネガティブな評価が多くなるのも仕方ないでしょう。「もっと早く引退すべきだった」との声もあるようです。一方で、これは筆者が見聞きした範囲での体感値ですが、それほどネガティブ一辺倒というわけではなく、引退を惜しむ声、休場続きなのはケガによるものだから仕方がないとする声も結構うかがえます。

「横綱在位の大部分をケガで休場している」という事実は動かしようがありませんが、それに対する評価が分かれるのはなぜでしょうか。

実質的には同じことであっても、見方によって評価や判断が特定の方向に誘導されることを、ある枠組みのもとでものを見る(フレーミング)結果ということで、フレーミング効果と言います。心理学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーの研究が有名です。

ビジネスに絡めて考えると、たとえば「昔ある国を靴のセールスマン2名が訪れた。そこの人々の大部分は革靴を履く習慣がない。それを見てセールスマンAは『この国には革靴は売れそうにないな』と考え、もう一方のセールスマンBは『この国では未開拓の大きな市場があるな』と捉えた」といった具合です。

何かを表現する際に、フレーミング効果を意識して表現方法や同時に添える情報を工夫することで、他者に与える印象をある程度誘導することもできます。マーケティングや人事の動機づけ、交渉、説得といった場面で有効なスキルです。

稀勢の里のケースに当てはめてみると、(ケガによる)休場をどう捉えるかによって評価が変わってくると言えるでしょう。「横綱は常に土俵にあって圧倒的な強さを見せるべきである」という考えのもと、横綱の理想面に着目したフレームを通じてみれば、休場も負けも、たとえ勝負には勝ってもケガの影響によって取り口に強さを感じさせないことも等しく、横綱にふさわしくないことと見なされます。横綱には「降格」制度がないので、そうなると引退しかありません。ネガティブな評価の多く、特に「もっと早く引退してしかるべき」という声の背景には、このフレームがあると考えられます。

一方で、「力士は等しく自分自身のベストな取組を見せることを目指しながら争うべきで、横綱とはその中のチャンピオンに与えられる称号である」という考えのもと、休場=治療という面を重視したフレームを通してみれば、不可抗力的なケガで満足な相撲が取れないならば、しっかり治してから出場すべきであり、必要な限りで休場するのはむしろ望ましいこととさえ言えます。

一般に、同じ人があるフレームをずっと持ち続けるとは限りません。その時々で触れていた別の情報によって、意外にたやすく揺れ動くこともあります(認識の基準となる情報を提示することをアンカリングと言います)。

かつては、横綱の進退については前者の見方が支配的でした。横綱が少し休場すれば「次の場所は進退を賭けることとなる」などと言われましたし、実際に短い在位で引退を余儀なくされた横綱も何人もいます。今でもこうした見方は根強く残っていますが、稀勢の里の不成績をさほどネガティブに捉えず、引退を惜しむ声もあるということは、後者の見方をする人もそれなりの割合まで増えてきているようです。

この背景には、力士の大型化などにより長期の治療を要するケガが増え休場がありふれてきたこと、大相撲を他のスポーツと同列視し「横綱=一流アスリート」的な捉え方が浸透してきたことなどが考えられるでしょう。名横綱貴乃花が、横綱生活の晩年に実に7場所連続全休(その後1場所復活して12勝を上げる)したことも「横綱の休場もアリ」というアンカーとして働いているのかもしれません。

ある出来事に対して世の中の評価が割れているとき、それぞれの立場にどんなフレーミングが効いているのか考えてみると面白いでしょう。

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